024 愚風
カイル・ノートにとって、魔術とは便利な道具でしかなかった。
手っ取り早く金を稼げる手段のひとつ、その程度の認識だった。
魔術協会に才能があると見出された時も、彼は知識の収集家となる道は選ばず、怪物を狩って金を稼ぐだけの、在野の魔術師としての生き方を選んだ。
それはひとえに、弟を守ってやりたかったからだ。魔術師である自分とは違う、普通の人生を歩んでもらいたかった。
もはやその夢が叶うことは、未来永劫ない。
そして、自分自身の未来を思い描くこともない。
◆◆◆◆◆◆◆◆
「来るぞ!」
口を封じられた蛞蝓は、怒涛の勢いで触手を振り下ろしてくる。
エフリールは、先ほど習得した〈鎖〉を利用して一気に遠くまで自分を引っ張り、なんとか攻撃をかいくぐっていく。
だが動きには精彩がない。
既に一撃をもらった状態で、カイルを担いでいる。そのうえ新しい魔術を駆使しているのだから、疲労は大きい。
「こ、のっ!」
エフリールは牽制するように〈杭〉を飛ばすが、空しく触手の傍を通り過ぎる。
風の恩恵を受けていない状態では、うまく隙を突かない限り触手に当てるのは困難だ。
「焦るなよ……」
「でも! 急がないと、カイルが!」
たしなめるように言うと、エフリールが悲愴な声を返す。
実際、カイルの出血は激しい。内臓も食い荒らされている。生きているのが不思議なくらいだ。エフリールが心配するのも当たり前である。
しかし、だからこそカイルはふてぶてしく笑みを浮かべる。
「いいか……ピンチの時ほど、心を強く持つんだ……絶対に、相手の思い通りになど、なってやらん、ってな」
途切れそうな意識を保ちながら、カイルは風を集め続ける。
単に切り刻むだけなら十分すぎるほどの気流を溜め込み、なおも限界まで魔力を振り絞る。
「……さあ、行くぞ! ショータイムだ! 演目は一瞬、お慰みのチップは必要ない! 俺の生涯最高の魔術を、受け取りやがれ!」
カイルは溜めに溜めた風を、異形目掛けて放つ。
極限まで圧縮された気流は、指先ひとつ分の小さな弾にしか見えぬまま、異形の巨大な胴へと吸い込まれていく。
次の瞬間、きーんと冴え渡る甲高い音が周囲へ逃げ出した。
同時に、球形の結界が広がり、異形をその中へ閉じ込める。
結界は、外からではひどく暗い空間に映る。内部の大気が中心へ向けて凄まじい勢いで吸い込まれている。
当然、結界に捕まった異形も、中心へ引きずり込まれた。
肉体を圧縮され、水分を奪われて粉微塵に引き裂かれ、巨体が徐々に消失していく。
カイルが放ったのは真空の結界だ。最も強い風であり、なおかつもっとも吹きすさぶことのない絶命必至の無の空間である。
通常は到底引き起こすことの出来ない現象を、カイルは自らの才と実力だけで展開、維持していた。
「っ、づう……」
意識がかすんでいく。ぼたぼたと体中の穴から血がこぼれていく。
それでもカイルは魔術を解かなかった。
悪夢の怪物に、悪夢のような殺意と攻撃を叩き込む。
千片の肉を万億兆にすり潰し、渇き砕けた血の一滴すら後に残さない。
やがて結界が消える。反動で、辺りの大気を吸い込み、強風が吹く。
風が静まると、異形の巨体はどこにも残っておらず、湖はただ透き通った光景をたたえている。
「はあっ、はあっ……」
「カイル! しっかりして!」
「……まだだ、核を……」
カイルは震える手で、異形のいた位置を指差す。
あれだけの凄まじい攻撃を加えながらも、カイルは異形の核を暴き立てることを狙っていた。
自分一人の手で倒しても意味はない。鍵であるエフリールが止めを刺さなければ、決着はつかない。
エフリールがカイルに肩を貸しながら歩いていく。
分体が残っていないか慎重に警戒しながら近づいていくと、異形のいた湖面に何やら細長いものがゆらめいていた。
「髪……?」
それは黒い髪の毛だった。
ひとまとまりになった髪束は、水にさらされて微かに艶めいている。
エフリールにはそれが女性の髪であることがなんとなく察せられた。まるで見覚えがあるかのように。
「……媒体になった奴の、物か。エフリール、終わらせてやれ。こいつの悪夢を」
エフリールが頷き、〈杭〉を髪へ突き刺す。
髪は白い灰へと崩れ、湖に溶けて消えていった。
途端、エフリールはよろめき、気が遠くなりかける。
記憶の回帰――執事が消えた後の、新たな世話係の妙齢の女性、艶やかな黒髪、執事の時と違ってひどく厳しい躾け、けれどある日、ひとり歌を口ずさむ彼女を見つけ――
さーっ、と辺りの大気がざわめくのを感じ、エフリールははっとなる。
気が付けば、自分たちは水路の真ん中に立っていた。
広大だったはずの湖面の姿はどこにもなく、目的であった町中央の城塞がいつの間にか眼前へと差し迫っていた。
異形を倒したことで、空間が元の形に戻ったのだ。
あの湖面は、水路を歪めて広大に見せかけた領域だったのだろう。
城塞の入り口が、誘うように開いている。
呆然となっていると、肩の軽さを感じてエフリールは急いで水路を見下ろした。
「カイル!」
エフリールが記憶に気を取られている間に、既に自力で立てなくなっていたカイルは水路へ倒れ込んでいた。




