019 無力な意志
暗鬱な墓所の丘から、次々と異形が襲い掛かってくる。
エフリールは〈杭〉を構え、苦戦必至な数の怪物を先頭から順に迎え撃とうとし。
「おらよ」
両者をあざ笑うかのように、疾風が走る。
風は濃密な霧を吹き飛ばしながら、異形の集団を断裂し、あるいは墓石や地面に叩きつけて黒い染みに仕立て上げる。
遠方から岩や死骸、火薬を投げつけてくる手合いまでいるが、これも風が防いでしまう。
反撃の烈風が残りを余さず討ち果たす。
「……ねえ、カイル。僕にも戦わせてよ」
死屍累々となった――実際には死体は残らないのだが――光景を背に、エフリールは不満の声を上げた。
「お前が遅いのが悪い」
「そんなこと言ったって、僕は近付かなくちゃ戦えないのに、カイルの風は遠くまで届くんだもの。ずるいよ」
「ずるくて結構。だいたい、あんな連中と正面切って戦う奴があるか。いくらお前の体が治るからって、猪みたいに突っ込むなんざ言語道断だ。弱い奴は、後ろに下がっとくもんだ」
カイルの返答はにべもない。
無人となった墓所をすたすたと歩いていってしまう。
小走りにその背に追いつく。
カイルの指摘は正しいのだが、だからと言って引き下がるわけにもいかない。
エフリールには立ち向かわなければならない理由があるのだ。
「僕は、グレースやおじさんと、悪夢を終わらせるって約束したから、戦わなくちゃいけないんだ」
「おじさんて誰だよ」
「おじさんはおじさんだよ?」
ずれた回答に、カイルは眉間を指で押さえる。
「あのな……そういうことを聞いているんじゃなくてだな」
「僕が弱いなら、変わらなくちゃいけない。教会の時みたく、何も出来ないままでいるのは嫌だ」
エフリールはカイルを見上げる。
風使いの魔術師は、しかし視線から逃れるように顔を逸らす。
「ねえ、カイル。僕もカイルみたく強くなりたい。教えてよ。どうしたら強くなれるの?」
カイルは不機嫌に帽子のつばをいじる。
「冗談じゃない。どうして俺がそこまで面倒を見てやらなきゃならないんだ」
冷たく言い放ち、霧の奥へ進んでいく。
エフリールはカイルのコートの端をつかもうとするが、今度は避けられてしまう。
「待って!」
霧はさらに濃さを増している。自分の体さえ見失ってしまいそうなほど白色に覆われている。
「カイル!」
「しつこいぞ!」
声はすれども、互いの姿を視認出来ない。
エフリールは、教えを乞おうとひたすら叫びながら霧の中をさ迷う。
◆◆◆◆◆◆◆◆
背後から、しつこくエフリールの声が届く。
カイルは出来る限り無視しながら前へ進む。
だが完全に聞かない振りをするのは不可能だった。
呼びかけられるたびに心はざわつく。
それは何も、エフリールだけが原因ではない。
「くそっ、嫌なことを思い出させやがる……鬱陶しい」
元々、カイルはこの悪夢に関わるつもりはなかった。
狩人がいくら怪物狩りを行なっているとはいえ、この一件は足を踏み入れるには規模が大きすぎた。
悪夢に存在しているのは街ではあるが、実態は国ひとつ分に相当する。
それだけの秘儀と悪意が込められた場所なのだ。
だが、ある出来事がカイルをこの悪夢に向かわざるを得なくした。
唯一の肉親である弟の死である。
「弱いくせに正しいことをやろうとするなんて……出来るはずがあるか」
外に悪夢の異形が現れた時、弟は周囲を助けようと動いた。
それはたまたま近くにいたとか、常に頼りになる兄の姿を見て自分もそのように行動したとか、誘発する要因はいくらでもあった。
いずれにしても弟は善人だった。しかし悲しいことに魔術師ではなかった。
神は気紛れであり、性根の曲がった兄に魔術師の才能を寄こし、弟には渡さなかった。
カイルが駆けつけた時、弟は瀕死の重傷だった。
魔術をもってしても助けようのない中、それでも弟は兄の無事に安堵し、まだ助けられていない人がいることを懸命に告げ、事切れた。
その後、カイルが何を決意したのかは言うまでもない。
そして悪夢の探索をしている途中でグレースと会い、彼女が誰の目覚めを待っているかを聞いた。
この悪夢を終わらせる鍵となる人物だという。
最初はグレースのことも狂人のひとりだと思っていた。
実際、彼女は狂ってはいた。主人に対する執着と忠誠心は、傍目から見ても異常なほどだった。
だが悪夢を終わらせるという目的に関しては合致していた。
グレースがそこまでして懸ける鍵というならカイルも期待はした。
探索も行き詰まりが見え、何か新しい手がかりが欲しかったのだ。
ようやく出会ったのがエフリールというわけだが、期待は半分納得し、半分裏切られた。
強い魔術師としての才は感じる。下手をすればカイルも凌ぐほどに。
だが肝心の本人の支障が大きすぎる。
記憶喪失、常識知らず、魔術の知識と経験の不足、何より愚かしいほどの朴訥ぶり。
あのままでは悪夢に食われて終わるだけだ。弟のように。
そうした部分がカイルを苛立たせる。
(あいつが鍵だというんなら、俺は利用するだけだ。他のことなんざ、知ったことじゃない)
教え込めば、最善の道はあるかもしれない。
しかしカイルには――少なくとも今のカイルには他の道など見えていなかった。
何としてでも自分の手で悪夢を終わらせる。
考えているのはそれだけだ。
カイルは目を眇める。
魔術の気配の変化、霧の終わりが近い。
様子を見ようと足を踏み出す。
ぱしゃっ、と水音がして靴が濡れる。
水路ではない。霧の途切れた先に現れたのは、ごく浅い水が広がるだけの巨大な湖面だ。
鏡のように映る水面は氷銀世界へ迷い込んだのかと錯覚するほどの美しさだった。
遥か遠くには街の中心である城塞が揺らめいて見える。
今までも見えてはいたが、こうまではっきりと繋がりのある空間まで辿り着いたことはない。
これもエフリールのおかげということか。
「……ちっ」
カイルは振り返り、いまだ霧の迷路を抜けられないでいるエフリールを風で無理矢理連れてくる。
「うわっ!?」
エフリールは勢いよく湖面に飛び込み、ずぶ濡れになる。
「わあっ、わっ、冷たいっ、あ」
カイルの姿を見つけ、エフリールはきょとんとする。
また教えろと口にされる前に、カイルは無愛想に言い渡した。
「行くぞ」
2020/08/29 一部微修正




