016 知の在り処
「それじゃあ、とっとと行こう。あまり同じ場所にいると、腹を空かせたワン公共がやってくる」
教会の出口を指差し、カイルが促す。
エフリールは頷き、グレースに支えられて立ち上がる。
つと、右目がうずいた。
エフリールは何かに引っ張られるように、教会の祭壇を振り返った。
「エフリール様? どうされました?」
「……階段がある」
ぼやけてうまく捉えられないが、右目の視界にだけ、祭壇奥の空間が見える。
視覚だけでなく、嗅覚にも何か訴えかけてくる感触がある。
水路とはまた違う、湿り気をわずかに含んだ、黴のような匂いだ。
足は既に祭壇の方へ向かっていた。
雄山羊との戦いの際、エフリールが叩きつけられたため、所々にひびが入っている。
エフリールは割れ目を広げようとするが、今は消耗のせいで〈杭〉を出せない。
仕方なく素手で触れると、どこかに魔術の核でもあったのか、ひとりでに壁が崩れ、上へ向かう階段が現れた。
「……隠し部屋、ですか。何があるのやら」
「行ってみよう。カイルもいい?」
エフリールが聞くと、カイルは動揺しながら頷いた。
「……なあ、坊主。エフリールって言ったか。お前、本当に何者なんだ?」
カイルの目に、威圧するような雰囲気はない。
戸惑いと、むしろどうにかして探り、見定めようという意志がうかがえた。
「僕もそれを探している途中なんだ」
「……そうだったな。だったらせっかくだ。手掛かりが転がってることを期待しとこう」
カイルの言葉にエフリールは同意して、階段を下りていく。
◆◆◆◆◆◆◆◆
階段は途中から、ねじれたような歪な経路を辿り、やがてエフリールたちを広い書庫へと導いた。
漂ってきた黴臭さは、ここが原因だったらしい。
中へ入りながら、見渡す限りの書棚と本の山に、三人は圧倒される。
一番後ろにいたカイルが真っ先に声を上げた。
「なるほど、こいつはすごい。ただの本の山じゃない。本来はご禁制の代物が、端から端まで埋まってやがる」
「禁制? 何の本だというんです?」
「決まってるだろ。魔術書だ」
カイルは辺りの本を次から次へ手に取って適当にページをめくると、上機嫌に口笛を吹かした。
「人格と肉体の変性、死者蘇生に異界を渡る魔術、旧き神の名を集めた添書、無意識領域を繋げる秘儀、天体の配列と人間の魂の構造の照合……これだけでひと財産だな」
「そのようなものが……もしかして、この悪夢に用いられた魔術も、その中に?」
「そりゃ入っているだろうな。破る術まであるかは分からんが。調べてみる価値はありそうだ」
「なら手分けして……あ」
グレースが急にふらつき、膝を突く。
「グレース、どうしたの?」
「おい、大丈夫か」
エフリールが傍にしゃがみ込む。カイルも驚いて呼びかける。
息苦しそうに喘ぐグレースの体は、どこかぼんやりと透け、消えかかっている。
彼女が語っていた、ついて来られる距離の限界に間違いなかった。
半ば呆れたようにカイルが言った。
「お前、そんな状態でここまで来たのか?」
「……だとしたら何だというのです? それが主人に供しない言い訳になりますか?」
硬い声で返すグレースに、カイルは大きく首を振った。
「やれやれ。参るね、どうも。とにかく邪魔だから休んでおけ」
「いえ、私は」
「グレース、無理はしちゃダメだよ。ほら、座って」
エフリールは手近な椅子を見つけてきて、ほこりを払う。
「……分かりました」
グレースは観念した様子で、勧められた椅子へ腰掛けた。
「よし、じゃあ調べるか。……と言ってもこの量だ。おまけに読める字で載ってるとも限らんだろうし、分かる物だけ片っ端から行くぞ」
「うん、分かった」
エフリールとカイルは夥しい本の山に取りかかり始めた。
2020/08/29 カイルの口調を若干修正