015 共に立つ
「悪夢を終わらせる? ……はっ。こいつはとんだホラ吹きだ」
カイルが小馬鹿にしたように呟く。
またぞろグレースが噴火しかけるが、その前にエフリールは言った。
「嘘じゃないよ。そのために頑張ってるんだもの」
エフリールはじっとカイルを見ながら、ここまでの出来事を伝える。
覗き込むようなエフリールの赤い瞳に、カイルは時々どこか居心地が悪そうに顔を逸らすものの、耳を傾ける。
「ふ、ん。記憶喪失ね……だとしたらやはり信用できんな。それにお前、そう簡単にそのメイドの言うことを聞いていいのか? 騙そうとしているのかもしれんぞ」
カイルに指摘されたエフリールはびっくりして、反射的に背後のグレースを見やる。
「私は決してそのようなことはしておりません。カイル・ノート。底意地の悪い真似は止しなさい。根拠のない疑心を植え付けようとしても無駄ですよ」
不快感を隠さずにグレースはカイルを睨み付ける。
エフリールも本気で疑ったりはしていない。それはそれとして、先のぶつかり合いといい、グレースがこうも怒りを剥き出しにする様には驚きを抱いていた。
「自分の性格の悪さを棚に上げて、よくもまあ人を非難できるな。だいたいお前、この間助けてやった時の恩もまだ返していないだろう」
「あんなものは助けられた内に入りません。たまたま私が異形を追い払っている所に、あなたが余計な手出しをしに来ただけのことです。どうせ小銭目当てでうろついていただけなのでしょう」
どうやら二人が知り合ったのは、異形に襲われていたグレースを見かねてカイルが手を貸した、ということらしかった。
愛想のないグレースの態度に、カイルは堪らず、がなり立てる。
「かーっ! 厚かましいにも程があるだろうが、この駄メイド!」
「だっ、誰が駄メイドですか! この野蛮人!」
「グレース、助けてもらったってホント?」
再び喧嘩腰になる二人を遮り、エフリールは尋ねた。
「え、ええ……ですがその、あれは別に」
「じゃあ、お礼言わなくちゃ」
至極当たり前のことを口にすると、グレースはぐっと詰まった。
しばし嫌悪感たっぷりにカイルを見ていたものの、主人への忠誠心の方が勝ったのか、固い動きで頭を下げた。
「どうも、ありがとう、ございました……」
言葉の合間合間に歯ぎしりが挟まってはいたが、グレースは素直に礼を述べた。
「お、おう……本当に主人なのか」
カイルも本気で礼を言われるとは思っていなかったのか、呆気に取られて呟いていた。
エフリールは、二人のやり取りを見届けたところで、改めて口を開く。
「ねえ、カイル。お願いがあるんだけど」
「あん? お願いだと?」
「一緒に街の奥へ行ってくれない?」
「……何?」
「っ、エフリール様――」
割り込もうとするグレースを目で制し、エフリールはカイルへ告げる。
「グレースはもうすぐついて来られなくなる。それでももちろん、街の奥を目指すつもりだけど、僕ひとりだと辿り着けないかもしれない。カイルが一緒なら、きっとうまくいくと思うんだ」
それは自然と出た言葉だった。
カイルが呆れと警戒を半々に混ぜた目線を返す。
「俺の腕を見込んで、ってのは理解できるが……正気か? いや、素面で言っているんならもっと質が悪い。取引にすらなってない」
「取引?」
「ああ、そうだ。お前と一緒に組んだって、こっちには何のメリットもない。それどころか、お前らはたった今、この場で、俺に助けられているんだぞ。その対価も払っていない。それでどうやって頼みを聞かせようっていうんだ?」
カイルの言うことはもっともだ。あのまま二人だけで戦いが続いていたら、勝ち目はなかっただろう。
「対価って、何を渡せばいいの?」
「金だよ、金。他にあるか。最低限、それも出せないのに、人にお願いなんざ出来る立場だと思うなよ」
エフリールは困惑する。もちろん金品の類など持っていない。
確認するようにグレースの方を振り向くが、彼女も首を振る。どうやら虚空のポケットにも収まっていないらしい。
「なら、話は終わりだ。じゃあな」
「待って!」
エフリールは追いすがり、コートの裾をつかむ。
「あっ、おい、放せ!」
「ねえ、お願いだよ。どうしても僕は、この悪夢を終わらせなきゃいけないんだ。だから誰か――ううん、カイルじゃなきゃダメなんだ。僕と一緒に来てよ」
根拠があるわけではない。エフリールはただ衝動と客気によって発言をしているに過ぎない。
それでも、見ず知らずの自分たちを救ってくれた彼は、信用できると感じていた。
「ふざけるな! 何で俺がそんなことしなきゃならん! メイドでもベビーシッターでもないんだぞ! この、放せと言ってるだろうが!」
カイルはコートを取り返そうと引っ張るが、必死にエフリールが握り締めるせいで上手くいかない。
主人が頼み入る姿を唖然となって見守っていたグレースだが、意を決したように自身も追従する。
「……カイル・ノート」
「ああ!? お前もか、駄メイド!?」
グレースは罵声に対し、今度は怒りを表さなかった。それどころか、膝を折って、床に這いつくばらんばかりに頭を下げ、懇願する。
「お願いします。厚かましいのも、貴方の恩に報いることの出来ない恥ずべき不明であることも、重々承知しております。その上で、あなたの慈悲にすがらせてください。申し上げた通り、私には最後までエフリール様に寄り添い、その行く先を見届けることが許されていないのです。ですからどうか、私の代わりに主を守っていただけませんか。願いを聞いていただけるのなら、私自身をどのようにしてくださっても構いませんから、どうか……どうか」
文字通り、身を投げ出すような切なる訴えだった。
傍らで聞いていたエフリールは、コートから手を離し、自分もグレースと同じような姿勢になって頼み込む。
「お願いします……!」
カイルは自由になったものの、動くことも出来ず、ただばつが悪そうに二人を眺める。
「……ええい、やめろやめろ! 辛気臭い!」
カイルの怒声に、それでもしばらく頭を下げていた二人だったが、伏し目がちに顔を上げた。
「クソっ、来るんじゃなかった……とんだ貧乏くじだ……!」
カイルは苛立たしげに床を踏み鳴らし、二人を見据える。
「分かったよ! ついてってやるよ! 一緒に行けばいいんだろ!?」
やけっぱちなカイルの返答に驚いた二人は、ぽかんと口を開け、ほどなくして、はっと顔を見合わせ、感謝の笑みをこぼした。
「どうもありがとう、カイル」
「感謝致します」
「礼なんざいるか……! ちっ、いいか! 足手まといになるなら置いていくからな!」
「うん、気を付けるよ」
指差して叱りつけるカイルに、エフリールは大きく頷いた。
2020/08/29 カイルの口調を若干修正