014 風使いの狩人
男が荒れた教会内を歩むと、グレースが叫んだ。
「カイル・ノート! 何故ここに!?」
「愚問だな。【狩人】が異形を狩りに来て何がおかしい」
顔見知りなのか、男――カイルはグレースの呼びかけに淡々と応える。
「私が言っているのはそういうことではなく」
「相変わらずいちいち鬱陶しいメイドだな。邪魔だ」
グレースをあしらうと、カイルは片手を掲げ、そこに気流を生む。
先の凄まじい刃風を見た時点で、エフリールには彼が魔術師だということが分かる。それも、とてつもない強さの。
カイルの実力を感じ取ったのは、エフリールだけではない。雄山羊はこれまでの何倍にも比する邪悪な気配を噴出すると、黒血の海から数十もの異形を生み出し、残る右手に豪壮な戦斧を作り出した。
「しゃらくさい」
カイルの手から、風が弾けた。
旋風の侵略は峻烈だった。群れのように集った異形の配下を一瞬で全て薙ぎ倒し、戦斧の盾をかいくぐって雄山羊の胴まで両断した。
どしゃりと音を立てて、雄山羊の上半身がエフリールの傍へ落ちた。粘液染みた黒い血が溢れる。
雄山羊が、最後の足掻きでエフリールを振り返り、右腕を伸ばす。濁った赤い目が、敵意と殺意を持ってエフリールの瞳と交わる。
『――何故私を! ……どういうことなのですか、旦那様! ……ール坊ちゃんは――』
空洞から声がする。エフリールは、思わず手を伸ばしかけた。
雄山羊は、エフリールが触れる前に追撃の疾風によって千々に切り裂かれた。
残骸が散らばる。伸ばしかけた手の上に、片目だけが転がった。形を失った雄山羊の体は、全て黒い染みとなって溶けていく。
唯一、エフリールの手に残った目玉だけが、白い灰となって崩れていった。
幻想の光景がよぎる。緑輝く屋敷の庭、広大な裾野が遠くに見え、自分はその風景を絵に描いている。誰かと共に。
幻影が消える。動悸が治まり、記憶の海もさざめくことなく静まる。
エフリールの中に残ったのは、街の奥へ呼び寄せられるような感覚が少し増したという点だけだった。
「とんだ小物だったな。これじゃあ駄賃にもならん。……それで」
カイルが怜悧な表情でエフリールを見据える。
「お前は何だ?」
エフリールは、ぎくりとなった。
こちらを見るカイルの目は、明らかに異形へ向けるそれと同じ敵意が含まれていた。
「カイル・ノート!」
グレースがカイルへ向けて蔓を展開し、エフリールをかばうように立ちはだかる。
「おいおい、何の真似だ?」
「それはこちらの台詞です。助けていただいたことには感謝しますが、私の主に何の用です?」
「主だと? そいつが? 正気か?」
カイルはますます胡乱な目線をエフリールへ向ける。
「こいつがお前の待っていたという例の鍵だと? 質の悪い冗談にもほどがある」
「侮辱は許しませんよ」
「はっ! 今のが一体何の侮辱になるって? こいつは人間か、それとも化け物か――」
「私の主は人間だ! ふざけたことを抜かすな!」
沸点を超えたグレースが、カイルを捕らえようと蔓を一挙に伸ばす。
カイルは鼻を鳴らしながら後方に大きく跳躍、風で蔓を切り裂く。
「分別のつかない女だ。まるで可愛げがない」
「貴方に何を思われようがどうでもいいことです」
「そうかい、そりゃ結構。で、まさか本気でやるつもりか? お前のそのチンケな能力ひとつじゃ、どう足掻いても勝ち目はないぞ」
しかしグレースは忠告を無視して剪刀を左右へ投擲、正面と合わせて三方から蔓で絡め取ろうとする。
「っ、この、馬鹿がっ!」
カイルが風を呼び、囲いを断ち切る。同時に突風がグレースを打ち据えた。
怪物相手とは異なり、威力は手加減されていたが、それでも吹き飛びかけ、グレースは苦悶に呻く。
「くぅっ……!」
実力差は明らかだった。だがグレースは、なおも無謀な反撃をする。
苛立った様子でカイルが叫び、烈風を放つ。
「いい加減大人しくしろっ!」
グレースに逃れる術はない。エフリールは咄嗟に、グレースの前へ出て盾となった。
考えがあってのことではない。ただ二人を止めようと思って行動しただけだ。
鞭のようにしなる風圧がエフリールを打擲した。勢いのまま、背後のグレースを巻き込んで、二人とも倒れた。まるで意味を為さないかばい方だった。
「くっ……エフリール様!? しっかり!」
先に持ち直したグレースがエフリールの肩を抱き、揺する。
エフリールは朦朧としながら、グレースの無事を確かめる。
「……グレース、大丈夫?」
「はい、私は何ともありません。ありがとうございます……ですが、今のはいくらなんでも無茶です!」
心配そうにしたり、感謝したり、怒ったりと、忙しく顔色を変えるグレースに対して、エフリールはぼんやりと返事をする。
「そうかな。痛いだけだから、平気だよ」
雄山羊に負わされた傷は癒えていないため、それは半ば強がりでもあるのだが、いずれにせよエフリールは自身の状態について頓着しなかった。グレースが何とも言えない悲しげな表情になって顔を伏せた。
押し黙るグレースに気を取られながら、エフリールは横目にカイルをうかがう。
すると、カイルもやや呆然とした様子でエフリールを見ていた。
「……ちっ」
やがて舌打ちし、かぶりを振ると、カイルはこちらへ近寄ってきた。
グレースが再び警戒を露わにする。
エフリールは構わず無防備に起き上がり、話しかけた。
「僕はエフリール。この街の奥を目指してるんだけど、あなたは?」
「……怪物どもを狩っている。狩人の仕事でな」
意外にもカイルはあっさりと会話に応じた。先ほどまで漲っていた敵意が、若干和らいでいた。
「狩人って?」
「異形を狩るのを生業にしている連中の総称さ。大半が魔術協会に所属していない異能者崩れだがな」
「あなたもそうなの?」
「いや、俺は魔術協会に雇われた側だ。この悪夢に巣食ってる怪物共を狩ってるのさ。もっとも、状況が好転しているとは言えんが」
不満げにカイルは語る。続けて、鋭い目つきをエフリールへ向ける。
「それで、エフリールって言ったか。お前は何故、街の奥を目指している?」
正体を探るような態度は変わっていないが、質問の内容は違っていた。
エフリールはやや考え込みつつも、素直にもっとも重要な言葉を口にした。
「悪夢を終わらせるために」
エフリールの大真面目な回答に、カイルはただ目を丸くしていた。
2020/08/29 カイルの口調を若干修正