011 約束
庭の一角に、エフリールたちは墓を作っていた。あの少年と、母親の物だ。
二人を丁寧に埋葬し終えると、グレースがどこからか取り出したベロニカの花を墓前に供えた。
スコップを抱えた男が、家族の墓をじっと見つめながら、ぽつりと語り始める。
「……その日、仕事を終え、家へ戻ろうとした私の所に、息子を連れて妻が迎えに来た。平凡な、だが幸福な一日が過ぎ去るはずだった。……気が付けば辺り一面、霧に覆われていた。その中から、奴らは急に現れた」
「怪物……?」
エフリールが尋ねると、男が静かに頷いた。
「……襲ってくる怪物に対し、妻が息子をかばった。私は無我夢中で二人を連れて家まで逃げ、立てこもった。妻の手当てをし、助けが来るのを待つことにした。だが時間が過ぎるごとに奴らは数を増し、そして……」
過去の光景を思い描こうとする男の両目が、大きく見開く。
「階下から息子の叫び声を聞いた。外を見張っていた私が慌てて二人の元へ駆けつけると、そこには妻が、息子に食らいついて……私はわけも分からず、恐怖に挫け、何度も妻を射抜いた。息子ごと、何度も、何度も」
男は自分の腕を押さえつけるようにつかむ。肩が震えていた。
「本当に恐ろしいのは……それからだった。全てが終わった後、私はいつの間にか、二階のベッドの上で眠りこけていた。そして一階から叫び声が聞こえ……もう一度妻と息子の惨劇を目の当たりにした」
「……繰り返した、ってこと?」
「……そうだ。今思い返せば、そうなっていたのだ。今の今まで、気づいていなかった。私は何度もこの家の中で目覚め、何度も息子を食い散らかす妻を見つけ、そして何度も二人を、何度も、何度も何度も何度も……!」
目を血走らせ、再び狂気に陥りかける男の肩へ、エフリールはそっと手を添える。
「おじさん。もういいよ」
男ははっとして、荒い呼吸を徐々に静めていく。
「ああ……ああ、ありがとう。もう大丈夫だ」
男は自分の額から顎までを片手でなでさすり、深く息を吐いた。
「君たちのおかげで悪夢から逃れることが出来た……二人も……生き返りはしないが、それでも救われたと思う。本当に感謝している」
「……いいえ、礼には及びません。我々も特に助けようと思ってこちらへ来たわけではありませんから」
「……ふむ?」
エフリールが口を挟む間もなく、グレースは水路を通るための照明を欲していることを告げる。
男は事情を飲み込むと、家の中へいったん入り、何かを取って戻ってきた。
「それなら……これを持って行くといい」
「これは?」
エフリールが受け取ったのは透明なガラス容器だ。中には青く光を放つ球体が収まっている。
照明器具のようだが、それにしてはずいぶんと冷めた光源である。
「エーテル体、とかいうものが詰まったランプだ。不思議なことに、この明かりの届く場所からは霧が逃げていく。どこまで頼れるかは分からんが、役には立つだろう」
「へえー。どうもありがとう」
「……失礼ですが、これをどこで?」
グレースが訝しげに男へ問うた。
「確か……妻の知り合いからだったか。スロール教団という所の信徒らしい。名前までは覚えてないが」
「……そう、ですか。教えていただきありがとうございます」
グレースは何かを気にしている様子だった。
ランプをしげしげと眺めながら、エフリールは男の方を向く。
「でもいいの? これが無くなったら、おじさんの方が大変じゃない?」
「心配せんでも大丈夫だ。まだもうひとつある。それに……この場所で正気を失うことは、もうないだろう」
男が妻子の墓を遠い目で見つめる。心境は複雑そうだが、瞳には生気が戻ってきていた。
「しかし、他の人たちは大丈夫だろうか? 私と同じ目に遭っていないか……」
家の中で射かけてきた時とはうって変わって、男は憂慮している。元々はこうした気質なのだろう。
エフリールは男の憂いを取り除くため、咄嗟に告げる。
「おじさん。僕が街の奥まで行って、みんなを助けてみせるよ」
「……そんなことが出来るのかね?」
「約束するよ」
エフリールは男の手を取る。自分はこの悪夢を終わらせられる。そうグレースが言っていた。だから、出来るはずだ。
男は呆気に取られていたが、やがて穏やかに手を握り返してきた。
「……そうか。不思議だな。君の言うことはどこか信じられる気がする。なら、待つことにしよう。何も力にはなってやれんが、無事を祈っているよ」
◆◆◆◆◆◆◆◆
男と別れ、水路に向かう途中で、エフリールはグレースに尋ねる。
「ねえ、グレース。スロール教団ってどういうものか知ってる?」
「……知恵の神を信仰し、世の中の真理や深奥を探求しようとする教団、とは聞いたことがあります」
「知恵の神?」
「さすがに詳しいことまでは。ただ、ロクな神ではないと思いますが」
「ふうん。その人たちも、この中に巻き込まれているのかな」
「……というより、原因に関わっているのかもしれません。信徒であれば、あるいは今まで倒してきた怪物の中に、彼らが混じっていた可能性もあります」
「それはなんだか可哀想だね」
「どうでしょう。彼ら自身が悪夢を作り上げていたのなら、討ち果たされるのは自業自得とも言えます」
「でもさっきのおじさんみたく、知らないうちにそうなってた人もいるかもしれないよ?」
「それは、そうなのですが」
どこか歯切れ悪くグレースは答えた。
先の男との会話での態度といい、他者への言及については妙に頑なな部分が垣間見えた。エフリールと話す時は、そうでもないのだが。
エフリールは気にしつつも、ひとまず別の質問へと切り替える。
「そうだ、グレース。もうひとつ聞きたいんだけど」
「何でしょう?」
「僕の両親ってどんな人だったの?」
瞬間、グレースが凍り付いたように足を止めた。
「どうしたの?」
「いえ……ですが、どうして急に?」
言われてエフリールは、聞きたくなった理由を振り返る。
自分のことを知りたいからでもあるし、先ほどの家で親子を見たからでもあるし、そういえば夢で自分を息子と呼んでいた相手がいた気もする。
いずれにせよ答えは単純だった。
「知りたくなったから」
エフリールが告げると、グレースはまるで追いつめられたように俯き、黙り込んでしまった。
「グレース?」
奇妙に思ったエフリールが顔を覗き込もうと近寄ると、突然グレースが抱き着いてきた。
「申し訳ございません……どうか、どうかまだそのことはお聞きにならないでください。あなたの心が、本来在るべきものを受け止められるまで……どうか」
声はどこか弱々しく、震えていた。
「グレース……? 泣いているの?」
理由は分からなかった。
エフリールはそれ以上尋ねることは出来ず、ただグレースの背にそっと手を寄り添わせた。