009 死への従容
従容:ゆったりと落ち着いているさま。危急の場合にも、慌てて騒いだり焦ったりしないさま。
その家は、付近の住居と違い、門が設置されていた。
規模もやや大きく、二階建てとなっている。明らかに立場の異なる人間の住処だ。
門には苔がむしており、古びた木戸が風を受ける度にぎしぎしと音を立てる。垣間見える庭は荒れ放題で、長い間手入れされた様子はない。
「……人が住んでいそうにはありませんが」
グレースの呟きに、エフリールは同意する。
「光ってたのが怪物だったらどうしよう?」
「そうですね……うまく捕まえて照明に使えないでしょうか」
常人が聞けば呆気に取られそうな解答だが、エフリールは感心して頷いた。
窓は閉め切られている。直接行かねば、中の様子はうかがえそうにない。
門を抜けて入り口へ近づく。
すると、エフリールの足元で何かがぷつんと切れた感触があった。
「ん――うっ!?」
突如、肩口に衝撃が走り、エフリールは仰け反って倒れ込んだ。
「エフリール様!?」
痛みが走る。グレースが慌てて傍へ屈み込んだ。尖った鉄串のようなものが、肩に突き刺さっていた。
歩いた箇所をよくよく見返す。いくつも細い糸が張り巡らされていた。
「罠……!? 下がりましょうっ」
さほど大きな怪我ではないが、グレースの手を借り、起き上がろうとする。
再度何かが飛来する。今度は腹に矢が撃ち込まれた。エフリールは地面にうずくまった。
「っ、この……!」
グレースが怒りの形相で剪刀を出現させ、矢が飛んできた二階の窓へ投げつける。
窓はわずかに開いており、そこから狙い撃ってきたようだ。突き刺した剪刀から蔓を伸ばし、グレースは襲撃者を牽制、その間にエフリールを門の陰へと避難させる。
「大丈夫ですか?」
「うん。どうせ治るし。それより」
エフリールは、罠や自分の怪我よりも、二階の窓へと視線を向ける。
「誰かいたね」
「ええ……異形、とは毛色が違うようですが」
グレースが、エフリールに突き刺さった鉄串と矢を引き抜いて、これまたどこかから取り出した布で傷口を押さえる。
武器、罠の存在、窓から狙い撃ってくるという行動、確かに怪物とは思い難い。
エフリールは軽く痛みに呻きながら、提案をする。
「人間なら、話が出来ないかな?」
「正気ですか? あ、いえ……」
驚くグレースだったが、言い過ぎたと思ったのか、すぐさま仰々しく頭を下げる。
「申し訳ございません。ですが、一度申し上げた通り、この街にまともな人間などおりません。そのような真似は危険です」
グレースの忠告は正しい。たった今狙われたばかりなのだ。
しかし、エフリールは何故かそれでもあの中へ入らなければならない気がした。
門の陰から家の扉をうかがう。
一瞬、また何かが光った。扉の内側、家の内部から、まるで自分を呼ぶように明滅している。
「明かりを持ってるなら借りられるかもしれないし。ちょっと行ってみる」
言って、エフリールは立ち上がる。痛みはあるが、動きに支障はない。庭の罠と、窓の隙間に注意しながら入り口まで駆け抜ける。
「あ、ちょっと……ああ、もうっ、お待ちください!」
狙撃手は蔓に動揺して引っ込んだのか、射かけてくることはなかった。
憤慨したグレースが追い付いてくると同時、エフリールは扉を開け、中へ足を踏み入れた。
◆◆◆◆◆◆◆◆
家の中は埃で充満していた。息苦しさを払うように手を振りながら、エフリールは玄関を入ってすぐに、奥へ続く廊下と、二階へつながる階段を見つけた。
廊下には途中、衣装棚が横倒しになって通行の邪魔をしている。はみ出した衣類は、大人のものと小さな子供のものとが混じっていた。
階段は手すりの付いていない代物で、一段がやけに高い。子供が上へ登れないように配慮されているのか。
「……二階へ向かうのですか?」
グレースが声をかけてくる。主の突飛な行動に呆れているのか、やや憮然とした表情である。
何者かがいたのは上の方だ。頷こうとしたところで、エフリールはまたあの光が目に入り、ごく自然と廊下の方へ足を踏み出していた。
「一階に行こう」
グレースを促しながら進む。
街の中で何度も嗅いだ匂いが漂ってくる。死臭と血臭と腐臭、そして獣臭。だがそれだけではない。言語化し難い、まとわりつくような匂いが、どこからか薫っている。
倒れている衣装棚は、廊下の横手の部屋から飛び出してきていた。足を引っかけないよう、慎重にまたぐ。
中は居間だった。本来なら家族が集い憩うための場所――だがここにそんな光景は広がっていなかった。
抉れた壁や床、打ち壊された家具、何より夥しい量の血が飛び散っている。
同時に、どうしてここに衣装棚があるのか、その違和感も理解する。
室内には、服装と体格からして、女性と少年、二人の人物が死んでいた。恐らく母親と子供だ。
「うっ……」
すぐ後ろで、同様の光景を眺めるグレースが、吐き気を堪えて呻いていた。
無理もなかった。死体の様子が尋常ではない。
仰向けに倒れる少年は、首を大きく食い破られ、真っ赤に染まっている。また足や腕から肉が削ぎ落されていた。
うつ伏せの母親も似たような状態で、こちらは背中に獣の爪痕のような傷を負っていた。
異形が家に侵入し、なす術なく蹂躙された、ということだろうか。衣装棚が転がっていたのは、入り口を封鎖しようと試みた跡か。
それにしては、とエフリールは先ほどから鼻へ訴えてくる、別の違和感が気になってしょうがなかった。