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やってしまった………。
こんなに怒鳴ったのは人生初だ。心の中で罵倒はしていても口に出したことはなかった。
激昂すると魔力を爆発させてしまうかも…とつい、自分でも感情を抑えよう…抑えようと気にしているうちに感情を表に出さないようになっていた。
気持ちを落ち着けようと自動販売機でホットのココアドリンクを買う。一口飲むと甘さと一緒にお腹が温かくなる。
言い過ぎた…が後悔はしていない。もう遠慮なんてしてやるもんか。もう彼女でもないし、嫌われたって知るもんか。
そうしてカフェスペースで暫く頭を冷した私はICUに戻った。
ICUに戻ると…あれ、浮気女いないね?聡子さんは先生と廊下の先で何か話している。このまま室内には入らないで廊下で待機しようかとしたら、目敏く聡子さんに気付かれて手招きされてしまった。
「莉奈ちゃん…。」
聡子さんは私の手を取ると、先生のほうを見た。先生は私を見て親戚だと思ったのか、一度頷くと
「息子さんは脊髄を損傷されていて…この先、車椅子での生活になります。」
脊髄…車椅子…。
先生は簡単に勇樹の状態を説明し、今後の治療方針は改めて…と言っていなくなった。私達がICUに戻ると看護師さんが聡子さんと私の椅子を用意してくれたので、勇樹の枕元に座った。
「そ、そうだ…。お兄ちゃんに連絡…。」
お兄ちゃんとは…勇樹のお兄さんだ。今はシンガポールに海外赴任中で、今は奥様と娘さん2人の4人家族でシンガポールに住んでいる。聡子さんは震える手でメッセージを入力している。
勇樹が下半身付随?
ベッドの勇樹の下半身を診る。体の奥の奥まで診てみる。そして魔力の巡りを再確認する。
やっぱり魔流が全く見えない。私は震える聡子さんの体をずっと摩っていた。
昼過ぎ、勇樹のお父さんがやって来た。先生から詳しいご説明があるとの事で聡子さんと説明を聞きに出たので、私は勇樹と病室で2人きりになった。
それにしても浮気女はどこに行ったんだろう?
「莉奈…。」
びっくりした。寝てるのかと思ってた。
「何?」
勇樹は目を瞑っている。
「お前でもあんな風に怒るんだな…。」
なんだその言い方。
「お前でもって…そりゃ怒るよ。チンチクリンは言い過ぎたかな、とは思うけど。」
「ふはっ…イテテっそっか、そうだよな。俺さ…お前って冷静だし、頭良いし泣いたりしないと思ってた…。」
「はあぁ?」
びっくりだ。勇樹から見たら私はそう見えていたのか。しかし、そうかもしれないな…と自分の過去を思い出していた。この世界にやって来て居場所を見つけて樫尾 莉奈という高校生を必死に演じて生きてきた。
そう…この世界に居続ける為に、本当の自分は隠したままだった。
「そうだね…そう見えるように演じてたかな?もうしないけどね、必要ないし。」
そうだ、もう必要ない。そのうち異世界に帰るし、勇樹に今更嫌われても構わない。
「俺の前でも演じていた?」
勇樹は目を開けて私を見ていた。
「演じてた。」
勇樹の魔質がグニャリと歪んだ。傷付けてしまった。でも根性悪くてゴメンね。私も傷付いたんだよ?ざまあみろ。
「…。」
お互いに沈黙する。暫く沈黙していると聡子さんとお父さんが帰って来たので、席を譲って部屋を出た。ご両親の魔質はひどく落ち込んでいて悲しみに沈んでいた。
恐らく、勇樹に打ち明けるつもりだ。私はカフェスペースに移動し、窓際の椅子に座った。
勇樹の病状を聞いて考えていたことがある。勇樹の体を私の魔術で治すことは出来ないか?…だ。異世界人の体の治療を行うのは初めてだ。もしかすると治療中、命の危険があるかもしれない。
そもそも勇樹の体が私の魔力を拒絶したら治療は出来ない。そのためには勇樹本人の『魔術治療を受け入れる意思』がなければいけない。その為には私の正体を勇樹に話すこと。そして魔法を受け入れてもらう事。下半身不随の患者の治療は初めてであり、異世界人の勇樹にはどんな副作用があるか分からないこと。
全て話すしかない。勇樹が信じてくれず拒否されたら、それなら諦めるしかない。諦めて元居た世界に戻り、そして私は捕まって…処罰される。どちらにしても、勇樹が無事に怪我を完治しても私は帰る訳だし…これから待ち受ける私の死が覆る訳じゃない。
だったらやりたいようにしてみて、せめてこの有り余る魔力を少しでも役立たせてから死んでいきたい。私には勇樹の力になれる魔力がある。
私はたっぷりとカフェスペースで時間を潰してからICUに戻った。
聡子さんはベッドの横の収納を開けて、タオルや下着をボストンバッグを入れて片付けている。
「あ、莉奈ちゃん。今からICUから一般病棟に移るんだって。」
聡子さんの目は真っ赤になっている。見ちゃいけないと思いつつ勇樹を見てみた。布団で顔を隠している。泣いているみたいだ。
そしてICUに看護師さんが数名入って来て
「鴻田さん、お部屋移動しますね。」
と声かけしてからベッドを押して移動し始めた。私も聡子さんの手荷物を持ってあげながら、一緒に階上の一般病棟に移動した。
「勇樹に言ったよ…。」
移動中、ベッドから離れて歩いていた私の側に来て聡子さんが小さい声で呟いた。私に言ったようにも聞こえるし、自分に言い聞かせているようにも聞こえた。
「はい…。」
それしか言いようがなかった。それが事実だし現実だ。悪夢でもなければ、夢でもない。
どうしてこんなことになったのかな?その時、とんでもないことに気が付いて血の気が引いた。
もしかして私のせい?
そうだ…どうしてそのことに気が付かなかった?そもそも…私が樫尾 莉奈として勇樹の同級生として現れなければ勇樹は当然『本当に巡り合うはずの彼女』と付き合っていた可能性もある。
その彼女はどこにいる?
体がガクガクと震えた。もしかしたら、高校の同級生の中にいたのかもだし大学の知り合いの中にいたのかもしれない。それこそ浮気相手だと罵った、あの子が『本当に巡り合うはずの子』だったら?
「莉奈ちゃんどうしたの?」
足を止めてしまった私に聡子さんが振り向いた。
もし私が本物の彼女なら、勇樹はこんな事故にあっていなかったのではないか?
一度考えたらキリがない。そうとしか思えない。異世界から来た理を歪める存在の私が全ての元凶なのだ…。
もう迷うことはない。勇樹に全てを話そう。私はベッドで布団を深くかぶる勇樹に小声で囁いた。
「今晩もう一度会いに来るから、話があるから。」
返事はないけど仕方ない。勇樹は今、私なんかと話す余裕はないだろう。私のせいなんだ。ごめんね勇樹。
夜、消灯の少し前
病院の夜間入口の前で、遁甲魔法を使った。簡単言うと姿をくらませる魔法だ。
夜間外来に来た急患らしき患者さんと、付き添いの方の後から一緒について入って自動ドアを潜り抜ける。ゆっくりと廊下を歩き、勇樹の居る病室の前に来た。今は勇樹は四人部屋だ。私は静かに室内に入り窓際の勇樹のベッド周りに消音魔法を使う。すると隣の閉め切ったカーテンの中から心電図モニターの音が鳴り響いた。
しまった、魔術の影響で心電図モニターをおかしくしちゃったかな…。パタパタと看護師さんの足音が近づいて来たので勇樹に声かけをした。
「勇樹、入っていい?」
「え?莉奈…うん。」
カーテンを開けて中に入ると勇樹は目を私の方へ向けてきた。私はカーテンの中に入った時に遁甲魔法を解いていた。
「どうした…もう消灯。」
「すぐに話したいことがあったから…。」
私はベッドの横の椅子に腰かけた。隣のベッドでは看護師さんが心電図モニターの横で、患者さんに容態を聞いたりしている声が聞こえる。
私が何となくその音に耳を澄ましていると、勇樹がポツンと呟いた。
「あのモニターの音っていうのかな…あれ聞いてるとドラマとか思い出す。容態が急変した人とかの場面でさ…。」
「ああ、あるね。発作とかのシーンね。」
「今日、あの音聞きながら俺もあんな風に死ぬのかな…とか考えた。」
「‼」
「すぐには死なないらしいけど、車椅子生活になるだろ?きっと体力も落ちるわ…多分一生親に世話かけまくる。それに親が居なくなった後の…介護とかさ、誰かに面倒見てもらわなきゃならねぇ…俺の人生、詰んだ。」
「勇樹…そのことで話があるの。」
私がそう切り出すと勇樹が目を瞑った。そして震える声でこう言った。
「お前の手は借りない。大丈夫だ。莉奈には迷惑はかけない。」
堪えていた涙が零れた。そうか…私はもう他人だもんね。でも大丈夫だよ。
「ううんそうじゃないの…もっと根本的なこと。」
「根本的…?」
「下半身不随自体を治さない?」
私は静かに話し出した。
自分が異世界人であること。所謂、魔法使いであること。勇樹の下半身不随を魔法で治してみたいということ。
「但し、デメリットはあるよ。私は異世界人に治療魔術を使うことが初めてで、勇樹の体が治る絶対の保障がないってこと。それに魔力の反動…もしかすると勇樹の命の保障がないかも…しれない。」
私はそこで一旦言葉を切った。勇樹はポカンとしている。勇樹に少し笑ってみせた。
「信じられない?」
「…ああ、お前俺が大変な時に何言ってんの?」
私は自身に遁甲魔法を使った。またお隣の心電図モニターが音をたてた。
「証拠を見せてあげるわ。」
私はチラッと時計の表示を見た。9時過ぎだ…。
またパタパタと看護師さんが隣のベッドの心電図モニターを確認しに来た。そして…
「鴻田さん、開けますね~。」
看護師さんが勇樹のベッドを囲んでいるカーテンをシャッ…と開けて中に入って来た。
「血圧と体温、測りますね。」
そう言って看護師さんは勇樹の腕に血圧計を巻いている。
「あ、あのそこに…莉奈が…。」
勇樹が私の存在を伝えようと看護師さんに声をかけた時に、私はワザと大きな声で答えてあげた。
「無駄よ、勇樹。姿も見えないようにしているし、声も外に聞こえないように魔法を使っているのよ。」
看護師さんは私が座っている椅子の辺りを首を傾げながら見ている。
「ん…鴻田さん…もしかしてあそこに何かいるように見えてる?眩暈はある?吐き気は?」
勇樹…哀れ。頭の心配をされてしまって…まあ笑いごとではないわね。私は笑いながら立ち上がった。
「私、今日は帰るわ。よく考えてみてね。」
翌日
勇樹を訪ねるとベッドごと不在だった。聡子さんもいない。どうしたのだろうと思ったら30分くらいして戻ってきた勇樹はベッドの上でブスッとしていた。
「幻覚が見えているみたいだって言われて脳のCT取られちゃったよ!お前のせいだ!」
とか怒っていた。
そんなん知らんわ…。