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聡子さんは今は勇樹の入院している病院だ。勇樹のお父さんも病院にいるはずだ。
このまま聡子さんの帰りを待とうか、どうしようか…。いや、こっそりと祐樹の様子を見に行こうか?でも浮気女が一緒に居るのを見ると、まだ腹が立って腹が立って…暗黒魔法をぶつけてしまいそうになる自分を止められない…気がする。
電柱の影で不審者の如く、聡子さんの帰りを待ってみたが中々帰って来ないので、心の中で謝りながら勇樹の実家の玄関先に転移し、下駄箱の裏に記憶誘導魔法の魔術陣のコピーを置いてきた。
これでほぼ関係者の記憶から樫尾 莉奈の存在は消えたはずだ。しかし予定外のことが起こってしまった。まさかの勇樹が交通事故だなんて…。
このまま異世界に帰ろうか…と思っていたのだが気になって仕方がない。今更会うのも辛いし…でも心配だし、せめて様子だけでも…私は勇樹の魔質を探った。
見つけた…!私はそこへ転移魔法で飛んだ。
大きな総合病院だった。ICU(集中治療室)に勇樹は寝かされていた。体に沢山機械が付けられていて今、本当に意識って戻ってるの?というくらい勇樹の顔色は悪い。
電子機器は魔力の相性がいいことは分かっているのだが良い事ばかりではない。相性が良すぎて精密機械の側で魔術を使うと機械が狂ってしまうのだ。本当は勇樹の近くに行きたいけれど、私のような高魔力保持者は危険だ。
と言う訳で、廊下の端の方からICUの中をコソコソと覗いていたのだが…
「ご家族の方ですか?」
「‼」
あまりにも不審だったのか看護師さんから声をかけられてしまった。
「ち、ちがいま…。」
「莉奈ちゃん…ああ、来てくれたのね。今ねお父さんが来てて…。」
見つかってしまった…。勇樹の魔質を探して勝手に来た私に、混乱しているのか聡子さんは疑いもせずに走り寄ってきて抱きついた。仕方なく看護師さんに促されて勇樹の側に行く。魔力遮断の魔法を使ってはみたが、心電図モニターとかこの呼吸器とか大丈夫かな。機械の音が気になって覗き込んでしまう。
勇樹のお父さんはスーツ姿だ…仕事抜け出してきたのかな。私と目が合うと少し微笑んでくれた。
「意識は戻ったそうだよ。」
「はい、聞きました…。」
顔色の悪い勇樹の魔質を取り敢えず診てみた…あれ?何度も診てみる…。嘘でしょう?そうやって何度も勇樹を診ている間にICUの入口で聡子さんと女の子の声が聞こえてきた。
「私、勇樹さんの恋人です!」
「今、莉奈ちゃんが来ているから…。」
「そ…っあの人は前の彼女でっ…。」
ひええっ!浮気女?!こんな所で修羅場はやめてぇ~!慌てて私は聡子さんと浮気女の側に駆け寄った。
「帰りますから…聡子さんお邪魔しました。」
そう声をかけると浮気女は物凄い形相で私を睨んだ。
「どうしてあんたが来てるのよっ!」
勝手に来ました…と言ったらもっと怒りそうなので、浮気女は無視して、聡子さんに静かに頭を下げた。聡子さんに会うのもこれが最後になるだろう。
「お邪魔しました、帰ります。聡子さんお元気で。」
「莉奈ちゃ…!」
私の言葉があまりにも別れの言葉過ぎたのか、聡子さんはまた泣き出してしまった。これはこれで帰りづらい…。
「勇樹のお母さんに媚び売って嫌な女っ!」
浮気女はとんでもない暴言を私にぶちかましてから、勇樹の側に近づいて行った。
はあ…結構口の悪い浮気女だな。聡子さんはそんな浮気女の後ろ姿を睨んでいる。
「何あの子っ!勇ちゃんの馬鹿っ!」
聡子さんは泣きながら怒っている。しかし…問題は勇樹の容態だ。意識は戻ったと聞いたのだが、やっぱりおかしい…。勇樹の体、特に下半身から魔力の流れが全然視えなかったのだ。どういうことなの?
勇樹の姿をもう一度診ようとした時に、浮気女と目が合ってものすごく睨まれた。
睨みたいのはこっちだよ…。
私は一旦帰ります、また来ますと聡子さんに断ってから病院を後にした。
ものすごく迷っている。勇樹にしてみれば別れた元カノのくせに…と言うかもしれない。こんな心配な状況で元の世界になんて帰っていられない。
私は急いで勇樹の家まで転移し、下駄箱の裏に置いた魔法陣のコピー紙を回収し、自分の家の魔法陣も回収した。そして、口座を解約した現金をチェストの引き出しの中から取り出した。
ごめんね、もう少しこの世界にいさせてね。
私は自分のマンションに戻ると捨てようと準備していた服や小物を再び、実家の自室に移す作業をした。こんなことなら捨てるんじゃなかった~と思ったけど仕方ない。本当に私の我儘だ。最後の最後まで勝手なことをしている…。
夕方
実家で樫尾のご両親の帰りを待つ。先に帰って来たのはお父さんだった。
「あれ?帰ってたの、どうした~?」
お父さんに軽く事情を説明することにした。
「実は会社を辞めてきて…あ、仕事がいやになったんじゃないんだよ。え~と勇樹と別れまして…傷心のあまり転職しようかと思い立った訳で…。」
お父さんは、ええっ?!と叫び声をあげた。
「お前達、高校の時からだろ?」
「はぁ…まあ。」
「何が原因だよ?」
お父さん、やけに追及するね。言い辛いよぉ。
「勇樹…さんが、浮気してまして。」
お父さんはガバーッと魔力を上げた。
「いっ今すぐ鴻田君を連れて来い!」
「あ…それは無理。勇樹、今入院してるから。」
「なんだってぇ?!」
これも軽く説明した。お父さんは絶句している。
「勇樹は兎も角…向こうのお母さんと仲いいの…さっき少し病院覗いたら心配になってきて…。」
お父さんは、そうか…と呟くと何度も頷いた。
「せめてもう少し容態が良くなるまで私も心配だし…あの、元カレだし高校からの付き合いだし…。」
お父さんは優しい目で私を見ている。また鼻の奥がツーーンと痛くなる。
「やっぱり…まだ好きかな?」
お父さんに頭を撫でられた。
暫くしてお母さんが帰って来た。お父さんと私が事情を説明するとお母さんは病人がなんだ!蹴り上げてやれ!と、お怒りでございました。
そして久しぶりに親子3人で夕食を取った。
「莉奈もうちに帰って来るんだろ?」
「うん…あのマンションは引き払ったよ。」
はい、お父様。てか荷物はほとんど捨ててしまって御座いません…。
「まあいいじゃない。莉奈の部屋もあるし、あのまま使いなさいよ。」
はいお母様、そうします…。私は間抜けにも次の日、また自分の痕跡を復活させる作業を行った。
翌日、銀行口座を再び開設して、携帯電話の料金の引き落とし先の銀行を再登録してから勇樹のいる病院に向かった。今日は聡子さんだけが付き添っていた。聡子さん…顔色が悪い。
「あ、莉奈ちゃん…。」
ベッドに近づくと勇樹は起きていた。一瞬私の事を見たが、静かに目を閉じてしまった。はあ…ガン無視ですか…。
聡子さんが私を外に出る様に促した。一緒にICUの病室を出て、談話室の前で聡子さんは口を開いた。
「朝…先生にも聞いたのだけど勇ちゃん、足が動かないって言ってるのよ…。」
「足…。」
そうか!それで魔力が下半身に流れていなかったのか…だとしたら…聡子さんはもうすでに真っ青になっている。
「か…下半身の神経を痛めているかも…だってぇ…。」
私はよろめきながら勇樹のベッドに戻った。勇樹はこのことを知っているの?
勇樹は目を開けて天井を見ていたが私が近づくとまた寝たふり?をした。暫く寝たふりをする勇樹の顔を見詰めてみた。
「なにしに…来た。」
突然勇樹がか細い声でそう言ってきた。はあああ…何だよそれ?心配しちゃいけないのか?
「私はあなたと高校の同級生で昔からの知り合いです。心配してはご迷惑ですか?」
勇樹は目を開いて一度私を見てから、また目を閉じた。
「帰れよ。」
酷く…酷く傷付いた。あの浮気現場?の時より更に傷付いた。彼氏よりも10代の頃から知っている勇樹と私の仲までもが否定されたようで、悲しかった。
「わ…わかりまし…た。」
完全に泣き声になっていた。涙を零しながら顔を上げると勇樹が目を見開いて私を見ていた。
どうして驚くのよ。私だって否定されたり、嫌われたら悲しいのよ?分かってて振ったんでしょう?
帰ろうと踵を返した時に、ICUの入口に浮気女が立っているのに気が付いた。
「あなた凝りもせずにまた来たの?!厚かましいよっ!元カノのくせにっ。」
そんな大きな声で罵らなくても、もう帰るし…。
「あなたっ莉奈ちゃんは昔から…!」
「うるっさいな!リナリナリナって…おばさんは黙っててよ!」
私の前に走り込んで来た聡子さんに対する言い方に私は切れた。人生で(異世界を含む)で初めて切れた瞬間だった。
思いっきり息を吸い込んだ。こんなに怒りや興奮?で体が震えるのは、先日の勇樹と浮気女の2人に遭遇した時以来だ。思い起こせば異世界で親に捨てられたと気が付いた時も、悲しくはあったけれど、これほど怒りに感じたことはなかった。後々考えてみても人生で初めて人前で激昂した瞬間だったかも知れない。
「いい加減にしろよっこのチンチクリン!私は勇樹の元カノである前にズッ友なんだよっ!聡子さんも友達なんだよっ!友達の心配して何が悪いんだよ!大怪我してる勇樹や看病で疲れている聡子さんのことを無視出来るほど他人事じゃないんだよ!分かったかっ?これから毎日見舞いに来るからなっ!覚えてろよっ!聡子さんっ。」
「はっはいぃ?!」
私はグルッと聡子さんの顔を顧みた。
「言い過ぎました!頭冷やしてきますっ!」
私はそう言い捨てて、ICUの部屋を飛び出した。ズンズン…と魔王の如く、魔力を最大級に放出しながら廊下を歩いて、カフェスペースに辿り着いて…ゆっくりと椅子に座った。
廊下の近くにある心電図モニターがけたたましいエラー音を立てている。慌てて走って来る看護師の姿が見える。
誤作動の犯人は私です…。