時の改札口
ほう、楽園でっか?
旦那、また、おもろい事を言うてますなぁ。
楽園なんて、何処がええんです?
わいには、何がええのかさっぱりわかりませんわ。
んな、自分の思い通りになったかて、変化がありまへんがな。
そうですか?ふーん、それは、それは。
ほな、旦那の楽園って、どんなもんなんです?
平和?なるほど、そりゃ、平和がええですな。それから?
悪人がおらへんのは、まあ、それにこした事はありまへんな。それと?
嫌な上司がおらん事?
我がままな嫁はんも娘もいらんって?
お金もかからへん所って、あんたまた、そんな贅沢な。
好き勝手しても、誰も何にも言わへんのですか?
女にモテて、貢いでもらう?
次から、次から、ようでますな。
ほんまにそんな所があったら、確かに楽園ですわ。
夢でっか…。
まあ、えらい夢でんな。まあ、ええかぁ。
・・・・・・よっしゃ。
今日はフンパツしときまひょ。旦那の願い、叶えたります。
まかしとき、わいが全部叶えたります。
何言うてますねん。心配いらへんって、わいは夢をプレゼントすんのが趣味ですねん。
何言うてはるんですか、嘘やないですわ。
ほら、目ぇ閉じて。
次に目を覚ました時は、きっとそこは楽園・・・・・・。
・・・・・・・・・・。
ふっと闇の中から明かりが広がり、俺は小さくうめき声をあげた。
まるで無重力から地面に降り立った宇宙飛行士さながらに、急速に重力がかかった意識の中、気だるさがどっと押し寄せて来る。
混濁した記憶を探りながら、俺はしばらく目を閉じたまま、さっきまでの夢の余韻にしがみついていた。
そうだ、昨日、忘年会だったな。
会社の連中と飲んで、色々と盛り上がって。
けど、あのくそ課長に水をさされて、最後は盛り下がっちまった。
そうそう、で、鬱憤晴らしに、それから川上達と二次会に行ったんだった。
なんだっけ?
パラダイスなんだかっていう、スナックで飲んで・・・・・。
あの子、ますみちゃん?まさみちゃん?名前、なんだっけな・・・、可愛かったな。
やっぱ、若い子はいい。何っていうか、ギスギスしてなくて、溌剌としてて、肌なんかもプルプルしてて、笑顔が最高に可愛いし、あんな子と一緒に過ごしたら毎日楽しいだろう。
俺も年甲斐もなく、妙にハシャイじまった。
手を握られて、ドキドキしたな。
若い頃みたいに、ちょっといい気分になった。
あの子達が話題にしてた、最近のドラマの話しはさっぱりだが、それでもなんとなく話しているだけで楽しかった。
あっ、やべ、昨日はすっかり飲み過ぎて、家に帰ったのは朝方だったんだ。
麗子の奴、怒ってんだろうな?
飲んで帰ると、すげぇ顔して俺を見るんだ。
こっちは、毎日、毎日、家族の為に働いてるのに。たまに羽目を外したって、いいじゃないか!
それなのに、「駄目男」みたいな顔で見やがって。
母親が母親なら、娘も娘だ。
まるでコピーみたいに、同じような態度をとりやがる。
大体、俺は男の子が欲しかったんだ。
一緒に酒飲んで、色々と語り合えるような。
毎回邪魔者扱いしやがる癖に、あれもこれも、文句ばっかりつけやがって。
ちくしょう、人生やり直してぇ。
あの時、麗子を選ばなければ、もっといい人生だったかもしれないのにな。
腹の中で散々愚痴った後、俺はそっと目を開いた。
ユラユラと揺れるカーテンから、冬の柔らかい日差しが差し込んで来る。
日のの明るさからして、少なくとも朝早い時間ではないらしい事は分かった。
それに、やけに暖かい。
そう思って、気だるい気持ちのまま視線を彷徨わせると、ふと低い風の音に気づいた。
ああ、そうか、エアコンがついているんだ。
俺がつけたまま寝たのか?
昨日は、酔ってたからな。ハッキリ覚えていない。
麗子の奴がつけてくれる訳ないし、俺の部屋のエアコンがついているのに気づいたら、きっと鬼のような顔で速攻消すに決まってる。
俺が毎朝仕事に出かける時も、電気代がかかるから極力エアコンはつけないようにって言われてんだぜ、しょうがないから凍える思いで支度してるんだ。
歳取ると、冬の寒さは堪えるんだ。
だが、こんな風に、暖かい温度の中で目を覚ましたのは久しぶりだな・・・・・。
取り敢えず、起きるか。
俺は、このまままどろんでいたい気持ちを押さえ、やっとの事で上半身をベッドから起こした。
そういや、昨日、帰りの駅で誰かと話したような気がするな。
ありゃ、誰だった?
ええと、駅員・・・・・だったかな?
いや、まさかな。駅員に知り合いなんぞいない。だが、川上は俺と違う路線だし。
誰かは忘れてしまったが、あんまりスナックが楽しかったんで、パラダイスがどうたらこうたらって話しをしたような気がする。
楽園か。
もし本当にそんなもんがあったら、夢のような話しだ。
働かなくてもいいし、気を使わなくてもいいし、毎日遊んで暮らして、嫌な事も何もない。
そんな所に行ってみたいな・・・・。
さて、と、コーヒーでも湧かして飲むか。
どうせ、麗子は何もしてくれないだろうし、涼子も自分の部屋に籠って好きな事ばっかしてんだろう。
日曜日、自分で作る朝食も、自分で入れるコーヒーも、すっかり慣れっこになった。
新婚の時は、何も言わなくても、せっせとコーヒーを入れてくれたもんだったが。
「よっこらしょ」
ベッドから降りるだけで、そんな年寄り臭い言葉が出るようになった自分を、少しだけ笑う。
しょうがないさ。
誰だって、歳を取る。歳をとれば、見向きもされなくなる。
俺だって、昔はモテたんだ。でも、今はただのオヤジさ。
ベッドから降りると、タンスの上にあったリモコンを取って、エアコンを消した。
それから、ベッドの淵にかけてあったカーデガンをパジャマの上に羽織り、ゆっくりと自分の部屋を出た。
麗子とは、今は同じ部屋で寝る事もない。
もう随分長い間、セックスレスだ。俺が触っただけで、気持ち悪そうな顔をする。
それなら、何で夫婦なんてやってるんだ?
俺は、何の為にこの家にいるんだ?
俺がここに居る意味が、全く分からない。
ただ働いて、金を作って、家族を養って、でもそれ以外は用なしの男。
「あなたじゃなきゃ嫌だ」って言うから、結婚したんだぜ。
女ってのは、そんなに気持ちが変わるもんなのかよ。
足取りが重かった。
麗子がキッチンにいるんじゃないかと思うと、酷く憂鬱な気分になる。
こんな事なら、川上の家にでも泊めてもらえばよかった。
あいつは、一昨年奥さんと別れて、気楽な生活を送っているからな。
子供には会いたいと言ってたが、結婚はこりごりだと笑って言っていた。
今、10歳下のOLと付き合っているらしい。
俺も出来るなら、そういう生活に戻りたい。
築18年の、そろそろあちこち傷み始めている我が家。
娘が生まれた年、頑張って40年ローンで購入した家だ。
麗子と一緒に不動産屋を回って、好みに合った建築屋を探して、一緒に銀行に行って頼み込んで、なんとか手に入れたマイホーム。
でも今は、俺の居場所はない。
きしむ廊下を歩きながら、ため息が漏れる。
それから、中の様子を伺うように耳を澄ませた後、ゆっくりとダイニングの戸を開いた。
途端、漂ってくるコーヒーの香しい匂い。
俺はちょっと驚いて、カウンターで仕切られたキッチンの方へ顔を向けた。
そこには、にこやかに笑う妻の顔。
そして・・・・。
「父さん、今日はゆっくりだったんだね」
と、全く見知らぬ若者が、笑いながらカウンターの椅子に座っていた。
俺は、何がどうなったのか分からず、ぽかんと口を開けて二人を見た。
「どうしたの?」
麗子が、不思議そうに俺を見る。
「・・・・いっ、いや」
何と答えれば良いのかも分からぬまま、取り敢えず言葉を濁した。
「あなた、具合は大丈夫?昨日は随分お酒を飲んで帰ったから、心配したのよ」
「あっ、ああ、大丈夫だ」
「良かった。楽しむのもいいけど、気をつけてね。家族にとって、あなたは大事な体なんだから」
「そうだよ、そもそも父さんは、仕事を頑張り過ぎだよ。僕たちの事はいいから、もっと自分を大事にしなよ」
「そうね、飲みに行くのは構わないけど、仕事のし過ぎも飲み過ぎも駄目よ」
・・・・・これは、夢だろうか?
何時もボサボサの頭で、出かける時以外はメイクもしない麗子が、こぎれいに身を整え、薄らと化粧をした顔で笑っている。
麗子は、若い頃は中々の美女だった。
今だって、ちゃんとすれば美女ではあるだろうが、半分はしかめっ面の醜い表情と、オバさん臭い態度で台無しになっていた。
結婚して10年目には、麗子は既に昔の面影はなくなっていたのだ。
今では、別人と言っていい。
「涼介も大学が決まったし、私も昨日、パートが決まったのよ。スーパーのレジ打ちだけど、そこそこ給料ももらえると思うから、あなたにはもう少し楽させてあげられると思うわ」
麗子の言葉に、またも驚く。
それはそうだろう。
一番家計が苦しい時でさえ、「冗談でしょ、働くのなんて嫌よ。あなたが、専業主婦でいいって言ったじゃない。あたしに働けって言う前に、あなたがもっと頑張って働いてくれなきゃ」と、当然のごとく言ってのけたのだから。
「僕も、なるべく家に負担かけないように、アルバイトするから。奨学金もなんとかとれそうだし、お金の心配しらないよ」
見覚えのない息子が、俺に微笑みかけてきた。
涼介って言ってたな。
涼子と名前が似てるが、何か関係があるのだろうか?
よく見ると、なんとなく涼子に似てなくもない。
涼介を目の前にして、涼介と喋っていると、本当に自分の子供は娘ではなく、息子のような気分になってきた。
信じられない事で、思考回路が麻痺しているのかもしれない。
だから、頭がおかしくなったと疑うよりも、目の前にある現実を受け入れそうになっているのだろうか?
そうさ、考えて見ろ。
どう考えたって、あっちよりこっちの方がいいに決まっている。
涼子の奴は、大学に行くのは遊ぶため。お金なんて親が払って当然、と思っているような娘なのだ。
何でもかんでも彼氏に奢らせてる癖に、何かあると俺に小遣いをせびって、ブランドものにバックとか靴とか買いやがる。
その癖、俺の服と一緒にあいつの服を洗濯機にかけただけで、目くじら立てて怒るんだ。
そんな娘より、こんな息子の方が、俺は欲しかった。
今俺がいる場所は、一体何処だ?
これこそ、まさしく楽園じゃないか。
自分の願いが、そのまま具現化されるような、そんな不思議な魔法にでもかかったのだろうか?
ふと、耳元で言葉がリフレインされた。
『旦那の願い、わいが叶えたりましょ』
やや高めの、飄々とした声が響く。
そんな声を聞いたな。
泥酔した耳に、囁くように。
それから。
『ただし・・・・』
ただし?
ふと蘇った記憶の中の言葉に、思わず首を傾げる。
なんなんだ、この記憶。酔った時の夢か?
ただし?
夢の中でそいつは、なんて言ってたんだ?
願いを叶えるとか、叶えないとか、そんな会話をした覚えはあった。
でも、その記憶は曖昧で、会話の内容を全部思い出す事は出来なかった。




