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町へ

「腹は満たされたかね」

「ああ、満たされたよ」


ひとしきり泣いて、イサクの目に映るものは先ほどまでとは全く変わっていた。この世での人生、そしてこの世より前の人生で奪われたものを思い出すことができたからだ。いつまでも自分は取るに足らない存在、他人にとって邪魔者でしかないと思っていた。それならせめて役に立てればと思っていた。


「これからどうするかのね」

「この先にある町を目指そうと思う。たどり着けるといいな」


田んぼの中に裸足で入り、足の裏をくすぐる泥で笑ったのを思い出し、蝉を捕まえるのが上手だった飼い猫が色んな生き物の死骸を枕許に持ってきたのを思い出し、灯に集まる羽虫の側で蚊取り線香を焚いてぽとぽと落ちていくのを思い出した。


「それなら他にも私の木の実はあるが、持っていくかね旅のお方」

「ありがたい」


ただそういうものでよかったのだ。周囲に遠慮して何も言わず、ただ自分を抑え続けた。なんにも楽しくないと思っていた人生だったが、馬鹿らしいことばかりではあるが、確かに満たされていたときもあったのだ。何も遠慮することはない。自分ができることならすればいいし、そして自分ができることは前の人生で学んだことのおかげで多かった。


「しかし持って行くにも両手では抱えきれない。それに腐ってしまうかもしれない」


周辺にある草を紐にし、木の実を括り付けて束ねた。昔こんなふうにして干し柿を作ったな、とイサクは微笑んだ。


「旅のお方、もしその気があるのなら、私の枝を持って行ってくれないか。ここは寂しい。話ができるものが来たのは久しぶりだ」


イサクは少し考え、あたりの岩を覆う苔を集めて丸め、紐で形を整えた。そこに折った枝を挿すと紐を通して木の実と共に肩に担いだ。あり合わせで作った紐は青臭かった。


「また会おう。旅のお方」

「また会えるといいな」


それから三日ほど、緑の中をイサクは歩いた。樹精からもらった木の実は少なからず助けになった。元家族から渡された食料では町まで本当にギリギリの量であったし、喉を潤すための水は腰から提げた皮の水筒に入っているきりであったからだ。途中猿のような魔物に遭ってしまったが、木の実を一つ放ることで道を通るのを許された。三日目には流石に木の実は水気を失ったが、甘みが増して保存がきくようになっていた。


日が傾いて大きな緑が少なくなり、しっかりした道へと出た頃、あの樹精はいったい何だったのだろうと思うようになっていた。生を半ば諦めたが故の幻か魔物に化かされたか、しかしこの赤い木の実を食べて目にかかっていた靄が晴れるように安らぎを得たのだ。前の人生の記憶では普通の果物であったが、今生のこの木の実は何か不思議な効能を持ったものか、それとも怪しげな成分でも含んだものかと思いの端に上らせたが、結局それは考えても仕方のないことだと気づいて、そんなことより美味であったし苔玉に挿した枝は必ず根付かせようと即物的なことに考えが移っていった。


歩いて見えてきた町は自分が住んでいた村より文明のある場所であると感じた。村の家屋といったらひどいもので、木で作った骨組みに草を被せ、風の精が通り放題であった。


町の周りには木で柵を作ってあり、建物は黄色い漆喰の壁で出来ていた。


町の入り口には衛兵と思しき人間が一人いた。刈り取り後の時期とイサクの土にまみれた服である程度の事情を察したのであろう衛兵は、同情的な視線を寄越して尋ねた。


「口減らしだな。大変だったろう」

「そうだよ。中に入れるかな?」

「入るなら通行料を貰いたいものだが、通行料を取ろうにもそんなナリじゃ金なんて持ってないだろう。その木の実をいくらか渡してくれ」


イサクは背から乾いた木の実を四つほど衛兵に渡すと、町の中へ入った。イサクが行ったのは賄賂なのだが、この世界ではなんということのない日常のことであった。衛兵が同情的なこともあったが、基本的に賄賂は歓迎される。


「宿はすぐそこの家で取るといい」


衛兵が指で示した方向には他より多少大きな家があった。


「ありがとう。助かるよ」

「君の歩く道が平らであるように」


妙な言い回しだが祝福の言葉なのだろう。夜になれば休んだとはいえ、三日間歩き通しで体は疲れていた。すぐにでも寝る場所が欲しかったので衛兵の助言はありがたかった。


その家の扉をくぐったとき、奥で椅子に座るおばちゃんが見えた。おばちゃんはイサクの恰好を見て、目を見開いた。衛兵も言っていたが、こうして口減らしで追い出されることは多いのだろう。


「泊まっていくんだね。金は持ってないだろうから、着てる服か、鉄か、食料か、なんでもいいから出してみな」

「これを。甘いよ」


イサクは干した果物を一つ渡すと、おばちゃんはそれを齧る。


「甘いものか。貴重だね。だがどこで採れたものか得体の知れないものは高くはならないよ」

「ごもっとも。じゃあこれ全てを買ってくれないかい。その金で一晩泊めてくれ。食事も後で食べたい」


いくつあるのかと数え、しばらくしてからおばちゃんは指先ほどの大きさの銀貨を出した。


「結構量があったからね。銀一枚は宿泊料として引いておいた」


村では貨幣は流通しておらず、正直これがいくらほどの価値なのか全く分からなかった。銀貨一枚で宿に食事つきで泊まれるのなら、これでどれくらいのものが買えるんだろうと思いながらイサクはそれを受け取ると、おばちゃんに部屋へ導かれるままに歩き、久しぶりの藁のベッドであると喜ぶ間もなく寝に入った。

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