玉梓
作中で言及されているのは自作品「露先」です。気になった方はこちらも合わせてどうぞ。
『拝啓
風薫る新緑の季節となりました。お変わりございませんか。』
……ここまではいいのだ。ここまでは。だが、どうにもその先が続かない。
手紙を書くときはいつもそうだ。もう何年もこうして書いているのに、それでもやはり、時候の挨拶を書いたところまでで一度ペン先を仕舞うことになる。書きたいことがないわけではない。何から書いていいのか分からない、というのとも少し違う。もし、この感覚を一番近い言葉で示すなら、つまり、どうしていいのか分からないのだ。書けばいいのか、書かなくていいのか。或いはこの手紙を出していいのか、出してはいけないのか、から。そうしていつも、初めて書いた手紙のことをぼんやりと思い出す。そしてそのことを思い出せばいつも、胸の奥の方がぴりりとした。山椒を口にした時のような、痺れるような痛み。それが背骨の芯の方から滲み出して、胸の奥の方に広がっていくのだ。
私が初めて手紙を出したのは大学に入学する前、ほとんど直前と言っていいような時期のことだった。彼は携帯電話を持たない人種だった。あっても使いたくないから、なくていいのだと言ったことがある。なぜ使いたくないのか、そこまではよく知らない。とにかく、彼は携帯を持たなかった。携帯は持たなかったが、パソコンは持っていた。彼は写真を撮るのだ。だからそのデータの処理のためだけにそれを使っていて、メールやチャットはやはり好きではないらしかった。彼は東北の大学へ行き、私は関東にそのまま留まった。私たちは高校に入学してからずっと友達で、そして、最後まで友達のままだった。
「手紙、書いてくれよ」
あの日彼はそう言って、小さなメモを私にくれた。私が大学の近くで一人暮らしを始める、その前日のことだった。下宿の住所だけを記したその文字は、横線だけが奇妙にそっくり返っていた。けれどそれは決して下に向かって撓んでいるのではなく、右端がきゅっと持ち上がっている。そのせいか縦長になった彼の文字は、どこか三日月を集めたように見えた。それでも決して拙くはなかったし、汚くもなかった。それどころか繊細で美しかった。彼の文字だな、と思った。彼自身のあり方がそこに記されているようで苦しかった。
私も、と言って手のひらほどのリングノートに書き付けた私の文字は、空中で書いたこともあってか随分とのたくっていて、醜かった。彼の字を見た後だと、尚の事見るに堪えないように思われた。そのメモを手渡すと、あろうことか彼はそれを低めた声で音読したのだ。忘れようもない。顔から火の出るような思いで私はそれを聞き、途中で読み方を一箇所だけ訂正した。文字そのものは全て正しく理解されていて、私は少しだけ胸をなで下ろした。ほんの少しだけだ。確認が済むと、彼はその一枚を引っ張って外し、リングの内側に残ってしまった細かな紙片まで残さず回収してから、やっとノートを返してくれた。そこに残っていた温度は淡く、儚く、優しかった。じゃあ、と手を振って歩き出した彼の背中を見つめたまま、私はしばらくその温もりを手のひらで味わい、それが自分のものか彼のものか分からなくなった頃、踵を返して歩きだした。
彼とはそれきりだ。会っていない。
彼が会いたいと言い出すこともなかったし、私もそんなことは言わなかった。何より私たちがやり取りしていたのは手紙だ。会おうとするならうんと早くから約束を取り付けるか、でなければ電話でも掛けなければならないだろう。私も彼も電話は嫌いだった。だから掛けなかったし、掛かってくることもなかったし、私たちは会わなかった。手紙だけが私たちの間を行き来した。
目の前に置いた手紙が届いたのはつい昨日のことだった。手に取り、目を走らせていく。もう五回は読んだ文面が目から入ってきて、私の中で声になる。淡々とした調子の、乾いた声が、語る。
* * *
拝啓
春眠の心地いい季節となりました。いかがお過ごしでしょうか。
この前、送ってくれた小説を読みました。タイトルの「露先」というのは、傘の先端についているあの部分のことなのですね。インターネットで検索をかけて、初めて知りました。雨の日だけ一緒に帰って、傘ひとつ分の距離までだけ近付く二人の、その曖昧な関係性はとても不安定で、それでいて同時に何か、不変性に近いものも感じました。松井さんの小説を読むたびに、繊細さは昔から変わずに持ち続けているものなんだろうと思います。どれを読んでも、どこか寂しくて、悲しくて、でも優しくて、そうやって含まれているたくさんの要素が共存できるところで器用にバランスを取っている、という印象がついてきます。
でも、今回の小説では、男性の方の心理状態がよく分かりません。とはいえ、僕が読み落としてしまっているのかもしれません。女の子の方の視点から書いているということもあると思います。でも、それにしたって、どうしてもこの人には共感できません。自分で振った女の子を、恐らくは好きでも何でもないのに、自分を好いてくれるというだけで一緒にいるのでしょう? 僕には分かりません。そんなの、女の子は辛いだけじゃないですか。というか、普通の男なら、この人は自分と一緒にいても辛いだけだって、そう感じると思うのです。それで一緒にいるのは、なんだか変です。仮に彼女が抱いているのが辛さだけじゃないと分かっているなら、尚の事別の付き合い方を考えるべきじゃないですか。それなのに奇妙な約束を守り続ける彼の気持ちは、僕には分かりません。松井さんはそれをどう考えながら書いたのですか。少し気になります。でも、とても面白かったことには変わりがありません。
僕の方は相変わらずです。桜の写真が撮れたので、何枚か悪くないものを同封します。家の目の前に川が流れていて、その両岸にある桜並木がとてもいい被写体になる、ということは去年の手紙にも一昨年の手紙にも書いた気がしますが、万が一書いていなかったら困るので一応記しておきます。今年は少し咲くのが早かったように思います。まだ少し寒い感じはしますが、きっとすぐに暖かくなるのでしょう。今年も結局帰省しないまま新年度を迎えてしまい、若干勿体なかったような気もしますが、正直言って帰っても面倒なことしかないのであまり帰りたくないと思っています。なのでこれで正解です。
あと、また少し本を買いたくなりました。教科書を何冊か買わなければならなかったのであまり余裕はないのですが、またおすすめの小説があれば教えてください。それを読み終わったら、また手紙を書くつもりです。
年度初めの疲れが出てくる頃かと思います。どうぞご自愛ください。
敬具
平成二十九年四月二十六日
豊嶋浩紀
松井由香里様
* * *
古本の頁のような色合いの便箋に、ボールペンで書かれた大きな字。飾り気のない真っ白な封筒に貼られた切手には相変わらず梅が描かれていて、時候の挨拶をしっかり入れてくる割には季節感のない見た目だった。便箋を置いて封筒の中に手を入れる。出てきた写真はぴったり十枚だった。これもいつも通りだ。きっとクオリティだけでは絞りきれないから、十枚だけ送ると決めているのだろう。これも何度も見返したけれど、もう一度眺める。
川沿いの道をメインに、道沿いの家々と桜並木とを両脇に写したものが一枚。
同じ構図でもう一枚。
川岸から両岸の桜並木を写したものが一枚、ほぼ同じ構図で橋が真ん中に写っているものが一枚。
屋上かどこかなのだろうか、高いところから桜並木と町並みとを臨むものが一枚。
桜の接写が一枚。
桜色の背景をぼかし、枝を指に挟んで引き下げた女性を撮ったものが一枚。
暗い室内から窓の外に桜を捉えたものが一枚。
窓際の文机だろう、焦茶色の机に便箋とボールペン、それと桜の花びらが一枚乗っているものが一枚。
最後に、川面に流れていく桜の花びらを写したものが一枚。
相変わらず素敵な住まいだ、と何度目かの溜め息をつく。近代の文豪が物語の舞台にしたっておかしくないような、驚くほど素敵な和室で彼は生活している。窓越しの写真と便箋の写真は彼の部屋で撮ったものだろう。
かなり古風な見た目だが手入れは行き届いているし、虫や鼠が入るようなこともないし、おまけに家賃は格安でトイレと風呂も共同でない、と彼は一通目の手紙にそう書いて送ってきた。ただ一点、隣室が空きなのが寂しい気もする、とその手紙には書いてあった。こんなにいい条件なのになぜ人が入らないのだろうと。むしろその好条件でも入りたくない理由があるのではなかろうか、と思っていたら、案の定事故物件だったとその何通か後の手紙に彼は書いてよこした。もう七十年か八十年も前のことらしいが、隣室で心中事件があったと大家から聞いた。曰く、それ以来隣室には女の幽霊が出るようになって、入った人はみんないくらもしないうちに越していくのだそうだ。その両脇の部屋にも頻繁ではないにしても妙な事が起こるらしく、春に入って夏過ぎまで残っている自分が今のところ最長記録らしい、と。そう語る彼の文字は、どこか楽しそうにも見えた。宇宙人に会いたがる子供のような雰囲気をその文はまとっていた。それを見て、深く納得したのを覚えている。
桜並木と川が見える和室を好んで借りようとする人はきっと、幽霊の出てくる部屋に平気で住めるほどの豪胆さは持ち合わせていない。あの部屋に住める人はきっと、桜にも川にも心中にも、何ら味わいを見いだせないような人種だけだろう。味わいというのと美しさというのは、異なる。それらはどこかで大きく重なり合いながらも、決して同一のものではない。
一年生の三月に、遂に隣人が越してきたと彼は書いていた。夜な夜なドンチャン騒ぎをするから越してきたのがすぐ分かったと言う。それから一年が経って、今のところその隣人が引っ越したという話は聞いていない。彼自身が何らかの怪奇現象に見舞われたという話も、やはり聞かない。
写真を入れ替えて、女性の写っているものを手前に持ってくる。明るい茶色の髪はショートボブで、丸いその輪郭がほんの僅かに後ろへ靡いていた。白くゆったりとしたニットから僅かに鎖骨が覗いている。鮮やかすぎないリップとチーク。柔らかく微笑み、少し目を細めるようにして桜の花を見つめる姿はモデルのようで、明らかにそれは彼女を撮った写真だった。この直後に彼女はカメラ越しの彼の真剣な表情を見ただろう、とその情景が脳裏にふっと思い浮かんだ。それに気付いた彼はそっとカメラを下ろし、まるで誰かの書く文字のように、口の右端だけを少しばかり持ち上げる……。
永澤凛々果というその女性は彼の同級生であり、同じ学科に所属する学生であり、ちょうど一年半ほど前から彼の恋人だった。彼女ができたという報告の、その半年ほど前の手紙で初めて永澤凛々果という名前が登場したのを覚えている。二年に進級する時に、彼は同じ専攻を選んだ同級生の集合写真を同封してきた。それどころか、本文の中で丁寧に一人一言ずつコメントをつけていた。その時の永澤凛々果に対するコメントは特にパッとしない。少年漫画が好きなのは意外だったけど気持ちのいい人だ、というくらいだったように記憶している。今時少年漫画を読む女性なんてそう珍しくはない。きっと漫画を読むということ自体以外に思えるような、アクティブで明るい印象だったのだろう。漫画の貸し借りをきっかけに二人の距離は縮まっていき、後に彼女の方から交際の申し出があったのを彼が受けた。いい相手だと、私は彼を祝福した。
彼には、他人を引っ張っていくような、そういう力強さのある人間についていくような生き方の方が似合っている。それは決して受動性を詰っているのではなく、単に静的な人間は動的な人間と並んだ方がよくバランスを取れるだろうというだけの話だ。世の中は、少なくとも私が見てきた世の中は、そういうふうにできていた。永澤凛々果はたくさんのエネルギーを持っている。そして彼は、息をするようにそれを吸い取る。そうやってバランスを取っていく。似た者同士で生きていけるのは「並」の人間だけだ。極端な過剰や不足を持っている人間は、補い合うように組み合わせなければいずれ立ち行かなくなる。そして人間というものは普通、「並」ではない。どんな人間でも、どこかしら「並」でないものを備えているのだ。
手紙には書かなかったが私にも恋人はいた。書けなかった、と言うべきかもしれない。いたにはいたものの、どれも恋人と呼んでいいのかどうか分からないような相手だった。ほんの数回の飲みで親しくなり、一ヶ月健全な付き合いをして、一ヶ月健全でない付き合いをして、一ヶ月かけて冷めていって、大した感慨もなく別れるような、そんな薄っぺらな関係性。大学に入ってから、全部で三人の相手とそういう関係を通過した。そのことを少し手紙に書いてみようかとも思いはした。思いはしたものの、結局は時候の挨拶以外を少しも文字に落とし込めないまま、今に至っている。
でも、本当ならおかしいのは彼の方だ。大学生にもなって高校時代の女友達に手紙を出し、律儀に彼女の有無や学業の具合を綴り、挙句の果てには男女の理想的な関係性についての議論を求めてくる。他の友達とも文通しているのかと思いきや、彼らとはもうほとんど年賀状だけの関係になっていると返事が来たことがある。わざわざ関東に来てつるむ程の仲でもなかったし、コミュニケーションは大学の同級生だけで凡そ事足りる、と彼は書いていた。
だったら。もし本当にそうなら、彼にとって私とはなんなのだろう。まるで母親と姉と男友達を足して三で割ったような扱いをされている気がする。そもそもの立ち位置は確かにそんなものだったとは思うけど、彼女のいる身になっても私をそこに置く意味は何なのだろう。大学で友達ができないわけでもあるまいに。コミュニケーションが大学の同級生とのものだけで事足りるなら、それほどの友達が出来たなら、私の手紙なんて。
私の手紙なんてもう要らないだろうに。
きゅっと、胃の辺りが縮んで強張る。言葉にしてしまえば何もかも溢れそうで、慌てて背筋を伸ばした。行き場を失った視線がインク壺に止まる。その夜の闇のような色を見つめたまま、視界の端で白い封筒を拾い上げて写真を収めた。角が一度だけつっかえて、それからするりと中に入る。机の引き出しを開け、封筒をそこへ放り込んでぴしゃりと閉めた。ふ、と重い息が吐き出される。その余韻の中でゆるりと視線を戻せば、彼の手紙自体はまだ机の上に広げられたままだった。奇妙にそっくり返った線。ボールペンの少し掠れたような色。古本の頁のような便箋。左にそれがあって、右に私の便箋が並んでいる。淡い桜色の便箋。ダークブルーの、少し緊張した汚い字。
『拝啓 風薫る新緑の季節となりました。お変わりございませんか』
その先が続かない。いつもそうだ。もう何年もこうして手紙を書いているのに。
伝えたいことは沢山ある。言いたいことが沢山ある。嬉しいことも楽しいことも、苦しいことも、悲しいことも。でも、どうしていいのか分からない。私はそれを、彼に伝えるべきではないと思っているからだ。彼に愛する人がいるのなら、自分の気持ちを伝えるどころか、本当なら手紙のやりとりさえするべきではない、と思う。
なのに。
彼が手紙を書くから。彼が手紙を送ってくるから、私は、返事をせずにはいられない。彼が、別に好きでもない女との約束を律儀に守るから。いつまでも切り捨ててくれないままだから。置き去りにしてくれないから。それでもまだ、好きだから。それでもまだ、好きなままだから。
私は、彼の、友達のままなのに。
すう、と息を吸い込んだ。ぴりっと、背骨の方から痺れが滲んでくる。
いっそ、書いてみようか。
万年筆を取り上げ、傍らの裏紙にくるくると試し書きをする。夜闇の色をしたインクが円を描く。私の心が、染み出していく。
* * *
拝啓
風薫る新緑の季節となりました。お変わりございませんか。
小説、読んでくれてありがとう。お粗末さまでした。あれは、実を言えば、私と貴方とのことを書いたものです。君のことを好きなままでいる私と、私のことを何とも思っていない貴方とのことです。もう少し本当を言えば、いくらか願望が混ざっています。実際の私と貴方との距離は手紙で二、三日であって、傘一本分ではありません。貴方がくれるものは写真と手紙だけでお土産が入っていたことはありませんし、私は貴方がくれる写真をちゃんと全部保管しています。自分が作り出した貴方の幻想で満足しようとも思わないし、実際、貴方を手に入れようだなんて思っていません。貴方は貴方のまま、そこにいてくれればいいのです。永澤さんとのお付き合いも、順調そうで何よりです。今年も貴方の部屋から見える桜は綺麗ですね。写真で見ても素敵でした。貴方の写真の腕も、きっと上がっているのだと思います。
小説の感想を読みました。男の子の行動がよく分からない、と書いてありましたね。率直に言えば、私にも分かりません。私の方が貴方に聞きたいくらいです。何故ですか。何故、貴方はそんなことをするのですか。
私は貴方のことを好きで、でも貴方は私のことを愛していないのでしょう。永澤さんを愛しているのでしょう。何故ですか。永澤さんという彼女がありながら、どうして私に手紙を送るのですか。友達だからですか。高校時代から親しくしてきた、気のおけない友達だからですか。私は友達以上の何者にもなれないのですか。だったら何故、貴方は私とだけこの実のない文通を続けているのですか。特別なのですか。特別だと勘違いしてしまうではありませんか。私はそう思われることを望んでいるのだから、貴方が種を蒔くのをやめない限り、私は望み続けてしまいます。
身勝手なのは分かっています。だったら、高校の同級生だったあの頃に好きだと告げておけばよかった。だけど、貴方は私のことなんて別に好きじゃなかったでしょう。もしそれを伝えたって、だからといって好きになることもないでしょう。私が好きな貴方は多分、そんなことはしない。
ご存知ですか。好きと言って好きが返ってこないほど絶望的なことは、この世にはありません。私はその絶望を受け入れたくなかった。だから言わなかったのです。何も。好きが返ってこないという確信を抱かないために、私は、好きというのをやめてしまった。でも、言わなくたって、好きです。言葉に出さなくたって、心は好きなままなのです。希望はあります。残しましたから。けれど、今度は希望が首を絞めるのです。しかも貴方は、別の女性を愛している。別れて私を選んでと言えれば楽なのでしょうけど、私にはその強さもない。そんなことをされたって結局後悔と罪悪感とがやってくることになるのは、もう、目に見えています。
だから、終わりにしてください。この文通を、終わりにしてください。ごめんなさい。私の忍耐が足りなかったのがいけなかった。覚悟が足りなかったのがいけなかった。でも、もう、これ以上耐えられません。苦しいのです。終わりにしてください。どうか。この文通を終わりにしてください。今私が願うのはそれだけ
* * *
手が、止まった。
それ、だけ?
それだけ、なんて。そんなの。嘘をついている。真っ赤な嘘だ。どうしようもない嘘だ。だって私はまだ、諦めきれてない。貴方のこと、全然、諦めきれてない。
だというのに。
これでもかと強く食いしばった歯の間から、声は漏れなかった。代わりにそれは上へとせり上がって、開いたままの目の端からぼろぼろと溢れた。顎の先から滴り落ちたそれは机の上で砕けて、私の書いた文字の上に細かく散った。乾いていたインクが濡れて鮮やかになり、微かに、ほんの微かに滲んでいくのを見つめて私は泣いた。小さな水滴は少しずつ青を帯びていく。私の気持ちもこうやって滲めばいいのに。水に触れたインクが滲むように、手紙に触れた指先から私の気持ちが滲めばいい。いっそ言葉なんてなければいい。この想いだけを詰めて、それだけが貴方に届けばいい。この想いだけ消えてしまえば。或いは、この想いだけ残して私なんて消えてしまえば、いい。消えてしまえば、いい、のに。
消えない。
想いは消えないし、私は変われないし、手紙を出さずにはいられない。
書きかけの便箋の、虚しくなるほどゆっくりと滲んだ文字は、いつの間にやら染みになって乾いていた。私はそれを畳んだ。畳んで、さっき仕舞った封筒の中に、一緒に入れた。どうしても、ゴミ箱の中に捨ててしまえるものではなかった。いつかこれを書き直して、送り直せるかも知れない。そう思ったと同時に、少し笑った。またひとつ希望が増えてしまった。使えもしない、何の役にも立たない、捨て去った方が遥かにマシなほどの希望が。果たして、それを捨て去っていいと思えるほどの別の希望が現れるのが先か、それとも、この希望に首を絞められて死ぬのが先か。
どちらでもいいな、と誰かが言った。どちらでもいい。私はどうせ足掻けない。待つことしかしないなら、もう。どちらになったって。
新しい便箋を取り出した。
今度は文面にも困らない。書くべきことは、もう既に私の中に固まっている。
* * *
拝啓
風薫る新緑の季節となりました。お変わりございませんか。
小説、読んでくれてありがとう。感想も頷きながら読みました。毎度タイトルの意味を訊いてきていた豊嶋くんが遂に自分で意味を調べたということに驚いています。その通りです。二人で傘を差して並ぶと、一番最初に互いの露先同士がぶつかり合うでしょう。だから、彼ら自身のテリトリーの、その一番相手に近いところとして。と同時に、互いにそれ以上侵入できないような相手のテリトリーの端として、その言葉を選びました。自分でも結構気に入っています。
雨の日は、彼らが最も近づくと同時に、その距離が最も可視化される日です。そういうダブルミーニングみたいなものが好きなのは昔からなので、豊嶋くんの言う「繊細さ」というのはそういうところなのかもしれません。両方入れようと思うと、どうしても器用にバランスを取る必要も出てきますし。
男の子の方の心理状態がよく分からない、ということでしたが、私としてはその感想を聞けて満足です。というのも、これも豊嶋くん自身が書いていましたが、この文章は女の子の方の視点から書いているからです。出来る限り彼の感情についての描写を抑えて、更に極力女の子の目を通して書きました。全体的にそうなっていたはずです。だからここでは、「彼にも何か理由があったんだろう」という以上の推理はできないと思います。女の子自身、多分彼が何を考えているのかは分からないので。
敢えて彼自身の意図を考えるなら、関係を切るのを惜しいと思う程度には彼女に好意を抱いていた、という程度だと思います。好意というのは、友達としての。だから、別に恋愛関係になりたいわけじゃないけど、一緒にいて話をするのは楽しい。彼女の気持ちは、彼女が彼の気持ちを分からないのと同じように、彼には分かっていないと思います。「楽しい?」と彼女に訊いたのは、別に気を遣ったわけではないと思うのです。単に自分の中で納得がいっていないとか、その程度なのではないでしょうか。この点では彼はあまりいい人間ではないので、豊嶋くんが共感できないというのを聞いて少し安心した次第です。永澤さんとも上手くやっていけてるようですし。彼女の写真、とても綺麗でした。でも、どちらかといえば、部屋の中から窓越しに撮った写真の方が好きです。勿論どちらの写真も、他のものも、素敵であることに変わりはないのですが。
今年は大学の近くの公園で花見をすることができました。毎年桜の散った頃に思い出していたのですが、今年はやっと間に合うことができました。お酒の飲める年齢で花見の季節を迎えて、随分と楽しく過ごしました。ひと段落ついたら、今度はそれをネタにまたお話を書こうかなと思っています。多分次の手紙が届く頃までには出来上がっていると思うので、もし欲しかったら言ってください。あまり、変わり映えはしないと思いますが。
おすすめの小説を教えて欲しいとのことですが、最近読んだものだと、谷崎潤一郎の「痴人の愛」は随分面白かったように思います。あとは、田山花袋の「布団」も面白かったです。最近読んだのはそのくらいでしょうか。中原中也の詩集もとても良かったと記憶しています。ここしばらく最近の大衆小説には手を伸ばしていないので、ラインナップがかなり堅苦しくなってしまっていますね。もっと柔らかいものが読みたいなら、あまりニーズに合っていませんね。ごめんなさい。でも一応、以上の三冊を挙げておきます。
五月晴れの日々を、どうか健やかにお過ごしください。
敬具
平成二十九年五月一日
松井由香里
豊嶋浩紀様
* * *
するりと走り出したペン先は滞ることなく文字を綴り、全てを書ききってやっと、思い出したように止まった。なんだか、嘘のような本当を書くのが上手になった、と我ながらそう思った。
もういい。これで出してしまおう。鈍感な彼のことだ。どんな手紙を書いたって伝わりはしないだろう。それでいい。手紙が届かなくなる時まで、何度でも、気の済むまで書けばいい。ああ、馬鹿馬鹿しい。なんて馬鹿馬鹿しくて、滑稽で。どうしようもなくて。
畳んだ便箋を、封筒に放り込んだ。それは惨めなくらいに重かった。
少し笑った。