深夜にそれは目を覚ます 1
メガマウスという生き物をご存じだろうか?
全長7メートルほどの巨大なサメの一種で全世界の海に分布している。
1976年、調査船に偶然捕獲され新種と認定された。その後、年に数件程度が世界各地で捕獲されるようになる。
では、メガマウスは1970年代になって現れた突然変異なのだろうか?
答えは否だ。
メガマウス自体は数百万年以上昔の地層から歯の化石などが発見されるほど古い種なのである。
では、なにゆえ新種発見の報以降、年数件というレアケースでありながらも全世界で発見されるようになったのか?
ここに知らないものを認識することができないという人の認知システムの不思議がある。
人は、たとえ目の前に『それ』がいたとしても見知らぬものなら『それ』を自分の知っている別の『なにか』に無理やり置きかえてしまうのだ。
だから、今あなたの目の前にあるものが本当にあなたが知っているものなのか、よく気をつけて見ることだ。
もしかしたら、あなたに危害を加えようと大きな口を開いている『あなたの見知らぬなにか』かもしれないのだから……
そのホームレスは近づいてくる気配に目を覚ました。声が少しずつ大きくなってくるのが分かる。
ホームレスはくるまっていた薄汚れた毛布から這いずり出ると慌てて芝生の茂みへと身を潜めた。最近仲間がホームレス狩りと称した若者たちに袋叩きにされたのを聞いていたのを思い出したのだ。
茂みの隙間から覗くと若い男女が芝生の横を通りすぎていく。年の頃は二十代か。夜の公園に女のクックッというくぐもった笑いの声がした。カップルは公園の池の前にあるベンチに腰かけるとペチャクチャとたわいない話を始めたら。
ホームレスはしばらく茂みの中から伺っていたが、無害そうだと分かるとくるまっていた毛布に戻ることにした。
その時、風もないのに池の真ん中辺りがざわざわと波打ち始めるのに気がついた。石を落とした時にできるような円形の波がいくつもできては広がっていく。
と、波紋の中心がゆっくりとカップルの方へ動き始めた。
しかし、カップルたちは自分たちのおしゃべりに夢中で全く気づいていないようだった。波紋の中心はカップルの目の前のところまでくるとブクブクと泡を吹き始めた。そこでようやく女の方が気がついた。
「ねえ、あれ、なにかしら?」
「さあ、サカナかカメのアクビじゃね?」
男が確かめようと池を覗きこんだ。
バシャン!!
男は水しぶきを上げて池に落ちた。女の悲鳴が夜の公園を切り裂く。
「きゃああ! 陽ちゃん、陽ちゃん、大丈夫?!
……ちょっと、陽ちゃん、どこよ! 返事して陽ちゃん!!」
女は男の名前を呼びながら池の縁をおろおろと動き回る。だが、男は一向に上がってくる気配がなかった。女は震える手で携帯を取り出すと早口でまくし立て始めた。
「ああ、優子? 私、私よ。
あ、あのね、陽ちゃんが池に落ちて、全然上がってこないのよ!
ど、どうすればいい?
え? 場所? どこの池か?
え、えっと、家の近くの公園の池よ! 優子も知ってる公園……え? え? 警察?
ああ、けいさつ、ね! そ、そうね。警察。分かった。警察、電話して……
きゃあ!!」
パニックになりながら友達に助けを求めていた女が突然転倒した。女の携帯がボトリとホームレスが潜む茂みの前に落ちた。
「いやぁ!」
甲高い悲鳴が上がる。女はうつ伏せに倒れたまま、ずるずると池の方へ這いずっていく。両足になにか白っぽいものが絡みついていた。女は地面に指をたて、必死に耐えようとするがずるずると池の方へと引きずられていく。
「誰か! 誰か助けて!! 誰かあぁぁーー」
ボチャ、という水音を残し、女は池の中に姿を消し、二度と浮上することはなかった。
「里美、里美? どうしたの? なにがあったの?
返事して、里美、里美ったら!」
置き忘れられた携帯電話から女の友人の声が虚しく響いていた。
2022/02/25 初稿