夜明けと共に現れて、そして命を喰らうもの 4
「市長、市長」
高橋秘書に名前を呼ばれ田沼市長は振り返る。
「市長にどうしても話をしたいという女性が面会を求めています」
「面会。この忙しいのに?
誰だね、その女性とは」
「山県ゆかりと名乗っております」
市長は、高橋に言われた名前を思い出そうと名前を反芻したが、すぐに眉をひそめた。
「知らん名前だ。何者だね」
「新聞社の記者のようです」
「記者だと?駄目だ、駄目だ。今は新聞の記者なんかに会っている時間なんかない。追い返してくれ」
市長の言葉に高橋は困った表情になる。
「それが取材じゃなくて、今回の怪獣の正体が分かったから説明をしたい、との話です」
「怪獣の正体が分かった、だと?」
「はい、今後の活動について重要な案件だと言っています」
「……ふむ、あってみるか。
ただし、10分だけだ。高橋君、その女性を案内してくれ」
会議室に足を踏み入れたゆかりの第一印象は、とにかく取り散らかっている、だった。
ホワイトボードには何枚もの写真や地図が貼り付けられ、机にも地図やファイルが無造作に積み上げられていた。その隙間に飲みかけのペットボトルやコーヒーが転がっている。
コンビニか仕出し屋の弁当の残骸が段ボールで作られた即席のゴミ箱に何十個と放り込まれて会議室の隅に追いやられている。
会議室にいる人も多岐にわたっていた。
一番多いのは市の職員の制服を着た人たちだったが、警察の制服の者もいれば、今から火事場へいくような銀色の防火服に身を包んだ人間もいた。あちらこちらで雑多な職種の人たちが議論を戦わせている。
「こちらですよ」
市長を探して、キョロキョロしていると名前を呼ばれた。
ゆかりは、市長選挙のポスターで見知った男の認めて、少し、胸を撫で下ろす。
「済みません、市長。忙しいところ時間をいただきありがとうございます」
「いや、皆、忙しい身の上なので、そのような堅苦しい挨拶は良いです。
お互い身のある話をしましょう。
たしか、今回の怪獣の正体について何か知っておられる、と言う話ですよね」
「はい、突然ですが市長は幻覚を見られましたか?」
質問に市長は探るような目でゆかりを見た。
「幻覚と言うのは、具体的にはどういうものの事ですかな。もう少し説明をしていただけないとお答えのしようがないです」
「私の言う幻覚とは、まるでテレビか映画を見ているようなはっきりしたビジョンが目の前で突然展開されるものです。
しかも、それは皆、怪獣に関連したものばかりです」
「お嬢さんはそのような幻覚を良く見るのですか?」
「今日になったら突然見るようになりました。
身のある話がしたいと言ったのは市長さんですよね。のらりくらりの議会の答弁ではなく、ちゃんと質問に答えて下さい。
市長はそう言う幻覚を今日になって突然、見るようになっていませんか。
yes ですか? noですか?」
ゆかりの質問の答えは、yesだった。市長も会議室で議論を進めている中で何度か幻覚を見ていた。
会議室の窓を破って侵入してくる蜘蛛の大軍の幻覚や車で逃げようとするところをバスほどの大きさの蜘蛛に行く手を阻まれて右往左往するものを、だ。
だが、そんなことを口走れば精神の安定を疑われてリーダーの資質を問われるのでずっと黙っていたのだ。
「まあ、見る見ないはどうでもよいでしょう。仮にそのような幻覚があるとして、それがどうしたと言うのですか?」
質問の回答がもらえないことに多少不満を感じながら、ゆかりは話を続ける事にした。
「幻覚はこちらが思った事に対応してきます。ある方法で上手くいかない幻覚を見たから別の方法をとろうかと考える。でも、すぐにそれでも上手くいかない幻覚を見せられる。何故でしょう?」
「そんな質問をされても困りますが、選択した方法も上手くいかないものだった、と言うことでは?
幻覚が予知夢であると考えて、幻覚でも上手くいく方法を見つければ良いだけでしょう。
良い方法が必ずあるはずです」
「もしも、幻覚ではなかったら?」
ゆかりの言葉に市長は困惑した様子だったが、ゆかりは構わず言葉を続けた。
「もしも、逆だったら?
私たちが幻覚だと思っているのが現実で、現実だと思っているのが幻覚だとしたら?」
「失礼だが、言ってる意味が分かりませんな。今、この瞬間が幻覚だとするなら、これは誰の幻覚なんですか?
私のですか、それともあなたのですか?」
「両方のです。
市長のあなたと私だけではない、ここにいる人たち、いいえ、この街にいる人たちみんなが同じ幻覚を共有しているのです。
丁度、舞台で劇を演じているように」
ゆかりの言葉に市長は目を丸くして、次に笑い出す。
「はっはは。いや、これは失礼。
話としては面白いけれど、そんな途方もない話を信じろと?
では、重ねて聞きましょう。そんな幻覚を誰が見せているのです。怪獣とでも言うつもりですか?」
「そうです、私たちはもう既に怪獣に取り込まれてしまっているのです。
もう、何をやっても逃れることはできない状況なのです」
ゆかりの声は寒々としていた。
「私たちはもう死んでいる、と言っていますか? 幽霊だとでもいうのですか」
「死んではいません。もっと酷い状態です」
ゆかりの声は更に暗鬱とした響きを増していく。
「私たちはとうの昔に、怪獣に取り込まれ、同じ一日を何度も繰り返しているのです。
私たちの『怪獣が明日の夜明けに現れる』と言う予感や時折見る幻覚は、繰り返される無数にある同じ日の記憶の断片なのです」
「馬鹿な。そんなことを信じる事などできるか!」
今度は市長が机を叩き、大声を上げた。市長は立ち上がると出口を指差す。
「そんな戯れ事に付き合っている暇はないのですよ。そんな話を続けられるのであればお帰り願います。
それともあなたが正しいと証明できる証拠を何か持っているのですか? あれば、ぜひお見せいただきたいものだ」
ゆかりも立ち上がるとゆっくりと携帯の画面を見せる。だが、なんの異常もない携帯だった。
「それが、証拠だというのですかな?」
市長は呆れたような笑みを浮かべた。
「さっき、この携帯を落として画面を割りました。でも、幻覚を見た後、もう一度見てみると割れていた筈の画面が綺麗に直っていた。いいえ、リセットされたと言うべきですね」
「だ、だからそれがなんだと言うのだ。
勘違いをかもしれんし、携帯がなおったからといっても必ずしも私たちが怪獣に取り込まれた証拠にはならんだろう」
「何故、逃げないのです?」
「何だって?」
予想もしない質問に市長は虚をつかれる。
「私もあなたたちも怪獣が襲ってくるのを確信している。予感を共有しているものならその事を疑う余地はない。
ならば何故、あなたは市民に対して避難勧告を出さないのです?
また、街の人たちは避難をしようとしないのです?
得体の知れない怪獣と戦うより、さっさと逃げた方が簡単で安全じゃないですか、なのに何故、街の住人たちは誰一人として街を出ようとしないのですか?」
「そ、それは……」
市長は言い淀む。確かにゆかりの質問に対する明確な答えを思い付かない。防衛隊を組織しつつ市民は避難させるのは可能だ。時間はたっぷりあったのに何故、市民に対して避難勧告を出さなかったのか。
更にこんな状況ならさっさと街を逃げ出す人間の一人や二人いてもおかしくないのに、誰も逃げようとはしていないのも確かにおかしな話であった。
「怪獣が本当に初めて襲ってきた時は全くの奇襲だった。だから、あらかじめ逃げるなんて誰にもできなかったのです。
取り込まれた時に絶対にできない行動は、その後の行動の選択肢から外れるのです」
淡々と語られる言葉に市長は言葉を失う。
「筋は通っている、しかし、だからと言って、そんな、そんな途方もない事をおいそれと信じるなどできは……」
腹に違和感を感じ、市長は言いかけた言葉を途中で飲み込んだ。
ゆっくりと視線を落とす。
包丁が腹に刺さっていた。ゆかりが隠し持っていた包丁で刺したのだ。腹の辺りがみるみる真っ赤に染まっていく。
「信じなくとも良いです。その目で確認してください」
ゆかりは包丁を引き抜くと、また、市長の腹に突き刺す。
背後で誰かの怒号がする。三度刺そうとした所を誰かに羽交い締めにされた。
「何て事を、市長!」
「誰か、医者を呼んでくれ。いや、担架!担架持ってこい!!」
突然の出来事に会議室が騒然となった。
と、その時
ザッ ザザッ ザザザザザーーー
空間が歪み、色褪せる。白い稲妻のようなノイズが走った。
ゆかりはゆっくりと目を開ける。
眠い。まぶたを開けておく事が酷く億劫だった。
目を閉じたら今度、目を覚ますのにどれ程の時間がかかるのか見当もつかない。もう醒まさないかも知れなかった。
だから目を閉じるのを懸命に堪えた。
ゆかりは蜘蛛の糸に全身を絡めとられ、吊り下げられていた。周囲は暗くどこまでも広がっているように見えた。ここが自分が慣れ親しんでいた空間とは全く異質なものであることは直感で分かった。
数メートル位離れた所に、白い繭のようなものが幾つもぶら下がっていた。それらは自分と同じように怪獣に取り込まれた犠牲者たちだとゆかりは知っていた。この無数の繭の中に市長の繭もあるだろう。市長も今ごろ繭の中で意識を取り戻して、驚いているかもしれない。これで信じてもらえるだろう。そう思い、ゆかりはクスリと笑った。
ゆかりは上を見る。
自分を吊り下げている糸がどこまでも上に向かって伸びていた。どこに繋がっているかは目視できないが、例の蜘蛛のような怪獣の胴体に繋がっているのだろうと、徐々に機能を失っていく思考力で考える。
逆に視線を下に転じる。
円形の風景が闇の中にスポットライトに照らされているように幾つも浮かんでいた。航空写真のような街の風景だ。
自分たちの住む街。あの一つ一つに多元世界の自分たちが暮らしている。そして、その無数の街に住む無数の自分たちが繰り返し怪獣に蹂躙されているのだ。
永遠に
繰り返し
繰り返し
だが、それももうどうでも良い気がしていた。
酷く眠い。
このまま永遠に目を覚まさなければ良いな。
そう願いながら、ゆかりはゆっくりと目を閉じた。
2018/05/20 初稿
2018/05/20 誤字修正色々
2020/11/21 誤字など修正
次話投稿は未定です。
《怪獣ファイル01》
分類 時空
名前 アラクネイトス
全長 30メートル
体重 1万トン
頭と腹に二つの部位を持ち、腹から10本の脚が出ている。体色は黒。頭から尻に向かって黄色い筋が何本か走っている。
脚は10本だか2本は肩口から生えており、蛾の触覚を思わせる。
なので一見すると脚は8本に見える。
頭には赤い目が8つ、H状に並んでおり、我々の世界の蜘蛛に酷似しているが、我々とは別次元の生き物。
時空をまたいで無数の平行世界を行き来でき、転移した世界の生き物の時間を喰らって生きている。
肩口に生えた蛾の触角のような脚は『時震脚』と呼ばれるもので、この脚を震わせる事で時空を歪めて転移したり、浮遊したり、『閉空間』を作ることができる。
『閉空間』に閉じ込められた獲物は命が尽きるまで同じ時間軸を繰り返す、逃げることはできない。
スモールサイズ(観光バス位)の分身を出せる。
スモールサイズからは更にミニサイズ(人間位)の分身。ミニサイズからは30センチ位のプチサイズ。
プチサイズから普通(女郎蜘蛛位)のサイズの分身が出せる。マイクロサイズ。
分身には時空脚がない。