深夜にそれは目を覚ます 8
「大江ちゃんさぁ、どうなってんの?」
「いや、色んなところに手を伸ばしてるんですがね、箝口令が敷かれちゃってて誰も何も話してくれないんですよ」
「そりゃそうでしょ。マンションの住人がみんな居なくなったと思ってたら今度は捜査してた警官とかも行方不明になっちゃたらさぁ、みんな血眼になって嗅ぎ回るわけで、必然的にガードも堅くなるよ。
わかりますよ。うん。
でもね、そこんところを破るのが大江ちゃんの腕の見せ所てしょ?
誰もネットに転がってるような情報にお金は払いませんよ」
「そりゃまあそうなんですけどね……」
大江は言葉を濁す。確かに宝船新社の編集長の言い分は正論だ。大江も無為に時間をつぶしていたわけではない。固く口を閉ざす青山をなだめすかしてある程度のことは聞き出していた。
「下水道の調査をしていて、警察関係者と水道局の職員が行方不明になったってことまではわかっているんですけどね」
「下水道の調査? なんでそんなところを?」
「どうもマンションの住人の遺体らしきものを水道管の中でみつけたらしく、それで下水道の調査をしたらしいんです。
で、なにかを見つけたって報告をしたグループが、いきなり消息を絶ってそのまま行方不明になったらしいです」
「へぇ、それ面白いじゃん。なんか『下水道のワニ』みたいな感じでいけるんじゃない?」
「なんですか、その『下水道のワニ』って」
「えっ? 大江ちゃん、マジでいってる?
都市伝説だよ。都市伝説」
「うーん、そういうのよくわからないです」
「えーー、都市伝説とかよくわからないって、そりゃあ、フリーのライターとしてはいささか勉強不足なんじゃない?
参考になるサイトを後で送っておくから、勉強しておいて。
ってことでさ、その路線で行こうよ。『森菜市に謎のUMA。市民を恐怖のどん底へ落とし込む』みたいな感じね。適当に読者を煽るやつを頼むわ。
締め切りは三日後ってことで。よろしく」
「ちょ、ちょっとそんな無茶なこと言われてもって、……切れた」
大江は切れた携帯電話の画面をしばらく見つめたままため息をついた。
しばらくするとブルリと振動して、メールの着信を知らせてきた。編集長からのコメントの後にサイトのURLが貼り付けられていた。それはさっき言っていた都市伝説を集めたサイトだった。早速、『下水道のワニ』の項目を読んでみる。
要約するとペットとして飼っていたワニが逃げ出して、あるいは捨てた後、そのワニが下水道で巨大になるという筋立てだった。下水道の点検に来た人を驚かす、とかマンホールから現れて人を襲うとか書かれていた。
「なるほど。つまり森菜市の下水道に正体不明の生き物がいて、それが市民を襲っているっていうことか……
そりゃ、無理があるって」
大江は、携帯をテーブルに放り投げると頭を掻きむしった。
まだ午後半ば過ぎで日も高いのに小柴公園に人気はなかった。
大江は静かに公園の池を見つめる。
池の周りにはぐるりと仮設の柵がつくられ近づくことを禁じられていた。
帰ろうとした大江は近くの茂みに人がいるのに気がついて驚いた。人などいないと思っていたからだ。
「林さんじゃないですか」
自分を見ていたのが林正吾であることに二度驚かされながら大江は営業笑顔で声をかけた。
「そんなところで何をしている?
近づくと危ないぞ」
「ええ? いや、大丈夫でしょう。いくらなんでもこんなところから池に落ちるなんてないですよ」
実際、大江は池の縁から5メートルは離れていた。ここで転んでも池に落ちるとは思えなかった。
「いや、引きずり込まれるかもしれん」
しかし、正吾は不機嫌そうに吐き捨てた。
「引きずり込まれる? 何にですか?」
「だから、『なにか』にだよ」
「まさかワニじゃないですよね?」
「ワニ? いや、ワニではないな。もっと細長いものだった」
「ちょっと待ってください。もしかして見たんですか?」
「見た。長い触手のようなものが女を池に引きずり込んだんだよ。男の方は良く分からないが、そっちも同じだったんじゃないかとわたしは思っている。
あれはワニじゃないな。むしろタコとかイカの類いの触手に見えた」
「タコとかイカ……の触手?!
それを警察には言いましたか?」
「話したさ! でも、誰も本気にはしなかったがね」
確かに今は記事を書かねばならないというプレッシャーから何でもネタにしてやろうと思っているから聞けているが、そうでもなければ、こんな話をされてもヨタ話と一蹴していただろうと大江も思った。
「君はこの町が好きだ、と言ったね。
わたしもこの町が好きだ。確かに好きなんだが、最近は少し複雑なんだ」
林は少しためらい勝ちにそういった。
大江は自分のアパートでパソコンの画面を睨み付けていた。アパートに帰ってからずっとにらめっこを続けている。勿論、そんなことをしたいわけではない。宝船新社のための記事を書こうと悪戦苦闘しているのだ。
「駄目だぁ、なんも書けねぇ」
大江は頭を抱えて机に突っ伏した。パソコンの画面には下水道のワニとか、謎の触手とか、とりとめない単語が並んでいるだけで文章の体を成していなかった。
「ワニじゃ新鮮味がないからなんか読者が喜びそうなものを、って言われてもなぁ。
あの編集長、好き勝手言いやがって!」
大江は大いにぼやいた。
「触手がどうとか言ってたなぁ」
昼間の林の言葉を思い出し、大江は呟いた。
「触手、タコとかイカとかの触手ねぇ……
そういや、川をダイオウイカが上ってきた、みたいな話があったような」
ダイオウイカが海から下水道に紛れ込んできて棲みついた……とか?
不意にマンホールをこじ開けて触手が人に絡みついている絵が頭に浮かんできた。
「あはっ、そりゃいいや。それで書いてみるか」
パソコンのキーボードがカタカタと一定のリズムを刻み始める。
3時間ほど集中していたが、やがて、大江はパソコンから顔を上げた。
なんとか形にできたことにほっとため息をつくと冷蔵庫からビールを取り出す。ぐびりと一口飲むと、窓を開けて外をみた。安アパートの2階からの景色は夜景を一望する絶景、とはいかなかったが背の高い建物が周辺になかったのでそれなりに遠くまで見通すことができた。
大江はここからの夜の景色が嫌いではなかった。
『最近、町の様子が変わったと思うんだ』
午後の鈍い日差しの下で出会った正吾の言葉がよみがえった。
『なにがどうと言う風に具体的には説明はできないのだが、公園での事件の少し前ぐらいから、正直わたしはこの町が怖くなっているんだ。
昼間はいいのだよ、昼間は。
問題は夜だ。ある時刻を過ぎると町の雰囲気が一変する。こう、なんというか闇が濃くなるというか、圧が増す、というか……
君はそんな風に感じたことはないか?』
「夜になると一変するか……」
じっと夜の帳へ目を向ける。と、突然寒気のようなものに襲われ、大江はぶるりと身を震わせた。
別段寒いわけでもないのに体が震えた理由が大江本人にすら分からなかった。
確かに、こんなに闇が深かったっけ?
「うん?」
そんなことを思っているとアパートのすぐ下の道路を轟音を立てながら大型車両が走り抜けて行った。
「こんな時間にゴミ収集車?」
大江は怪訝そうに眉をひそめた。
ゴミ収集車は車体の幅とほぼ同じくらいの狭い道路を爆走し、あっという間に走り去っていった。
危ないなぁ。あんな速度で走ってたら、人が出てきたら絶対に轢いちまうよ……
あきれたように首を横に振ると、大江は部屋に戻った。
ゴオオオオオ
狭い車道をそのゴミ収集車は甲高いエンジン音を立てながら爆走をする。車体には大きく『森42』とナンバリングされていた。
その進行方向のずっと先に男がいた。
「ったく、どいつもこいつもオレをバカにしくさって!」
男は顔を真っ赤にしながら吐き捨てる。足元はおぼつかず、よたよたと千鳥足。絵にかいたような酔っぱらいだ。
ゴオオオオ
ゴミ収集車は爆走し続ける。
「オレを誰だと思ってんだぁ? オレはなぁ、オレはぁ~…… 」
そこで男は考え込むようにぐっとかがみこむ。と、両手を空に突きだし大声で叫んだ。
「ただの万年係長っす!
どうもすみませ~んッ!」
そのまま定番の自虐ギャグのポーズを決める。
グシャ
ゴミ収集車が万歳の格好をした男をはね飛ばした。
男は両手を上げた格好のまま、空を舞い、頭から道路に叩きつけられる。
スイカ割りのスイカのように頭が潰れ、アスファルトを真っ赤に染めた。
2022/04/08 初稿




