囚われの身
「お久し振りですね、アンジェリカ姫。……見ない間にますますお美しくなられたようで」
そう言って部屋に入ってきた男性はうっとりとした表情でアンジェリカ姫を見つめたのだ。
しかしアンジェリカ姫はその男性を見てとても嫌そうに顔をしかめたのである。
そんなアンジェリカ姫の様子を見てから、私はもう一度その男性に視線を移したのだ。
その男性は痩せ型で薄い茶色の髪と黄色い瞳をした神経質っぽい顔の男性で、二十代前半ぐらいの見た目であった。
しかし私は記憶している貴族リストを思い出してみても、全くその男性に見覚えはなかったのである。
するとアンジェリカ姫が険しい表情のまま口を開いたのだ。
「……ストレイド伯。何故貴方がここにいるのですか?」
「さあ? 何故だと思われますか?」
そう言ってストレイド伯と呼ばれた男性はニヤリと笑ったのである。
「確か貴方は……お兄様の改革によってお父上のランデルク伯爵と共に追放されたはずですわ!」
「ええその通りです。そして追放された事ですっかり気落ちしてしまった父上は、辺境の村で病に掛かりあっという間に亡くなりましたよ」
「……ではやはり、わたくしを拐うように依頼されたのは貴方ですのね! そして亡くなられたお父上の恨みをわたくしで晴らすおつもりなのかしら!」
「いえいえとんでもございません。愛しい貴女様に恨みをぶつける事など致しませんよ。むしろ煩わしい父上がいなくなって清々しているのですから」
「では何故……」
ストレイド伯の言いたい事が分からずアンジェリカ姫は戸惑っていた。そして私は完全に空気扱いされている事に戸惑っていたのだ。
「私が恨んでいるのは……貴女様の兄上であるヴェルヘルム皇子……いや皇帝にです。あの方は私のアンジェリカ姫に対する想いを知りながら全く取り合おうとはしてくださらないばかりか、アンジェリカ姫から私を引き離そうとなさったのですよ! それでもまだ前皇帝が生きていらっしゃられた時は私の父上には力があり、貴女を私のモノにする手はずを着々と整えていたのです。しかし……あのヴェルヘルム皇帝はそんな私の計画を全て台無しにしさらには、父上と共に追放させられたのですよ? これが恨まないわけがないではありませんか!」
「そんな事は貴方の逆恨みですわ! そもそもわたくしきっぱりと貴方の事は嫌いと言いましたわよ!」
「ふふ、そんな恥ずかしがらなくてよいのですよ。貴女の本当の気持ちは私が分かっていますので。大丈夫、全て私に任せてください」
「っ! だから!!」
アンジェリカ姫が目くじらを立てながら立ち上がりストレイド伯を睨み付ける。
しかしストレイド伯はそんなアンジェリカ姫を見ながらさらにうっとりとした表情になったのだ。
(……あ、これは完全にヤバイ人だ)
二人のやり取りを黙って聞きながら、完全にストレイド伯はストカー気質のヤバイ人だと察した。
そして二人の会話から大体の事を理解した私は、すっと立ち上がりアンジェリカ姫の前に立ってストレイド伯から隠したのである。
するとようやくストレイド伯は私を見て眉をしかめたのだ。
「……なんですか? 私とアンジェリカ姫の楽しい会話の邪魔をしないで頂きたいですね」
「アンジェリカ姫の方は全然楽しそうではありませんですけどね」
「……貴女に何が分かるのですか?」
「少なくとも貴方よりかは」
私はそう言うと冷たい眼差しをストレイド伯に向けたのである。その私の眼差しを受けストレイド伯はたじろぎながら一歩後ろにさがった。
「ふ、ふん! そんな事より貴女は自分の立場を分かっているのですか?」
「拐われた事ですか? 勿論分かっていますよ。ただ何故私まで拐うように指示を出されたのかは分かりませんが」
「……セシリア・デ・ハインツ、貴女がヴェルヘルム皇帝の婚約者だからですよ」
「……その理由は薄々気が付いていましたが、私など拐ってもそんなに効果はないと思われますよ? そもそもヴェルヘルムが私を婚約者に選ばれたのは、色々と条件が合っていたからなのです。ですから……私などわざわざ助けるよりも同じような条件が合う女性を他に探されるかと思われますよ?」
「……おかしいですね。私が仕入れた情報では、あのヴェルヘルム皇帝が貴女を溺愛していると聞いたのですが」
「溺愛!? そんな事されていませんよ。私がされていたのは、何処か行くにも私をを連れていこうとしたり逆に私の行く所についてこようとしたり、さらには強制的な贈り物をして私の反応を面白がっていたぐらいです。まあ全て迷惑だと断ってなんとか止めて頂きましたが」
そうヴェルヘルムにされた事を思い出し、思わず私は眉間に皺を寄せたのだ。
しかしそんな私を見てストレイド伯がなんとも言えない表情をしたのである。
「……無自覚ですか」
「え?」
「まあ良いでしょう。それにもうヴェルヘルム皇帝には書状を送っていますので」
「書状、ですか?」
「ええ。アンジェリカ姫と婚約者であるセシリア嬢を盾に致しまして、ヴェルヘルム皇帝の退位とその命を要求致しました」
「なっ!?」
「ストレイド伯! なんて事をお兄様に要求なさるの! いますぐ撤回なさりなさい!!」
「いいえ、私の意思は変わりませんよ。あのヴェルヘルム皇帝が退位しそしてこの世からいなくなってくだされば、あとはアンジェリカ姫、貴女を手に入れた私が新たにランドリック帝国の皇帝となれるのです!」
ストレイド伯は両手を広げ恍惚の表情で何もない天井を見上げた。そしてそんなストレイド伯を見て、私とアンジェリカ姫は完全に引いてしまったのである。
すると再び扉がゆっくりと開き、そこから私達を拐ったあの頬に傷のある男が入ってきたのだ。
「ストレイド様、そろそろいいですかい?」
「ん? ああ分かった。ではアンジェリカ姫、またあとできますね」
そう言ってストレイド伯は薄く微笑むとその男と共に部屋から出ていったのだった。
そうして再び私達二人だけになってしまった部屋の中は、重苦しい空気が漂ったのである。
私はすっかり落ち込んでしまったアンジェリカ姫に近付き、とりあえずベッドに座るように促した。そしてその隣に私も座り何もしゃべらないでいたのだ。
するとアンジェリカ姫が重い口を開けて話し出した。
「……こんな事に巻き込んでわたくしの事を恨んでいるのでしょうね」
「……いいえ」
「嘘おっしゃい! 正直におっしゃればいいのよ! わたくしの浅はかな行動で貴女もさらにはお兄様まで危険な目に合わせてしまったのですもの!」
「……まあ確かに今の状況はとても良いとは言えませんが……あのストレイド伯の様子からして、アンジェリカ姫が行動を起こされなくてもきっと何かしらの方法でこの状況になっていたと思われますよ。そしてヴェルヘルムの婚約者である私も同じく狙われていたでしょう」
「……」
「ですから、アンジェリカ姫が気に病む必要はありませんよ」
そう言って私はアンジェリカ姫に向かってにっこりと微笑んで見せたのである。するとアンジェリカ姫はそんな私を見て一度目を見開いてからすぐに呆れた表情に変わったのだ。
「……貴女、変わっていますわね」
「またそれですか……正直聞き飽きたのですけどね」
いつもの言葉に私は苦笑いを浮かべたのだった。
「……今でしたら、お兄様が何故貴女を選ばれたのか分かりますわ」
「そう、なのですか?」
「ふふ」
私が困惑しながら問い返すと、何故かアンジェリカ姫は口元を手で隠しながら楽しそうに笑ったのである。
そんなアンジェリカ姫を見て、私は笑っているからまあいいかと思う事にしたのだ。
「さて、とりあえずここが何処なのか分かる物があるといいのですけど……」
そう言って立ち上がり私は鉄格子がはめられた窓に近付いて外を覗き見た。
そしてそこから見えた光景は、いくつかの小屋のような建物と外周を囲んでいる塀が見えたのである。
私はさらに顔を窓に近付けて周りを確認すると、大きな屋敷の一角が目に飛び込んできたのだ。しかしその屋敷の状態はお世辞にも良いとは言えなかった。それはさきほど見えた小屋のような建物や塀も同じ事が言えたのである。よく見ると所々ボロボロでいまにも崩れそうになっていたのだ。
「……どうやらここは、廃屋になった何処かの屋敷のようですね」
そう一人呟き窓から離れると、腕を組んで部屋の中をうろうろと歩きながら考え出した。
「私達が拐われてからどれくらい時間が経ったかは分からないですけど、少なくとも王都周辺ではこのような廃屋になった大きな屋敷はなかったはずです。ならば王都からかなり離れた場所にいると考えられますね。そうなると……すぐに救助がきて頂けるのは難しいかと。しかしあのストレイド伯の様子では……あまりここに長居をすると色々よくない事が起こりそうな気がします。ならばする事は一つですね! 逃げましょう!!」
私は大きく頷きそして決意を込めてアンジェリカ姫の方を見たのである。しかしアンジェリカ姫は私を見ながら困惑した表情になっていた。
「アンジェリカ姫、どうかなさいましたか?」
「……貴女、この状況でよくそのように考えられますわね。わたくし達、囚われているのよ? ……怖くはないの?」
「う~ん、全く怖くないと言えば嘘になりますが……さすがに拐われるのが今回で三回目……いや、監禁も含めれば四回目か……になりますと、慣れてしまいましたから」
「…………は? 貴女、拐われた事が今まで三回もありましたの!? それも監禁までだなんて!? 一体どうしてそのような事が起こりましたの!?」
アンジェリカ姫は驚きの表情で私を見てきたのだ。そんなアンジェリカ姫の様子に、私は頬を掻きながら困った表情を浮かべる事しか出来なかったのである。
「さすがに色々複雑な状況でして……詳しくは説明出来ないのです」
「複雑な状況って……」
「さあさあそれよりも、逃げる方法を考えましょう!」
まだ困惑しているアンジェリカ姫に、私は気持ちを切り替えてもらうため手を叩きその話を切り上げた。
そして再び部屋の中をうろうろと歩き回り何かないか探し回ったのだ。
「……う~ん、やはり逃げ道はあの鍵の掛けられた扉かこの鉄格子がはめられた窓しかありませんね。でも……あの扉からもし出られたとしても、その先がどう繋がっているのかは確認出来ませんしさすがに危険すぎますね。そうなると、やはりこの窓からですか……」
「この窓と言われても、鉄格子がはまっていますから出れませんわよ?」
「逆に考えれば、その鉄格子さえ無くなればあの窓の大きさでしたら出られますよ」
「それはそうでしょうけど……」
私は鉄格子の状態を確かめるため鉄格子を両手で掴み動かそうとしてみた。すると微かだが鉄格子が動いたのである。
「あ、これはいけるかもしれませんね。多分廃屋になってだいぶ経っていた事で脆くなっているようです」
「そうなの?」
「ですが……さすがに女の力では完全に外す事は出来ないみたいです」
「ではやはり無理……」
「アンジェリカ姫、何か固い長めの棒を探してください!」
「え?」
「それがあればきっと外せます!」
「わ、分かりましたわ!」
アンジェリカ姫は私に頷くと急いで部屋の中を探し出してくれたのだ。
「あ、これならどうかしら?」
そう言ってアンジェリカ姫が示した物は、ベッドの脚になっている鉄の棒だった。
私はすぐにベッドに近付き下から覗き見てその構造を確認し、その脚が回せば外れる事が分かると私はニヤリと笑ったのだ。
「アンジェリカ姫お手柄ですよ! これなら強度的にも使えます。すみませんが、少しこのベッドを支えていてもらえませんか?」
「ええ、分かりましたわ」
そうしてベッドが倒れないようにアンジェリカ姫に支えてもらいながら、私は慎重にその脚をベッドから外したのである。
そしてベッドを支えていてくれていたアンジェリカ姫にお礼を言うと、二人でゆっくりとバランスの崩れたベッドを床に倒したのだ。
「ではやります。もしかしたら弾け飛ぶかもしれませんので、アンジェリカ姫は離れていてください」
「分かりましたわ」
私はアンジェリカ姫が壁際に離れていったのを確認し、鉄格子に持っていた棒を差し込んでテコの原理で力一杯棒を押してみた。
すると少しずつ鉄格子が動きそしてとうとう窓から鉄格子が外れたのである。
「よし! 外れました!」
「す、すごいわね。本当に外してしまわれるだなんて……」
驚いた表情で私に近付いてきたアンジェリカ姫に、私は苦笑いを浮かべながらこれが二回目だと説明しそしていよいよ逃げ出す事になったのだ。
まずアンジェリカ姫の腰を支えて窓枠を越えてもらい続いて私も窓から外に出た。
「さあ行きましょう!」
「……ええ」
私はにっこりと微笑みながらアンジェリカ姫に手を差し出すと、アンジェリカ姫はじっと私の顔を見てからその手を取ってくれたのである。
そうして私達は夜の闇に紛れながら逃げ出したのであった。