ロマンティック・ジェノサイダー~来週の今日、ぼくは世界を殺します~
来週の卒業式が過ぎたら、この世界は終わっちゃうらしい。
***
「ねぇ、もうすぐこの世界は終わっちゃうんだってさ」
まことしやかに流れ出した一つの噂。
それはじわりじわりと校内に滲み出し、そこで生活する生徒達の間にいつしか蔓延していく。
「この世界が終わったら、僕達は一体どうなるの?」
誰かの問い掛け。
「死ぬのかな」
僅かに怯えを含んだ声音がぽつりと落ちる。
「違うよ、ただ消えるだけ」
また誰かが答える。
「消えるって何? 死ぬのとどう違うの?」
「知らないよ、そんなこと」
「だったら消えるかどうかも解らないじゃないか」
喧嘩腰に噛み付く悲痛な音吐。
それは生徒達の鼓膜よりも心臓にびりびりと嫌な感触を擦り込んでいく。
「っていうかさ、”この世界”ってどういうこと?」
不意に部屋の片隅で、誰かは狼狽を露わにした。
「ここ以外に世界があるなんて、聞いたことがない」
「パラレルワールド? そんな本を読んだことはあるけど」
「非現実的だね」
「夢物語だよ。もっと現実的な話をしよう」
「現実って何さ。そもそも世界が終ることが現実的だとでも?」
ざわざわ。
ざわざわ。ざわざわ。
喧騒が続く。
ざわざわざわ。取り留めもなく。まるでその下らない密談が永遠のものであるかのように。
「……じゃあさ」
凛、と響いた一人の声に、視線が集まる。
そうして注目を集めても、彼は動じることなく微笑んで、ただ首を傾いだ。
「じゃあ、この学校の外には、何があるの?」
返るのは沈黙。
そして答えを持たない彼等は互いに背を向け部屋を出ていく。
後には一人。
――そう、僕だけが、残る。
***
来週の今日、ぼくは世界を殺します。
***
【生徒 国府田夏樹の場合】
彼の笑顔はいつもおひさまみたいだった。
キラキラピカピカ輝いて、それでいて焼け尽くすような激しさなんてものはなくて。
まるで一面のひまわり畑みたいに。
仕方ねぇなって頭を撫でられたら、その手からぽかぽかのあったかいにおいがした。
彼はいつも真っ直ぐで、明け透けにまっさらで、世の中の不条理なんて彼の前ではいつも意味を持たない。
彼は太陽の息子だ。自由に愛された人だ。
きっとみんなそう思ってた。
だからこそ、誰にも独り占めになんて出来なくて。
そんな彼の選択を笑って見送るんだ。
「俺決めたぞ。旅に出る」
「旅に? この世界は終わっちゃうっていうのに、その終わりさえ見届けないで行っちゃうってわけ?」
「うん。終わりの日を指折り数えてうじうじ悩んだり、感傷に浸ったりすんの、やっぱり俺らしくねぇなーって思ってさ。同じ終わりが来るなら、俺は俺らしく終わりにしたいんだ」
ごめんな、と彼は笑った。
何に対しての「ごめん」なのかを少し考えて、ああそれはみんなを残していく事へのごめんなのだ、と気付いた。
「俺の為」なんかじゃない。「俺だけの為」なんかじゃない。
それは少し切なくて、しかし彼らしいなと思った。そして俺達はみんなそんな彼が好きだったから。
「なぁ、この世界の向こう側には何があると思う?」
彼の指が遠くを指差す。遠く遠く、すべての垣根を越えた向こうを指差す。
「例えこの世界が終わっても、このセカイの向こう側にはきっと、まだ俺が見たこと無いものがたくさんあるんだ。だから俺はソレを見に行く。俺が想像もしなかったようなでっかいものを、自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の手で掴んで、全身で感じてみたいんだ」
「そうだね、出来るよ。……君ならこの世界を超えてどこまでだって行ける。君だから出来る」
「ははっ、おまえは買い被り過ぎだ。でも、ありがとう」
「なんで礼なんて言うんだ。礼を言われるような事を、俺は君に何もしてない」
「してきたじゃねぇか。おまえはちゃんとしてきたよ。俺にだってしてくれたよ。なんでわかんねぇのかな? ソレがおまえの悪いとこだ。もっと自信持て、な」
笑って、彼は背中を押してくれる。いつものように、いつも通りに。
「俺はもうおまえの傍にいてやれない。おまえにこうやって面と向かって元気を分けてやる事も出来ない」
「うん」
「でも、祈ってるよ。おまえの幸せをいつでも願ってる。そんで、どこかでまた縁があったらきっと会えるさ」
「俺は俺じゃなくて、君は君じゃなくても」
「それでも解る。きっと解る。そういうもんだ。それが縁ってもんだ」
じゃあな、と手を振って、背を向けたらもう振り返りもせずに、呆気無いくらいにあっさりと、彼はいなくなった。
俺は寂しかったけど、泣いたりはしなかった。
ねぇ、君。
優しさはコップに入った水と同じで。飲み干せば無くなるし、注げば増えるけど。
ここにいない君がくれた優しさを今見詰めてる俺は、いつか耐え切れない渇きに喘ぐ時、きっとこれを飲み干すんだろうな。
それが俺と君のほんとのサヨナラ。
***
【教師 石塚健吾の場合】
「やっぱり、連絡はありませんか」
「まぁ、こうなると解かっていたことですから」
彼は少しさみしげな表情を浮かべて携帯を見詰める。
何度も何度もコールしたけれど、もうそのアドレスがあの子に届くことはないのだと、彼は随分前から知っていた。気付いていた。
あの子には今、自分よりも大切な人がいることも知っていたし、自分の言葉など今更なんの力も持たない、むしろ彼の中の美しい思い出を壊してしまうだけの害悪なのだと、解かってもいた。
だから自分が今、彼に何かを望むのはエゴなのだ。
そして、それに彼が応えないことが、自業自得の結末なのだ。
彼にとって自分は多分、彼の人生に影響を及ぼした最初の男で、そして自分にとっても彼は教師人生を変えた最初の生徒であったけれど、それはそれだけのことで、彼の未来まで自分が手に入れられることとは違う。
だから一緒に歩いていくことなんて、最初から求めていなかった。
いや、それは言い訳か。
本当は手に入れることも出来たのだ。自分にはその手段が残されていた。それでも選ばなかった。自分はもっと……決して上手くはない方法で……彼を飼殺しにして、弄んだのだ。彼が決して自分を拒絶出来ないと知りながら、自らの為に利用したのだ。
(それなのに、今、この最後の時になって、彼が……欲しいなんて。手放したくないなんて。傍にいて欲しかった……なんて)
許されるはずがない。
「傷付いていますか?」
「僕が? まさか。傷付けたのは僕です。傷付いたのは彼です」
「でも仕方なかった。あの時はそうするしかなかったんだ。だって俺達は……教師だったじゃないですか」
「そして彼は生徒だった。だけど、僕達は大人で、彼も子供じゃなかったんです。僕達はその重さをもっとしっかりと受け止めるべきだった。これは……報いです。彼を失うことが、僕の報い。けれど願わくば……」
そうだ、君も気付いたのだろう。
手に入らない僕よりも、そばにある人の愛しさに。
君は悔やんでいるだろうか。
くだらない僕に費やしたアノ日々を。
それとも忘れてしまっただろうか。
二人が交わしたささやかな言葉たちを。
愛せなかったなんて事実だよ。
でも応えられなかったのも真実だよ。
今はただ、さよならを歌って。
すべてをこの校舎へと葬るから。
そう、僕は永遠に君の初恋。
だから君との思い出は、永遠に僕だけの宝物。
それは僕の恋ではなかったけれど。
きっと愛でした。
確かに愛でした。
***
【生徒 春日唯の場合】
泣きじゃくる君の顔を僕はぼんやりと見つめていた。
ばかだなぁと思ったけど、そんな君の涙はとても綺麗で。
もっと泣けばいい。もっともっと泣けばいい。
その為の胸は僕が貸してあげるから。
「こんなことになるなんて思ってなかったんだ」
「誰だってそうだよ。最初から終わることを想定してる人なんていない。ずっと変わらないと思ってるんだ。みんなみんな、”今”が続くと思ってたんだ」
「僕のせいじゃない……僕は悪くない。僕は何もしてないじゃないか!」
「そうだね。何もしてない。何もしなかった……だから終わるんだ。そうだろう?」
そう言い聞かせても、彼は涙で顔をぐしゃぐしゃにしたまま嗚咽を漏らして、もうぼくの言葉なんてほとんど聞こえていないようだった。
声が届かないなら、と手を伸ばして彼を抱き寄せようとしたけれど、その手は振り払われる。触れることも出来ないのかと思ったら、泣きたくなった。けれどぼくは笑った。
ぼくの両手はいつも彼の為に伸ばされて、彼が少しでも振り向けばそこに受け止める胸はいつでも空けられていたけれど、彼は結局最後の最後までぼくを見ることはなかった。
ずっと遠くを見詰めて、ぼくじゃない誰かを見詰めて、自分は可哀想だと言い続けるのだ。
その存在が消えてしまう最後の瞬間まで。
君が望むのな全部捨ててしまおうって、そう思ってた。
欲しかったのは世界よりも君を守る魔法。
だけど泣き喚き血を吐いて、それすらも”君のため”と嘯いても、君の目はぼくを見ない。
きっと永遠にぼくを見ない。
だけど忘れないから。
ここにぼくたちが生きていた事実。君に出会ったことを。
だから忘れないで。僕が生きていたことを。君に投げ掛けた愛の言葉を。
それは泡沫の幻でも、きっとぼくは君に救われたから。
どうか許されるなら、
今日ぼくを失うことを、いつか君が悔いてくれますように。
世界は死んでいく。
留まることなく消えていく。
さよなら、ぼくの愛した人。これから死んでいく君よ。
すべては二度と戻らないけど。
この墓場を抱いて、ぼくは生きていくから。
いつまでも、ぼくだけは君を忘れないから。
***
【×××の場合】
終わりの日が近づいて、校内のざわめきは日に日に大きくなる。
まだこれが現実だと受け入れられない子。大人ならなんとかできるはずだろうと、校長室のドアを叩き続ける子。ただただ意味もなく泣きわめく子。もうどうにでもなれと、すべて投げ出して逃げ出す子……もう逃げる場所なんて何処にもないのに。
ぼくの前をたくさんの生徒が行き交って、やがて諦めたように口を噤む。訪れる逃れようのないおしまいを前に、ほんの一握りの生徒だけが、最後に自分がなすべきことを求めて立ち上がり、歩き出す。
それは奇跡でも偶然でもなく、”あの人”が撒いた種だった。
長い時間をかけて、彼は小さな種を撒き、笑われながらも水をやり、肥料を与えて、大切にそれを育ててきた。
時にその畑は心ないものに無惨に荒らされ、時にその種は飢えた小鳥の餌となって啄まれた。
もうやめてしまいなさい。誰もがそう言ったが、彼は首を振り続けた。決して頷くことはなかった。
そうして目に見えないほどの小さな種は、この”終演”を前にして静かに芽吹き、透明な花を咲かせる。
形のない花を咲かせる。
愛という名前の、彼がこがれ続けた花を。
それはいつか訪れるかもしれない希望。訪れないかもしれない祈り。
あまりに儚くささやかでちっぽけな。でもそれは確かにそこにあった。
愛しているよ。
彼は言う。
愛していたよ。愛していくよ。これからもずっと変わらずに。
それがわたしの産まれた意味。それがわたしの望んだ世界だから。
――ああ、ここで君に、君達に出会えてよかった。
***
明日、ぼくはこの世界を殺します。
君と交わした約束も、あなたと綴った思い出も、何一つ果たさないままで。何一つ果てのないままで。
ただゆるやかに世界が死んでいく。
***
4月1日 00時00分
一つの学園がこの世界から消滅した。
これはボタン一つで消えてしまう、どこかの仮想空間に存在した誰かの記憶の物語。