Part8
「なに、をいってるの?」
アルには相手が何を言っているのかが理解出来なかった。だがその困惑も当然だといえる。神経質そうな科学者はこう口にしたのだ、”死んでも死なない”と。
それは有り得ない事象。死ねばそれで終わる、当然の事実だ。しかし、アルの脳裏には一つの考えが浮かぶ。死んで生き返る存在はいる。それこそがメメント。
(でもそんなの有り得ない。それにだったら、エヴァンは増々必要ないんじゃ……)
矛盾に満ちた考えが浮かび、即座に打ち消す。もしもメメントを使うのなら、マキニアンを捕らえる等というリスキーな事をする訳もない。なら、一体どういう意味なのか。
「クッハハハハ。どうやら随分困っているようだねぇ。
だがね、心配する事はない。
君はこの記念すべき夜の主賓なのだから、その耳朶でとくと私の計画を聞いてくれたまえよ」
狂気に満ち満ちた笑い声、そして笑みを浮かべるその有り様は例えるならば悪魔。アルの目には、そこにいたのは人であるコトを放棄した、正真正銘、……異形の怪物そのものに見えた。
「クッソっ」
今やエヴァンは舌打ちすら出来ない。そんな暇、隙を見せでもすればそこで終わる。
それ程に敵からの攻撃は苛烈だった。
「は、っっ」
襲いかかる苦痛に顔を歪める。無理もない、あのサイボーグの一撃で肋骨が折れたのだから。
「う、は、」
呼吸が苦しい。無理もない、さっきから休む間もなく動き続けているのだから。
「く、うっ」
徐々に視界がぼやけてきた。無理もない、全身に刻まれた無数の傷口から出血が止まらないのだから。
攻勢に出ようにも相手からの攻勢を躱すので精一杯。これまで数々の戦闘、ひいては修羅場とも云える状況を戦い抜いてきたエヴァンだが、これ程の窮地は数える程しかないだろう。
「つっっ」
弾丸が頬をかすめていく。アルジェントからの銃撃は一向に止まらない。まるで悪趣味な玩具のようなガトリングガンは回転し続け、ひたすら弾丸を吐き出していく。銃撃そのものはエヴァン自身の身体能力に加え、イフリートの炎によって対応は出来るのだが、
「またかよっ」
風を切り、唸りをあげて迫るのは巨大な、まるで岩のような拳。顔面へと向かう一撃をエヴァンは肘で弾いて軌道を逸らす。だが攻撃はそれで終わらない。
「──!」
イゴールは拳に次いで左足を振り抜く。巨体からは想像もつかない速度の蹴りをエヴァンは躱し切れないと判断。両腕を交差させて受け止める。
「ぐ、ぎっ」
メキメキ、とした骨が軋みをあげる音と感覚。強烈な威力であっさりと壁へと吹き飛び、強かに打ちつける。
「う、あ……っ」
そこへトドメとばかりに繰り出される一撃。エヴァンは、意識が途切れそうになるのを、唇を噛み締めて堪える。そしてイフリートを全開。炎で盾を作り出して追撃に対抗せんとする。サイボーグであるイゴールもその燃え盛る炎を危険だと見なしたか、攻撃を中断。後ろへと飛び退く。本来ならば反撃に転じる機会なのだが。
「う、ぐああっっっっっっ」
そこへアルジェントによる銃撃の嵐が襲いかかる。そう、エヴァンがイフリートによる盾を構成したのはイゴールに対してだけではない。あの銀色のメメントからの攻勢を遮るのが主目的だった。圧倒的な高温により、弾丸は炎に接触した瞬間に溶けていく。壁を背にしたのが功を奏したのか、イゴールにせよアルジェントにしろ決定打を繰り出せなくなった。その行動は意図したものではなく、本能的なものだった、というのは相手からすれば腹立たしいに違いないのだが。
(どうやら、これなら大分マシみたいだけど)
実際、攻撃される方向が定まった事で敵からの攻撃にも対応可能になってはいる。
イゴールからの攻撃は確かに強烈だが、躱せない程ではない。一方のアルジェントからの銃撃に関しては銃撃、という性質上あくまでも直線。動き出しさえ間違わなければ問題ない。
イフリートを防御に用いれば両者の攻撃も遮断出来る。
(だが反撃が出来ないぜ)
状況は変わったとは言っても、あくまでも防御の話。自分から打って出る機会がない。
与しやすいのはイゴールだろう。だが、意識をそちらへ向ければもう一方のアルジェントからは隙だらけになる。そうなれば銃撃で蜂の巣にされるのは明白。
「く、ちっ」
しかし防御に徹するにしても壁は何処までも続いてはいない。
実際、壁は既に拳や足形に凹み、銃撃で穴だらけになっている。相当に分厚い壁のようだが、あれだけのようだが、猛撃にどこまで耐えられるかは未知数。
(それに、あのメメントはまだ何かを隠してる気がする)
それは根拠のないただの推測。
これまであの銀色のメメントからは、銃撃以外には単純な殴打しかない。
だが、エヴァンの中で何かおかしい、という考えが少しずつ膨れ上がってくる。
戦いが続くに従い、その予感は大きくなっていく。
そしてその推測は的中する。
「おい、マジかよ────」
唖然とするエヴァンが目にしたのは──。
「君は人間というモノを形成する上で何が一番重要なのか分かるかねぇ?」
「…………どういう意味ですか?」
アルにはその質問の意味が分からない。正確には理解したくない、というのが本音だ。ただ、プロフェッサーが完全に狂っている事だけは理解した。果たして病のせいか、或いはそもそもそうであったのかは分からないものの、彼の中に巣くう狂気はもう手遅れだとも分かる。
「ふむ。どうやら問いかけが抽象的だったか。だが人間とそれ以外の獣との違い、と言い直せば理解出来るだろうか。答えてくれないかねぇ?」
プロフェッサーの目は爛々と輝いているようにも思える。その光が何なのか、見覚えはあるが答えは出ない。
「知能、ですか」
「──そうだ正解だよ。それこそが人類がこの世界の頂点に立てた最大の要因。他にも要因らしきのは存在するだろうが、まずはそこが重要だ。人が人ならしめる要素。他の獣よりも優れた容量を持ったのだから当然ではあるがね。そして、その上で重要なのは知識であり、精神だ。
もしもそれらを移植出来るのだとしたら…………君はどう思うね?」
「!!」
「そうだよ。その顔だよぉぉ。驚きを隠せない表情、疑ってるね? 有り得ないって思っているのが良く分かるいい表情だよ。
確かに精神の移植など有り得ない、そう思えるかも知れない。何せ実例など聞いた事もない。
聞いた事がない、だけでねぇ」
「でも有り得ない……」
プロフェッサーは、満足そうに口元を大きく歪める。
「だがね、実例は存在しているのだよ。この街にはその成功例たる青年がいるのだからね」
アルには知る由もない事だが、その青年の名前はイタチ。レイコとネズミ少年のいるバーの一員にして、塔の街でその悪名を轟かせる最凶の掃除人。
「普通であればだ。多数の人間の精神を流し込まれてしまえばその対象は負荷に耐え切れず死ぬ。当然だ、異物を無理矢理に詰め込まれれば異常を来すのはね。しかしアレは信じ難い事にそれらを統合。その上で自我を維持したのだ。まさに特異な存在だよ。
本来であれば彼を研究したいのだがね、クロイヌなる愚物が邪魔で手を出せないのだ。アレの後見人気取りでね。
だがね、私は天才だ。アレがいなくともかつての研究資料を精査。その上で私の持つ技術を合わせれば成功するという結論が出た。アレを作るに当たってのべ数十万もの生贄を要した様だったが、なぁに私なら失敗などしない。精神、知識などは電子的データなのだ。それを正確に理解し、羅列して、その上でコピー出来れば別の器に移っても問題はない。
失敗の可能性についてはこの街の組織であれば幾らでもモルモットの補充は可能だ。つまりは私に失敗など有り得ないという事だよ」
「……エヴァンに入るつもりなの?」
「ああそうだとも。どうせ移るのであれば強靭な器が望ましい。イタチが本来なら最適なのだが、流石に組織そのものを敵には出来ないからねぇ。妥協点としては合格だよ」
プロフェッサーは愉悦を抑え切れないのか、哄笑する。ブチブチ、と髪をむしるその有り様は誰がどう見ても狂人。理性など喪失したようにも見える。
「さぁさぁ、アルジェント、イゴール。カタを付けたまえっっっっ」
狂人は口から泡を吹くかのようにそう声をあげた。
「クッソ。マジかよっっ」
エヴァンの目が驚愕から、大きく見開かれていく。銀色のメメントの腕がメキメキと不気味な音を立てながら、変化していく。さっきまでのガトリングガンの形状が変わっていき、そこに見えるのは……長大な筒状に変化する。
その見た目の印象は、まるで戦車砲。
「や、っば」
その筒は真っ直ぐにエヴァンへと向けられ、エヴァンの肌は粟立つ。さっきまでとは明白に違う変異した腕から轟音と共に発せられるのは、まさしく戦車砲並みの一撃。直撃すればマキニアンであるエヴァンであってもまず重傷は免れない。逃げようにもイゴールが迫っており、逃げられる方向は完全に制限されていた。
「────ハイジョスル」
不気味な声でそう宣告したアルジェントは変異させた腕から、その一撃を放った────。
(くっそ)
エヴァンは自分が負けると理解。目を閉じ、口を食いしばる。
ガコン、という凄まじい轟音と着弾による振動で船体が揺れる。
破壊によって生じた煙で視界は最悪となり、
「エヴァン──」
アルは絶叫するしかない。
「クッハッハ」
プロフェッサーは己が目的を達した事を理解、愉悦に身を震わせた。
誰もがこの一撃で決着を迎えた、と思った。
「え?」
エヴァンは目蓋を開く。何故自分の身体が無事なのかが分からず、目を細める。
アルジェントの砲身は、何故だか上を向いている。
放たれた砲弾は、エヴァンにではなく、あらぬ方角……天井をぶち抜いていた。
もうもうとした煙が晴れていき、何が起きたのかが明白になる。
この室内の入り口、上部に見えたのは黒。夜の闇よりもなお一層暗い、漆黒がそのまま人の形をしたかのような──。
「何なんだねクロイヌ君」
プロフェッサーの言葉に対して、漆黒、クロイヌはその手にしたあまりにも長大な銃身をした対戦車用狙撃銃の一撃で応じる。
ガアン、という轟音と共に、アルジェントの巨躯が揺らぐ。
「イゴールっっ、エヴァン・ファブレルを確保──」
「──悪いわね」
風のように飛び出すのはレイコ。
「そう上手くいかないわよ」
サイボーグの手がエヴァンに届こうかというほんの一瞬前に、彼女の手は届く。
「っしゃあああああ」
威勢のいい声を上げ、レイコは自身の上半身を捻る。するとその勢いにイゴールの巨体が引っ張られ、前へ投げ出される。
「え、あれ?」
思わず呆然とするエヴァン。目の前の光景がにわかには信じられなかった。
そしてそれは、
「な、イゴール?」
プロフェッサーとて同じ。彼をして一体どうしてこうなったのかが分からない。
「馬鹿な、如何に防人の異名を持っているからとて、イゴールは人外といっていい存在なのだよ? それをマキニアンではない、単なる凡俗の、ましてや女に投げ飛ばされるなど有り得ない」
ワナワナ、と身を震わせ、髪の毛をかきむしる。そうして、目に殺意を込めて叫ぶ。
「アルジェントっっっっ、凡俗共を殺せっっっ」
「リョウカイ」
銀色のメメントはその砲身をクロイヌへ向けるや即座に攻撃。
クロイヌはその場から飛び降り、砲撃を回避。爆発の余波で船体が再び揺れる中で、
「くだらんな」
漆黒の男はその銃口を向けると迷わずに発砲。反動で身体が壁に激突するも、構わず再度発砲。アルジェントの巨体が着弾毎に大きく傾き、態勢を崩していく。
「す、すげぇ」
エヴァンは息を呑む。クロイヌの正確無比な射撃もまた尋常ではない。あの大口径の銃の反動の影響をものともせず、確実に銀色のメメントへと命中させる腕前はただ事ではない。
「今だ」
「お、おう」
クロイヌの声にエヴァンも動く。イフリートに炎をまとわせ、アルジェントへと放つ。狙うのは敵の胸部、丁度着弾で大きく凹んだ大穴。そこだけは銀色ではなく、肌らしきものが露出していた。
「あ、ああああああっっっっ」
拳は狙い違わずに命中、その上で炎はメメントへと襲いかかる。
「────グギュウウウウ嗚呼吁嗚嗟蛙あ」
まさしく絶叫が場を包む。アルジェントの全身が燃えていく。鉄壁を誇った銀色のクロセストも、内部から燃えては耐えられないのか、ブスブス、と異臭を漂わせていく。
そうして、様相は一変。銀色のクロセストはまるで生き物であるかのように縮んでいき、同時に剥き出しとなった巨大な体躯の男らしきものが露わとなる。
「何だコレ?」
エヴァンは思わず唖然とする。無理もない、目の前にいたのは、あのサイボーグと瓜二つの顔をした大男だったのだから。
◆
「ワルイけど、さっさと片付けるわね」
尋常ならざる速度で彼女が向かうはイゴール。大人と子供、という表現すらも陳腐に見える体格差を目にすれば誰もが思うに違いない。こんなのは勝負にもならない、と。
そも、格闘技、武術、言い方は色々あるものの、闘争、という行為をするに当たって絶対的な事実が存在する。
それは体格の差。身長が大きければそれだけ間合いは大きく、重量が大きければそれだけ一撃の重さは増していく。だからこそ幾つかの格闘技、武術系スポーツの試合でも予め体重別で分類するのだ。誰もが心の奥底で理解している。大きければそれだけで強い、と。
イゴールはそれを体現する存在だった。旧共産国家が大戦時に研究した遺伝子操作を施された兵士、その血を継ぐ子供が”彼ら”だった。
皮肉な事に大戦中には上手くいかなかった研究は、代を経る事で結実したのだ。
だが、既に戦争は終結。既存の国家権力は著しく衰退し、彼らの異様は恐怖しか与えない。
国を追われ、各地を巡ったその挙げ句、ようやく拾われたのがこの九頭龍、ひいてはプロフェッサーと呼ばれる科学者だった。
「君たちは素晴らしい可能性を秘めている。それに気付けない凡俗共の愚かな事よ」
彼は彼らを拾い、その力量を認め、そして仕事をくれた。生きる価値をくれた。
だからこそ、耐えられた。自分の身体を徐々に機械にされるのにも、得体の知れない怪物との実験にも。全ては自分達を勝手に作っておいて放り出したモノへの怒りから。理不尽にはより強い理不尽で、という彼らの考えから。
事実、イゴールはその力を十二分に発揮した。
圧倒的な体格、そして機械化され、最早人の枠を凌駕した彼の前では、誰もが鎧袖一触。
一撃で誰もが屠られていく。全ては恩人の為に。もはや自我すら乏しくなって久しいが、それでも彼が従う理由であった。
「うん。アンタが普通じゃないってのは分かったわ」
レイコは目前へと迫る脅威を、冷静に受け流していく。
「でもね──残念」
反射神経、運動神経などの身体能力が優れているのは確かだが、彼女はあくまでも一般人だ。エヴァンのような強化された存在ではないし、当然ながらイゴールのように義体化されてもいない。ならば何故、あくまでも一般人である彼女がこの場で、イゴールを圧倒出来るのか? 理由は彼女にとって自分よりも強い存在などはいつもの事。見慣れた事だから。彼女の日常とは、自分より強い存在との日々。日に日に強くなっていく弟同然の青年。今現在、一度も手合わせで負けた事こそないものの、常にギリギリ。紙一重でしかない。
(こんなのはただ早いだけ。ただ強い、それだけ)
如何に圧倒的な力を持っていようとも、レイコの前ではそれは通用しない。
丸太、いや斧のような威力を持った腕を受け流し、槍のような蹴りをさらりと躱し、それだけではなく反撃まで返してくる。
強烈なストレートを肩で弾くように受け流す。そのまま前へ踏み込み──腰を捻り、回転を加えた肘をカウンターで決める。
「く、ぐあああああああ」
イゴールは吠えた。脳内物質の異常分泌により痛覚など既に失っている。
だが理解している。今の一撃で強化された骨格が粉砕されたのだと。それは信じ難い程に低い確率。万に一つの可能性の出来事。しかし厳然たる事実。
イゴールは理解した。
今まさに、目の前へと迫る女性を彼は明確に脅威、敵だと定めた。
既に自我など雨散して久しかった。今の彼にとっては自分の価値を認めたプロフェッサーこそが絶対であった。だと言うのに。イゴールは自我を取り戻した。
明確に目の前の脅威を排除しなくてはならない。その為に必要な選択肢は──。
全体重を、己の全てを用いての体当たり。先程からの攻防で片手片足はすでに使い物にならず、強化骨格まで砕かれた彼に残された最大にして単純、原始的な攻撃。
圧倒的な質量の衝突を前に、小細工は通じない。さっきまでのように掴もうとすれば腕を砕く。肩で受け流しても同じ。足を払おうとすればそのまま吹き飛ばす。
「へぇ、いいじゃない。さっきまでとは違って、ちゃんと殺気も出せるんだ」
しかし彼女の表情は不敵そのものだった。確かに尋常ならざる攻撃だった。受けを間違えればそれで終わり、分の悪い勝負だと云える。
されどそれだけの事だった。レイコは何を思ったか後ろへ飛ぶ。しかし逃げ場はない。すぐ後ろは壁。逃げ場などそこにはない。ほんの一瞬、一秒にも満たない時間を延命しただけの、一見すれば悪手としか思えない行動。
そして決着は付く。
ゴガン、という金属のひしゃげた音が響く。鉄製の壁が大きく凹む。そしてその中心にいるのは全身を義体化させたサイボーグの巨体。
「──が」
小さい呻き声をあげ、失神していた。イゴールは壁に頭をめり込ませていた。無論、本人の意図した行動ではない。
「悪いわね──」
レイコはイゴールの背後にいた。直撃寸前、彼女が取った行動は下へ潜り込む事だった。イゴールの攻撃だが、彼女には隙だらけだった。確かに受ければ死ぬ。しかしそれだけの事。真っ正面から受けなければ問題ない。そう一瞬で彼女は判断した。イゴールは確かに強靭だったろう。その守りも強固で、普通の手段にて後の先を取るのは難しかったに違いない。
だが、彼の身体は巨体にすぎた。それこそレイコが身を屈めれば、咄嗟に滑り込めば股下を抜ける位に。潜り抜ければ、後は隙だらけの膝裏を肘で打ち、足を刈り、態勢を崩す。その上で壁に衝突した直後──無防備の後頭部を壁へ叩き付けた。イゴールは確かに強靭だった。だがあくまでも強靭なのは外部であって、内部は、正確には脳などは常人。不意を突かれ、無防備な状態で強い振動を受ければ失神する。
「アンタ素直すぎるのよ、攻撃とかが。あの馬鹿とは違ってね」
かくて息を切らず事もなく、彼女は勝負を決めた。
彼女はレイコ。またの名を”防人”或いは”守護者”と呼ばれ、様々な怪物、傑物の群がる街に於いて常人でありながら、九頭龍最強と目される女侠。
◆
「な、馬鹿な?」
プロフェッサーの声にはこれまでなかった困惑が入り混じっている。
ついぞ今の今まで彼は己が目的の達成を、勝利を全く疑っていなかった。予定通りにエヴァンをここにおびき寄せ、予定通りにアルジェントとイゴールによる挟撃で確保。あとは足止めさせた厄介者のクロイヌを彼に反感を抱く九頭龍の力で止める。防人ことレイコだけはそれでも向かって来るやも知れないが、そうなればアルジェントやイゴールで殺せばいいだけ。全て滞りなく終わるはず、だった。
「お前達……何をしているかっっっ」
それがどうした事であろうか。
イゴールはレイコの前に倒れ、アルジェントまでもが炎に包まれ炎上している。
(あり得ん、有り得ない)
全ての目算が崩れ、今やこの場に残されたのは自分だけ。
ふるふる、とその身を震わせ、この事態をどう乗り越えるべきかを考える。
「…………」
アルは冷静に第三者としてこの状況を理解しようと試みていた。
とは言え、彼女にはこの街の権力闘争や利権は理解出来ない。所詮、自分は余所者だから。
だからこそ、却って冷静に客観的に事態を見れたのかも知れない。
プロフェッサーに人質にされ、エヴァンの窮地を目の当たりにした。
目の前で愛する人が危機に瀕するのを、耐えた。全てはこの状況を打開する為に。
(確認するのは一つだけ……)
アルが人質になっている最大の理由は下手に動けば、展開されている電磁フィールドによって死んでしまうから。
(でも、本当に機能しているの?)
デモンストレーションこそ見せられたものの、機能するのを目にしたのはその一度のみ。
確かに機能しているのであれば脅威でしかない。
だからこそ、アルは確認を取るべく機会を伺っていた。その靴の下、そこにある小石。
プロフェッサーの注意が自分やエヴァンから、逸れつつある今こそがその時。
コツンと小石を蹴り出す。狙うのは直線、最短距離。
「────」
そしてプロフェッサーの注意が自分から外れた瞬間、アルは動いた。不意に姿勢を崩して、後ろへと身を倒す。
「む、っっ」
プロフェッサーの腕が、身体が勢いに負け、泳いだ瞬間。アルは科学者の膝裏を足で蹴って姿勢を崩す。その上で今度は身体を前へ戻し、全体重をかけてプロフェッサーを前へ押し出す。
「なにっ」
決して肉体派ではないアルではあったが、先日のアトランヴィルで起きた事件を機に自分の身を守る必要性を実感。そして彼女はエヴァンにとっての仲間であり、姉貴分でもあるドミニクに師事を受け、軽い護身術を学んでいた。
まさにプロフェッサーにとっては予想外。無力な人物であると情報を受けていたからこその油断だった。
「…………やっぱり」
「うぬう」
そして結果はハッキリした。予想通りに電磁フィールドは作動しなかった。何故なら、プロフェッサーの立つ場所はさっきのデモンストレーションの場所だったのだから。
「事情は知らんが、どうやら形勢逆転のようだな」
クロイヌは淡々と、冷徹な声音でプロフェッサーへと迫る。
「く、来るな来るな。来るなっっっっ」
神経質な科学者は口から泡を吹き、憎しみを込めた視線をクロイヌへ向ける。
「有り得ないんだよぉ。たかがアンチマテリアルライフル如きに撃ち抜かれるなど……」
計算は万全であった。あの銀色のクロセストの本来の用途は鎧。基本的には対クロセスト、つまりはマキニアンとの対決を想定したかたこその特注品。まるで意思を持っているかのような変化は、ナノマシンに自己防御を意識させる事で達成した。九頭龍を支配する塔の組織にはそういった軍事機密、それすら超える先端技術が集まっており、だからこそプロフェッサーはここに身を寄せたのだ。
「有り得ない、か。そういう言葉は九頭龍では通じない。お前が勿体ぶって提供した技術も既に解析は終わっている。鵺、だかメメントだかの研究も然りだ。知らないとでも思っていたか? 塔の住人共を侮りすぎだな。残念ながら連中は真性の化け物だ」
クロイヌは淡々と言葉を紡ぐ。対してプロフェッサー、の表情は見る見る赤くなっていく。
「メメントの研究、……何を言っているのだね?」
元より神経質ではあったが、さっきのクロイヌの言葉だけは聞き流せない。青筋をピクリと震わせながら、努めて冷静に考えをまとめようと試みる。
「メメントはここでは見つからん。それこそ──────はっ」
そこで言葉に詰まる。ある可能性に行き当たってしまったから。
クロイヌへ視線を向ける。漆黒の男もそれに気付くが、何の感慨もないらしく、表情は全く変化しない。
「分かったようだな。何も向こう側と取引してたのはお前だけじゃない」
「…………」
それはプロフェッサーにとって決定的な言葉だった。呪詛、と言ってもいいのかも知れない。
この街、九頭龍を支配する存在はあらゆるモノに関心を持っていると聞く。それこそ軍事機密から、庶民の娯楽に至るまで、このような閉じた世界の中であらゆる知識を集めていると聞く。
(そう、そうであれば連中がメメント、という異形に関心を抱かないはずがないのだ)
プロフェッサーは愕然とするしかない。
自分がもたらした、そう思っていた幾つものメメント研究に於ける理論や技術を、この街は既に把握していたのだ。
(その上で、私独自の研究をも知る為、だと?)
もう、その目はクロイヌを見てはいない。彼は知ってしまった。自分が利用していたつもりが、最初から徹頭徹尾──相手の手の平で踊っていたのだと。
「とんだ道化だった訳か…………」
「ああ、その通りだ。だがこの事態そのものは連中の関知する所ではない」
「……なに?」
「塔の住人はお前の研究の成果を知りたい。だからこそ、敢えて研究を進めさせた。お前が目的を達するのを見物するつもりなのさ」
「興味深い話だ。つまり、君は組織に刃向かうとでも?」
「生憎俺はこの件について一切説明を受けてはいない。ただ縄張りを荒らされた落とし前を付けに来た。それだけの事だ」
「く、くっく。はっははははは」
もはや、プロフェッサーは笑うしかなかった。自分など、塔の住人のみならず目の前にいる漆黒の男から見れば、単に盤上の駒でしかない。
「研究、…………いいだろう。見せてやろう」
うわごとのようにブツブツと何事かを呟き、プロフェッサーはニタリと口元を歪ませる。
「君に、アルジェントの──」
研究者は奥歯に仕込んでいたスイッチを入れる。
それは緊急用に用意した──イゴールと瓜二つの大男から分離した銀色のクロセストの起動スイッチ。そう、いざという時に自身を保護する為に作り出した最強の鎧。
銀色は一瞬でプロフェッサーを覆い、包み込んでいく。
「真の性能を見せてやるとも──」
この銀色はそもそも彼が自分を狙う追っ手から守る為の鎧。あのメメントに与えたのはあくまでもエヴァンを確保する為、そして万が一の暴走を封じる為でしかない。
「私を侮った事を後悔するがいい九頭龍っっっっ」
瞬時に銀色は本来の姿、主へと戻った。こうなればもう誰も恐れない。必要もない。
あの人間をベースとしたメメントに用いたような調整も不要。無能なものなど、役にも立たないものなど不要。
(まずはお前だ九頭龍の一角。その生意気な顔を歪ませてやる)
元軍人だろうが関係ない。擬似的にせよ今の自分は超人と言い換えてもいい。負ける要素などない。
だと言うのに。標的たるクロイヌは何の構えもしない。ほんの二十メートル。たったそれだけの距離しか空いていないのに、平然とした様子で紫煙を吐き出している。
「貴様、私を愚弄するつもりかねっっ」
「必要ない。その鎧はもう役に立たん」
「なに? 馬鹿を……」
そう言いかけて異変に気付く。呼吸が苦しい。息が詰まる。
「な、んだこれ、は?」
目の前がグルグルと回り、その場に倒れ込みそうになるのを何とかこらえる。
「効果が出たな。そのクロセストはもう正常には機能しない。ナノマシンによって改変したからな。言ったはずだ、お前の研究はおおよそ解析完了している、と。無論、ご自慢の鎧も然りという訳だ」
「ば、」
薄れていく意識の中で考える。ナノマシンを一体、いつ、と。結論はすぐに出た。
(あのアンチマテリアルライフルか────)
そうとしか思えなかった。何故、手ずから改良した銀色がああも容易く破られたのか? それ
は、あの弾丸自体に仕掛けられたナノマシンによる効果なのだと。
「かっは……」
酸素が足りない。呼吸するにはアルジェントを外すしかない。なのに、外れない。考える事すら億劫となり、倒れ込むその視線に移ったのは…………奔流となった肉塊。正確には銀色の枷が外れたメメントの暴走する姿だった。