Part5
「……まぁ落ち着きたまえ。我々の計画には一切の支障もないのだからね」
男は穏やかな口調で電話越しの相手を諭す事に務める。
──落ち着けだと。何を言ってるんだあんたは! これが落ち着いてられるか!!
電話相手は一層その怒気を強めたらしく、その言葉の端々からは苛立ちがにじみ出ている。
顔を見ずとも、抱いている感情が一目瞭然なその相手の名前は″ロイ・ヴィアネット″。エヴァンの暮らすアトランヴィルシティを始めとする大陸で影響力を持つ組織の幹部の一人。先日その亡くなった父親の地位を受け継いだばかりの人物である。
──◆☆♪◯◇♦■@&!
男は口や表情でこそうんうん、と相槌を打ち聞いているかのような所作を見せるが、実際にはヴィアネットの言葉を半ば受け流している。男、つまりは通称″プロフェッサー″にとってこの年若き組織の幹部は先代、つまりは目の前の青年の父親であるフランクリンよりもずっといい″商談相手″だ。何せ程よく話を聞いて、頷いてやり、たまに同意すればそれで扱える相手なのだから。
──おい聞いているのか!
「ああ、勿論だともヴィアネット君。少しばかりの計算違いは物事を推し進める上では充分に起こり得る事。それに、だよ。それくらいの些事などはねのける事など君ならば容易い事ではないのかねぇ?」
──く、ば、バカにするな。当然じゃないか。俺はロイ・ヴィアネットだぞ。研究者風情が侮るなよ。
「結構結構、ならば何の問題もない。君は自身の栄達を、私は研究を。互いの領分へ取り組む為に最大限の努力をしようじゃないか」
──ふん、せいぜい上手く立ち回る事だな。ではな。
プツン、モニターが落ち、通話は途切れる。
「ふう、やれやれ。まるで子供の面倒をみている気分だよ。せいぜい上手くやる事だな、坊や」
マグカップに緑茶を注ぐと口にする。しばし沈黙した後にプロフェッサーは肩を回し、いつの間にかズレた眼鏡を整えると椅子から立ち上がる。
ギシリ、とした軋む音はこの研究者が如何にこの椅子を使い込んでいるかの証左。
ここは彼の私室。誰の出入りも許さない空間。狭い室内には簡素なベッドと所狭しと置かれた諸々の書籍。そして一際目を引くのは一見するとこの狭い空間には不釣り合いなホワイトボード。そこには多数のメモ書きが貼られ、そして公式が書き込まれている。半ば暗号と化したそのボードの中で判別出来るのは
”人格転移”の可能性という題字に”人格統合実験の功罪”という走り書き。
そしてボードの中心には一枚の写真が貼られている。
「もうすぐ刻限か。何はともあれ私の望みが叶うまでもう少しだ」
壁の時計に目をやり、くっく、と喉を鳴らすような笑い声をあげる。
「さぁ、来るといいエヴァン・ファブレル君」
そう、写真に写っていたのはエヴァンであった。
◆◆◆
「うわっっ」「きゃああああ」「逃げろっっっ」
粉々になったガラス片と立ち込める煙の中。
「つ、っっ…………」
朦朧とした意識の中エヴァンが耳にしたのはでまず聞こえたのは外から悲鳴。相当の混乱が起きたらしい。
(今のは一体何だ? 反応はあった。間違いなくメメントが襲ってきたはずだ。だってのに、)
だが今のエヴァンの脳内に浮かんでいたのは困惑。
察知した気配は間違いなくアトランヴィルで幾度となく遭遇し、倒してきた異形のソレ。
それは彼がメメントという存在を狩る為の植え付けられた云わば”本能”である
だが今の攻撃はおかしい。何かが違う。
エヴァンは室内の様子を伺う。
粉砕された窓からは風が入り、カーテンを揺らす。
次いで壁に目をやると、そこには無数の穴が穿かれている。決定的だったのは自身の足元に転がっている円筒状の金属だった。
「おい、何で弾丸が転がってるんだ──」
「バカ、声を出さないで!」
「え、?」
レイコが煙の向こうから姿を見せると、さっきとは逆にエヴァンを押し倒す。そして丁度エヴァンがいた場所を凄まじい銃撃が襲いかかる。
「え、ちょ」「いいから静かに!」
女性に押し倒された事など今まで、少なくとも一般人には一度もない。軽そうな見た目とは裏腹に純情な金髪ピアスの青年は今が非常時だとは理解していても顔が赤くなるのを押さえられない。
「銃撃が止まった?」
レイコの言葉で我に返ったエヴァンは起き上がって外を見る。銃撃に伴う煙は消えていきその目に入ったのは──。
「な、んだコイツ?」
エヴァンは思わず目を剥く。
宙に浮くのは銀色に覆われたモノだった。全身が銀色に輝かせる人型の何か。大きさはおよそ二メートルはあろうか。宙に浮いているのはどうやら何かの装置なのか淡い炎を吹き上げている。
何よりも目を引いたのはその腕に装着されている異様な武器。円状に銃口らしきモノが無数に取り付けられたそれがキュルキュルという音を立てながらゆっくりと回転している。一番近しい表現としては回転式機関銃といった所だろう。
不意に銀色のモノとエヴァンの目が交差した。
その瞬間彼には理解できた。目の前にいるモノは間違いなくメメントである、と。
見間違えるはずがない。生気を失ったその目の色を。間違いなく死んだモノの目であった。
「…………宇、ああああああああああ亜」
銀色のメメントは不協和音そのものと言える咆哮を上げながらあの異様な銃器を向けてくる。
さっきまでゆっくりとしていた回転速度が一気に上がっていく。
「まずい、逃げるわよエヴァン君」
状況を察したレイコが撤退を決めたその時である。
「え、?」
レイコはその場に立ち尽くす。
エヴァンの身体に変化が生じた。
シャツの袖をまくって突き出された右腕の表面が金属へと変化、さらに装甲化して覆っていくのがレイコの目にはハッキリと見えた。
これこそがエヴァン・ファブレルの秘密。
その技術は”細胞装置”と呼ばれる。
かつてエヴァンが所属していた軍の対メメント特務機関である”イーデル”において研究及びに導入されたメメント殲滅の切り札と目された戦闘部隊”SALUT”の強化人間のみが持つ機構であり能力である。
通称”マキニアン”と呼ばれた彼ら強化人間の特徴であるナノギアはメメントに対抗出来得る”クロセスト”と呼ばれる武器の素材となる”クリミコン”によって構成されており、彼らマキニアンは細胞レベルでの融合によってその全身そのものがクロセストともいわれる。
そしてマキニアンのナノギアの種類はそれぞれ固有であり、エヴァンの場合はその腕に宿っているグローブ状の武器或いは鉄甲とでも云える代物。炎を巻き上げるそれの名称は”イフリート”と呼ばれる。
「しゃあああああ」
声をあげながらエヴァンは銃撃へと向かう。左右に発現させたイフリートは緋色の炎を放ちつつ、襲いかかる銃弾の雨を払いのけていく。
信じ難い事にエヴァンの身体は銃弾を受けても怯まない。
これはナノギアによる副産物。全身がクロセストと化したマキニアンは自身の肉体を硬化したり、またはワイヤーに変えたりと操作する事が可能なのだ。
「きかねぇよっっっ」
向かってくる銃弾を左右のイフリートが弾き溶かす。相手は宙に浮いている格好だがエヴァンには問題ない。
マキニアンである彼がそのスペックを発揮した今、この程度は気にもならない。
躊躇する事なく窓から飛び出し、燃える拳を叩き込む。勢いのついた右拳は相手を打ち抜くはず、だったのだが。
「なぬっ?」
エヴァンの拳は銀色のメメントの手で受け止められていた。
ならば、と蹴りを放つもメメントはビクともしない。
彼の知る限り、クロセストを受け止めるメメント、など今まで聞いた事も見た事もない。
だがすぐに理由は理解した。相手からのその手応え、感覚には覚えがあったからだ。
「うわっっ」
エヴァンはメメントに軽々と投げ飛ばされ、室内へと戻される。壁に着地して叩き付けられるのを防ぐもジンジンとした衝撃を覚える。
「こんのヤロウ、まさかクロセストを着けてやがるのか?」
憎々しげに銀色の敵へ無駄とは分かっていても問いかける。
そうエヴァンが感じた手応えは自分の全身から発するのと同様であった。
信じられない事にメメントがクロセストを装着している。だからこそイフリートをも受け止める事も可能だったのだが、本来であればメメントにとってクロセストは自分の存在を消しうる天敵のような存在。そんなモノを一体どうやって装着しているのか全く分からない。
『ハハハ、流石はマキニアンだね。エヴァン・ファブレル』
「なに、」
有り得ない事に声がメメントから聞こえた。それは理性的でこそあれ、神経を逆撫でするような粘着質な声。まるで蛇が餌である蛙を前に「大丈夫だよ」と舌なめずりしながら言っているかのような声。
『そんなに驚かないでくれたまえ。これは鵺が話しているわけではない。単に私の音声を中継しているだけだからね』
「お前は一体誰だ……?」
とそこで、ドン、という轟音が轟く。いつの間にかエヴァンの横にクロイヌがいて、その左手にあった大型拳銃がその音を放ったのだ。
更に少なく見積もっても五十口径は優にあろうかというその拳銃をクロイヌは右手にも一丁持っており、そのまま左右の拳銃が火を吹く。
だがメメントは全く動じない。距離にして五メートルという至近距離で二丁の銃撃を受けてもその銀色の装甲には何の傷も付かない。
「ち、……無駄か」
『おやおやこれはこれは九頭龍が一人クロイヌ殿ではありませんか。ああ、ここはあなたのビルでしたねぇ。これは誠に申し訳ない』
声の主はおどけるように言ってのける。
「ふん、模様替えを検討していた所だ。それで何のつもりだ【プロフェッサー】?」
「プロフェッサー?」
エヴァンの問いかけにクロイヌは答えずに眼光を鋭くする。
「丁度いい機会だ。教えてもらおうか、今回の一件をどうするつもりなのかをな」『さて、どうとは?』
「元イーデルの研究者だったお前が裏で向こうとのコネクションを構築していたのは以前から分かっていた。
だが今回は話が別だ。メメントを密輸させ、それを改造して鵺と名付けまた向こうへと送り返す。おまけにイノハヤなるクロセストの模造品まで作ったそうだな」
「え、今何て……」
クロイヌの話の一つ一つがエヴァンには衝撃的だった。この謎のメメントだけでも驚きだったのに、元イーデルの研究者やメメントを改造などという話まで飛び出したのだ。
『さぁて、私はあくまでもクライアントからの要望に応えたまでですがねぇ』
プロフェッサーの返答からは一切悪びれる事もなく、それがどうした? とでも言わんばかりに平然とした響きである。
「つまりはお前はメメントを入れる事でどれだけの損失を街が被るのかを度外視している、そういう認識で構わないのだな?」
『多少の損害は生じるかも知れませんがそれはあくまでも一時的なモノです。考えてみるといい。鵺の量産態勢が整えば世界中の闇市場を席巻するのも容易いのだよ? それは莫大な富をこの街にもたらすのだ。その為には少々の犠牲くらいは構わないではないかねぇ。
他にもやり方ならある。例えば世界中に鵺を放って……好きにさせる』
「で、鵺が猛威を振るって誰もが絶望した時に満を持して【イノハヤ】という対抗手段が出回る、か。まさしくマッチポンプ。新種のウィルスとワクチンのような話だな」
『何とでも仰有るといい。私には後ろ盾もある。デモンストレーションも見せた事だし、そろそろ本題に入らせてもらいましょうか』
と、メメントを覆う銀色の外装が変化していき、目の前にはあっという間にモニターが生成される。
そこに映るのは眼鏡をかけた長髪の神経質そうな壮年の男。
『エヴァン・ファブレル君。私の元へ来てもらえないか。私にはマキニアン、その中でも君というユニークな個体が必要なのだ』
「──やなこった」
『はっは、即答かね。随分と嫌われたモノだよ』
「ハッキリ言うぜ。俺はあんたが嫌いだ。それにあんたが何を考えようが知った事じゃねぇ」
『素直だねぇ。だがね、そんな事を言えるのもここまでだよ、見たまえ』
モニターの画面が切り替わる。
どうやら場所そのものが違うのか映るのは外の、見覚えのある風景。
「え、ここって……」
エヴァンが画面に食い入り、そして気付く。ここはさっき目の当たりにした、裏通りじゃなかったか、と。
「何よコレ──」
画面を見てレイコの表情が強張る。もうエヴァンにも分かった。この風景が何なのかを。そしてこの後に見える場所も。
窓の外からも、何かが起きた事が分かる。
『さ、このバーはどちらのお店かねぇ』
まとわりつくような、神経質そうな声は弾んでいる。
そこに映ったのは、白煙をあげ、半ば倒壊したレイコのバーであった。
「てんめぇーーーーーーーーーッッ」
エヴァンが叫ぶ。まさに腸が煮えくり返る思いだった。
その表情にはいつもの楽天家の面影はない。朗らかな笑顔とは真逆の憤怒に満ちた表情を浮かべている。そして思う。こんなにも怒りに身を震わせた経験は今まで一度だってあっただろうか、と。
そうした上でプロフェッサーは問いかけた。
『──────さて、君達は今どこにいるべきなのかねぇ?』
◆
結論としてレイコさんのバーはあの映像同様の有り様だった。
この店だけど周囲の他の家やらビルや店舗などと比べても決して建物自体の耐久性に問題はなかったし、むしろそれよりもしっかりしたモノにすら思えた。内装やら何やら全部が俺が働いてるあの店よりもずうっと金がかかってた。
それが無残にも崩れ去っていた。まるでここだけピンポイントで地震が起きて建物が倒壊したかのように。そんなの有り得ないってのに。
警察やら救急車に消防車やら多くの人が集まっていた。
警察官はオーナーであるレイコさんから事情を聞きたかったらしいのだが、クロイヌがそれを遮る。
どうやらクロイヌ、いや、九頭龍っていうのは本当にこの街を牛耳っているのだろう、警察官はそれ以上何も言わなくなっちまった。
ガラガラ、とした音がして視線を向ける。
担架で運ばれるのは、あの赤髪の少年、ネズミだ。
全身ボロボロで担架からはみ出た手足が不自然にプラプラしている事から骨が折れているらしい。
「おい大丈夫か!」
「え、エヴァンさん、すみません……守れなかった、です」
「馬鹿、お前は良くやったよ。だって、」
そう、事のあらましは近所の連中から警察が聞いていた。
丁度クロイヌのビルが攻撃させたのと同じタイミングでここも攻撃されたらしい。
いきなりドアが吹き飛ばされ、黒いコートに身を包んだ大男が店に突入。数十秒後に店の壁を突き破ったその大男は一人の女性を抱え込みそのまま近くの車へ乗り込んで去ったのだそう。
そうして静まり返った店内にはズタボロにされたネズミ少年だけが残されたのだそう。
救急車が走り出す。
俺は拳を握り締め、自分の無力を痛感する。
何も出来なかった。俺はまたアルを守れなかった。
「くっそっっっ」
転がっていたゴミ箱を思い切り蹴り飛ばす。中のモノがぶちまけられたがそんなの知るか。それからバーの辛うじて残った壁に幾度も頭突きをする。血が滲んでいるみたいだが知るかよ。
「くそったれッッ」
叫ぶ俺はさらに壁へ向かおうとして、不意に後ろへ転がされる。
「……その位でやめときな」
レイコさんの言葉を受け、我に返る。
そうか、今この場で一番怒りを抱いているのはこの人なのだって分かった。
まだ出会ってほんの少しだけど分かる。この店はこの人にとって本当に大事なモノなんだって。単なる仕事をするだけの場所、じゃなくてもっと深い何かなんだって。
レイコさんはフゥ、と一息つくと俺の方へ振り向く。
「エヴァン君、君が怒るのは当然だと思うわ。でも、心配はいらないアルちゃんは無事だから」
「まぁそうだろう。そのアルという恋人はあくまでもエヴァン・ファブレルを釣る為の大事な餌だ。粗略に扱ったりはしない」
「クロイヌ、もっと言い方があるでしょ」
「…………」
二人の言い争いを聞きながら俺は少しでも冷静になるように努める。そうだ、アルは無事だ。あのプロフェッサーって奴の狙いはマキニアン、俺なんだから。
「それでだ、俺はこれから出かける。仕事だからな」
「ちょ、アンタこの状況分かってるワケ?」
「ああゴミ掃除だ。俺の庭を汚した奴に落とし前をつけてもらわねばな」
「クロイヌ、じゃ……」
「エヴァン・ファブレル、お前に頼みがある。プロフェッサーを倒すのを手伝ってはもらえないか?
あの銀色の鵺、俺の知る限り、あれの対処が可能なのは今はお前しかいない」
その言葉に俺は顔を上げる。
全てを黒く染め上げた男の手袋をはめた手が目の前に差し出されている。
「……どうだ? 手を貸してくれるか」
答えは決まってる。そんなの当たり前じゃないか。
「ああ、俺を連れて行ってくれ。アルのいる場所まで」
俺は躊躇なくその手を取った。