第5話「PM01:45」
チーンと妙に心地よい鐘の音が響いて、僕ら3人を乗せたエレベーターが開き、
涼しい空気が箱の中に流れ込んできた。
僕らに用意された部屋がある階は他に人がいないのか、閑散としていた。
「……これって、橙吾の仕業?」
「さぁ、どうだろうな?」
橙吾のほくそ笑んでいる様子は、その問いに答えているようなものだった。
僕と翠は、今日、何度目か分からない苦笑いを浮かべ合った。
「じゃあ、早速、向かいましょう。もうかなり時間、過ぎているみたいだし」
少し息を吐いて、しんとした廊下に、翠は自分のヒールの足音を響かせる。
僕らも翠に続いて、LEDで照らされている廊下を進んだ。
明るい廊下を進み、403の部屋の扉の前に着いた。
一人一人、扉の前にカードキーをカードリーダー部に翳し、
僕らは部屋へと入室していった。
部屋に入ると、前回と同様に、ラウンド型の机が中央に位置し、
その周りには、ハイバックタイプのワークチェアで囲まれている。
部屋の隅には、コーヒーメーカーと紅茶のパックなども完備してある。
どうも、先客がいたらしい。
既に1人、メタリックなSGをかけた人が席に着いていた。
その人の手の動きからして……ゲームかな?
何かしらのソフトを起動しているのだろう。
気づかないのか、こちらの方を全く見向きもしない。
以前、一緒の班ではなかった、初めて出会う人だ。
ドアが閉まった音か人の気配で、ようやくその人物もこちらに気づいた。
黒髪の間から覗く鋭い眼光を放っていた。
SGを外してより露となったその目は、とてもとても___
「ふわぁ……」
___とても、眠そうな目だった。
その目下には、少し青みがかかっているクマが多少あった。
目尻には、欠伸から誘引された涙が光っていた。
どうやら先ほどの眼光は、この涙が際立っていたみたいだ。
「誰も来ないから、今日の講義はナシになったのかと思ってたっすよ~」
あ、女の子なのか。服装もボーイッシュなもので、ショートヘアー。
外見からは少し分からなかった中性的な顔立ち。
けれど、声は女の子特有の丸みのある声だった。
彼女は、むくりと席を立ち上がった。
思った以上に小柄な彼女は、こちらに手を差し出していた。
「ワタシの名前は、佐藤 しくろっす。
今日だけかも知れないけど、よろしくっす~」
「しくろ? どう書くの?」
僕は、パッとは思いつかなかったので、問いかけてみた。
「白黒と書いて、白黒って読むっすよ~。
だから、友達からは、普通にシクロとも呼ばれてるし、
シロちゃん、クロちゃんとも呼ばれてるから自由に呼んで欲しいっす」
「珍しい名前だな~。俺は生島 橙吾。普通に下の名前で呼んでくれ」
僕たちの3人の中で、一番コミュニケーション能力が高い橙吾が、
白黒の差し出された手を握る。
「で。あっちの男子が松山 陽葵。そっちの女子は、本田 翠」
「ん、あれ? 本田、翠……? どっかで聞いたことあるような……?」
「もしかして、佐藤さんって、プログラミングされてない……?」
「え、あぁ、そうっすけど……?」
「もしかして、ホンダグラスのプログラマーの佐藤 白黒さん?」
「……あっ!? もしかして、本田正さんの娘さんっすか!?
あぁ~、どおりで、聞いたことある苗字だなぁ、と」
翠はおじさんの名前を出されたから、少しだけ顔を曇らせたが、
すぐに切り替えたようで、和気藹々としている。
どうやら、二人は名前だけは知っているようだ。
「え、ちょっと待って? ホンダグラスのプログラマーっていうことは、
ホンダグラスのシステム組んだのって、シクロなの……?」
「あぁ、はい。そうっすよ~」
「さらりと答えてるけど、それすごいことじゃあ……?」
「いやいや、大したことないっすよ~。ただコンバートしただけっすから」
そこから、つらつらと難しい単語を並べて説明してくれているようだけど、
まったく持って何を言っているのか解らなかった。
「まぁ、ともあれ、凄いということがよく分かったよ……。
それにしても、今日のお題ってなんだろう?」
「前回は、何やったの?」
当然の疑問だ。翠は、前回この講義に参加していない。
「あれ? もしかして、本田……すいません、翠さんでもいいっすか?
本田さんだと正さんと混同しちゃうので……」
「ええ、私も白黒と呼ばせてもらうわ。実は私、今回が初めてなの」
その言葉に、佐藤さんは、ぱぁっと明るい表情を覗かせる。
「あぁ、もしかして翠さんも? ワタシも、今回が初めてなんすよ~。
なので、尚更心寂しかったというか……。
とにかく、おんなじ人が居てよかったす!!」
翠の手をとって、ぶんぶんと音が鳴るほど、握手を交わす。
「え、ええ。私も嬉しいわ。で、陽葵、前回はどうだったの?」
「前は、『LEへの印象』だったよ。
皆で、どういう印象を持っているか言い合うって…感じ…か…な……?」
僕たちは、廊下から聞こえてくるバタバタという激しい足音が
大きくなるにつれて、会話を窄めた。
僕たちのいる部屋の前で、その足音は鳴り止んだ。
暫くして、カードリーダーの読み込む音がして、自動ドアに開く。
そこに居たのは、SGを掛けた男子生徒だった。
彼は、急いでたのか、肩で大きく息をし、膝に手をついている。
その様子を、僕らは呆然と眺めるしかなかった。
「あー、えーっと大丈b「講義はもう始まっちゃった!?」
橙吾の心配の声を遮り、食い気味で彼は尋ねた。
「あ~、まだ大丈夫っすよ。あの先生、相当ルーズみたいっすから」
「よ、よかった~、死ぬかと思った~……。まだ死なないけど~……」
LEが実装されてから、少し流行った冗談を言ったところで、
ようやく彼は、僕らの注目の的になっていることに気づいたようだ。
「……あ、悪い。お騒がせしました。俺の名前は、大和楓真。
今日だけかもしれないけど、よろしくな」
少し小柄で汗だくな彼、大和 楓真が自己紹介を行なった。
「あ、あぁ、疲れてるのに悪いな。まぁ座れよ。もうすぐ始まるだろうし」
橙吾が優しく、労うように着席を促した。
大和はそれに応えるように、ふらふらと歩き、椅子に座った。
彼に続き、僕たちも簡単な自己紹介をしながら、適当な席に座った。
その時、ちょうど、机の中央にある起動音がしたかと思えば、
淡い青色を放ったモニタが中央に出現し、
周りのカーテンが自動的に閉まっていった。
そこには、水田教授の顔が映っていた。
ようやく、二回目の講義が始まろうとしていた。