第2話「PM12:31」
「あ、来たぞ。あれ、多分、翠だよな?」
カップヌードルを食べ終えて、談笑していたら、橙吾が指を指した。
指し示された指の先には、確かに松下 翠が居た。
僕たちを探しているのか、キョロキョロしている。
どちらかと言えば、背が低いためか探すことに、手間取っているようだ。
「ほんとだ。こっち分かるかな……。
どうでもいいけど、橙吾って、あんな人混みの中から探すの早いね」
「ああ、俺の七つ隠れ特技のうちのひとつだぜ」
ふふーんと得意げに鼻を鳴らす。
ちなみに、あとの6つは聞いたことも見たこともない。
しかし、本当によく見つけられるものだと冷やしお汁粉を飲みながら思う。
授業が終わった直後、しかもお昼時なら、こんなに殺到するのも仕方ない。
ラッシュ時の満員電車とまでは行かないが、本当に人が多い。
ようやく、翠と目が合い、こちらに近づいてきた。
「よう、お疲れ」
すっと席を立ち、橙吾が翠に席に座るように促した。
こういうところは、わざとだろうがなんだろうが、素直に感心する。
彼の隠れ特技というか特性のひとつなのだろう。
「どうも、ありがとう」
「お疲れ、翠ちゃん。何か授業をとってたの?」
向かいに座った翠に、先ほど二人の間で挙がっていた疑問を振る。
ん?とバッグを探って少し垂れた黒髪の間から翠はこちらを一瞥。
そして、あぁ、と話の相槌を打った。
「LE向上論よ。面白そうだから取ったけれど……」
翠は、可愛らしいミニトートバッグからお弁当を出しながら答えた。
「教授がねぇ……。何かはぐらかしながら話してるって感じ」
「はぐらかす?」
「うーん、何というか核となるところを……あ、二人ともお昼は?」
翠は、お弁当の蓋を開けた時に、僕らに聞いてきた。
「先に食べちゃった。ごめんね」
「俺たちに気にせずに、食べてくれ~」
そう、と言い、いただきます、と食べ物に感謝を捧げてから話を続けた。
「でね、核心につくような言い方をしないの」
「そんなことを言っちまえば、死刻が近くなるからだろ?」
「確かにそういうリスクもあるかもしれないね」
「LE向上論の専門家とは、とても思えない心意気ね」
「向上論家だからこそだろ? 何を言えば死刻が近くなるのが分かるから、」
自分の発言にも気を付けてしまうんだろうな、
と食後のブレンドコーヒーを片手に、橙吾は言葉を零した。
僕は、翠から貸してもらった授業で配布されたらしいプリントに
目を通しながら、言葉にせずとも、橙吾に賛同した。
実のところ、どんな発言をして、どんな行動をするなど、
LEが短くなる言動が何か、解明され切っていない。
何故なら、LEの変動は、個人差があるからだ。
プリントには、こんな解説文から始まっていた。
例えば、ある男が何かしらの発言をしたからとしよう。
それによって、彼は1週間ほどLEが伸びた。
しかし、またある人が同じような言葉を発したとしても、伸びはしなかった。
何故か。
それは、簡単に言ってしまえば、言葉の重みが関係している。
もっと具体的な例を挙げるのなら、結婚式の言葉。
将来を誓い合った二人が紡ぐ愛のスラングなら、意味を成すかもしれない。
けれど、独身で、相手も居ない人が、突然その辺の人に、愛を囁くとする。
すると、どうなるか。
無視。最悪、ビンタが飛んでくるかも。
むしろ、悪影響を及ぼしたということで、LEが短くなる恐れもある。
図説とともにコミカルに解説されているのを読み、
あらためて、なるほどと感じた。
「ところで、教授は? 担当、誰だっけ?」
「田村教授よ。あの白髭もじゃもじゃの」
「あー、あのツルピカね」
「ちょっと。そんな発言しない方が……」
翠は、お手製であろう卵焼きを口に入れるのを止め、注意した。
確かに、今のは少し危ないような……。
「大丈夫、大丈夫。そんなヘマはしないって」
橙吾はあっけらかんと返してきた。
本当に、能天気というか怖いもの知らずというか。
「翠は、田村のじいさんの方を取ったんだな。俺は、水田教授のほうにした」
「僕もそうしたかな。今日の3コマ目」
「二人とも、向上論を取ってはいたのね。
うーん、私もそっちの方がよかったかなぁ」
手作りのものだろうか、唐揚げを一口食べながら翠は続けた。
「3コマ目、何か別の入れてるとか?」
「ええ、そうなの。私、グラス理論も取っているのよ」
「えー? 翠にそれ要らなくね? 実家じゃん」
「実家のことだから、よく知っておきたいの」
翠の反論に、やっぱり真面目だなーと橙吾が漏らす。
橙吾が飲み干した珈琲の残り香が少し漂う。
ホンダグラス。世界で初めてシステムグラスを開発した会社だ。
国内でナンバーワンのシェアを誇っている。
僕もさっき使っていた、翠のお父さんが開発したものだ。
システムグラスは、以前、全世界で使われていたパソコン画面を、
眼鏡を通して空間上で表すというものだ。
基本的に、どこでも使用することができるため、
デスクトップやノートパソコンより需要が高くなっていき、今の現状に至る。
そのシステムグラスには、様々な技術が使われているらしい。
僕は興味ないため、全然知らない。
その分、翠は身近に技術を知る人が居る。
確かに、そのお父さんから直々に教えてもらったほうが、
より色んなことが知れて、いいかもしれないけど……。
「それに、橙吾も知ってるでしょ。私、あんまり父と仲良くないこと」
「なんだ、まーだ、喧嘩してるのかよ。早く反抗期から脱しろよ~」
あ、地雷踏んだ。
みるみる翠の顔は紅くなっていく。
「そっ、そういうんじゃないわよ!」
赤面しながら、バンッと机を叩いて立ち上がる。
しんとその場の周りだけ、音が制止した。
僕と橙吾も唖然としてしまったが、ハッと気がつく。
多くの視線がこちらに集まっている。
「翠ちゃん、お、抑えて抑えて……」
「わ、わりぃ、そこまで怒ると思わなかったんだ……」
二人で、どうどうと宥めると、ようやく翠も現状に気づき、
周りにぺこりと一礼して、恥ずかしそうに着席する。
「そ、そろそろ行こうか。もう、お昼ご飯は済ませたわけだし」
「そ、それもそうだな。翠も次の授業、一緒にどうだ?」
「……そうね。見学して、もし興味が出たら、乗り換えようかしらね」
三人の話がまとまり、
お昼の盛り上がりをみせるカフェから僕らは早々と去った。