『春に/always better』
線路は続くよ どこまでも
面倒な鬱屈も どこまでも
果てしない闇は果てしないと思ったときから
果てしなくなるから ゴールを決めたら
多少は楽になるかも 光があるから
暗闇ができるのはしょうがないだろう
昼と夜は交互に 訪れるからちょうどいい
きっとまだ私の照らされる順番じゃない
番茶なしできなこ餅を食う喉の乾き
甘いものが食えるだけマシだが物悲しい
落ち込んでもたまに元気です
たまに落ち込んでも元気です 言葉はムズカシイ
地平線の彼方へ歩き続けたい
そのくせ この草の上でじっとしていたい
声にならない叫びとなって
こみ上げるこの気持ちはなんだろう
鳥居という歌人がいます。
想像もつかない生い立ちを辿った新進気鋭のリリシストですが、
その歌に感銘を受けて、私はこの詩を書きました。
私は精神疾患を患っています。
気分が落ちることもあります。
落ち目のときに作った作品も多く発表してきましたが、
いつも多めの感想をもらう作品は、決まって前向きな内容の詩でした。
落ち込んでいる私が、落ち込んでいる内容の詩を書くと、
ネガティブ方向への凶悪な影響力を持つことが分かってきました。
ネガティブへ引きずり込む、「道連れ力」的な感じです。
逆に、
落ち込んでいる私が、それでも前向きな言葉を吐くと、
周りは、「ちょっとやそっとのことで悩んでる場合じゃねぇぞ」って気にさせられる…こともあるそうです。
だから、前向きな言葉を吐きたくなりました。
とは言っても、前向きな言葉を吐くには、
精神的なスタミナを多く消費しますし、
まして、前向きな言葉が思いつかないほどの精神状況にあるときもあります。
周りが心配してかまってくれるなら、
まだ落ち込んだままでいたいとさえ思うこともあります。
前向きになりたいが、前向きになりたくない。
そのメタファーとして、相反する気持ちを表す最後の4小節は、
詩人・谷川俊太郎さんの「春に」という詩から引用しました。
1~8小節は、落ち込んだ状況から前向きな言葉を吐こうとしてもがく様。
9~12小節は、もがいたけど言いたいことが言えない歯がゆさと言葉の難しさに悩む様。
13~16小節は、自分で言葉を作れないならヒトの言葉を使おう、とヒップホップ的な発想で引用。
wky、still changing、少しずつエブリデイ。
ラップよ、芸術であれ。