2話 『レオンの日常(ⅰ)』
地球とは異なる世界、メンデシア。
ここには人族以外にも様々な種族が生息していて、一つの大きな大陸と無数の島から形成されている。
文明レベルは地球より数段劣るものの、独自の発展を遂げたこの世界には多種多様な動植物がみられる。
その大陸の南方に位置する四つの人族の国。その内の一つであるアトラート王国の西の辺境に位置している一つの農村。
そこには、少し焦った様子で走る一人の少年の姿があった。
この世界ではやや珍しい白髪を目にかからない程度まで伸ばしていて、髪に隠れることなく露わになっているその青い瞳は、進む先に佇んでいる複数の人影をはっきりと映している。
「レオンおせーぞ! いったい何してたんだよっ!?」
そうやって怒りを露わにしたのは、少年と同じか少し年上くらいの男の子だ。
その周りには、他にも数人の子供たちが同じように待っていた。
「……すいません、ケイトさんたち。クルス兄さんに勉強を教えてもらっていました」
少年は謝罪の言葉と共に頭を下げる。
「ったく、べんきょーなんてするとか、おまえは貴族さまかよ」
ケイトと呼ばれた男の子は、更に不平を並べる。
「そんな言いかたないでしょう! レオンくんたちは兄弟で二人とも商人になるんだから、勉強しないといけないのよっ!」
「うっ、わ、悪かったよ……」
するとケイトの横にいた一人の女の子が、強気のケイトを思わず萎縮させる程の声で少年を庇った。
彼女はケイトの幼馴染のイレーネ。普段気が強いケイトでも、彼女が強気に出た時ばかりは反論できない。
「ま、まあ、全員そろったんだし、今日は森に行くぞ!」
ケイトが苦し紛れにそう言うと、一行は森へと向かった。
村の近くの森には危険な動物はほとんどおらず、しばしば村の子供達の散策場となっている。
それでも普通なら子供達だけで森へ行かせるなんて危険なことはさせない。
だが、子供達が森で採ってくる食料や薬草に大変助かっているため村の大人たちは渋々了承しているのだ。
それでもやはり親にとっては心配なようで、こっそりとその時暇な大人が付いてきているが、子供達は誰も気が付いていない。
♢♢
森へ入ると、子供達は皆いつも通りに薬草や木の実を採取していく。
森の奥へ入るのは禁止だと大人たちにきつく言われているので、彼らは奥へと進むような愚は犯さない。
それでもケイトのような男の子たちはやはり冒険に憧れる年頃であり、そしてそれを止めるのがイレーネや少年の森での役割だ。
その後もしばらく採取を続けていたが、するとここで……
「おい、あれウィーラビットじゃないか?」
ケイトの横にいた男の子が呟く。
その言葉を受けた皆は揃ってそちらを向く。
するとその視線の先では、少し大きいサイズのウサギが呑気に草を食べていた。
「どうする? この人数なら問題なく倒せそうだけど?」
イレーネがそう言うと、持参した鞄から弓を取り出す。
イレーネは村の中では一番の弓使いで、先日も飛んでいる鳥を見事仕留めたくらいだ。
そんな彼女がなぜ少し大きいだけのウサギ相手にわざわざ確認を取るか言うと、それはウィーラビットが魔物であるからだ。
魔物とは普通の動物の突然変異体である。と言われているが、詳しいことは未だ分かっていない。
そして魔物の最大の特徴は、普通の動物と比べてかなり強いことだ。
そのため、魔物の中では最底辺に分類されるウィーラビットでも村の子供たちがその相手をするのならば慎重にならざるをえないのだ。
「よし、ならさっき採った木の実を餌にしておびき寄せましょう」
白髪の少年がそう提案すると、
「なんでだよっ! あれは俺が食べたかったのに!」
やはりケイトが突っかかってくる。
しかし少年は臆した様子も見せず、更に言葉を重ねた。
「“海老で鯛を釣る”ですよ」
「?? なんだよ、そのことば。意味わかんねーよ!」
「…ええっと、つまり簡単に言うとですね…木の実を使って木の実よりも貴重な肉を仕留めやすくするってことですね」
少年が言葉の意味を説明するが、あまり理解してはもらえなかったようだ。
「てか、なんでおまえそんなことば知ってんだ? クルスさんに聞いたのか?」
「いえ、なぜか知っていたというか、なんというか…」
歯切れの悪い少年を皆が疑問視するが、今はそれどころではない。
一人が木の実をウィーラビットの通り道に置いて、残りの子供達は茂みに隠れる。
餌を食べて油断している隙を狙う作戦だ。
それからややあって、ウィーラビットが予想通り木の実を食べ始めたところでイレーネが弓を引いた。
すると彼女が射た弓は、狙い通りウィーラビットの頭に命中した。
「よしっ!」
頭を弓で射抜かれたウィーラビットは、最初は訳が分からないといった感じでその場で暴れまわったが、少しすると全く動かなくなった。
村一番の弓使いの異名は伊達ではないようだ。
「やった! 今日はお肉が食べられるね〜」
一人がその言葉に、他の面々も嬉しそうに続く。
その後村までウィーラビットを持ち帰り、村の大人に解体を任せた。
因みに彼らがウィーラビットを持って行った時に大人達からそんな危ないことをするなと怒られた。
……どうやら今日は、監視する大人がいなかったようだ。
子供たちは解体した肉を村の人たちに配るために各々の家を回り、皆から口々にお礼を言われた。
そして最後の家に渡し終えたところで、少年は他の子供たちと別れて自分の家に向かい始めた。
「クルス兄さんたち、喜んでくれるかな?」
いつもは大人びているレオンが、今日初めて年相応の笑顔を浮かべてスキップするのであった。
♢♢
「ん?」
レオンは上機嫌のまま自宅の前に着くと、家の前に見慣れない農具が置いてあるのに気付いた。
首を傾げ疑問に思いながらも、取り敢えず家の中に入る事にした。
「ただいまー」
中に入って陽気に挨拶する。
「おかえり、レオン」
「おかえりなさ〜い」
「久しぶりだな、レオン」
すると、中から三人の声が聞こえて来た。
レオンはここでも疑問に思う。
いつもは兄と母と暮らしていて、父は商人なので普段は村にはおらず、街で商売をしているため滅多に帰ってこない。
なので、本来ならば母と兄の二人の声しかしない筈である。
しかし、三人の声が聞こえるということは……
「父さん!? 帰ってきたのっ!?」
「ああ、ちょうど一年ぶりくらいか? 少し背が伸びたようだな」
そして玄関に現れたのは、レオンの父であるトートスだ。
身長は180センチ。灰色の髪は短く整えられていて、普通の商人と比べると筋肉質なその身体のために、かつては商売していると護衛の人とよく間違われると言っていた。
さらに接客もすることから、髭は綺麗に剃られ、清潔感を保っている。
レオンは久しぶりに会う父親に嬉しくなり、持って帰ってきたウィーラビットの肉を近くに置くと、思わずトートスに飛びついて行った。
「父さん、おかえりなさいっ!!」
「おっと、ああ、ただいま。話したいこともたくさんあるが…とりあいず水浴びしてきなさい。森へ行ってきたんだろう?」
レオンは受け止められた後にそう指摘されると、ハッとなり、自分が汚れていることに気づくと慌てて父から離れる。
「ご、ごめんなさい父さん。 あと母さん、これウィーラビットの肉。イレーネさんが弓で仕留めたんだ」
「あら、イレーネちゃんが? 確か前も鳥を落としたっていってたわよね? 将来は立派な弓士になりそうね〜」
どことなく軽い口調で肉を受け取ったのは、レオンの母のエリスだ。
茶髪の美人で、今のように受け答えから軽い感じがするがその実しっかり者で、父がいない間もレオンと兄のクルスの面倒をしっかり見ている。
「あー、レオン待って。僕も水浴びしにいくよ」
母の後ろの声がした方を見れば、身長175センチほど、母譲りの綺麗な茶髪で整った顔立ちをした青年がやって来ていた。
レオンの兄クルスである。クルスは今年でこの世界の成人である一五歳になるので、その後は父に付いて仕事を学ぶことになっているのだ。
♢♢
家の裏出には井戸から汲んだ水が置いてある。村の近くの川で水浴びすることもあるが、基本は家の水で済ますのがレオンたちの村の習慣だ。
この世界の人族には一般的に風呂に入る習慣がなく、一部の王族貴族の嗜みとなっている。
勿論レオンが住むような農村で風呂に入ることなどない。
『火よ【ファイア】』
家の裏に着いたクルスがそう呟くと突然指の先から火が起こり、それを近くに集めておいた草に付けた。
さらにその周囲に石を組み、その上に水を入れた容器を乗せた。
その後しばらくして水が温まると、二人は水浴びを始めた。
「それにしてもクルス兄さんはすごいなー。そんなに短い詠唱で魔法が使えるなんて」
レオンのその言葉には多分に尊敬の念が含まれていた。
この世界には魔法があり、人々の生活を様々な面で支えている。しかし魔法を使えるのは火、水、土、風を基本とした各種の属性に適性がある者だけで、人族では全体のおよそ四割程と言われている。
「そんな事ないよ。レオンも練習すればできるようになるさ」
「うーん……まだ適性があるかもわからないし、来年になったら母さんが魔法を教えてくれるけど、できなかったらどうしよう……」
水浴びしながら会話をする二人。
レオンたちはいつも父から“戦える商人”を目指せと言われているため、クルスは父から剣術を、母から魔法を教えられていている。
二人はかつて、依頼を受けて仕事をこなす冒険者として活動していた時期があり、街ではちょっとした有名人なのだ。
レオンも一三歳となる来年からは母に魔法を教えもらう予定で、剣術はたまに帰ってくる父と兄から既に教示されていて、村の人たちは知らないが弱い魔物なら一対一でも勝てる程だ。
「レオン」
「ん、なに?」
色々と考え込んでいると、突然クルスから声をかけられた。
「多分だけど、父さんが街に戻るときに僕も一緒に付いていくことになると思うんだ。だから、レオンが自分の身を守れるようにそれまでは、いつもより厳しく訓練しようと思う」
そう言うクルトの目からは何か決意めいたものが垣間見え、絶対逃がさないと訴えている。
レオンも普段優しい兄がこうなったら誰よりも頑固だと知っているため、渋々了解した。
♢♢
水浴びしたばかりなので、訓練は明日からとなり、二人は家へ戻って久々の家族全員で夕食をとる。
「父さんはどれくらいこっちにいるの?」
「ん? ああ、そうだな。五日はこっちにいる。こっちの人にも挨拶しなきゃならんしな」
レオンの質問に対して、少し考えてから答える。
かつてレオンは、父の職場の近くに住めばいつも一緒に居られると思い進言してみたが、父からはこういう村で老後を過ごしたいから今のうちに居を構えているんだと言われ、素気無く却下された。
レオンもこの村が好きなので、別段粘ることはなかったのだが……。
「あー、そうだった、そうだった。レオン、お前に土産だ」
すると突然鞄を漁り始めたトートス。
その後レオンは、父から三冊の本を受け取った。
「これは?」
「いや、文字の読み書きはもうできるだろうし、その練習を含めてこれで学んで欲しいと思ってな。その二冊はこの世界のことが書いてあって、最後の一冊は神話が書いてある」
この世界の識字率は低いので、普通の村民が読み書きできることは珍しく、本もそれなりに貴重なものなのだがレオンはそんなことは知らず、聞き慣れない単語を聞き返す。
「神話?」
「ああ神話だ。何個かあったが一番有名な英雄フロスキールの話を選んできたぞ。世界的に有名な話だから知っておいたほうがいいと思ってな」
そう得意げに話すトートスに対し、レオンはふぅんとあまり興味がなさそうに頷くと再び食事を取り始めるのであった。