響き渡る音は遠く、されど永遠に消える事はない
万雷の拍手に迎えられ、私は鍵盤の前へと腰を下ろす。
目の前に広がっているのは、端っこの欠け落ちた一枚の譜面だけ。
大きく息を吸い込む。
聴こえてくる声は幻聴でもなく幻想でもない。
――緊張しているのか?
茶化さないで欲しい。
これは私の目指した最果ての地であり、これ以上ない誉れの舞台だ。
今更、何を怯える事があるというのか。
――それなら、とっとと目の前の鍵盤を叩き上げたらどうなんだ?
いちいち口煩い人だ。
そんな事は分かっているし、そこまで指図される言われもない。
だから、君はそこで大人しく見ていてくれたまえ。
ご清聴を――これより奏でるは我が最愛の曲であり、最期の鎮魂曲。
君に送られ、君だけの為に奏でる幻想曲。
今を逃せば、もう二度と聴ける機会は訪れない、たった一夜の夜想曲。
さあ、始めるとしよう。これより先は、私の未来を奪い取る悪夢の様な一瞬だ。
撫で付ける様に、かと思えば叩き付けるかの様に、鍵盤へと指を滑らせていく。
一心不乱、乾坤一擲、己の全てを鍵盤へと叩き付ける。
それは私自身に現実を突き付けるかの様に酷く、それでいて繊細に音を奏で続けていく。
私は狂ったかの様に手足を動かし、限界以上に己の信を捧げ続けた。
明後日を向いていた視線を、無理矢理にでも今日という日に結び付ける。
昨日失くした者に、永久不滅の賛美を送るため、二度と戻らぬ面影に、未来永劫途切れぬ譚詩曲を鳴り響かせよう。
――綺麗な音色だ。これなら俺がいなくても、もう大丈夫だ……
巫山戯るのも大概にしろ。
君はいっつもそうやって、自分の価値を蔑ろにしてしまう。
私がそれで、どれほどの気を揉んだと思っているのか……
いいから黙って続きを聴きたまえ。
私の愛は終わらない。
幾億幾千の勲章を貰い受けようとも、この音色の価値は揺るぎはしない。
さあ、もっと存分に楽しみたまえ。
今宵は、君と私の記念日だ。
零れ落ちる涙に光はなく、例えそれが一銭の価値をも持たないものだとしても、私は万雷の拍手に背中を向け、君の為に、この曲を演奏しよう。
この演奏が尽き果てる頃、私にはきっと、何一つ残ってはいないのだから……