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第六章

 七月に入ると、夏講に向けて練習が本格化する。練習時間が遅くなることも増えたが、芝居が形になってきただけあって、皆楽しそうだ。

 俺は、ちょうど俺が出ないシーンの稽古をしている面々を見ながら、台本に視線を落とした。

 この台本は、変更点も含め、はるにゃ先輩がパソコンで打ち直してくれたものだ。

「ねえ、ヒーローって、まだ台詞入ってないの?」

 そう声を掛けてきたのはコマッさんだ。

 俺は手元の台本から顔を上げた。

「いえ、そういうわけではないんですけど……」

 俺がそう言葉を濁すと、コマッさんは、俺の台本に興味を持ったのか、俺の手元を覗き込む。

「うわっ、なにこれ」

 コマッさんは、そう驚いた声を上げる。その声につられ、稽古の休憩に入ったカトちゃんや棟梁、はるにゃ先輩も、俺のところへやってきた。

「いや、コマッさん、そんなまじまじと見ないでください」

 俺がそう抗議するが、コマッさんはお構いなしに、俺の手から台本をひったくった。

「ちょっ!?」

「これ、もしかして、今までのダメ出し、全部書いてあるの?」

 そう声を上げたのははるにゃ先輩だ。

「……ああ、そうだわ。この赤いペンで書き込んであるの、全部、いろんな人が指摘したダメ出しだ」

 確認するように棟梁が言う。

「しかも、これ、自分が指摘されたやつだけじゃなくて、全員分のダメ出しでしょ?」

「え、ええ、まあ」

 俺がそう答えると、カトちゃんは驚いたように声を上げる。

「ふえー、全員分のダメ出し、書き込んであるの?」

「うん。他の人のダメ出しも、結構勉強になるし」

 俺の答えにコマッさんも頷く。

「人が注意されてること、よく聞いておくと、自分は同じ失敗しないように気をつけるからね」

「でもこれ、ヒーローが自分で付け加えたダメ出しもあるでしょ?」

 そう棟梁が指摘する。

「え、どれどれ?」

 はるにゃ先輩とコマッさんが、棟梁が指差した箇所を見る。

「ここ、このステラとお嬢様のシーン」

「あ、この強調して書いてある『間』ってやつ?」

 それは、この劇のクライマックスシーンに、俺がどうしても気になり書き足したものだ。

「ヒーロー、これは、もう少し間を持ったほうがいいってこと?」

 聞かれて俺は頷いた。

「ええ。このシーンなら、もう少し間を空けたほうが、台詞がいきるような気がして……」

 そこまで言って、中学校の演劇部を思い出した。

『ヒロ君の言いたいことはわかるけど、そんなふうにできるわけないじゃん』

 そう不満げな顔で言った人たちの顔が浮かぶ。

「あ、でも! 俺の感覚なんで、あんまり気にしないで……」

 俺が慌ててそう続ける。しかし、コマッさんと棟梁、そして、はるにゃ先輩は、大して気にした様子もなくカトちゃんに当てはまる箇所を説明している。

「とりあえず一回やってみよう。そのほうが良かったら、改善箇所見つかったってことでラッキーだし」

 コマッさんは笑顔だ。

「メシア、ちょっといい?」

 棟梁も、メシアを呼び寄せ、その芝居を説明している。

「ねえ、ヒーロー。この間って具体的にどれくらい?」

 カトちゃんが、そう俺に声を掛ける。

「えーと、あと一回、大きめに深呼吸するくらい、かな」

 俺の説明に、カトちゃんは小さく頷いた。

「じゃあ、一回そのシーンやってみよう」

 コマッさんの声掛けに、メシアとカトちゃんが立ち位置に付く。

「じゃあいくよ! よーい、スタート!」

 パン、と、手が叩かれる。

「『お嬢様、どうか手を離してください。マスターの命令をどうか実行させてください』」

「『ステラ』」

 メシアの寂しげな声が響く。

 メシアは、芝居の最中に人が変わるタイプだ。普段はどこか気だるげなのに、いざ芝居を始めると、少々子供っぽい、かわいらしいお嬢様にぴったりはまっている。あまりにキャラが違うので、先輩達は、演劇を題材にした昔の漫画の台詞をパロディーして、「メシア、恐ろしい子……!」と言っていた。

 お嬢様とステラのにらみ合いが続く。それに焦れたかのように、ステラがお嬢様の手を離そうと、その手に触れる。

「『やめなさい、ステラ。これは命令です』」

 あえて声を張らずに発せられた『命令』、という単語に、ステラはぴたりと止まる。

「『マスターの権限を、タキウチから私に移します。今、この瞬間から、私があなたの主人です』」

 お嬢様が、毅然と言い放つ。

 そして、このお嬢様の台詞と、次のステラの台詞の間に、俺は間を空けたほうがいい、と書き込んだのだ。

「……『かしこまりました。マスター。ミズキお嬢様が、ただいまより、私のマスターです』」

 今までは、この台詞の硬質さを活かすために、ほぼ間を空けずに演じていた。だが、ほんの少し間を足すことで、ステラとお嬢様のそれまでの関係と、そこからの変化を出せるのではないか、と俺は考えた。

「……うん。いいんじゃないかな?」

 そう言ったのはコマッさんだ。

「そうだな。好みの問題かもしれないけど、間があってもいいかも」

 棟梁もそう続ける。

「確かに。間があったほうが、ステラの気持ち、みたいなのが出るような気がする」

 はるにゃ先輩もそう言ってくれた。

「ヒーロー、ほんとによく芝居見てるんだね」

 メシアがそう言った。

「そう、かな?」

「なに言ってんの。よっぽどよく見てないと、こんな些細な間、気づけないでしょ」

 そう明るく言ったのはカトちゃんだ。

「舞台鑑賞が趣味なだけあるよ。舞台を見るのに目が慣れてるから、いろいろ細かいところに気づけるんだ」

 コマッさんは、そう言いながら、台本をぺらぺらとめくる。

「ん? なんの騒ぎだ?」

 そうコマッさんのところへ来たのは、大道具の最終調整をしていた田渕先生だ。

「ぶっさん! ヒーロー、こんなの隠し持ってた」

「なんか、その言い方だと、俺がやばい物持ってたみたいになりません?」

 俺のそんな言葉を華麗にスルーして、コマッさんは、俺の台本を田渕先生に見せる。

 田渕先生は、それを受け取るとぺらぺらとめくる。

「これが、ヒーローの台本?」

「ほら、こことか、こことか。ダメ出しとか、自分なりの演出とか、いろいろ書き込んでるの」

 田渕先生は、コマッさんに指差されたあたりを無言で眺めていた。

「もったいないなぁ」

 台本から顔を上げた田渕先生は、しみじみと言った。

「え、と……」

 俺が言葉につまっていると、コマッさんは、田渕先生の言葉に大きく頷いた。

「だよね! すごくもったいない! 時間があったら全部試してみたい!」

 コマッさんのその言葉に、俺は首をかしげた。

「その、もったいないってなんなんですか?」

 俺の問いに、コマッさんは目を見開き、それから小さくため息をついた。

「あのねぇ……。こういう意見って、演劇部の中ではすごく貴重なの! 特に、うちみたいに全員で意見出して、演出決めるようなところでは」

 その言葉に、棟梁やはるにゃ先輩、田渕先生まで頷く。

「で、でも! それは、俺の……、素人の視点で考えたもので」

「なに言ってんの。私ら、みんな素人じゃん」

 当たり前のように棟梁が言う。

「そうだよ。私達、みんな素人だ。だから、一度皆で決めたものをやり直すことは、とても勇気がいる」

 コマッさんは、棟梁の言葉にそう付け足した。

「まあ、舞台を見に来る人も、大半は素人だしね。だからこそ、こういう観客側の感想って、すごくありがたいんだ」

「そういうものなんですか?」

 俺の問いに、田渕先生が頷いた。

「ああ。集団で演出を決めると、別の視点からの演出ってのは、なかなか難しいからね」

 今回は時間がないから、全部は難しいけど、と、田渕先生は前置きしてから言った。

「出来るなら、これからも、こういうのまとめておいてもらえると嬉しいな。次の舞台では、全部検証して、反映したいから」

 そう言われ、俺は小さく頷いた。

 ふ、と、肩の力が抜ける。俺は、知らず知らずのうちに、緊張していたらしい。

「な! ヒーロー! なにができるかなんて考えなくても、力になれること、あっただろ?」

 コマッさんが、そう言って、にっこりと笑った。

 俺は、その言葉に急に恥ずかしくなって、顔が熱くなるのを感じた。それでも、顔をそらすのはなんだか違う気がして、コマッさんの顔を見た。

「あ、ありがとう、ございます……」

 うまく笑えた気はしない。けれど、声はちゃんと届いただろう。

 その証拠に、コマッさんは、俺の顔を見ると驚いたような表情で固まっている。

「あー……、まぁ…………。あれだ! ヒーローの名前を、演出のところに書き加えないとだな!」

 そう大きな声を上げたコマッさんは、さっと後ろを向いた。

「……俺、なんか変なこと言いました?」

 不安になってそう棟梁に聞くと、棟梁は、はは、と苦笑いを浮かべた。

 翌日、通し練習を前日と同じ演出でやり、高木先生もオーケーを出してくれたので、このシーンは、俺の考えた演出で演じることになった。

「こんないいモン、自分だけで抱えてんなよなぁ」

 そう高木先生は俺に言って、じっくりと俺の台本に目を通した。

「せっかくいいモン持ってても、自分だけで抱えてるんじゃ、意味がないんだからな」

 今後は演出の参考にするから、気が付いたことはなんでも言ってくれ、と言われ、俺は大きく頷いた。

 昨日、若干様子のおかしかったコマッさんだが、今日はいつもどおり俺にまとわり付いて、棟梁にエクスカリバーで制裁されていた。

「大丈夫ですか?」

 俺が心配して頭を抱えうずくまるコマッさんの顔を覗き込むと、彼女は、なんともしまりのない顔で、へへ、と笑った。


 曜日の関係上、今年は夏休みが少し早めに始まる。

 演劇の夏講は、市内の小、中、高の演劇部を集めて、市民ホールの小ホールで毎年行われるため、ほとんどの学校は、夏休みの第一週に補講は入れない。入れていたとしても、この時期に大会が行われる野球部などと一緒に、別の日に補講を受けたりする。

 初日、二日目は小学校、三日目、四日目は中学校、五日目、六日目は高校という割り当てになっていて、俺たちは六日目のお昼休憩のすぐあとの公演が割り当てられていた。ちなみに外村学園は、五日目の午前最後だと、外村学園の部長の藤崎さんからコマッさんがきいてきた。

 初日と二日目は小学生の公演であるが、高校生も大道具の搬入や搬出の手伝いがあったりする。そのため、見られない公演があったりもするが、久しぶりにみる小学生の演劇は、内容もさまざまで、意外にも楽しめた。一番興味深かったのは、日本の神話をもとに、先生が台本を書いたという劇で、音楽とダンスを織り交ぜて、少し難しい内容をしっかりまとめていた。

 三日目以降の中学生の公演になると、搬入搬出も、自力でやってくれるので落ち着いてみることが出来た。

 中学生になると、生徒が台本を書いたものも出てくるようになる。テーマは、身近な学校生活での問題、いじめや、受験といったものが多い。

 しかしその一方で、昔からある台本を、すこしアレンジして演じているところもある。「ロミオとジュリエット」をやっている学校があったことにはとても驚いた。中学校の一公演の時間、五十分に合わせるため、だいぶ内容が削ってあったが、舞台を半分に分け、ロミオの家であるモンタギュー家の人々は上手側、ジュリエットの家であるキャピュレット家の人々は下手側にのみ出てくる演出はなかなか面白かった。

 五日目からは高校生の公演になる。高校生になると、そのほとんどが創作台本で、内容も、わりと面白かったり、より深い内容になったりする。

 特に、外村学園の公演は、まるで、このまま大会に持っていくものでも作ろうとしているかのように力が入っていた。

 内容は、病弱な少年と幽霊の女の子の話で、幽霊と少年のやり取りがコミカルで面白かったが、それ以上に、少年の病状が良くなるにしたがって、だんだんと幽霊が見えなくなっていくという様子を、見事に演技で表現していた。なにより、以前会ったときは、健康的で爽やかな印象だった部長の藤崎さんが、まるで本物の病人のように、病弱な少年を演じていたのに驚いた。本番の後たまたますれ違ったときには、まだメイクを落としておらず、思わず心配になるほどの顔色だった。しかし、コマッさんは、

「うわー、メイクの力ってすげー」

 と、感心して笑っていた。

 五日目の公演が終わると、六日目の公演に使う大道具の搬入を行う。もちろん、俺たちが使う大道具も搬入する。

 搬入が終わると、割り当てられた時間でリハーサルを行う。リハーサルといっても、時間は短く、出来ることは限られている。大道具の置く位置を決め、ビニールテープでバミリと呼ばれる印をつけたり(このため俺たちは、ビニールテープのことを『バミテ』と呼んだりもする)、音響や照明のチェックをしたり、役者陣は、声の大きさがどれくらいで客席の後ろまで届くか確認したりする程度で精一杯だ。さらに、俺たちはプロジェクターを使うため、それの確認もしなければならない。俺たち役者陣は、かろうじて殺陣の流れの確認まで出来た。

 今日は学校に戻って部活はせず、ここで解散することになっている。

「えー、それじゃあ、明日はいよいよ本番です。今まで練習してきたことをしっかりやれば、きっといい舞台になると思います。今夜はしっかり寝て、明日の舞台に備えてください!」

 コマッさんが明るくそう言う。はい、と明るい声が全員から返った。

 その場で解散になり、おのおのバスなどに乗り込んでいく。

「いよいよ明日、か……」

 カトちゃんが、緊張した様子でそう言った。

「あははは、今からそんなに緊張してどうすんだよ!」

 そう棟梁が笑った。

「まあ、カトちゃんは本当に初舞台だもん。そりゃあ緊張するよ」

 そうメシアが笑う。

「でも、一度舞台に立つと、結構病み付きになる子もいるんだよ?」

 棟梁はそう言って続けた。

「私も、中学のときに演劇部に入って初めて舞台に立ったときは、緊張でガッチガチだったけど、五十分の上演時間が終わったら、次の舞台が楽しみになっちゃってさ」

 そう話す棟梁の顔はとてもいきいきしている。その表情に、カトちゃんも励まされたようだ。

「ヒーローは緊張したりしないの?」

 カトちゃんは俺に話を振る。

「うーん……」

 俺は、思わずあいまいな返事をしてしまった。

「あんまり実感がわかないんだ。もしかしたら、明日の本番前に一番緊張してるパターンかも」

 俺が言うと、メシアと棟梁がクスクスと笑った。

「いやー、ヒーローの場合は、なんとなく緊張もしないまま本番も終わっちゃいそうな気もするけど」

「俺、一体どんな風に見られてるんですか?」

 棟梁に、俺は思わずそう言った。俺と棟梁のそんなやり取りに、カトちゃんもすっかりいつもの元気さを取り戻していた。

 カトちゃんはバスの乗り換えのため途中の停留所で別れ、俺と、棟梁、メシアも、駅の改札で別れることになる。

「じゃあ、また明日、よろしくね!」

 メシアがそう言って手を振る。俺も軽く手を振り返して、電車へと向かった。

 家に帰ると、母さんが夕食を作って待っていた。

「明日だっけ、あなたのところの高校の発表って」

「うん、そうだけど」

 夕食を食べている最中に、母さんが何気なく聞いた。

「明日土曜日で休みだし、観に行こうかな」

「えっ!?」

 俺は思わずそう大きな声を出した。

「いいじゃない! あなたが演劇の舞台に出るのなんて、久しぶりなんだし。それに、高校生がどんな舞台をやるのか、母さん気になっちゃって」

 母さんは綺麗ににっこりと笑った。

「ねえ、折角なら、あなたも行かない?」

 母さんは、父さんにそう聞いた。

「というか、発表って……、ヒロ、お前、なに部に入ったんだ?」

 父さんはそこから知らなかったらしい。

「……演劇部だけど」

「え? あ、ああ、そう、だったか……」

 父さんは、少し驚いた顔をしてから味噌汁をすする。

「父さん、ヒロの舞台、一度も観てないでしょ? 一度くらい観ておいてもいいじゃない」

「だがな……、俺は、母さんやヒロと違って、芝居はあまり見慣れてないんだが」

 いつの間にか、二人とも観に来る前提で話が進み、俺はあせった。

「ちょ、ちょっと待って! 本気で観に来る気!?」

 俺の声に、母さんと父さんは、

「もちろん」

「まあな」

 と、同時に答えた。仲のいい夫婦である。

「頑張ってね、ヒロ! 客席で応援してるから!」

 母さんはニッコリと笑ってウインクして見せた。母さんは保育士をしているせいか、時折子供っぽいしぐさをする。

「まあ、気負いすぎずに頑張れ」

 父さんは、そう俺の肩を叩く。

「うわぁ……、今更緊張してきた」

 俺がそう言うと、母さんが声を立てて笑った。

『両親が、舞台を観に来ることになりました』

 そう吉良さんにラインを送ると、吉良さんから、

『じゃあ、明日は客席で、ヒーローのご両親探ししなくちゃ!』

 と、絵文字満載の返事が送られてきた。


 翌朝、アラームをセットした時間より随分と早く目が覚めてしまった俺は、ベッドの上でしばらく柔軟運動をしていた。

 リビングに向かうと、母さんは妙に張り切って朝食を作っていた。

「おはよう、母さん」

 俺がそう挨拶すると、母さんはニッコリと笑って、

「おはよう」

 と、返してくれた。

「舞台、今日のお昼過ぎよね?」

「うん。で、結局、父さんも観にくるの?」

 俺が聞くと、母さんは笑ってから、

「必ず連れてくわ。中学の時も、なんだかんだ、あなたのこと一番心配してたのは父さんなんだから」

 と言った。

 早めに会場に着きたくて、予定していたより一本早い電車に乗った。

 昨晩は妙に緊張したが、今日は高揚感はあるものの、そこまで緊張はしていない。まだ梅雨も明けていないが、空には穏やかな青が広がっている。

 駅から会場である市民ホールに向かうバスに乗ると、何の部活かはわからないが、朝連に向かうらしい違う学校の制服を見かけた。いつもは通学の時間とバスの路線の関係で、同じ学校の制服の人しか見かけないので妙に新鮮だ。

 市民ホールの停留所で降りると、今日、最初の公演の学校の人たちがすでに集まっている。

 市民ホールの隣は、芝生の植えられた広場があり、噴水やベンチもある公園になっている。俺はそのベンチに腰かけ、鞄に入れてきた文庫本を開いた。

 遠くから、どこかの学校の発声練習が聞こえてくる。ジワジワと蝉の声が響き、カッコウが遠くで鳴いている。

「だーれだっ!」

 唐突に後ろから誰かに目隠しされた。俺はびくりと大げさに肩が跳ねさせ、思わず本を取り落とした。

 そんな悪ふざけをする人は、一人しか心当たりはなく、そして、その声も、確実に聞き覚えがあったのに、そこまで大げさに驚いてしまったのは、きっと、本番を前に知らず知らず気を張っていたせいだろう。

「コマッさん」

 俺がそう言うと、目隠しの主はその手を離し、俺の目の前にしゃがんだ。

「ご名答。さすがヒーロー」

 ニッコリと笑ったコマッさんは、夏の風景に驚くほど馴染んでいた。

「なにがさすがなんですか。いきなりでちょっとびっくりしましたよ」

 俺がそう文句を言うと、コマッさんは少し悪そうに笑う。

「えー、だって、一番乗りしてやろうと思ってきたら、もうヒーローいるんだもん。ちょっと悔しかったからいたずらしてやろうと思って」

 コマッさんは、そう言いながら俺の隣に腰掛けた。

「はい、本、落としたでしょ」

 俺の手に、取り落とした文庫本が乗せられた。

「落としたって、誰のせいですか」

「私か!」

 俺の返しにコマッさんはけらけらと笑う。この人はいつだって楽しそうだ。

「あ、もうヒーロー来てる」

 そこへやってきたのは棟梁とメシアだ。

「おはようございます」

「おー、おはよー」

 挨拶をすれば、二人からも同じ挨拶が返ってくる。

「いよいよ本番だね」

 メシアは、いつもの少しけだるげな様子は見られず今日は妙に元気だ。

「なんか、メシア、今日元気だね」

 俺がそう言うと、メシアは一瞬ぽかんとした顔をする。

「私、いつも元気だけど?」

「うん、そうなんだけど。ただ、いつもとちょっと雰囲気が違うなって思って」

 俺の言葉にメシアは笑った。

「そりゃ、ガッチガチには緊張してないけど、やっぱり普段とはテンション違うでしょ」

 メシアの言葉に俺は頷いた。

「まあ、俺も、いつもよりはテンション上がってるし、少しは緊張してるしね」

「なんだ、結局ヒーローも緊張してるのか!」

 俺の言葉に反応したのは棟梁だ。

「ええと、両親が観に来ることになりまして、そのせいもあって少しは」

 俺が付け足すと、コマッさんは納得したように頷く。

「ああ、それは緊張するよな」

「なんで家族に見られるって、あんなに緊張するんだろうね?」

 棟梁も腕を組みつつ頷いている。

「あ、いたいた! おはようございます!」

 そこへ、カトちゃんがやってきた。昨日の緊張した様子とは打って変わって、いつものように明るい笑みを浮かべている。

「おー、カトちゃんおはよう」

 棟梁は、カトちゃんのほうに歩み寄る。

「緊張は大丈夫そうだな」

 そう話しかけられ、カトちゃんは大きく頷いた。

「はい! 今日はもう、ばっちりっス!」

 そのはっきりした声には、高揚感がみなぎっていた。

「ははっ! その調子で本番も頑張れ」

 棟梁の言葉にカトちゃんは、

「はいっ!」

 と、運動部さながらのいい返事をした。

 そのうち、どこの学校も少しずつ部員が集まりだしてくる。

 あいあい先輩とるりるり先輩、それにあかりんが連れ立って来ると、少し遅れて、はるにゃ先輩とキアヌが来た。そこへ、裏方の三年生と、高木先生、田渕先生も合流する。

「では改めて。おはようございます」

 全員集合したところで、コマッさんが挨拶をする。俺たちも挨拶を返した。

「えー、いよいよ、今日は夏講本番です。一年生の中には初めて舞台に立つ人や、久しぶりに舞台に立つという人もいるでしょう。当然、緊張している人もいると思います。でも、今までの練習の成果を発揮できれば、きっと満足のいく舞台になると思います。緊張も、いい集中に変えてやっていきましょう! 今日はよろしくお願いします!」

 コマッさんは明るく挨拶をしめた。

「じゃあ、先生方からもなにか連絡あれば」

 そう棟梁が言うと、じゃあ、と前置きして田渕先生が話し出す。

「うちの出番はお昼休憩のすぐ後だから、午前の一公演見たら、発声と早めのお昼取るので、そのつもりで」

 俺たちは、それに大きく「はい」と返事をする。

「高木さんは?」

 と、田渕先生が促すが、高木先生は首を横に振った。

「じゃあ以上ってことで」

 そう田渕先生がしめる。

「それじゃあ、会場に移動しますか!」

 コマッさんの先導で、俺たちは会場へと歩き出した。

 その日の最初の公演が終わるまでは、あっという間だった気がする。

 公演と公演の間の休憩時間に、俺たちは会場を出て、発声練習をしてから、外のベンチで早めの昼食をとる。

「がっつり食べ過ぎると気持ち悪くなったりするから、少しお腹に余裕もたせておいたほうがいいぞ」

 そう棟梁がカトちゃんにアドバイスを送っている。

「あ、いたいた!」

 よく通る声が聞こえ、俺たちがそちらに視線をやると、全身をモノトーンでまとめ、帽子を目深にかぶり、サングラスを掛けた長身の男性の姿があった。

「帰れ! 不審者!」

 そう叫んだのはコマッさんだ。

「ちょ、舞ちゃん、ひどーい!」

 そう言って男性はサングラスを取る。本気で傷ついたといわんばかりの顔をしているのは、案の定吉良さんだった。

「おはようございます。お久しぶりです、吉良さん」

 俺がそう挨拶すると、一年生も、吉良さんに挨拶する。

「皆、久しぶりー。ヒーローちゃんとはしょっちゅうラインしてるから、久しぶりって感じしないけど」

 吉良さんはニコニコと笑いながら、俺の隣に座る。

「どう? 緊張してる?」

 吉良さんに聞かれ、俺は正直に答えた。

「そうですね。いつもより、ちょっと過敏になってる気はしますが、言うほど緊張してるって感じではないです」

 俺の答えに吉良さんは頷いた。

「うん、いい傾向よ。適度な緊張感が集中力を増してるって感じね」

 吉良さんは、俺にそれだけ確認したかったのか、すぐに立ち上がった。

「皆の舞台、客席で観させてもらうわね! 楽しみにしてるから!」

 またあとでね、と、吉良さんは会場へと向かった。

「まったく、マイペースなんだから」

 そうコマッさんが漏らすが、普段を考えればマイペース具合はどっちもどっちだ。と、コマッさんが腕時計を見る。

「あと十分くらいで午前の部が終わるから、楽屋入れるようになるね。そろそろお昼切り上げといてね」

 コマッさんの言葉にそれぞれが返事をした。

 全員が弁当を片付け終わると、全員で楽屋口に向かう。

「えー、通路が狭いから、一列で行きましょう」

 そうコマッさんが声を掛ける程度に通路は狭い。

 この市民ホールでは、小、中学校の演劇部の県大会も行われるが、一度も県大会に来たことがない俺は、このホールは初体験だ。

 年季を感じるホールではあるが、清掃は行き届いている。楽屋に入ると、化粧品や整髪料のにおいがする。

 部屋には四つドレッサーが並んでいて、どの鏡も綺麗に磨かれている。部屋の片隅には畳がしいてあり、そこには座布団がいくつか積んである。その一画は、カーテンで仕切れるようになっている。

「舞台のほうは三年生がセッティングしてくれるから、役者陣は着替えて! あ、ヒーローは、そこの畳の部分使ってね!」

 コマッさんが指示を飛ばす。

「じゃあ私も舞台のほう行ってくる」

 今回、役に付いてはいるが、舞台には出ない棟梁は、大道具の責任者として舞台を確認しに行った。

「はい! ヒーローの衣装!」

 るりるり先輩から衣装を渡され、俺は畳の敷いてある一画に向かった。

「着替え終わった人からメイクするからね!」

 今回、るりるり先輩が役に入っているため、三年生の先輩がメインでメイクを担当するらしい。

「すみません、カーテン閉めます」

 俺はそう声をかけ、カーテンを閉めた。

 カーテンの向こうから、他の部員の声が聞こえる。

「カトちゃん、先にタイツ!」

「メシア、これできつくない?」

 女性陣の中でも、特に着替えが面倒な二人の着替えを手伝う声が聞こえる。

 俺は制服を脱ぐと、衣装の白いシャツに袖を通す。糊のきいたシャツを着ると、自然と気持ちが引き締まり、「タキウチ」のスイッチが入る。

 スラックスをはき、普段は使わない皮のベルトを締める。黒いベストと上着はおしろいなどがつくと目立つため最初から抜いてある。俺はカーテンの向こうに声を掛けた。

「すみません、タキウチ、上着以外の着替え終わりました!」

 ざわつく楽屋でも聞こえるように、少し大きめな声でそう声を掛けた。

「あー、ヒーロー、チョイ待ち! もう少しでこっちも着替え終わるから!」

 そう返ってきたのはカトちゃんの声だった。

「あいあい先輩、るりるり先輩、オーケーですか?」

「オーケーだよ!」

「うん、大丈夫!」

 よく似た二人の声が聞こえた。

「コマッさん、あかりんも大丈夫ですか?」

「はいよー!」

「うん! 大丈夫!」

 よく通る声二つの声も聞こえた。

「オーケー、ヒーロー! 開けていいよ!」

 カトちゃんのその声に、俺はカーテンを開ける。

「あ、ヒーロー、タオル掛けるからベストは着ちゃって!」

 そう三年生の先輩に声を掛けられ、俺は黒のベストに袖を通す。

「よし! ヒーロー、メイクするよ!」

 るりるり先輩に声を掛けられ、ドレッサーに座らされる。

「ヒーロー君、タオル掛けるね」

 そう言って、三年生の先輩が俺の首の周りに大きめのタオルを掛けてくれた。

「じゃあ、ちょっと塗ってくね」

 先輩はそう言うと、ドーランとスポンジを手に俺の隣に立った。舞台でのメイクは、汗で流れないよう、落ちにくいドーランを使うことが多い。俺の肌の色とほぼ同じトーンのドーランで肌を塗ると、やや目鼻立ちをはっきりさせるために、鼻の横に暗い色を乗せる。眉を少し整え、髪型を後ろに撫で付けるようにしてから、ワックスで固めた。

「高木さん、どうでしょう」

 先輩がそう高木先生を呼ぶ。高木先生は、強盗役三人のメイクを、少しくすんだものにしている所だった。

「んー、大丈夫そうだな。ヒーロー、上着ていいぞ」

 高木先生の言葉に、先輩が首に掛けていたタオルを取ってくれた。

「ヒーローの上着貸して」

 そうるりるり先輩に声を掛けたのは、すでにメイクを終えたコマッさんだった。

「化粧付くと困るから、着せてあげる」

「あ、ありがとうございます」

 コマッさんはるりるり先輩から上着を受け取ると、背中側から着せてくれた。俺は姿見で前面を整える。

「よし! ヒーロー、先に舞台のほう行ってて!」

「はい!」

 俺はコマッさんにそう返事をすると、楽屋を出て舞台に向かった。

 狭い通路を抜けると、舞台の入り口に田渕先生が立っていた。

「あ、ヒーロー、着替え終わったか。じゃあ、衣装汚さない程度に準備の手伝い頼むな」

「はい!」

「舞台薄暗いから、足元気をつけろよ!」

 俺は田渕先生のそんな言葉を聞きながら、袖幕の間を縫って暗い舞台袖に入った。

 舞台袖の端まで来ると、舞台の真ん中で棟梁が指示を出しているのが見えた。

「棟梁、なにか手伝うことありますか?」

「おー、ヒーロー。じゃあ、そこらの小物配置に置いてくれるか?」

 そう言われ、俺は花瓶などの小物を運ぶ。

 舞台上には白い壁が立てられ、片隅には暖炉もある。舞台上は、すっかりお屋敷の広間に変わっていた。

「あ、手あいたら、テーブルクロス掛けるの手伝って!」

「はい!」

 ちょうど小物を運び終えた俺は、テーブルクロスの白い布の端を持つ。テーブルの四隅には、強力な両面テープが貼られ、テーブルクロスが動かないように固定された。

 学校の机を並べただけのテーブルだが、テーブルクロスを掛けると、それなりに見栄えがする。

 まだ薄暗い舞台の上で、着々と準備が進められる。

「皆、揃ってる?」

 そう舞台袖から声を掛けてきたのはコマッさんだ。すっかり女盗賊のリーダーに姿を変えている。

「役者陣が皆揃ったなら、大丈夫なはず」

 そう棟梁が返すと、じゃあ大丈夫か、と、コマッさんが独り言のように言った。

「じゃあ、全員、舞台真ん中あたりに集まって!」

 コマッさんの声掛けに、役者陣はもちろん、作業をしていた先輩方も集まって輪を作る。いないのは、照明ブースの都合で舞台にいないはるにゃ先輩と、プロジェクター係の三年生だ。

「では、もうすぐ舞台が始まります。初めての舞台で緊張してる人もいるでしょうが、練習どおりにしっかりやりましょう!」

 コマッさんの言葉に、全員が声を揃え、「はい」と返事をする。

「じゃあ、隣の人と肩組んで!」

 一年生は、戸惑いつつ、隣に並んでいる人と肩を組む。俺は、右隣にいた棟梁と、左隣にいたカトちゃんと肩を組んだ。いわゆる円陣の形になると、コマッさんがにっこり笑う。

「はい! じゃあ私が『頑張っていきまー』っていうから、『しょい!』で、声合わせてね!」

 コマッさんは楽しげにそう言った。

「じゃあ、いきまーす! 頑張っていきまー」

「しょい!」

 そう全員の声が重なる。運動部さながらの円陣は、しっかり揃うと気持ちいいし、気が引き締まる感じがする。

 それが終わると円陣をとき、皆それぞれ配置に付く。俺も、最初の登場シーンにあわせ、舞台袖に向かおうとした。

「ヒーロー」

 呼ばれて振り向くと、コマッさんがそこにいた。

「なんでしょう」

 俺がそう言うと、コマッさんはすこし困ったように視線をさまよわせた。

「あー……、もうすぐ五分前の一ベルだけど、気分はどう?」

 少し迷った後、コマッさんはそう俺にたずねた。

「そうですね。さすがに、リラックスは出来ませんけど、そこまで緊張もしてないです。不思議ですけど」

 俺がそう答えると、コマッさんは一瞬驚いたような表情をしてから、満足そうに頷く。

「うん、なら良かった」

 にっこりと笑ったコマッさんは、いつもよりキラキラして見えた。

「五分前!」

 そう棟梁の声が聞こえた。緞帳の向こうからブザーの音が響く。

『まもなく、午後の部を開始いたします。ロビーにおいでのお客様は、お席にお戻りください』

 そうアナウンスする声も聞こえた。

「じゃあ、精一杯楽しもう!」

 コマッさんは俺にそう言うと、俺とは反対の舞台袖に向かっていった。緞帳の向こうから、観客のざわめきが僅かに聞こえる。

 俺も、自分の待機側になる舞台袖に向かう。すると途中で、熊のぬいぐるみを抱えたメシアとすれ違った。

 メシアは、舞台上で緞帳が開くのを待つ、いわゆる「板付き」なので、舞台上に向かった。

「行ってきます」

 すれ違いざまそう言われ、俺は大きく頷いた。

 俺が舞台袖に来ると、棟梁からブランケットを渡された。

「頑張って」

 そう囁かれ、俺は小さな声で「はい」と返事をした。

 袖で待機していると、棟梁が、インカムで照明のブースと連絡を取っている声が聞こえる。俺はその声を聞きながら、大きく深呼吸をした。自然と背筋が伸びて、「タキウチ」を演じる姿勢になっていく。

「一分前!」

 棟梁が小さく知らせてくれた。気が付くと、客席のざわめきも少し静かになっている。

 メシアは、舞台上のいすに腰掛け、テーブルに体を預けて眠っているような姿勢になる。これが、舞台上での最初のシーンだ。

 緞帳の向こうからブザーの音が響く。

『お待たせしました。午後の部を開演いたします』

 そのアナウンスと同時に、舞台上の準備のためにつけられていた照明が落とされた。

『高校の部、プログラム八番、北原高等学校演劇部、作、小松崎晶。『とあるお屋敷にて』』

 アナウンスが終わると、BGMが流れ始める。女性の声の子守唄だ。歌っているのは棟梁だ。

 優しい歌声と共に、いよいよ緞帳が上がる。

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