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三つの月の恋物語  作者: Naoko
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ムーン・レインボー

「まあ、なんてきれいな海なんでしょう」

丘の上に立ったオリアーヌは歓声を上げる。彼女の前には、美しいエメラルドグリーンの海が広がっていた。


「レイネ、これがあなたが話していた海なのね」

 オリアーヌは振り返り、レイネに満面の笑みを見せる。


「奥様に喜んでいただけて光栄です」

レイネはそう答え、表情を変えることなく頭を下げた。下げたまま顔を上げない。


 レイネは、オリアーヌを別邸へ送る雇われ従者だった。

幼なじみで会うのは久しぶりでも従者として距離を置き、彼女を「奥様」と呼ぶ。

二人の間には、ゆっくりと流れる時のような、そして穏やかなのに隔てる何かが漂っていた。

暖かい海風が吹き、彼女の長い髪と首に巻いたスカーフを揺らし、遠くの波の音だけが聞こえる。

静かだ。



「レイネ」

海を見続けていたオリアーヌがその静けさを破った。

「私の死に場所は、ここがいいわ」


レイネは顔を上げる。


「夫は、わたしの処刑に同意したのでしょう」


 オリアーヌの父は、すでに反逆の罪で処刑されており、処罰は娘にも及ぶ。

彼女の夫はオリアーヌの助命を嘆願していたが叶わなかったのだ。


 オリアーヌが振り返ると、彼は目をそらした。

「あなたは剣のチャンピオン。

相手に痛みのない死を与えることができるほどの腕のね」

「チャンピオンだった、だ」レイネは忌々しそうに答える。


 オリアーヌは微笑むと彼の前にひざまづき、スカーフを緩めその細い首を表わにした。


「私が知る前に、この体は、緑色の海の見える丘に倒れるのね」

 そして頭をたれる。


 しばらくの間、波の音だけが聞こえ、何も起こらない。

レイネは、自分の中に熱い怒りがこみ上げてくるのを感じた。


 突然、レイネは彼女の手を引き、馬に乗せようとする。


「レイネ」

オリアーヌは、馬のくつわを引いていくレイネに呼びかける。

「レイネ、どうしたの?」


 彼は、馬を見たまま答える。


「確かに、君の夫は処刑を依頼した。

だがアデライドが、この先にある修道院に君を連れて行くよう言ったんだ」

「セナ婦人が?」

「そこ行けば、誰も君に手を掛けられない。王へ恩赦も願える」

「恩赦? 待って、待って、レイネ」


 レイネは足を止め彼女を見る。

こうして彼が彼女を真正面に見るのは初めてだった。


「私、妊娠しているの」

「知っている。この先には密林が広がっているし無理があるのも分かっている」

「いいえ、そうではなくて」オリアーヌはそう言いかけて黙った。


 何をどう言っていいのか分からない。自分の愛した人が目の前にいて、彼のではない子を身ごもり、その彼が、危険を冒して自分とその子を助けようとしている。


 レイネは無理やりオリアーヌを馬に乗せる。


「レイネ、あなたはどうなるの? こんなことをしたら、あなたにも反逆の罪が及ぶわ」


 彼は彼女を見て「承知している」と言った。

 そして馬のくつわをグイと引っ張ると、

「しっかりつかまってろ」と言って川に入り、向こう側に続く道へ行く。


 二人は、川を渡ると密林に入り、日がとっぷりと暮れるころに、木々に囲まれた小高い岩山の横穴に着いた。レイネはその岩穴の奥で火をおこし、かゆを温めオリアーヌに食べさせ、火のそばに毛布を敷いて彼女を休ませた。焚き火の煙は洞窟の奥へと流れていく。オリアーヌは何も言わないまま眠ってしまった。



 夜中に目を覚ましたオリアーヌは、レイネがいないのに気づくとほろ穴の出口まで行き、岩壁に寄りかかって外を見ている彼を見つける。

だが動けない。

彼に近づいていいのかどうか迷う。


 レイネは、この旅の間、ずっと不機嫌だった。

それはオリアーヌを拒否しているようだったのだけれど、今は少し違う。

彼のいる場所はほのかに明るく、周りのすべてが柔らかく感じる。


 彼は彼女の気配に気づいたようで、振り返えると右手を出して微笑んだ。


「こっちへきてごらん」


それは彼が始めて見せた笑顔だった。


小雨の降る夜だというのに空は明るい。

密林のじゅうたんの上の空に雲が流れているのが見える。

そう、流れている。

まるで川の水のようだ。


「もう少しで雲の間から月が出る。そうしたら、ナイト・レインボーが見れるかもしれない」

「ナイト・レインボー?」

「ああ、ムーン・ボーとも言う。めったに見れないんだけれど、こんな月夜に出ることがあるんだ」

「あなたは見たことがあるの?」

「一度だけ、この密林は何度も行き来しているからその時にね。馬が教えてくれたんだ」

「あなたが『姉さん』と呼んでいるあの馬?」


 レイネはふふっと笑った。


「そう、あいつは前の主人にひどい扱いを受けて死にそうになっているのをただ同然で貰ったんだ。それ以来、俺のいい相棒さ。もう年だから、あまり無理はさせられないんだけどね。俺は、あいつからたくさんの事を学んだんだ」

「馬から?」

「ああ、賢いやつだよ。ほら、やっぱりそうだ」と言ってレイネは空を指差した。

「あれがナイト・レインボーだ」


 それは、月の下に弧を描く夜の虹だった。オリアーヌは息を呑む。それは神秘的で、はかなそうに見えるのに強くもある。そのままじっと月夜の銀色のような虹を見つめる。


「俺は君の夫に腹を立てていた」レイネが口を開く。


 オリアーヌは、レイネが不機嫌だったのはそのせいだったのかもしれないと思う。

そして、この月の夜とナイト・レインボーが彼のかたくなな心を解いたのだろう。


 かたくな・・・ずいぶん長い間、彼女は彼の気持ちが分からないでいた。


「私の夫に? レイネ、それは仕方が無いわ、彼は一生懸命に私をかばおうとしたのよ。私の処刑だって、私を突き出せばそれで良かったのに、わざわざあなたを呼んだんですもの」

「そうじゃない。君の父親が『彼なら君を守れる』と言ったんだ。それなのに」

「え? どういうこと?」

「俺が剣のトーナメントでチャンピョンになった時、そう言われた」

「あなたがチャンピョンになった時?」


 レイネが姿を消したのは、彼がチャンピョンになった後だった。

その後に、自分の結婚の話を聞かされたのだ。彼女はレイネに話したかったのだけれど、彼は去り、自分は失恋したのだと思っていた。レイネは剣の道に進めば進むほど自分から遠くにいる様に感じ、チャンピョンになった後は自分のことなど忘れてしまったのだと思っていた。


「俺は君を守るために強くなろうとしたんだ。だが君の父親に、剣の道では君を守れないと言われた」


「私を守る? では、では・・・私は・・・」

オリアーヌは、自分は「愛されていた」と言おうとしたが口をつぐんだ。


 今さらそれを言ったしてもどうにもならない。むしろ自分の存在が、彼の立場を危うくしている。それなのに、ここにこうして一緒にいられることの喜びが彼女を満たしていき、どうしようもなくなる。どうしていいのか分からない。


急にレイネは聞き耳を立てた。

「追っ手がいる」

「え?」

「やはりね。刺客かもしれない」


彼はオリアーヌの手を引き、ほろ穴の奥へ戻り、火を消すと、彼女を毛布に包んでくぼみに隠した。

「俺が戻ってくるまでじっとしているんだ」

そして馬に向かって、

「姉さん、あとはたのんだぞ」と言うと外へ出て行った。



 それから静かになった。

馬も動かず、その大きな目でじっとオリアーヌを見ている。

それは「大丈夫」と言っているようでもあり、無機質にも思える。その目に深く吸い込まれていき、気が遠くなっていく。



 しばらくすると、オリアーヌは金属がかち合う音に目を覚ました。レイネが戻って来たのだ。彼は疲れているようだった。


「レイネ、大丈夫?」

「ああ、三人いた。二人はしばらくは動けないようにしたから大丈夫だが一人は逃がしてしまった」

「動けなくした?」

「俺は人を殺すのは嫌なんだ」


 オリアーヌはくすっと笑う。

「そうね、だからセナ婦人はあなたのことを可愛がっていたのよね」

 そして目頭が熱くなり泣きたくなる。


 オリアーヌは、レイネが心の優しい少年だったのを思い出す。

虫を殺すのさえ嫌っていたので、剣を学び始めたのは驚いたけれど、その優しさのゆえに、相手を傷つけないように勝つ方法をあみ出していた。


「チャンピョンになっても、ミリタリーアカデミーに入らなかったし、士官もしなかったでしょう」

「今はチャンピョンになったのは余計なことだと思っている。そのままアリーナを去ったから、俺に挑戦するやつが後を絶たない。こうして今は吟遊詩人として諸国を回っても、やつらは追ってくる」


 オリアーヌは、レイネが詩人だったのを思い出す。

「レイネは、詩や音楽が好きだったものね」


 レイネはオリアーヌを見ると言った。

「俺は長くは生きれない。いつか誰かに倒される。だから、俺の事を気にするな」


「レイネ」

オリアーヌは驚いて大きく目を開けた。


 彼がそんなことを言うと思ってもいなかったのだ。

自分が想像もできない色々なことがあったに違いない。


 レイネは、オリアーヌの横に座ると目を瞑る。

「疲れた、少し休ませてくれ」と言ったかと思ったら、すぐに寝息を立てて眠ってしまった。


 オリアーヌは、そんなレイネを見つめた。


顔は日に焼け、いくらか傷もある。自分が知っていたあのやさしい少年は、眉間にしわのある厳しい顔に変わっていた。

そして恐る恐る彼の体に触ろうとすると、手がぬるっとする。

わき腹に血がついているのだ。レイネは傷ついていた。

オリアーヌの目から涙があふれ出し、そっと彼の胸に自分の頭を乗せ、腕で彼を覆い、彼の鼓動を聞く。


「ああ、レイネ、死なないで。お願いだから生きて」


 少し前まで、死ぬのは自分だと思っていた。

そして今、彼が死ぬのを心配している。


 レイネがいなくなった時、悲しかったけれど、どこかで生きていると思っていた。

生きていてくれるだけで良かった。

このままこうしていれば、誰にも見つからずに二人で生きていけるかもしれない。

ここで二人で生きていけたら・・・いや、それは出来ない。

自分は処刑されるはずで、チャンピョンのままアリーナを去ったレイネは、倒されるまで挑戦者がやって来る。二人がこのまま生きることはない。



 レイネが目を覚ますと、オリアーヌは自分の胸の上で頬を涙で濡らしながら眠っていた。

彼女を抱きしめようとした腕は止まる。許されるはずがないと知っているのだ。

そして彼女を起こすと馬に乗せ、洞窟を出る。森は朝霧で乳白色に変わっていた。


「霧が俺たちを隠してくれる。それにここは磁気を帯びていて、どんな電子機器も役に立たない。森を知らないやつらが俺たちを見つけるは難しいんだ」

そう言うレイネを、オリアーヌは聞いているのか聞いていないのか、ただ黙って馬の上で揺られている。



しばらくすると、彼らは沼地の真ん中に伸びた道に出た。


「ここからは一本道だ。道の両脇は沼で、泥に足を取られるから襲われることはない。霧もまだ深いから遠くから銃を撃つことも出来ない。沼の終わりまでは馬の足で一時間で行ける、向こう側には迎えが来ているはずだ。ここからは君一人で行ってくれ」


 オリアーヌは、我に戻ったように言った。


「いやよ。あなたと一緒でなきゃ行かないわ」

「駄目だ。残った一人はかなりの腕の者だ。君を守れないかもしれない」

「あなたが死ぬなら私も一緒に死ぬわ」

「そんなことを言うんじゃない」

「夫に見捨てられ、反逆者の汚名を着せられた私に何が残っているっていうの?」

「君には生きていてもらいたいんだ」

「そのためにあなたが犠牲になるの?」

「犠牲じゃない。それに俺が死ぬとは限らないじゃないか」

「あなたは怪我をしているじゃない」

「俺は簡単にはくたばらないよ」


 オリアーヌは泣き出した。

「レイネ! レイネ! 私は、もう一人になりたくない!」


 それは、彼女にできる精一杯の感情表現だった。


 レイネは、オリアーヌの手を取り、彼女の腹に当てた。


「ここにもう一人いるじゃないか」

「父親に捨てられた子だわ」

「じゃあ」


 レイネはもう一方の手で涙でぬれたオリアーヌの頬を拭った。


「俺がその子を拾おう。だから一人ぼっちじゃない」


 オリアーヌはレイネを見つめる。


「追っ手もすぐに来るとは限らない。一時間待ってからそっちへ向かう。それならいいだろう?」

「本当に? 本当に後から来てくれるの?」

「ああ、俺だって死にたくないよ」

そう言ってレイネは白い歯を見せた。


レイネは馬を沼の向こう側へ向けると尻をたたいた。馬は歩き出し、オリアーヌは振り返る。


「本当にすぐ来てね」


 レイネは微笑んで手を振る。


「姉さん、彼女をよろしく頼むよ」


 それが別れの言葉だった。


 レイネは、自分に問いていた答えを得たような気がしていた。


 子供だった頃、オリアーヌを守ろうとしてはじめた剣の練習、チャンピョンになっても達成されなかった空虚な思い、諸国を回る日々・

 そして結局、自分が彼女を守るのだ。



 オリアーヌは泣きながら馬をせき立て先を急ぐ。

霧が晴れ始めたころ、沼の向こう側へ着いた。

倒れ込むかのように待っていた人々の腕にすがりつく。


「レイネ、レイネを助けに行って。怪我しているの」


 そう言って、彼女は気が遠くなっていくのを感じた。



 オリアーヌには分かっていた。

彼が自分を追って来るつもりのないこと。

追っ手の最後の一人と戦い、果てるのを覚悟していることを。


 すべてが遠のいていく中で、オリアーヌは誰かが呼んでいるような気がした。



 レイネが拾ってくれた命、自分の中にある命が、自分を呼んでいる。


それは、子供の頃に聞いた子守唄のように、オリアーヌを包んでいった。 


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