自殺志願者システム
「続いてのニュースは自殺志願者プログラムについてです…」
ごく当たり前のように告げるニュース
2xxx年の地球では人口爆発により大規模な飢餓が発生。
それにともない食料を奪い合う戦争やら、クーデターやらが頻発していた。
それを解消するために考えられたのがこの(自殺志願者プログラム)
なんだか長ったらしい名前だが、単に死にたい、と思っている人を募集し、死に場所をつくる。
ただそれだけのプログラムだ。
「倫理的に間違っている」
発案当初はモチロンそういう声もあがったが、しかしそれらは問題にされないような、ごく少数意見でしかなかった。
この世の中ではもはや「死」は救いだったのだ。
明日の食料さえ確保できない、いつこの命が消えるかもわからない…
そんなすさんだ状況ではそうなるのはほぼ必然であっただろう。
ともかく、(自殺志願者プログラム)は滞りなく開始された。
暑さが厳しくなって、蝉が激しく鳴きだすような、七月の終わり頃。
その日は大抵決まって快晴。
青い紙の上に白いペンキをぶちまけたような気持ちの良い、快晴。
もちろんその空のしたのいたるところで争いは続いているだろうが。
そんな日に、前々から募集していた志願者たちが一斉に、国の中で規定されたある場所に集められる。
(その費用は国が払ってくれる模様。)
始められる前に、まず
「あなたは本当に今から死ぬことになりますが、よろしいですか?」
とだけ書かれた同意書が渡される。
最期の此方の世界に踏みとどまらせるための機会というわけだ。
それでも「死」を望む人は、
自らの言葉で同意書に肯定の言葉を書き込む。
「はい・いいえ」に円をつけさせるのではなく、自分の言葉で書かせることによって(今から私は死ぬのだ)ということを強調するためだ。
そのおかげなのか、毎年数人はそこで踏みとどまって帰ってゆく。
しかしほとんどの人はそのまま次に進んでゆく。
そこからがついに自殺志願者プログラムのはじまりだ。
…といっても死ぬだけなのだが。
まず志願者たちに一つの錠剤が配られる。
それ自体に致死性はなく、あくまで恐怖心を抱きにくくするためのものだ。
皆、それを飲みくだし、列になって次の工程へと進む。
眼前に広がるのは下が見えないほど高い崖。
もちろん人工のものだが、そこから飛び降りれば確実に死ねるそんな高さの崖が広がる。
下が見えないように真っ暗になっており、一歩踏み出すだけで死ねるようになっている。
そこに次から次へと志願者が飛び込んでゆくだけ。
それがこのプログラムの最も大切な核にあたる部分だ。
床は開閉する作りになっていて
人が落ち、絶命すると開いて遺体を収容する。すると、次の志願者がまた落ちてくる、そんな具合だ。
そのルーティンワークが志願者がゼロになるまで繰り返し繰り返し行われる。
落ちてゆく人たちは皆どこか満足げで満ち足りたそんな顔をしてきえてゆくのだ…
ここの管理者たちは口を揃えたようにそう告げる。
だからなのかこのプログラムに携わった人たちは数年以内に、参加者となっている確立がとても高い。
自らがいつ死んでしまうのかすら、予想ができなくなってしまったこの時代。
自分で死に場所を選べること、はたまた笑顔で死んでゆけることは幸せなことなのかもしれない。
こんな風にならないことを祈ります