まるでゲームのような
エミリアと別れ、僕はまず部屋を見渡した。
四畳半ほどの小さなスペースに、薄汚れたベットだけが置いてある閑散とした部屋だった。
しかし、日本にさえ、一畳程度の部屋に煎餅布団だけがひかれているドヤ街なるものが存在しているのだ。十分すぎるほどに上等である。
それにても、と想う。
僕はてっきりエミリアはストリートチルドレンだと想っていたのだが、どうやらそうではないようだ。マスターとの会話を聞いて判断するに探索者と呼ばれる存在らしい。
その存在がどうして新聞なんかを売って、糊口をしのいでいるのかは知らないが。
まあ、探索者やら冒険者やら、その辺はまた今度聞けばいいだろうと判断して、ベットの上に腰を降ろした。そして当面の問題を考える。
まず一番最初に気にしなければいけないことは生活費だろう。今、僕の懐はそこそこに潤っているが、資源は有限だ。有限の内に生活を軌道にのせる算段をたてなければいけない。
異世界に来た理由、また帰還することができるかどうか等々は【ご主人】と僕のことを呼ぶ存在に出会えた時に聞けばいい。
僕は不思議と不安を感じてはいなかった。
日本の高校では草葉の陰に隠れながら日陰を歩くような陰気で小心者であるはずの自分が、何故だかあらゆるしがらみから解き放たれたかのような晴々とした気持ちになっていた。
母や父、そして数少ない友人のことを考える。
けれども、そこに何の感慨も湧いてこない。僕はこんなにも情のない男だったのだろうか。この胸に沸き上がってくる感情は未知に対しての興味であったり、この後におこるであろうイベントに対する興奮だけだった。
この現実感離れした事態に、たぶん脳味噌が追いついていないのだろう。
想像ができないのだ。実感が持てないのだ――きっと。
徹夜で並んで手に入れたゲームを始める時の高揚感。
それに近いものを感じるのは、この非現実的な世界を生きていくために、心を守るために、必要なことだからだ。だから、脳がアドレナリンか何かを分泌しまくっているのだろう。
それだけではなく、少なくとも、ゴロツキくらいならば軽くのせてしまう圧倒的な腕力を手に入れたことも、それに拍車をかけているに違いない。
何となくゲームのように感じてしまうのも、それが原因なのだろう。
最初から運が良すぎている。言語が操れ、当面の生活には困ることもなく、身体能力は向上し、あまつさえエミリアにチュートリアルさえ受けられそうだ。
何となく苦笑して、僕はベットに倒れ込む。
ギィ、と鈍い木の軋む音がした。僕の体重を包み込んでくれることはなく、そのまま反発してくる。なまいきな輩だ。
しかし、床で眠るよりはずっとましだろう。
ああ、何となく、疲れた。
このまま眠りに入ろうかという時、またあの【声】が脳内に響いた。
(……あー、もしもし。繋がっているよね、ご主人)
まるで携帯電話だな、と想って苦笑する。
「繋がっているよ。僕の声も聞こえているのかな」
(聞こえているよ。あー、よかった。ご主人、魔力線が滅茶苦茶だから繋げるだけでも一苦労だよ。さっきも直ぐに断線してしまったし……)
「僕のほうでなんとかできるならするけれど」
(うーん。ありがたいけれど、無理だと想うからこっちで頑張るよ。それでね、ご主人。さっきは凄く情けなくて話しどころではなかったのだけれど、本題に入っていいかな?)
「ちょっと待って。本題も何も、僕は解らないことが多すぎる。こっちの質問に答えてもらってからのほうが有り難いよ」
声の主は申し訳なさそうな声を出しながら云う。
(ごめんね。ご主人。そりゃあ、ご主人の云っていることがもっともさ。当然だよ。けれども、このラインもいつ切れるか解らない。それにペトラ達にも時間がない。まずは云いたいことだけ云わせて欲しい。それはきっとご主人の疑問を解くことにも繋がると想う)
「ずいぶんと勝手な言い分だけれども、まあ、うん。仏の顔も三度までって云うしね」
(ほとけ? うん?)
「この議論をするだけ無駄だから我慢するってこと。時間がないんでしょ」
一番不毛なのは、云いたいと聞きたいで時間を無駄に浪費し、結局は何の実入りも得られないことだ。それに、完全にこの世界について無知である僕にとって、声の主の言葉を聞くだけでも得られる情報は多いはず。
(うん。ありがとう、ご主人。それで、ペトラはご主人にお願いがあるんだ――)
一瞬の空白がうまれる。
言い出すのを渋っているわけではない。緊張しているわけでもない。
ただ、言葉の重みの重圧に耐えるため、それを吐き出すために必要な沈黙だった。
(――端的に云うと、ご主人様には世界を救って欲しい)
はは。本当にまるでゲームじゃないか。
世界の半分でも提示してくれる魔王がいるのだろうか――などと僕は場違いなことを考えていた。