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気が付いたら異世界

 うへえ。

 と僕は唸った。紳士らしからぬ声音で唸ってしまった。


 しかし、待って欲しい。それには理由がある。諸君。諸姉諸兄の諸君。どうか僕の弁解を聞き入れて欲しい。蛙が潰れ、ミミズがのたうち回ったような声をあげてしまったのは正当な理由があるのだ。

 諸姉諸兄等は動物の糞を踏んでしまった時、どのようなリアクションをするだろうか。恐らくは顔を歪ませ「ああ、やってしまった。最悪だ」と肩を落とし、この世の理不尽を呪うことだろう。そして、その感情の全てをこの言葉に凝縮させるに違いない。即ち「うへえ」である。


 そう、うへえである。どうしようもない理不尽に見舞われてしまったとき、誰でもそう唸ってしまう。そう唸ることによって自らの精神状態を表現するのだ。だから、僕が紳士らしからぬ声をあげてしまったことは赦して欲しい。

 軽率な者は、前述した例を鵜呑みして「ははあ、うんこを踏んづけたのだな。この少年は」と早合点するだろうが、それは勘違いも甚だしい。それに、僕が遭遇した出来事はそれよりもはるかに性質の悪いものである。うんこのほうがまだ良かった。


 目の前で二本足で歩くトカゲの行商がリンゴのようなものを売っていた。

 うん、何となく察しはつくだろう。異世界トリップである。






 ◇◇◇



 さて、これからどうしたものか。日頃の妄想を爆発させたかのようなファンタジーが眼前には広がっている。

 石畳の上で馬車が走り、猫耳の獣人が露店から顔を覗かせて客を引き込む。人相の悪い男達が鎧を着て酒場に入っていくかと想えば、魔法使い然とした黒ローブに杖を持った白髪の老人が悠然と壁にもたれ掛かっている。

 現状で救いがあるとすれば、雑多な声の一つ一つを理解できるということだろうか。何だかよく解らない力が働いて、この世界の言語を理解することができるらしい。僥倖である。こちらの言葉が向こうに通じない可能性は残るものの最低限のコミュニケーションは取れそうだ。

 よおし、と自らを奮い立たせてトカゲのおっちゃんに果敢に話しかけてみる。


「おっす。今日もいい天気ですね」


「おお、元気なボウズだな。久方ぶりの晴れ間だし、陽気になるのも何となく解らなくもねえがよ」


 と云うとおっちゃんはガハハと豪快に笑った。

 よし言葉は通じているな。


「まあね。陽気で楽天家なところだけが取り柄だからさ、僕」


「めそめそしているよりはずっといいわな。んでよ、ボウズ、旅行者だろ? ついでにラクマニア名産のリールはどうだい。瑞々しくて甘いぜ」


「僕がここの者じゃないと解るなんて、おっちゃん、なかなかいい目してるじゃない」


「そりゃあお前さん。そんな奇天烈――おっと、こいつは失礼。まあ、珍しい格好していりゃあ誰だってわからあな」


「名推理だね。その通りだよ」


 そういって自分の着ている服を改めて見る。

 学校に行く道中だったので今は制服のブレザーに身を包まれていた。


「更に推理を進ませてもらうとだな、お前さん、結構な身分を持っているか金持ちだ」


「おお、すごい。なんでそこまで解るのさ」


 僕は恐らくこの世界で最もすっとぼけがうまいのでないだろうかと自画自賛。


「まず着ている服の材質がいい。それと首にまいているそれは、この国の貴族がつけているジャボットに似ているからな。まあ、名推理とまではいかないが、ふふん。なかなかの読みだろう」


「わかるでしょー。この服のよさ。幾らぐらいするもんだと想う?」


「うーん。悩むとこだが銀貨5枚。どうだ。こんなもんだろ?」


「おっちゃん、推理はいいけど服を鑑定する目はないねえ」


「冗談だろ。これでも俺ぁ結構な人間見てるからな。大体の価値くらいは解る。……実は銀貨8枚くらいするの?」


 おっちゃんの最後が小声で何となくおかしくなって吹き出す。


「逆逆。銀貨1枚さ。意外と安物なんだよ」


「ホントかよ! そうは見えねえなあ。まあ、銀貨1枚を安物というのはどうかとも想うがな、ボウズ。1枚ありゃあこの樽一つ買えちまえるじゃねえか。っと、商売しなきゃだな。どうだい、お一つ」


 そういってリンゴ――確かリールだったか――を手渡す店主のおっちゃん。

 僕は出来る限り申し訳なさそうな顔を浮かべて云った。


「ごめんね。どうも物取りにあったみたいでさ。今僕文無しなんだよ。独りで歩き回るのはよくないね」


 世間知らずの坊ちゃんから幾らかふんだくろうと想っているだろう店主のおっちゃんは些か不愉快そうな顔をするかな――と考えていたが現実は逆だった。

 こちらが申し訳なくなるくらいに気の毒そうな顔をすると「まあ、この辺も治安がよくねえからなあ」とおっちゃんは呟いた。


「すまねえなあ、祭りが近くなるとどうしても物騒な奴が多くなっちまってな」


「おっちゃんが謝ることじゃないよ。僕の不注意なんだから」


「それでもなあ。この街を愛する一市民として心が痛むぜ」


 なんといい人なんだ。

 てっきりファンタジーなんだから「世間知らずなガキは身ぐるみはいで売っぱらっちまうぜーッ!」みたいに世紀末な輩ばかりだと想っていたがそんなことはなかったらしい。

 凄まじい善性をもつトカゲのおっちゃんの側に居るのがいたたまれなくなり、宿に戻ると嘘をついてそのまま別れた。


 さて、僕の心は無駄に痛んだが、とりあえずの方針は決まった。

 とりあえず質屋を探してこの服を売ってしまおう。なかなかの高額で売れそうだ。辺りを見ると多様の種族がいるし、多くの人々が行き交っている。祭りがどうのとも云っていたし、この街の経済規模はそこまで小さくないはずだ。

 それならば絶対に金貸しは存在している。金に困っている奴はいつの世だって存在しているんだから。


 それにこの辺りは治安が悪いと、あのおっちゃんは云っていた。

 ということは、こんな右も左も解らないボンボンが、人目をひくような高価な服を着て街を歩いていたら、鴨が葱を背負っている以外の何ものでもないだろう。

 だから早いところこの制服を脱ぎ捨てて、普通の服を買う必要がある。

 急いで質屋を探さなくては――。






 ◇◇◇



「うん。まあね。こんなことになるだろうとは想っていましたよ」


「ああ、てめえぇ何わけのわかんねえこと云ってやがんだッ!」


 僕、絶賛大ピンチ中。

 質屋を探し初めて僅か10分以内のことである。

 ナイフのような刃物で脅されて、そのまま逃げ場のない路地裏まで引きずり込まれてしまった。

 どうやらあのトカゲのおっちゃんが底抜けにいい人だっただけで、世紀末な輩は思いの外、多そうだ。


「さっさと金をだせよ。そうしたら俺も手荒なことはしなくてすむんだからよぉ」


 嫌らしい笑みを浮かべて躙り寄る男。どうせ躙り寄られるなら女の子がいい。


「ふふ。君、僕を狙うとは運がないね」


 僕は不敵な笑みを浮かべながら首の関節をならす。

 突然の僕の変貌ぶりに男は一歩後退して、ナイフを構えた。


「こちとら素寒貧で明日にも困る身よ。むしろ恵んでくんない?」


「なんでそれでそんな偉そうなんだお前ッ!」


「僕のジャパニーズ土下座術が出る前に、円満に終わらせようじゃないか。つまるところだね、僕の身ぐるみを剥ぐだけで勘弁してくれない?」


 いそいそと僕は自発的に制服を脱ぎ始める。


「……お前、凄く情けない奴だな。いや、仕事が早くてこちらとしては助かるんだけれどよ。なんつーか、男の誇りとかそういうのはねえのか?」


「誇り、か。そんなものは犬にでも喰わせておけ」


「いや、凄いドヤ顔で云っているけれど全然格好良くないからな――て、ちょ。パンツまでは脱ぐな。汚いもんが見えるだろうがッ!」


「意外と優しいのね。……ぽ」


「頬を染めるな! 気持ち悪ぃなもう!」


 服をたたみ、床に置く。

 当面の資金源として期待していたが、命には代えられまい。

 むしろ此処で下手に行動して命を失う方が――


(うわあ、と云わざるを得ないよご主人。ようやく魔力線ラインが繋がったと想ったら何してるのさ。ペトラは落胆と嫌悪が隠せなくて、何でこんなのがご主人なのか大妖精様に問いつめたくて仕方がない精神状態に追いつめられてしまったんだけれど)


 脳内で女性の【声】がする。

 まるで銀と銀を擦り合わせたかのような凛とした声だった。

 突然の事に戸惑う間もなく【声】は続く。


(ご主人の恩寵ギフトを考慮すればこんな奴、ものの数じゃない。さあ、ご主人。そんな情けないことをしていないで、ささっとやっつけちゃってよ)


 ――そんなこと云われましても、な僕を置き去りにして【声】は消えた。

 こんな奴ものの数じゃない、ねえ。

 あれだろうか。よく巷で見かける俺TUEEEなのだろうか。

 実感はないけれど、何となくそんな気がした。

 そして丁度良く、目の前の男は毒気が抜かれすぎたのか、こちらにナイフを向けることもなく下を向いて服を拾っている。

 これはもしかして好機という奴なのではないだろうか。自慢の拳がついに火を噴くときがきたらしい。


 俺の拳骨をくらええええええええええええッ!!!


 と拳を振り上げた瞬間、服を拾い上げた男と目が合う。


「……」


「……」


 気まずい沈黙が流れ、男は黙ってナイフをこちらにむけた。 


「とりあえず、だ」


 男は静かに云う。


「半殺しでいいよな?」


 ダメダヨ。

 などと云える雰囲気ではなく、明らかに怒気を放ってこちらに襲いかかってきた。

 ああ脳内の電波に身を任せるんじゃなかったと、己の行動を悔いつつ、僕は顔面にとんでくる拳の衝撃に備えて目を強くつむった。


 ……。


 ………。


 …………?


 おかしなことに衝撃はいつまでもやってくることはなく、不思議に想い、目を開けるとそこには拳を押さえてへたり込む男の姿があった。


「てめえ、どんだけ堅ぇんだよ……ッ!」


 殴られたと想ったら殴られた方が倒れていた。何を云っているか解らないと想うが、僕も何が起こっているか全く解らない。

 ともかく逃げ出す好機であることは間違いない。僕は男を突き飛ばし路地裏から奔り去る――。


「つもりだったんだけれどなあ」


 突き飛ばした男がそのまま壁にめり込む様を見て、僕は嘆息を一つついた。

 俺TUEEE系の異世界トリップものであることが確定した瞬間であった。

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