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メカニカル ~命に応える機械の物語~  作者: 平田公義
第一章 脱兎追われて、少年と出会う
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 別のシリーズとの関係で、こちらは一週間、数日に一度でまとめて掲載する予定です。その分、文章量がありますことをご了承のほどお願いいたします。

 堅苦しいうえ拙い文章ですので、楽しんでもらえたなら幸いです。また質問、感想などありましたら、よろしくお願いいたします。

 外は雷雨が激しく、夜明け前の海はほとんど視界が利かない。轟く雷鳴。荒れる波風が、容赦なく停泊している軍艦に打ちつける。


 しかし、その軍艦の中でもスクランブル警報が鳴り響いて、外の音など気にしている余裕などなかった。


 格納ブロックで一体の〔MB〕、マシーン・ボディが足元の人だかりを踏まないように、右往左往しているからだ。その機体は戸惑った様子で格納庫内に頭部をぶつけ、コンテナを蹴飛ばしたり、駐機されている短距離離着陸(STOL)戦闘機の主翼につまずいたりしている。


 作業帽を被った整備員たちが慌てて、蜘蛛の子を散らすように、その蹴とばされたものや機体から逃げ回る。


 その中に、一人の研究員が忌々しげな表情で暴れまわる〔MB〕を睨み付けていた。


「止めろっ!! 電子ドラッグ、電気ショック、なんでもいい!! あれを、兎をここから出すなっ!」


 格納庫ブロックを歩くその機体は、六メートルから七メートルはあろう巨体だ。


 人型。しかし、頭部はパイロット・キャップをかぶった兎のような貌で、二の腕や腰つきが今にも折れてしまいそうなほど細い。逆に膝下や肘から先にかけては太く、力強い印象が窺える。

 

 待機命令を受けていた整備員たち、艦内クルーたちが入れ替わるように格納ブロックに流れ込み、手にした有線バズーカの照準を標的に合わせる。


 ドウンッと空間に響く爆発音をともに、バズーカから放たれた銛が次々と標的に突き刺さった。軽軟鋼装甲と呼ばれる分厚い衣類のような装甲を避けて、装甲の薄くなっている腹部や二の腕に狙いが集中する。


『――――ぎぐぅう……』

 

 兎は鎌首もたげて、痛々しい悲鳴を上げ、床に手を突いた。長い耳型のアンテナも垂れ下がっている。


「電流っ!!」

「メンタルサインを随時確認しろよ。麻酔は弱ってからでいいっ」


 瞬間、バズーカを構えている整備員たちがもう一度トリガーを引くと、艦内の電源から得られた高圧電流が襲い掛かった。


『ぉぉぉぉぉおおおおおおおおおんっ!!!!!!』


 耳型アンテナをピンと立てた兎が逆海老に仰け反る。外部スピーカーが高圧電流によって、破壊されひび割れた悲鳴が格納庫に響き渡った。


「これ以上は、危険だ! 反応が低下している!」


 兎が痙攣を起こし、肩や足の排気ダクトから煙が立ち込める。


 整備員の一人が、隣りで息を切らせている研究員に言った。睨み付けていたあの研究員だ。


 彼は依然、怒りに燃えた目で悶え、苦しむ兎を睨み続けた。あの機体は彼を乗せることを拒み、さらに逃亡まで図った。そんな欠陥品など壊してしまえ、と怒りとプライドが叫んでいるのだ。


「構うなっ!! 破壊する気でやれっ!!」

「開発者だろうによっ!?」


 瞬間、格納庫内の照明が一気に消え、あたりが真っ暗になった。


 整備員たちのどよめきが湧く。


「どうなった?」

「わかりません。格納庫内のブレーカーが飛んだのかもしれません」

「違うっ! 見ろ!! あれだ!」


 パチパチ……、パチパチ……。


 何かが小さく弾ける音とともに、真っ暗な格納庫内に淡い光が灯った。まるで、蛍が舞うように青白い燐光が兎からにじみ出ているのだ。それのエネルギーが有線を通して逆流したのだ。


「命の光……。ライフ・ライトをパイロットもなしに……」


 一人の整備員がバズーカをぼとりと床に落としながらつぶやいた。


 生き物が持つ命の根源的なエネルギー。なぜ、人が食物連鎖を続け、その中で『生きる』という歴史を重ねるのかを解く、精神の源泉ともいえるもの。それが、気吹鉱(いぶきこう)と呼ばれる鉱物を精錬することによって、エネルギー物質として引き出すことが可能となった。

 

 普通、精錬された気吹鉱(いぶきこう)を使った〔MB〕の構造は、パイロットの生体エネルギーを増幅させて、こうした発光現象などを起こすことはできる。


 が、兎にはその動力源となるパイロットはいない。


 しかし、燐光を纏いながらふらふらと立ち上がる兎を見た研究者は、その顔を一層険しくした。


「あくまで、逆らう気か……」


 兎のくりっとしたセンサーアイが赤く光った。


『おおおおおおおおおおおおおおおおんんっ!!!!』


 瞬間、機体を中心に空気の波濤が格納庫内に起きた。完全密閉の空間に突風が巻き起こり、整備員たちが吹き飛ばされる。波のように押し寄せる突風に、格納ブロックが軋みだす。


 突き刺さっていた銛が次々と抜け落ち、乾いた音を立てていく。


「ハッチを開放しろっ!!」


 壁に打ち付けられた整備員の一人がヘッドセットに叫んだ。


 その指示は研究者の耳にも届いた。


「よせっ!! 逃亡されるっ!!」

「でなけりゃ、俺たちが潰れちまうだろうがっ!!」


 すると、格納ブロックの天蓋リフトの出入り口が解放され、突風の逃げ道ができた。


 外は激しい雨。しかし、吹き込む雨を、兎は展開してフィールドで弾く。まるで、見えない壁に雨が避けているような力が働き、軌道を四方八方へと散らした。


 兎は真っ暗な空を見上げると、センサーアイを青く染める。


 それに感応するように、生み出される燐光は〔MB〕を包むように薄い球体の膜を作った。シャボン玉にすっぽりと入ったようだ。発光現象が弱まっていく。しかし、兎を包む膜は確かに雨を防いだ。


「フィールドを形成している。飛ぶつもりだ」


 研究員は兎が弾いた雨に頬を濡らしながら言った。もう、光はほとんどない。だが、かすかに見えるシルエットは確認できる。


 グゥウン、グゥウン、グゥウン……。鼓動のように空気が唸る。呼吸を整えて、タイミングを見計らうかのようだ。


 そして、兎は膝を目いっぱいにまげて、準備を整える。


「耳を塞げっ! あいつ、跳ぶぞっ!!」


 刹那、バンッと空気を突き破る音が格納ブロックを襲った。その衝撃波でさらに、整備員たちは床を転げまわり、壁際へと追いやられる。


 耳鳴りが空間を支配し、整備員たちはバランス感覚を失う。目の前にいたはずの巨大な兎は忽然と姿をけし、天蓋ハッチから強い雨が吹き込んでくる。


「ぐ、うう。状況は、最悪だ」


 研究員は苛立ちに唇を強く噛みしめる。徐々に血の味が口内に広がっていく。


 思い通りにいくはずだった。今逃げて行った〔MB〕、〔ラビット・キャップ〕は従来の機体以上に生体エネルギーを増幅できる、と予測されている。パイロットの思惟を導き、膨らませ、エネルギーに変えるバイオ・コンピューターが実装されているからだ。


 しかし、機体は、あれは彼の思惑をことごとく踏みにじった。どれだけ手塩にかけて来たことか。


 研究員が頭を抱えて、体を起こす中で、艦内クルーたちもまた立ち上がってブリッジに報告を入れていた。


 追撃部隊が出る手筈がされているようだ。


「俺の元を去ったことを後悔させてやるぞ……」


 研究員は怨念のこもった声で言った。


 一方で、〔ラビット・キャップ〕はフラフラな処女飛行で、暴風雨の空を飛ぶ。ライフ・ライトはフィールド展開して飛行時の推進、揚力ともなり、武器を持てばそのエネルギーをぶつけることも可能だ。


 いくら雨に濡れないとはいえ、不完全な制御では上下左右と殴りつけてくる風までは防ぎきれず、荒波にもまれるように東の空へと遠ざかって行った。


                         間幕


 近未来。日本は度重なる地震の歴史の中で恐怖の絶頂ともいえる列島分裂を経験した。山腹は崩れ、地面は割かれ、中部地方を分かつようにして、西と東に日本列島は別れてしまった。未曽有の自然災害に、人々はこの大きな混乱に立ち向かわざるを得なかった。


 これによる津波の災害も数多く取り上げられ、日本だけでなく世界有数の災害と認可されるなか、中央集権だった日本政治は事態の把握に遅れてしまう。結果として、西側に分かれた日本では自治行政機関が自発的に発足され、西府(せいふ)の名を掲げて西の復興に乗り出す。そのことに、東側は黙認し、政東(せいとう)が東の復興に力を注ぐ。


 それから二年あまり。日本は今だ復興政策の真っただ中の貧しい暮らしをしていた。内陸部は地震によって倒壊した民家を撤去して農業を始め、多くの人々が海沿いの町へと疎開している。


 そこで、政東(せいとう)西府(せいふ)と歩み寄る体制を整えようとする。中央集権の復活を計ってのことだ。しかし、西府(せいふ)はこれを拒否し、地方分権を主張。膨れ上がった議員たちは自分たちのポストを考えてのことだった。そしてなにより、西府(せいふ)の勢いは強く、東以上に復興が進められていた。もともと、土着の議員による有志政府というイメージ政策が支持を得ていたのだ。


 事実上の独立宣言。


 これに対して政東(せいとう)は危機感を覚える。実際、沖縄在日米軍が追い払われ、東で保護することになっているのだ。そして、西側が大陸との連携体制を取ったことで確執は、日本だけの問題ではなくなってしまった。


 欧米と中国との確執が深まり、日本では西と東との間で、緊張状態が起こり始めていた。そして、武力に訴えかける準備として、〔MB〕が製造されていく。

 

 撃鉄を上げて、銃を突きつけあっているような危機は、もう起こり始めている。


                         1 


「シイ……、ワタセ? 十七歳か。変わったファーストネームだ」

「女みたいな名前だが、漢字にすると随分だ」


 そういわれた少年、渡瀬(わたせ)士依(しい)は背負っていた巨大なザックを下した。着ている学ランは泥だらけで、精悍な顔つきは少しばかりやつれ気味だった。これでもっと健康的な顔つきなら、短い髪と相まって好青年という印象を抱くだろう。


「よく言われるよ。誰も失礼とか、思わないのかね?」


 士依(しい)は肩を竦めて言った。


 吹き抜け構造のテントの元、一人の日本人男性と一人のアメリカ人男性が二人の身元を確認している。どちらもカーキ色の野戦服を着て、身なりも整っている。


 二人の軍人はそんな彼の発言にひきつった笑みを浮かべたが、その隣に立つもう一人の方に視線を移した。


「こっちは、リコ、ワタセか? 十四歳……。妹か?」

「う、えと、はい……」


 セーラー服をきた少女渡瀬(わたせ)璃瑚(りこ)が小声で質問に答えた。涙ぼくろのある顔は幼く、ざんばらな髪が吹き込んでくる潮風に揺れる。背は兄の士依(しい)より頭一つ分も低い。彼女もまた小さなザックを地面におろした。


 彼ら兄妹は横浜港で炊き出しを得るために並んでいる最中、警邏していた軍人たちに検閲を受けることになったのだ。


 雨上がりの土の臭いがする中に、ほのかに漂う香しいスープの匂いが渡瀬(わたせ)兄妹の空腹感を呼び覚ます。


「この学生証。住所が埼玉とあるが、あそこは畑仕事をする場所だ。疎開はもう二年も前から始まっていただろう?」

「両親が死んで、身元が確認されなかった。だから、しばらくそこで暮らして、生活が苦しくもなれば、海沿いの町なら飯もくいっぱぐれないと思うだろう? 実際、ここで炊き出ししてるんだから」

「確認が取れなかった? 行政は無条件に疎開政策を出していたが?」


 そのあっけらかんとした声を上げる日本人。


 士依(しい)政東(せいとう)の悪癖である、情報伝達不足を目の前にしているようで気分が落ち込む。現実として、行われた政策というのが民主主義的に大多数の人を救う。が、少人数の犠牲を伴っていることを誰も知りはしないし、公表もされない。


「…………」


 璃瑚(りこ)が眉間に皺を寄せて、無言の訴えを向ける。


「疎開できるのは、身元がわかる人だけで他は置き去りだったよ。大陸からの違法移民が多発していたからな。それに、疎開が始まったのは一年前だ。二年前は震災があった年。そこまで迅速な対応が、できるものか」


 士依(しい)の言い分に、二人の軍人は目配せして互いの是非を確認する。


 そして、彼を憐れむようにアメリカ人男性が朗らかな笑みを浮かべる。


「今のこの国にわざわざ渡来する意味があるのかい?」


 侮蔑と哀れみ、差別の入り混じった本音が堂々と暴露された。


 アメリカは政東(せいとう)側を援助する姿勢を取っているが、そんなものはおそらく建前でしかないだろう。在日米軍の保護をしてくれたことに感謝はしていたとしても、もっと別の目的を腹に抱えて活動している。


 中国との代理戦争。


 そうした噂がまことしやかに囁かれ、避難民たちは不安を抱いている。西と東、同じ日本人が戦争を引き起こすのではないかとメディアは焚き付け、ネット環境も壊滅した今の日本では得られる情報が少ない。


 アメリカ人男性はゆったりと士依(しい)璃瑚(りこ)の方へと回り込む。


「ともかくだ。荷物検査をさせてもらうよ? それから名前を控えさせてもらって――――」


 日本人男性が反対側から回り込んで言った。


「お風呂は夜に提供できると思うから、入りなさい」

「…………」


 璃瑚(りこ)は気恥ずかしそうに頬を赤らめると、セーラー服のスカーフの匂いを確認する。長いこと山道やら瓦礫の中を渡ってきたためか、川で水洗いした程度では誤魔化しきれない生臭さがあった。


 士依(しい)は物色のために屈んだアメリカ人男性の、その綺麗な金髪に唾でも吐きかけたい思いをぐっと押さえて、その作業を見守る。


 すると、アメリカ人男性は士依(しい)の担いできたザックから信じられない、と目を丸くしてあるものを取り出した。


「おぉ、これはポテトか。こっちはニンジン? どうして、持ってる?」


 険のある言い方で、アメリカ人男性はビニール袋に詰まった野菜を士依(しい)に突き付けた。


 士依(しい)は物怖じすることなく、それを奪い取って言う。


「ここに来る途中で、いただいたものだったり、掘り起こしたものだ」

「掘り起こしたのなら、窃盗だぞ。他人の畑から奪ったのだろう?」

「タイヤ跡の残った畑を、誰が管理してるっていうんだ。お前たちだって、言えた口じゃないはずだ」


 渡瀬(わたせ)兄妹は、この横浜に来るまでいくつかの農家を訪れていた。疎開することなく、その土地で暮らす人だ。他にも、打ち捨てられた田畑もあった。


 それらの畑を荒らした表本人は他でもない。装甲車を走らせる軍隊だ。


 日本人男性が視線をそらして、唸った。言い訳できない、といった感じ。加えて、今の貧困を思えば荒れた畑から野菜をくすねるくらいは、許せる範囲だ。


 しかし、アメリカ人男性は人差し指を士依(しい)に突き付けて、どすの利いた声で言った。


「なら、この野菜は配給の食材に回して、みんなのものにする。それが、最低限のマナーだ」

「奪うのはお前らの方じゃないか!?」

「一人だけってわけには、いかない。妹がいるまで、情けない姿はさらしたくないだろ?」

 

 その発言に、士依(しい)はぐっと握りしめた拳を堪えて、背後で首を振る璃瑚(りこ)の姿を見た。


「お兄ちゃん、ここに着いたんだから、あげたっていいじゃん。配給とか受けられるんだから」


 執着がないようでいて、やはり食べ物を取り上げられるのは、璃瑚(りこ)もあまり快くは思はない。


「辛いのはみんな同じだって……」


 璃瑚(りこ)が苦々しく言葉を紡いだ。精一杯の我慢が、ひしひしと伝わってくる。


 士依(しい)だって、それくらいの思考はある。


 今はみんなが辛い時で、そして、誰もが一人より裕福になりたい時だ。自身を守るので精一杯なのだ。家族を持つものなら、他人など気にしてはいられないかもしれない。


「そうかも、しれないけどな……」

「仕方ないじゃん。わたしだって、それくらいの我慢はできるもん」


 こればかりには、士依(しい)も頭が上がらない。


「一応、こっちのリュックも調べさせてもらうぞ」


 そういって、日本人男性も璃瑚(りこ)の背負ってきた小さなザックを調べだす。中にはサバイバルようのロープや手回し発電就きの多目的懐中電灯、スコップなど彼らの生活感を物語るものが詰まっていた。


 士依(しい)は不機嫌そうな顔で睨み付けてくるアメリカ人男性を見て、渋々野菜の入ったビニール袋を渡した。


 アメリカ人男性は鼻を鳴らして、ビニール袋から二つサツマイモを取り出して突き出した。


「武士の情けってやつだ。そこの可愛い妹に感謝するんだな」


 士依(しい)は悔しさに歯噛みしながら、サツマイモ二つを手にした。


                         2


〔ラビット・キャップ〕が逃亡して、五時間が経とうとしていた。


「…………」


 その脱走〔MB〕の開発者たる杜屋(もりや)研隆(けんりゅう)は静かな怒りを湛えた表情で、艦橋に足を踏み入れる。


 彼がいるのは、政東(せいとう)国防軍、第三航空母艦〔ハヤトマル〕だ。広い飛行甲板と背の低いアイランド。不釣り合いな船底の細さは、絶妙なバランスを持って浮かんでいる。


〔ハヤトマル〕は現在、列島分裂で生まれた岐阜港を出港し、太平洋側の沿岸を航海をしている。


「追撃部隊からの報告は?」


 研隆(けんりゅう)の声に、若き艦長である草薙(くさなぎ)大輔(だいすけ)が反応をする。きっちりと着込んだ軍服と初々しい顔立ち、制帽を直す仕草はプレッシャーを跳ね除けるおまじないのようなものだ。


「今、通信中だ。マシーン・ボディなんてものは、初めてだからな。通信士、光回線はどうか?」

「ライフ・ライトの影響で歪み気味ですが、何とか」


 通信士はデスクについて、ヘッドセット片手に言った。


〔MB〕、気吹鉱(いぶきこう)が具現化させるライフ・ライトは通信手段のほとんどを屈折させてしまう。しかし、パイロットが受領すれば、回線は受け入れられるように、〔MB〕には強力な受信アンテナがついている。〔ラビット・キャップ〕でいう兎に耳に相当する部品だ。


 とはいえ、パイロットが自身の生命エネルギーを制御しきれなければ、こうした支障も出てきてしまう。


 大輔(だいすけ)は手元の皮手袋をぐっと手首の方に引っ張って直すと、隣りに堂々と立つ研隆(けんりゅう)を一瞥する。彼は大輔(だいすけ)よりも年下で、部下に相当する人間だ。


 それが好き勝手自分の艦内を歩き回る傲慢さには呆れて、ものも言えない。


「よし。回線繋げ」

「了解。スピーカーに回します」


 通信士が回線を整えると、艦橋のスピーカーからノイズが走った。


 金属音のような甲高いノイズ。悲鳴のようなライフ・ライト特有の騒音に、艦橋のクルーたちは眉間に皺を寄せた。


 すると、スピーカーの向こうから声が聞こえてきた。


「こち、ら、〔ドッグ・シャドー〕一番機――――、大城(おおき)少尉」


 徐々になる鮮明になる野太い男の声。


〔ハヤトマル〕所属〔MB〕パイロット、大城(おおき)直次(なおつぐ)の声だ。


「現在、二番機パイロット長谷部(はやべ)少尉が予想以上の体力を消費したため、静岡近郊で休息中です。しばらくすれば、もう一度飛行は可能になります」

「すみません、艦長」


 今度は長谷部(はやべ)駿護(しゅんご)の弱々しい声が聞こえた。


 二人は〔MB〕、〔ドッグ・シャドー〕のパイロットとして迎え入れられた若い士官であり、高い技能を持っている。


 しかし、模擬訓練の際に見せていた操縦技術も、体力がつつかなければ話にならない。


 俊護(しゅんご)の深呼吸する声が、艦橋に漏れた。


「大丈夫か? このあたりは森林が多いから、気は休まるだろうが……」

「僕はそんな目の保養などで治るとは、思えないよ」


 直次(なおつぐ)の気遣う声を皮肉って、駿護(しゅんご)の悪態。


 艦橋にいるクルー全員は、苦い顔を浮かべてそのやり取りに不安を覚える。

 

 駿護(しゅんご)はもともと、航空戦隊に所属していたのを海上戦隊に異動されたために、あまりこの部隊には馴染んでいないのだ。


 その意味では、直次(なおつぐ)はそんな彼の不安を相棒として対処してくれている。世話焼きらしい気遣いだ。

 

「わかった。しかし、休息は一〇分だ。それ以上休息を取れば、兎を取り逃がすことと知れ」

「了解、草薙(くさなぎ)艦長」

「恩に着ります」


 直次(なおつぐ)駿護(しゅんご)が慇懃に返事をした。そこには、近い歳ながら上官に対する尊敬の念らしいものがあった。


草薙(くさなぎ)中佐っ!」


 一刻も早く捕獲を望む研隆(けんりゅう)は苛立った視線を大輔(だいすけ)に射て唸る。


 対して、大輔(だいすけ)は制帽の位置を直しながら、淡々と挑発的に言った。


「彼らもマシーン・ボディなんて革新兵器に手をこまねいているんだ。逃げた機体を捕まえれば、文句ないでしょう?」


 研隆(けんりゅう)はそんな軍人たちのやり方をじれったく感じて、ぐっと握り拳を作った。


「当たり前だ。が、最低破壊は遂行しろ」

「しかし、それは――――」

「これ以上まごつくようなら、俺が出てケリをつけてやる」


 直次(なおつぐ)の意見を、真っ向から遮断する研隆(けんりゅう)


 何を迷うことがあるだろうか。逃亡者は排除する。捕獲がかなわないなら、情報が漏れる危険性も考えれば、確実にこの世から消し去ってしまう方が堅実的だ。


 そして、彼のプライドを傷つけたことを後悔させてやる必要もある。目上の者に対して、絶対的服従をするのが役割なのだから。


「了解。任務に戻ります」


 数秒の間をおいて、直次(なおつぐ)の覇気の失せた声が響き、通信が途切れた。


「まったく、情に流されやすい兵士はどうしてこう使えない」

「部下の誹謗中傷はやめろ、杜屋(もりや)博士。あなたが政東(せいとう)の保護下に置かれていることを、よく理解してもらいたいものだな」

「フンッ、狗が。西の情報欲しさに抱き込んだのは、そちらだろう? 何を偉そうにする。俺がいなければ、この部隊もマシーン・ボディの配備もままならなかったことを、そのちんけな頭に叩き込んでおけ」

「…………ッ」


 大輔(だいすけ)は目元の筋肉を引くつかせながらも、ぐっと拳を抑えた。


 彼の言うとおり、残念なことに〔MB〕の研究員として招かれた杜屋(もりや)研隆(けんりゅう)がいるからこそ、〔ハヤトマル〕だけでなく政東(せいとう)の次世代兵器の導入ができたのだ。


 研隆(けんりゅう)は侮蔑の視線を艦橋にふりまくなり、さっさと出て行った。彼もまた追跡に出るのだろうと、誰もが予見する。


「あの野郎っ。偉そうにしやがって……」


 姿が見えなくなると、大輔(だいすけ)は制帽を掴んで床にたたきつけた。堪えていた怒りをぶるけるように、折り目正しかった制帽がしわくちゃになって床に転がる。


 艦橋クルーは肩を竦めるなり、ため息を吐くなり、彼への哀れみと我慢弱さにあきれ返った。




 静岡県の山腹は春を思わせる暖かな風が吹き、木々を揺らしていた。少し目を遠くにやれば、富士山の白い頂が見える。山鳥が囀り、ささやかな風の音が自然のすっきりした空気を運んでくる。


 その新緑に身を隠すように、〔ドッグ・シャドー〕は七メートルはある巨体を跪かせている。黒で統一されたカラーリング、細い体つきに分厚い防弾ベストを着込んだような風采は、機動部隊のそれに準じた兵装だ。そして、武骨な犬を連想させる頭部を見れば、ドーベルマンという印象を受けるだろう。


 そのリア・ラックにはアサルトライフルを模した銃があった。ライフ・ライトによって撃ちだす構造で、炸裂弾を装填している。さらに腰には短刀を携帯し、接近戦にも備えている。


「まったく、一〇分しか休憩なしかよ」


 長谷部(はせべ)駿護(しゅんご)ぼやいては、シートに深々と腰かけた。細いフレームのメガネに、長髪、細い顔つきはパイロットというより、研究者のイメージが強く感じられる。


「少しは考えてく欲しいものだ。想像以上につかれるってのいうのに……」


 駿護(しゅんご)は体の芯から命を吸われているような疲労感と、自身の肉の重さを実感しながら、首を回した。それから、くぐもったコックピットの空気にうんざりして、曲線状に囲むコンソールパネルを操作。空調の風を強めて、耐圧服の襟元を開けた。


 彼のいるコックピットは球状で、操縦系統もまたそのラインに沿った曲線的なデザインをしている。小さなカプセルに閉じ込められたという圧迫感はなく、三六〇度モニタの景色が疑似的な解放感を持っている。

 

「そうやって閉じこもって、生体エネルギーってのは戻るのか?」

「できるさ。体が休まれば、いいんだよ」


 駿護(しゅんご)のぶっきらぼうな言い回しを受けた大城(おおき)直次(なおつぐ)だが、その意見にはあまり賛同的ではない。


 直次(なおつぐ)駿護(しゅんご)とは対照的に大柄で軍人らしい筋骨隆々とした体つきをしている。また巌のような顔つきをしているが、愛嬌のいい彼の表情はほとんど朗らかなもの。


「そうか? 俺はちょいと、外に出てみるか……」

「好きにしな」


 直次(なおつぐ)はハッチの空けて、体を出した。上下に分かれたハッチに足をかけ、太い腕を上部のハッチにかけた。


 新鮮な、染みわたるような空気に彼は肩をほぐしながら、周囲を見回した。


「この辺は随分と自然が残っている……?」

「津波の影響は、さすがにここまでは来ないさ」


 直次(なおつぐ)はコックピットのスピーカーから流れる駿護(しゅんご)の言葉を背後に受けて、振り向いた。


「だが、かなりのものだったぞ」


 経験談だ。


「さすがに内陸までは――――」


 瞬間、背中を摩るような振動が駿護(しゅんご)に襲い掛かった。


 彼らは特に驚くことなく、揺れが収まるのを待った。もはや日常茶飯事となっている地鳴りや揺れに対して、大した危険性がないことを知っているからだ。


「また、地震か。近くで、気吹鉱(いぶきこう)でも出土したかな」

「だとしても、海の底かもしれないが……」


 直次(なおつぐ)の意見に、駿護(しゅんご)がつまらなそうに言った。


 列島分裂以前から、こうした震動はよく検出されていた。それが〔MB〕の筋肉に当たる気吹鉱(いぶきこう)の出土予告であることは、東西政府に知れ渡っている。


 一般人にしてみれば、まだ癒えぬ大災害の続きなのではと怯えてしまう。公表をしようにも、混乱を招く結果となるのも明白だ。


 というより、政府としての立場を確立するためには、まだ民間企業の出現は控えてほしいという政治屋の意見が大きいが。


 駿護(しゅんご)は腕時計を見て、姿勢を正した。


「そろそろ、時間だ。行くぞ」

「待っていたのは、こっちなんだがな」


 直次(なおつぐ)は隣の〔ドッグ・シャドー〕二番機が立ち上がるのを見ながら、コックピットに戻った。


 グゥン、グゥンッ。


 駿護(しゅんご)の〔ドッグ・シャドー〕二番機が脈動すると、周囲にライフ・ライトの風が巻き起こる。木々がざわめき、羽を休めていた山鳥たちが一斉に飛び立つ。

 

「やはり、このざわざわする感触は消えないか……」


 駿護(しゅんご)は自身の胸倉を押さえて、モニタで直次(なおつぐ)の〔ドッグ・シャドー〕一番機も飛行態勢を整えているのを確認する。


 一番機と二番機が巻き起こす橙色のライフ・ライトは次第にベールのように揺らめき、波打っていく。


「それじゃぁ、行くぞっ」

「了解っ」


〔ドッグ・シャドー〕二機はゆっくりと地面を蹴り上げると、ライフ・ライトの薄い膜を張って飛び立った。その飛び立ちは、一陣の風のような優雅さがあった。


 次第に森林が離れていくと、山鳥の群れを横切って高度を上げていく。鳥たちの羽ばたきに誘われたように、耳型のセンサーがくるりと円を描いた。


 目指すは、横浜港。


                         3


 地面から沸き立つ雨露の匂い。加えて、風化していく匂いというのか、鼻を擽るような乾いた香りも潮風に乗ってきた。


 渡瀬(わたせ)兄妹は配給所から少し離れた、海の見える丘陵地にいる。そこはかつて、植木の花やみなとみらいの近代的なビルを一望できた場所。今は整備が間に合っていないのか、ところどころ漂流した木材やら液状化した舗装材などが、地面にこびりついている。


「ついこの間、来たんだよね、横浜?」

「お前が、低学年の頃だろ? どの辺がこの間なんだ?」


 士依(しい)は適当な木材に腰かけて、手に持っている炊き出しの鶏団子スープと銀紙に包まれたおにぎりをそこに置いた。人ひとり分の重さはあるザックを乾いた地面に置くと、ようやく一息つくことができた。それだって、野菜を取られた分軽くなっていて、士依(しい)の心に暗い影を残した。


 璃瑚(りこ)はそんな兄の隣に向かった。炊き出しを士依(しい)に預けると、彼女は小さなザックを下ろした。


「食べないでよ」

「誰もそんなことはしない」


 念押しの一言を言って、璃瑚(りこ)士依(しい)の隣、自分の据わる場所を軽く払った。塩の塊がぱらぱらと落ちて、手についた。


「律儀だな、お前。ほら――――」

「ありがと、お兄ちゃん」


 隣に腰かけた妹に炊き出しを返すと、士依(しい)もまたおいていた鶏団子スープのプラスチック容器を手に取った。香しいスープの匂い。久々に暖かいスープとあって、兄妹は腹の虫を黙らせることはできなかった。


 くー、と璃瑚(りこ)の腹が鳴るのを士依(しい)は聞き逃さなかった。


「やっとまともな飯だ。今まで、ありがとうな」

「それって、あたしの作ったご飯が不味かったってこと? 失礼じゃん」

「違うな。ろくなもん、食わせてやれなかったってこと」


 士依(しい)は含み笑いを浮かべて、鶏団子スープを口にした。


 護送六腑に染みわたる醤油ベースの濃い味と鶏団子のコク、そして野菜の風味。口の中いっぱいに広がる味は実に二年ぶりだった。これまでは、士依(しい)が手に入れてきた缶詰なり、野菜を璃瑚(りこ)が試行錯誤を重ねて料理する流れで、調味料などなく、味もまた食材に依存したものだ。


「缶詰の味じゃ、ここまでうまいものはできないな」

「そうだね…………」


 璃瑚(りこ)も一口スープ飲んだ後、セーラー服の胸ポケットから配られた割り箸を取り出た。鶏団子スープを一度膝元にちょこんと置くと、割り箸を割った。


「やった。うまく割れた」

「おお、そいつはよかったな。げっ、俺は失敗か」


 士依(しい)の手元にある変に割れた割り箸を、璃瑚(りこ)がふぅんといった感じ見た。


 それから、ざく切りのキャベツを口運んだ。口当たりのいい、しんなりした葉と柔らかい歯ごたえの芯は噛むたびにスープの味を思い出させてくれる。


 自然と、璃瑚(りこ)の顔にも笑みがこぼれる。


「おいしい」

「だろ? ここまで出てきたかいがあった」


 士依(しい)は妹の久しぶりの笑顔にほっと胸をなでおろして、おにぎりの銀紙をはがす。ソフトボール大の真っ白なお米が銀紙の中からあらわれて、さらに気持ちが高ぶった。


「白飯なんて、いつ以来だ?」

「うーん。一年――――、ううん、半年ぶり、かな? ほら、あの麦わら帽子のおじいさんが分けてくれて……」

「ああ、はいはい。よく覚えてたな? お前のことだから、人見知りして覚えてないのかと思ったよ」

「あたしだって、それくらい覚えてる」


 璃瑚(りこ)は口元を尖らせると、半分に割った鶏団子を口に入れた。


「あちっ!」

「それりゃそうだ」


 璃瑚(りこ)は兄のそれみたことか、といった顔を一瞥して、口の中で踊る鶏団子を噛みしめる。野菜とは比べ物にならない染みわたった味、風味、そしてとろける味わい。缶詰のビーフよりずっとおいしい、と彼女は思った。


 璃瑚(りこ)は海からくる風に当てるようにして舌を出し、士依(しい)を横目に見た。


「これから、どうする?」

「ま、適当にやるよ。ん? タイ米か」


 士依(しい)はぱさぱさした歯触りの米に誤魔化すような塩辛さを覚えつつ、スープを啜った。おにぎりは握りかためられていたが、一口でぼろぼろと米粒が崩れだす。


「とりあえず、仮設住宅は一杯だし、テント村の方でしばらく生活だな。ご近所づきあいとかも、凄そうだけど」

 

 士依(しい)は苦い表情を浮かべて、残りのおにぎりをパクついた。


 仮設住宅の建設率は正直滞っているらしく、横浜に避難してきた約四割にしか行き届いていない。あとの六割は支給されたテントで雨風を凌ぎ、トイレやお風呂、調理場も共同になっている。それだけならまだいいが、物資不足や避難生活の長期化で、テント村の方でも暗黙の土地の利権があるらしい。


 それは、士依(しい)がここに来て、あのムカつく軍人から教えられたことだ。彼らは何もせず、民間の成り行き任せだった。


「しかたないよ。あたしたち、よそ者だもん」

「そこまで、我慢しなくていい。俺たちだって、ここで生活する権利はあるだろう?」

「でも、勝手に出てって、畑仕事ほっぽらかしたんだよ?」


 璃瑚(りこ)は寂しげに、息を吹きかけて鶏団子を冷ますと口に運んだ。それから、くもくと咀嚼する。


「いいんだよ、そんなの。軍隊が来て、家を撤去されたんだ。そんなところの下で、働けるか」


 誰かに我慢してもらう。


 その誰かが自分たちで、今の現状を見れば納得は言ったし、反発心も生まれもする。渡瀬(わたせ)兄妹の場合、列島分裂の際に両親を失い、帰る家すら倒壊してしまっていた。そこから、潰れた母親の亡骸を見て、涙が枯れるまで泣き続けた。立て続けに、父の友人からその死を知らされた時には、璃瑚(りこ)の精神は追いつかず、自閉的になり、避難所の学校から出ようとはしなかった。


 たった一人、士依(しい)は母と父を弔い、家から使えそうなものを引きずり出しては持ち帰る日々を送った。ただ耐え忍ぶ日々。軍隊が来ても、何かが改善されることはなく、家を失い、見慣れた街並みが平らにされていくのを眺めているしかなかった。


 生まれ育った土地が変わっていくのを、士依(しい)璃瑚(りこ)も見るに耐えられなくなり、荷物をまとめて海沿いの町を目指した。友人も、知り合いも、親戚もみんな疎開したから、そこに行けば、また会えると信じて歩き続けたのだ。


 璃瑚(りこ)の心配そうな顔が横に見えて、士依(しい)は食べ終えたおにぎりの銀紙を握りつぶしながら、空いている手を妹の頭に乗せた。


「それに、みんな来てるかもしれないだろ? お前の友達とか、さ」

「もうっ! 触らないでよ、気持ち悪いっ」


 璃瑚(りこ)がぷんっと怒ると、士依(しい)の手を払いのけた。細い指をしながらも、力強い手の感触が、まだ頭に残っていた。


 士依(しい)は口を尖らせる妹に困った顔を浮かべる。


「ま、これだけ生意気なら、なんとかやってけるだろう」


 璃瑚(りこ)が少しずつ元気になるのはいいことだ。反発的になっているのは、それだけ、自分の意志を持ち始めている証拠。抜け殻のような生活を送っていた時とは違う、快活さも感じられる。


 そんな兄の心配などよそに、璃瑚(りこ)は鋭い視線を横目に向けて、おにぎりの銀紙をはがす。


「なんとかって、お兄ちゃんはいつもテキトーなんだから」

「計画立てるの、俺は苦手なんだよ。とはいえ、人探しも大変になりそうだ」

「……一応、考えてるんだ」

「単なる思い付きだ」


 士依(しい)がスープをかき込む横で、璃瑚(りこ)は不審そうな目をしておにぎりに齧り付く。


 すると突然、璃瑚(りこ)がピクリと顔を上げて、周囲を見回す。


「どうした?」

「地震、なかった?」


 身を縮めて璃瑚(りこ)の不安そうな顔に、士依(しい)は気持ちが揺らいだ。顔にこそ出さなかったものの、妹の怯えようを思うと胸がざわついた。


 地震のせいで、両親を亡くしたことを思い出してしまったのかもしれないし、自分たちが今度はそれが原因で死んでしまうのではないか、と嫌な想像を膨らませているのかもしれない。


「気にするなよ。それより、さっさと食べろよ。テントの場所、確保しなきゃならないからな」

「わ、わかってるよ」


 士依(しい)の言葉に、璃瑚(りこ)はパクパクとおにぎりを食べていき、それを流し込むように鶏団子スープを飲んでいく。


「ぐっ、ごほっ、えほっ――」

「慌てるからだ。さっさと食べろと言ったけど、無理に詰め込まなくていいんだ」


 むせかえりながら、胸元を叩いてのどに詰まったものを胃に流し込む璃瑚(りこ)。どうにか嚥下できると、ほっと胸をなでおろした。


「お兄ちゃんの無責任っ!」

「何がだよ?」


 璃瑚(りこ)の八つ当たりに、士依(しい)は肩を竦めて港の方を改めてみた。


 荒廃した町。連日連夜に及んで起きた余震によって発生した津波が、ビルを家を交通機関をも飲み込んでいった。自然に対して、人間の文明がとてもか弱いものだと思い知らされる。瓦礫が打ち上げられ、いまだに撤去されていない漁船や客船が陸に横たわっており、辛うじて残っている高層ビルは寂れた鉄塔のように佇んでいるばかりだ。


 一陣の風が、渡瀬(わたせ)兄妹を通り抜けていく。頬を撫でる風の粘っこい感触とともに、海の匂いが鼻を擽る。


「海の匂いがする……」

「そうだな。とはいえ、毎日こんなベトつくと、テントから塩が取れそうだな」

「テントから取れる塩なんて、危なくない?」

「今までにも、もっと変な木の実とか食ってきただろうが」

「あれはあれで、よかったじゃん」


 璃瑚(りこ)が空になったプラスチック容器に丸めた銀紙を放り込む。


 すると、士依(しい)はその丸めた銀紙を拾い上げて、ザックのポケットの中に仕舞いこんだ。眉根を寄せて、もったいないと咎めているようだ。


「何してるの?」

「こいつは、サツマイモを焼くときに使うんだよ」


 そこで璃瑚(りこ)もああ、と手を打って納得した。


 兄のその抜け目のなさは、妹ながら感心するところだ。普段から楽観的な士依(しい)だが、変なところでこだわりを持っているから、これまでの二年を乗り越えてこれたのだろう。


 士依(しい)はそれから、ザックを背負うとプラスチック容器と割り箸を持って立ち上がった。


「さて、そろそろ移動するか?」

「そうだね」


 素直に答える璃瑚(りこ)も小さなザックを背負い、食べた容器を手に持った。


 あとはこれを指定の場所で捨て、テントの場所取りだ。炊き出しで使われた容器はリサイクルされる決まりとなっているため、無下にポイ捨てするわけにはいかない。これが、今の避難民たちにとっても財産なのだから。


 すると、遠くの方から爆音のようなものが聞こえた。


 渡瀬(わたせ)兄妹は咄嗟にその方向を見ると、空に黒煙が膨らんでいた。陸と海の境。距離はまだ遠かったが、身の毛がよだつ感触が全身を駆け巡った。


「お兄ちゃん……」


 璃瑚(りこ)士依(しい)の学ランの裾をぎゅっとつかみ、不安そうな視線を向ける。


 士依(しい)はそんな妹に大丈夫だと口を動かして見せた。それが、今の彼の精一杯の励ましであり、自分への鼓舞だ。


 バラバラ……。


 耳に聞こえてくるのは、大気を揺るがすローターの音。低く、唸るその音は徐々に近づいてくる。


「ヘリコプター? いや、あれは何だ?」


 士依(しい)は足が竦みそうになりながら、じっと晴れていく黒煙を見た。


「人が、浮いてる?」

「違う。それにしてはデカイ。マシーン・ボディってやつか?」


 璃瑚(りこ)が震えながら士依(しい)にしがみつく。


 それでも、士依(しい)は怖いもの見たさに動かなかった。浮かんでいる人型はまるで何かにおびえているようにあたりを見回すと、ふらついた飛行で士依(しい)たちのいる方角に移動し始めた。


 そのあとを追うように丘陵地から二機のヘリコプターが姿を現した。民間のヘリではないと、その武骨なシルエットでわかった。


 わかってしまったからこそ、士依(しい)は今いる場所がとても危険だとすぐに察知した。


「走るぞっ」

「何でっ!?」


 士依(しい)は反射的に疑問を投げかけてくる璃瑚(りこ)の手を引いて、丘を下るようにして走り出す。手にしていた容器など捨てた。今は、走ることに専念しなければならない。


 遅れて避難所のサイレンが鳴り響き、渡瀬(わたせ)兄妹の不安感を増長させた。


「怠慢職が。もっと早くに鳴らせばいいのによっ」


 士依(しい)は悪態をついて、何とか理性的な思考を働かせる。


 ヘリコプターのプロペラ音と聞いたこともない駆動音が、耳の奥にまで入り込んでくる。


 足がもつれだしそうになりながら、士依(しい)璃瑚(りこ)は息せき切って、足場の悪い公園を駆けていく。瓦礫を踏み越え、散乱した残骸を蹴飛ばす。そのたびに跳ねる泥が足元を汚していく。


 すると、後ろの方で何かが轟音を響かせて近づいてくる。力を持った音だ。


「――――ふせろっ」

「きゃう――」


 士依(しい)璃瑚(りこ)を押し倒して、覆いかぶさるようにした。泥が二人の制服を汚そうが、目に入ろうが気にしてられない。


 瞬間、紅蓮の炎が空中で爆散して、あたりを赤く、黒く染める。


「――――――っ!!」


 璃瑚(りこ)が咄嗟に頭を抱えて、叫び声を上げて丸くなる。狂おしい衝撃が続いて、襲い掛かり熱風が襲い掛かってきた。


 士依(しい)は妹を抱え込むようにして背中を丸めて、ぐっと肌を焼くような熱風に耐えた。あたりに黒煙が吹き荒び、息を吸った瞬間、頭が焼けそうな苦しみを味わった。


「息を止めてろっ」


 そういったつもりだが、耳鳴りがひどく璃瑚(りこ)に届いているのかも定かではない。視界も黒煙に覆われて、士依(しい)には密着している璃瑚(りこ)を体温でやっと確認できるものだった。


 続いて、すぐ隣で何かが落下した衝撃が走った。ぶわっと黒煙が膨らむ。瓦礫が崩れる音とともに、背中を破片らしいものが叩いた。


「――――っ」

「あ、あああああああっ!!」


 その衝撃に驚いた璃瑚(りこ)が手足をばたつかせて、この場から離れようと暴れだす。死神が鎌を持ってすぐそばに立っているような恐怖が、彼女に襲い掛かり、理性が吹き飛んでいた。


 士依(しい)璃瑚(りこ)の大口を無理やり手で抑え込む。少しでも煙を吸わないように、変に大声を出させないために。


「――――つぅっ」


 士依(しい)は妹の口を塞いでいた手に痛みが走って、思わず顔を顰めてた。噛み千切らんとするような強い痛みが、璃瑚(りこ)の必死さを物語っている。


 死にたくない、死にたくない、死にたくない……。


 痛みが士依(しい)に思考を持たせて、早く生きる手立てを考えろと警鐘を鳴らす。互いの心音が重なり合い、速度を増していくのがわかった。


 グゥン、グゥン、グゥン――――。


 自分たちとは異なる心臓の音のようなものが、士依(しい)の脳髄に染みわたった。今にも握りつぶされてしまうような、弱々しい鼓動だと彼は思った。


 刹那、潮風とは違う光を纏った一陣の風が黒煙を振り払った。


 一瞬にして、あたりの景色が晴れて、眩しい太陽の光が目を焼くのではないかと士依(しい)は目を細めた。涙で霞む視界の先で、璃瑚(りこ)の泣きじゃくって、彼の小指にかみつく姿が見えてきた。もう手の痛みはほとんどなかったが、まだ生温かいく柔らかい妹の唇の感触があった。


 耳鳴りはまだ止まない。だが、ずいっと太陽の光を遮る影が現れて、士依(しい)は咄嗟にその方へ振り返った。


「…………っ!」


 呼吸をするのも忘れて、士依(しい)はその大きなもの、マシーン・ボディを見上げた。


 ライフジャケットを思わせる橙色の軽軟鋼装甲、細い二の腕と大きな手、パイロット・キャップをかぶった兎を思わせる頭部。くりっとした瞳が淡い光を輝かせている。


 士依(しい)は震える璃瑚(りこ)を抱き起して、その場を離れようと後ずさる。


「お兄ちゃん、お兄ちゃん……」


 耳に聞こえてくる璃瑚(りこ)の弱々しい声に、心臓が止まりそうになる。


 士依(しい)は〔MB〕から目を離さず、無様に腰が抜けて後ずさることしかできない。耳の奥に響いてくるプロペラ音が、さらに背筋を凍らせる。〔MB〕にしても、戦闘ヘリにしても、渡瀬(わたせ)兄弟の脅威には変わらない。


 この場を離れなければ、死んでしまう。


 士依(しい)の思考が空回りを始めたころ、空気を割く轟音とともに何かが飛んできた。


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 轟音。爆音が連鎖し、空に響き渡った。


「やり過ぎだっ」


 そういったのは戦闘ヘリの前部座席に座る操縦士だ。後部座席に座る副操縦士は息を荒げて、操縦桿から手を離していった。


「見たこともないマシーン・ボディだぞ。西からの先兵からも知れなんだ」

「本部からの許可が下りてるからってな――」


 二機の戦闘ヘリは黒煙が立ち上る場所を旋回しつつ、警戒を続けた。


 米軍所属の戦闘ヘリは穏便にことを済ませたかったが、応答もなし、勧告も聞かず侵入してきた機体を野放しにしておくわけにはいかなかった。それ以上に沖縄から逃げ果せたこともあって、西府(せいふ)の差し金ならば、一矢報いたい思いがあった。


 黒煙が晴れる。


 そこには、無傷の兎型〔MB〕が立ち上がるところだった。


「やはり、ロケット弾ではダメなのか?」


 戦闘ヘリの副操縦士は、忌々しげにつぶやいて標的を照準を合わせる。次は対戦車ミサイルを撃ち込んでやろうと、意気込んでマルチ・モニタの照準を見る。


 そして、瓦礫の上に立つ〔MB〕は戦闘ヘリを見上げて、右腕を恭しく振りかざした。


「おいっ! 人だ! 人を持っている」

「馬鹿なっ! なぜ――――、ライフ・ライトの影響で感知できなかったか!?」

「厄介なことを」


 戦闘ヘリ二機は上空をやきもきするように滞空し、〔MB〕の振りかざした手を観察する。


 少年と少女。どちらも日本人で、少年の方が〔MB〕に向かって何かを叫んでいる。




「離せっ! 離せっての!」


 渡瀬(わたせ)士依(しい)はぎりぎりと締め付けられる痛みに耐えながら、力の限り叫んだ。だが、〔MB〕は黙らせるようにさらに掴む握力を増した。


「ぐ、うぅぅ……」

「が、ああっ」


 士依(しい)は自分の胸元で苦しんでいる璃瑚(りこ)を見て、確かな恐怖を感じていた。


 死ぬ。殺される。


 その実感を体現するように、背骨が軋み、肋骨が今にも砕けてしまいそうな痛みが走る。息が絶え絶えになり、プロペラ音だけが頭に響く。


 ぐんと〔MB〕が士依(しい)たちを持つ手を動かす。乱暴な、焦っているような動きに、体が裂いてしまいそうな遠心力が彼らに襲い掛かった。


 そして、彼らが差しのべられた先には旋回しだした戦闘ヘリがあった。それを追うようにして、〔MB〕が体の向きをゆっくりと変えていく。


「どういう、つもりだ?」


 士依(しい)は痛みに顔を顰めながら、〔MB〕の所作に疑問を感じた。なぜ、戦闘ヘリに向かって自分たちを掲げるのか。


 人質として、盾にしてるのかもしれない。


 だが、どこかに逃げようという意思はない。空だって飛べる。ロケット弾をもろともしない。


 それが人質を取る。


「お前、何がしたいんだっ!?」


 士依(しい)璃瑚(りこ)を気にかけながら、振り向いて〔MB〕のセンサーアイを見た。


 青白く発光する瞳。どこか悲しげで、困っているように見えた。兎の耳のようなアンテナは、垂れ下がっており、戦意のかけらも見受けられない。


『ぐぐぅ、ぉおお…………』


 くぐもった音が〔MB〕から漏れだす。外部スピーカーが壊れているのだろう。うまく言葉として、発声できていない。しかし、その声音、ともいうのか、士依(しい)には怯えているように感じられた。


「泣いてる?」


 璃瑚(りこ)が苦しそうに身をよじりながら、〔MB〕を見て言った。


「ああ…………」


 士依(しい)には妹の言葉が、真実味を帯びているような気がした。動物の感情を読み取るように繊細で、センチメンタルな感性を触発させるのだ。


 人が動かす者にしては、あまりにも直情的でパイロットの感情を体現しているようだ。


〔MB〕が一歩、滞空する戦闘ヘリの前に踏み出した。


 その上下運動に渡瀬(わたせ)兄妹は脳みそを揺さぶられた。意識がいっぺんに削がれそうな衝撃に、璃瑚(りこ)の方は先ほどの錯乱状態がよみがえりそうになる。


 しかし、戦闘ヘリの動きはずっと警戒的で機体下部についているチェーンガンが動くのを士依(しい)は見てしまった。


「や、やめろっ。撃つなっ!」


 瞬間、彼の声をかき消すように、チェーンガンが発射された。曳光弾の雨が周囲の瓦礫を吹き飛ばしていく。威嚇射撃だ。


 耳をつんざくような破裂音が響き渡り、士依(しい)璃瑚(りこ)は咄嗟に耳を塞いだ。心臓にその鉛玉がめり込んだような恐怖心が殺到する。


〔MB〕もまたその発砲には驚いて、渡瀬(わたせ)兄妹を胸元に引き寄せて、空いている手を頭に翳した。


 そして、〔MB〕の半径五メートル内に入った曳光弾は、例外なくライフ・ライトによってはじけ飛んだ。小さな光の花火が咲き誇る。


 ガシャン、ピキィ、パリンッ……。


 まるでガラス細工でも破砕するような音が花火とともに響き、数秒の威嚇射撃は止んだ。


「鬼畜、米兵め……」


 士依(しい)は耳鳴りの酷さと歯の根が合わない気持ち悪さを晴らすように、口を動かした。


「もう、やだぁ……」


 璃瑚(りこ)は完全に意思をくじかれて、大泣きする始末。いや、緊張と恐怖がピークを過ぎて、もはや泣くことでしか気持ちを処理することができないのだ。


 次の瞬間、がくんっと視界が降下した。


「――――っ! おい。お前」


 士依(しい)は衝撃に耐えると、改めて〔MB〕の方へ振り返った。


 見上げていたはずのセンサーアイが今はうつむき加減に、彼らを見ていた。両膝をついて、大事な宝物を守るように、二人をそっと胸元に近づける。


「もう、離してよっ! あたしたちを、巻き込まないでよっ!!」


 璃瑚(りこ)が叫ぶと、〔MB〕のアンテナが一瞬跳ね上がって、またしおらしくなった。まるで叱られた子犬のように、覇気がなくなっていく。


 だが、戦闘ヘリのプロペラ音は相変わらず威圧的に、頭上を旋回していつ攻撃してやろうかと待ち構えている。このまま持久戦というわけには、おそらくいかないだろう。


 米軍のやり方はとても焦っている。いつ、ミサイルを撃ちだしてもおかしくない。あわよくば、ライフ・ライトのフィールドが渡瀬(わたせ)兄妹を守ってくれるとも考えているかもしれない。そんな都合のいい話があるはずがない。


 士依(しい)は弱弱しく発光する〔MB〕の青い瞳を見つめて、決心する。


「俺が、操縦を変わる」

「お兄ちゃん、そんなのやめてよっ!」

「わかってる。だけど、あいつらは俺たちごと吹き飛ばすかもしれないんだぞ?」


 その言葉に、璃瑚(りこ)は涙と鼻水で汚れた顔をさらにくしゃくしゃにする。殺されるかもしれないという想像が彼女の中を駆け巡り、思考を凍りつかせる。


 それでも、士依(しい)は〔MB〕に大声で言う。


「パイロットの人は聞いているんだろ? この動き方、なんかあるんだろう?」

『ぐ、ぐるぅう……』


〔MB〕がくぐもった音を鳴らすと、頭を上げて戦闘ヘリ二機を見据える。


 すると、戦闘ヘリは〔MB〕から距離を置きだした。上昇はしない。低空を保って、正面と右側に回り込んだ。


 士依(しい)は体を動かしてその動きを確かめる。ただならない危機感が、どっと心臓を握りつぶさんとする。


「早く、早くしろっ! お前まで死んじまうぞ!」


 その叫びが通じたのか、〔MB〕の胸部がジッパーを下げたように開かれて、言葉通り胸の内をさらけ出した。


 士依(しい)璃瑚(りこ)がそのことに気付いて時には、〔MB〕の手によってその中に放り込まれていた。


「うおうっ!?」

「きゃぁああっ!?」


 ごろんと渡瀬(わたせ)兄妹は真っ暗な空間に転がる。瞬間、開いていた胸元が閉じ光りの一切ない暗闇を味わった。


 だが、次の瞬間には全体を包み込むようなスクリーンがぼろぼろになった公園の風景を映し出した。


 士依(しい)は頭に何か固いものを感じて、身を起こすとそれは操縦席らしいシートだった。そして、彼が目を見張ったのは、


「パイロットはどこに行った?」


 シートの上には誰も座っていない。無人だ。


「どうするの!? お兄ちゃん、動かし方わかるの!?」


 璃瑚(りこ)は傾斜のかかった床に足をついて、シートのひざ掛けを使ってどうにか立ち上がる。まだ肺のあたりが苦しく、恐怖で足ががくがくする。汚れたセーラー服から泥が滴り落ち、アクリル加工されたパネルモニタを汚す。


 その質問に、士依(しい)は顔を引きつらせて、顔についた泥を拭った。


「やるしか、ないだろっ!」

「そんなっ!?」


 士依(しい)はザックを急いで下ろすと、シートについた。


璃瑚(りこ)。こっちに来い。どうなるか、わからないぞ」

「…………」


 士依(しい)が自分の膝を叩いて言うが、璃瑚(りこ)は濡れたショーツの感触に足をもじもじさせる。兄とはいえ、そういう年頃ではないと変な自意識がふっと湧き上がる。


 だが、戦闘ヘリはもう待ってはくれなかった。


 両膝を突く〔MB〕についに、対戦車ミサイルを発射したのだ。正面、右。二本のミサイルが白い尾を引いて高速で迫りくる。


「――――っ!?」


 士依(しい)は咄嗟に正面から二本伸びたシリンダー型の操縦桿を握った。まるで拳銃を握っているかのような感触とともに、全身が熱く燃え上がる感覚が爆発する。


 刹那、〔MB〕のセンサーアイが生気を吹き返したように輝く。


 そして、ミサイルはまるで見えないライフ・ライトの強固な障壁にぶつかり、ひしゃげ爆発した。爆発の威力凄まじく、障壁で守られた〔MB〕も爆風までは防ぎきれず、よろめいてしまう。


「どぉおおっ!!」

「きゃっ!」


 士依(しい)はシートのおかげで震動は少なかったが、璃瑚(りこ)の方はショックアブソーバーで殺しきれなかった振動をダイレクトに受けて、足元から崩れ落ちる。


「ほら見ろっ! シートの方が衝撃を和らげてくれる」


 士依(しい)にどやされて、璃瑚(りこ)は今にも泣きそうな顔になる。こんなわけもわからない状況下で怒られる筋合いはない、と強がりたかったが、兄の必死な顔は余裕のないことを物語っていた。


 璃瑚(りこ)はよろよろと立ちあがって、肘掛を乗り越えるようにして士依(しい)の膝元に座り、腕を彼の首に回した。少しでも邪魔にならないよう左側によって正面を開けるようにしつつ、それでも誤魔化しきれない怖さが、体を密着させる。


「…………」


 士依(しい)は体を密着させて、璃瑚(りこ)が震えているのを痛感させられ、左腕で彼女の体をしっかりと抱きかかえた。操縦もろくにできないのに、この〔MB〕について何も知らないのに、今伝わってくる鼓動が唯一の心の支えになってくれる。


「大丈夫だ。俺が何とかしてやるっ」


 士依(しい)は潰れそうな喉で言って、シートの延長にあるペダルに足をかけると目いっぱいに踏み込んだ。


 瞬間、〔MB〕は足に力を入れて、高速で立ち上がった。


 一瞬の浮遊感が渡瀬(わたせ)兄妹に襲い掛かり、和らげるようにしてすとんの胃が落ちた。視界が高くなり、戦闘ヘリが刺激されたようにチェーンガンを乱射した。


「お兄ちゃんっ」

「――――っ!」


 士依(しい)が咄嗟にシリンダー状の操縦桿を押し込むと、〔MB〕が右腕を上げてチェーンガンを障壁で弾き飛ばす。ガラスの割れるような音が外では響き渡り、あたりに青白い火花が散っていく。


「こいつ、こいつが、細かい動作をしてくれてるのか?」


 士依(しい)には確証はなかったが、そんな気がしてならなかった。操縦方法も知らない彼が、こうもうまく〔MB〕を使いこなせるはずがない。


 今でも降りしきる曳光弾の嵐に、〔MB〕は対応してくれている。


『ぐ、ぅ、お』


 コックピット内にあのくぐもった音が響いた。〔MB〕の声だ、とシートに座る二人は周囲を探った。


 だが、目につくのは境を忘れた球状のモニタと不自然に飛び出たシリンダー状の操縦桿、そしてシートくらいのものだ。ひざ掛けにはコンソールらしいスイッチやキィ、小さいレバーが並んでいる。スピーカーらしいものは見受けられなかったが、後方からささやかれている感じがした。


「お前……。名前とか、あるのか?」

「そんなのんきなこと、どうして気にするの?」

『あ、ぐぅ』


 すると、駆動音とともにシートの裏から何かが左右に展開された。まるで吊り広告のように下げられた透明な板版のHUDヘッドアップディスプレイと丸い形のスピーカー、それを支柱が横目に見えた。


 士依(しい)はこの機体が何かを伝えたいと感じたが、次の大きな衝撃に意思をそちらに向ける。


 戦闘ヘリからの対戦車ミサイルだ。紅蓮の炎が見えない膜に遮られるも、〔MB〕は一歩後ずさる。爆風もそうだが、単純な恐れからの後退が見受けられる。


「怖がるな。光りの壁が、守ってくれてるだろう?」


 士依(しい)はペダルを踏んで、〔MB〕を一歩前に前進させた。自信をつけさせたいのだ。やればできる子だ、と。


 璃瑚(りこ)は響いてくる爆音にぐっと体を士依(しい)に寄せて固く目を瞑った。この今にも殺されてしまいそうな状況から早く抜け出したい気持ちでいっぱいだった。


「お前まで怖がってどうする? ――――見えたっ」


 士依(しい)は晴れた視界の中に上昇を試みる戦闘ヘリの姿を見た。右に視線を向ければ、同じく上昇する機影。


 しかし、攻撃の手は休まずロケット弾が飛来してくる。


「逃げるつもりか? それなら、攻撃するんじゃないっ」


〔MB〕が二機の戦闘ヘリの攻撃を防ぐ中で、士依(しい)はそんなやり口をする相手に苛立った声を上げる。


 叫んだせいか、どっと疲れが押し寄せくる。頭に血が上って、体にうまく血が回っていない時の感覚だ。


 ドガンッひときわ大きな音が響いた。


「きゃぁあああ!!」


 璃瑚(りこ)が怯えて、悲鳴を上げる。


 士依(しい)はそんな妹を強く抱きしめて、横にあるHUDヘッドアップディスプレイが損傷報告を表示しているのに気付いた。どうやら、腕が熱風にさらされて装甲の一部が剥離し、破片が胸を強く打ったようだ。


「このままじゃ、マズイ。飛べるか?」


 士依(しい)は自然と〔MB〕にあると思われる意思に話しかける。


 すると、HUDヘッドアップディスプレイの画面が切り替わり、文字が出力されていく。


『ハ、イ……』

「なるほど、そういう風にしゃべることもできるのか。名前は言えるか?」

『…………、チ、〔ラビット・キャップ〕、デス』

「そうか。〔ラビット・キャップ〕か」


 士依(しい)はぎこちないカタカナに少し心が休まり、ぐっと操縦桿を握る右腕に込める。


「頼むぞ、〔ラビット・キャップ〕」


 ペダルを踏み込む。


 その一見雑な操縦に、〔MB〕、〔ラビット・キャップ〕は健気に屈伸運動をして飛び上がって見せた。加速による容赦ない負荷は少なく、士依(しい)璃瑚(りこ)にはジェットコースター感覚の衝撃しか来ない。ライフ・ライトによって、そうした物理法則すら緩和させているのだ。


 兎耳型のアンテナをぴんと張って、〔ラビット・キャップ〕は戦闘ヘリの高さまで達した。妙な浮遊感が襲う中で、士依(しい)は戦闘ヘリのキャノピーに見える人影に戦慄した。


                         5


「横浜に避難勧告が出されています」

「艦長、米軍より至急応援頼むとの伝令が来ています」


 草薙(くさなぎ)大輔(だいすけ)は制帽の位置を整えながら、忌々しげに喉を鳴らした。


 まず間違いなく、逃げ出した〔ラビット・キャップ〕が絡んでいる。でなければ、米軍がわざわざ若輩者が集う〔ハヤトマル〕に助けなど請わない。


「調子のいい連中だ。戦闘状況なのか?」

「みたいです。すでに火器の使用が許可されています」

「この国でドンパチするなよ……」


 大輔(だいすけ)は米軍の引き金の軽さに呆れて、禁句を口にしそうなになった。しかし、部下たちの手前いつまでも文句を垂れているわけにもいかず、ぐっと飲み込んだ。


 すると、通信士が血相を変えて大輔(だいすけ)を見た。


「艦長! あの研究員、発艦するそうですっ!」

「どうしてこう、身勝手なやつらばかりなんだ。繋げっ」


 大輔(だいすけ)は青筋を浮かべて、怒鳴り声を上げた。艦橋に怒号が響き、クルーは見な肩を竦めた。ご愁傷様、と。


 通信士が研究員、杜屋(もりや)研隆(けんりゅう)をイメージ付きで艦橋の上部にあるモニタに呼び出す。すでに彼は、自機のコックピット内らしくコンソールに視線を落としている。


「どういうつもりだ杜屋(もりや)博士」

『見ての通りだ。〔ウルフ・セブン〕で、俺自ら壊してやる』

「許可できない。すでに戦闘状態だ。ここは大城(おおき)少尉、長谷部(はせべ)少尉に任せるのが得策だ」

『ろくにマシーン・ボディも動かせない奴らで、止められるものか』


 言い合っている間にも、〔ハヤトマル〕の甲板に一機の〔MB〕がリフトから競り上がってきた。


 艦橋から見た大輔(だいすけ)が目を丸くして、反対側でクルーと打ち合わせをする鼻の高い男に言った。


「なんで許可を出した、笹森(ささもり)副艦長!?」

「仕方ないでしょう。自分は彼より階級が低いんですから」


 怒鳴られた男、笹森(ささもり)剛太(ごうた)副艦長は高い鼻を軽く指で弾いて大輔(だいすけ)の方を向いた。絶対的な指揮権を持っているわけではなかったが、彼にしてみれば上級階級になる研隆(けんりゅう)の命令は無視できないのだ。


 その実直というか、臆病というか、何とも中立な剛太(ごうた)大輔(だいすけ)はがっくりと肩を落として、もう一度甲板の方へ目をやった。


 甲板に出ている〔MB〕、〔ウルフ・セブン〕は白狼を彷彿とさせる白を基調としたカラーリングだ。強靭な四肢に筋骨隆々な体格は、狂戦士的で狼の獰猛さを表していた。頭部はそれに準じた厳つい狼顔で、小さな耳型アンテナが四方を探るように動いている。尻尾を模した放熱索がわさわさと潮風に揺れる。


 腰には鞭を装備し、背部には銃剣が収められている。この銃剣は、ジャマダハルと呼ばれる鍔と並行に刃が装着されている刺突刀剣に近いデザインがされている。人間サイズで言えば、片手で振り回せるほどの長さ。しかし、この武器は斬撃だけでなく、ライフ・ライトをエネルギー弾として発射する射撃武器でもある。それ故に、扱いが難しいとされている代物だ。


『お前たちはさっさと追いつけばいい。先に行くぞっ』

「おい、待て――――」


 大輔(だいすけ)が引き留めるのも利かずに、研隆(けんりゅう)の操る〔ウルフ・セブン〕は飛行甲板を力強く駆け出した。前傾姿勢で、まるで獲物を追う獣に近い姿勢だ。


 そして、一段と強く飛行甲板を蹴り上げると〔ウルフ・セブン〕は赤いライフ・ライトを身にまとって飛んで行った。その姿はみるみる遠ざかり、すぐに米粒ほどの大きさにしか見えなくなった。


「バタフライ(〔ハヤトマル〕所属短距離離着陸(STOL)戦闘機)より早いじゃないか、アレ?」

「どうでしょうね?」


 唖然とする大輔(だいすけ)の言葉に、通信士が慰めるように言った。




〔ラビット・キャップ〕はどうしていいのかわからず、ただ戦闘ヘリを攪乱するように飛び続けるしかなかった。それが現在コックピットにいる少年、渡瀬(わたせ)士依(しい)の意志でもあった。


「諦めて、下がってくれればいいのにさ」


 士依(しい)の声を聴いて、〔ラビット・キャップ〕は耳をぐるんと回した。


 空を飛ぶ兎。まるで風がクッションのように柔らかく纏わりつく感触があった。移動するときは、意思を宿した風に乗って飛ばされるようだった。それは、不安定で凧になった気分だ。


「ほんとに、飛んでるの?」


 璃瑚(りこ)は〔ラビット・キャップ〕のフィードバックを受けて、風の心地よさと目の前に広がる青い空と水平線に、場違いながら心が弾んだ。


 戦闘ヘリは無差別攻撃はしてこなくなったものの、執拗につけまわってくる。この空域から逃がさんという動きだ。


 士依(しい)は短い呼吸を繰り返しながら、操縦桿を押し、ペダルを踏みしめた。


「頼むぞ、〔ラビット・キャップ〕。辛いかもしれないが――」


〔ラビット・キャップ〕は士依(しい)の心に差し込んだ苦々しいものを感じ取りつつ、機体を背面とびさせるようにして、背後からくる一機の後ろを取ろうとする。柔らかな弧を描いて、風が全身を押し上げるイメージが、士依(しい)璃瑚(りこ)に走った。


「ふわ――っ! うぅ」


 璃瑚(りこ)は自分の体が浮き上がるの感じて、士依(しい)にしがみつく。士依(しい)もまたペダルや操縦桿でしっかりと体を押さえて、腰の浮いた彼女をひっかりと抱きかかえる。


 大きいザックがコックピットで浮かんだ。


 そして、〔ラビット・キャップ〕が一機の戦闘へリの背後に立つと、ばっと右手を広げて前に突き出す。コックピット内ではザックが音を立てて、落っこちた。


 戦闘ヘリは慌てて逃げようとするが、〔ラビット・キャップ〕のような軌道を咄嗟には取れない。


「ごめんよ」


 言って、士依(しい)は操縦桿のボタンを押した。それがなんとなく、何かを放出するスイッチだと思った。


〔ラビット・キャップ〕はスイッチの操作よりも、士依(しい)の持つイメージを実行した。


 手のひらからライフ・ライトの突風が噴き出す。それは戦闘ヘリのテールローターを狂わせるほどの威力を内包していた。


 戦闘ヘリはくるくると機体を回転させて、海に向かって落っこちていく。操縦士の判断は早く、メインローターを吹き飛ばすと、自分たちも脱出装置で機体を放棄した。


 士依(しい)には彼らが脱出してくれる確証はなかったが、機動力を失えば〔ラビット・キャップ〕で受け止められると考えていた。


「ひ、人が乗ったのを、お兄ちゃん……」

「大丈夫。脱出してくれた。だから、助かった」


 海に落ちる戦闘ヘリを見た璃瑚(りこ)に、士依(しい)は声を振り絞った。


 璃瑚(りこ)はそれでも、兄が殺人未遂をしたのではないか、と不安を抱いて、ぐっとこみ上げてくる嗚咽を堪える。自然と肩が跳ね上がって、鼻水を啜っていた。


〔ラビット・キャップ〕はしんしんと伝わってくる不安に、アンテナを下げる。そして、もう一機の戦闘ヘリの様子を窺った。


 戦闘ヘリは一機撃墜されたのを見て、撤退を開始。〔ラビット・キャップ〕の視界に捉えられたのはそれくらいで、あとは問題ないと判断した。


『テキセイ、ハナレテ、イキマス』

「そうか。ご苦労様、〔ラビット・キャップ〕。とりあえず、降りてくれないか?」

『ハイ……』


 士依(しい)HUDヘッドアップディスプレイに表示された三点リーダーに疑問を抱きながら、ペダルをゆっくりともどしていく。


 すると、〔ラビット・キャップ〕はゆっくりと降下し、穴だらけになった丘の公園に降り立った。屈伸運動とコックピットのシート支えるアームが衝撃を緩和させる。


 ヒュウッとライフ・ライトの風が塵を凪いだ。


「はぁ……。何とかなるもんだ。脱出したパイロットは大丈夫か?」


 士依(しい)は顔の泥の混じった汗を拭って、周囲に視線を走らせる。


 それに対して、璃瑚(りこ)士依(しい)の疲労困憊した表情に、胸が締め付けられる。そっと首筋に手をやる。


「――――っ! お兄ちゃん、冷たいよ!」

「は? 何言ってんだ?」


 士依(しい)はぺたぺたと顔やら首筋を触る璃瑚(りこ)を煩わしく思うも、体の気怠さに止める気にもなれなかった。


 しかし、〔ラビット・キャップ〕は彼の体温の低下を感知していたし、何よりその原因が生命エネルギーの過剰消費だと理解していた。体が冷たいという璃瑚(りこ)の言葉はまさに、それだ。


「ヤダよ、お兄ちゃん。死んじゃうなんて、ヤダよ」


 璃瑚(りこ)は衰弱する士依(しい)を温めようと彼の胸板を必死に擦った。混乱する頭には、乾布摩擦とか摩擦熱とか、とにかく温める方法の言葉しか浮かばなかった。


「お、おい。やめろって……。痛いって……」


 士依(しい)は今にも泣き崩れてしまいそうな妹に言うが、麻酔が効いたように動かない体がに顔を顰める。


『オリテ、クダサイ。ソウスレバ、ヨク、ナリマス』

「そうなの? 本当なの?」


 璃瑚(りこ)は胸を摩る手を止めて、縋るようにHUDヘッドアップディスプレイ表示される言葉に訴えかけた。


『ハイ。セイメイえねるぎーノ、キョクドシヨウ、デス。アタタカイ、ショクジ、ト、キュウソク、ガ、ヒツ、ヨウ――』

「本当? 降りれば、いいのね?」


〔ラビット・キャップ〕の方も稼働限界が来ており、それこそ士依(しい)璃瑚(りこ)から生命エネルギーを吸い上げなければならない。燃料電池の方は余裕があっても、こればかりは機械ではできない。


〔ラビット・キャップ〕は跪いて、二人を下ろそうとするが、ピクンッと耳のアンテナを立てて、小刻みに揺らしながら何かを感知する。


 グォン、グォン――――。


 これは〔MB〕の駆動音だ。


「どうした?」

「お兄ちゃんはじっとしてて――――」


 璃瑚(りこ)の制止を割いて、士依(しい)はぐっと体に力を込めて操縦桿を握りなおす。そして、妹の体をぐっと左腕で引き寄せて抱きしめた。


「何か、来てるな? そうだろう?」


 その感覚は、シートから伝わる微振動から言ったもの。


 震えている。怖がっている、と士依(しい)には思えた。


『…………ハイ』


 HUDヘッドアップディスプレイに表示された言いよどむ様な文字に、士依(しい)はにこっと笑った。


「正直だ。お前は、俺たちの恩人――――っていうのか? まぁ、とにかく助けられたんだ。手伝うよ」

「やめて、やめてよ。死んじゃうよぉ」

「馬鹿っ。話をつけるんだよ。それがダメらな、逃げの一手だ」


 士依(しい)は胸の中で震える璃瑚(りこ)の感触と温かみが自分に力を与えてくれている気がした。守らなければならない。そんな使命感が湧いてくるのは、兄妹だからだろうか。


 いや、死んだ両親のように、あの冷たい肌を感じたくないのだ。


〔ラビット・キャップ〕はそんな兄妹の気持ちをくみ取って、再度立ち上がった。しかし、膝が笑って立ち上がるのにもかなりの時間を消費した。


 それだけ、士依(しい)も〔ラビット・キャップ〕も力が残されていないのだ。

 

 そして、西の空から黒い機影が高速で接近し、〔ラビット・キャップ〕の頭上で停止した。


『アレハ、〔どっく・しゃどー〕デス。ワタシヲ、ツレテカエルツモリデス』

「それが嫌なのか?」


 士依(しい)璃瑚(りこ)はコックピットの上に映る〔ドック・シャドー〕二機の風貌を見て、犬みたいだと思った。


 そして、たっぷりの時間を置いて、HUDヘッドアップディスプレイに文字が表示された。


『キット、ユルシテ、モラエナイカラ……』

「だったら、俺が話してみるさ」


 士依(しい)は深呼吸して相手の出方を窺った。


 その様子を、璃瑚(りこ)は祈るように見つめていた。いつになく頼りがいのある兄だが、そこにはいつもの無茶をする兄の顔もあったからだ。


 そして、〔ドック・シャドー〕二機が直立不動のまま地面に降り立った。


 一陣の風が吹き抜ける。

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