第六話 転輪写本
【一】
特務機関≪XENON≫基地、第七ブロック。様々なものを扱う研究区画という性質上、いくつか存在する部屋はいずれもスペースが最適化されておらず、広い。
そんな一角に、少女の声が弾んでいた。
「そう、相模たちも向かってるって。早く来てね。うん――待ってる」
『ほんと、色々変わりすぎでしょ……』
呆れを含んで頭上から降ってきた声に、緋影は耳に当てていた端末を懐へ収めながら首をかしげた。長く鮮やかな緋色のポニーテールが白衣の背中で揺れる。
「何が?」
重々しい軋みを上げて、曲線の多用された黒い巨躯が肩をすくめる。
『わたしの体もそうだけどさ、世界とか、人の姿とか。戦士ユギンクゥアルが普通に「女の子」してるとか想像したこともなかったし』
「い、いいでしょ別に」
顔を赤らめながら、緋影は胸元で輝く銀色のペンダントを握りしめる。肌身離さないそれは、今の今まで電話口で話していた相手、青邪から送られたものだ。
思い出したように沈黙して、緋影は「彼女」――妖精シェールクウェイラを振り返り見上げた。
「思ったより落ち着いてるのね」
『現実味……なくて。目が覚めてみたら岩の中にいて、確かにここにいたはずのわたしは、影も形もなくなってた』
シェールクウェイラが手を当てたのは、胸元。ティマイオスの搭乗者が納まる玉座のある場所。ティマイオス〈ザルゥスモルティア〉そのものである彼女のそこは今、無人だ。
『なのにわたしは、ここにいる』
廃材を利用して作られた特大サイズの椅子、腰掛けているその表面を小突く彼女の声に色はなく、元より表情のない装甲された頭部からも感情はうかがえない。
「……あたしがユギンクゥアルとして目覚めたときも、驚いたよ」
羽ばたき一つ、緋影はシェールクウェイラの椅子の上へ飛び乗った。
「何もかも変わっていたから。でも、生まれ育った霧生緋影の記憶のお陰でひどい混乱はせずにすんだ。話の通じるあたしは、ちょっとはシェールクウェイラの助けになれると思う」
『……ありがと』
小さくうなずき、そしてふと、シェールクウェイラは首をかしげた。
『戦士ユギンクゥアルの今の名前がキリューヒカゲだってことは分かった。でも、キリューヒカゲの仲間は……「誰」なの?』
「え、……!」
表情を引き締める緋影に、シェールクウェイラは言葉を続ける。
『サガミシローたちは、わたしたちの時代のことを知らないみたい。しかも『星の子』のキリューヒカゲはともかく、わたしより「つながり」が弱い。まがいもの呼ばわりしてた男がいたけど、本当にそんな感じ。何なの? 何者?」
「――『影妖精』。遙さんは、そう呼んでたわ」
『遙さん?』
「ああ……そっか」
シェールクウェイラの反応に首をかしげると、緋影は納得した顔で言葉を続けた。
「今の、ルリアトフェル……さんの名前よ。青邪や相模、藤堂さん一条さん、この≪XENON≫にいるのは、あたし以外みんな、想定外のイレギュラーなの」
【二】
線が視える。
眉間から生えて斜め前方へ伸びている、色の無い線。薄暗い中でもはっきりと視認できる、直径にして30ミリはあるだろうそれが何なのか、天城青邪には判っている。
端末をジャージのポケットへ押し込み、のけぞり気味に傾ける頭が線から外れたところで、線の延長上の土が弾けて飛んだ。
狙撃。遅れて乾いた破裂音が響く。
致命必至の脅威に身をすくませることなく、黒い強化プラスチック製の鞘をベルトで背負った青邪は、舞うように両手を広げその場で一回転。にわかに彼を全方位から貫く線が現れる。いずれも先の弾道同様「そのままなら青邪を通過する予定の脅威」だ。
果たして、続けざまに無数の銃弾が土を跳ね上げる。銃声がひとしきり響いたところで、大声がした。
「撃ち方、やめ! 整列!」
照明が点灯し、一面に土の敷き詰められた空間があらわになる。銃で武装した一団が、もうもうと土煙を上げる一帯へ駆け寄ったかと思うと、やや距離を置いたところで整列した。
その装いはいずれも黒が基調の特殊部隊然とした制服。各員の左肩には長銃とアーミーナイフのⅩ字に交差した紋章が刺繍されており、長銃は黒いシルエットのみ、アーミーナイフは銀色に縁取りされている。
「悪いな、お姫様。付き合ってもらって」
唯一武装していない、恰幅のいい隊長格の人物が発する声に、土煙の中から応答があった。
「お構いなく、冷泉隊長。俺の訓練にもなりますから」
長い髪にからむ土を払いながら現れる青邪の姿に、一瞬、隊列の息遣いが静まる。
戦闘訓練を受けた精鋭の、狙撃から始まった射撃に対し、ジャージ姿の少年は素手で無傷。土の汚れ自体が薄く、直面した脅威に動揺している様子すらなかったのだ。こんな存在が背に負った青銀色の西洋剣を抜き反撃してきたら。狙い澄まして撃った側からすれば、悪夢以外の何でもない。
「なあお前ら。妖精って怖えだろ」
冷泉に対して一糸乱れぬ動きでうなずく隊列の面々。
内輪のやりとりに首をかしげて思案顔になった青邪は、ほどなく事情を察して苦笑し、肩をすくめる。
彼らは≪XENON≫が保有する支援部隊の一つ、白兵戦力「ナイヴス」。実動戦力である青邪たちチェンジリングを戦場へ配置する母艦ゼノアークは、高速な反面、自衛用の武装に割くスペースも積載量もない。しかし前線司令部を兼ねる性質上、戦場付近に留まらざるをえないため、場合によっては冷泉たちのような支援部隊による露払いや護衛が必須なのである。
「隊長自身にもナイフ突きつけられましたっけね」
美形とは、えてして線が細いことで語られやすい。女性的な容貌の持ち主である青邪は実際にそうだ。片手で自分と同じ体格の人間を難なく引きずりまわせる不可解な腕力はあるものの、外見でそれと判るほど筋肉に覆われているわけではない。つまるところ「弱そうな奴のために体なんぞ張ってられるか」という反感を実力で黙らせられたということなのだろう。急に呼び出され、頼まれるまま訓練場の中央に立たされたのにはそんな経緯があったらしい。
「お眼鏡には、かないました?」
「ああ、多分な――悪い」
言葉を続けようとした冷泉の動きが一瞬止まり、青邪を手で制した。
「冷泉だ」
懐から取り出した端末を耳に当てた、その表情がこわばる。何事か問おうとした青邪のポケットでも、端末が振動を始める。
「天城です」
「天城隊長ですね」
聞き覚えのある声は、司令室のオペレーターのものだった。
「現在の位置を教えてください」
「第五ブロックで訓練中です。ナイヴスの冷泉隊長もいます」
「わかりました。大至急、こちらの指定するルートで司令室へ出頭してください。基地内に侵入者です」
青邪の目線に応じ、冷泉もうなずく。どうやら大体の内容は同じらしい。
「わかりました」
「よろしくお願いします」
「深刻だな」
会話を終えた青邪に、冷泉が告げる。
「そっちに連絡があったかはわからんが、基地付近にオリジナル、基地内で職員の死体が確認されてる。そっちはそっちで動け。おれらも動く」
「了――」
了解、と言いかけて青邪はかぶりを振った。
「どうした?」
「いえ、何でも……」
答えに窮する。元より感情の色の薄い顔を占めるのは、困惑。
視界に、自分自身がいる訓練場の入口へ歩み寄る誰かの視界が重なって見える……などという現象、青邪自身にも全く経験がないし、わけがわからない。どのように説明すればいいのか。
そうこうしているうちに、その誰かは天城青邪がいる訓練場に入ってくる。
開放されるドアの向こうに自分自身を視認し、青邪は顔を上げた。離れてはいたが、確かに目が合う。間違いなく、向こうも青邪の視界を視ているのだ。
それは、薄黄色の瞳。
「何……だ……?!」
冷泉が「誰だ」と言わなかったのも無理はない。
合わせ鏡。
工具箱を片手に、赤黒いまだら模様のキャップと黒いカツラを脱ぎ捨て、流れるように輝くサファイアブロンドをさらしながら歩み寄ってくる人物は、天城青邪の顔をしていた。髪型と服装を除けば、長身で細く締まった体格もほぼ同じ。違いがあるとすれば、着ている作業服の胸元には起伏があること。
青邪は合わせたままの目を戦慄に見開いた。
わかるのだ。
少女の名も、考えていることも、知っていることも。送ってきた人生の中では接した覚えのないものが、あらかじめ知っていたような気安さで、今この瞬間には天城青邪の脳内にある。
そして当然のように、彼女が何をできる能力を持ち、何をできる価値観を持っているのかも、わかっていた。
「冷泉隊長、撤収を」
目をそらせないまま、剣を抜き、小声でつぶやく。
「なに?」
「あんた、何も――」
歩み寄ろうとした一人のナイヴス隊員が、こぼれた。
前のめりに崩れる体は、少女の前に生じた不可視の壁にさえぎられるまま赤黒い細片に分かれ、地面に散らばったのだ。
「――妖精!」
「隊長ッ!!」
一瞬のうちに最低限同士討ちの起こらない間合いで少女を包囲し銃口を向けた隊員たちから冷泉へ、発砲の許可を求める叫びが飛ぶ。少女はというと、最初の隊員どころか今の状況すら意に介した様子を見せず、青邪へ向かう歩みを止めない。
「――撃ち方、始めッ!」
必中の間合いで、砲火と炸裂音が荒れ狂う。
しかし。少女は無傷。回避動作などしようともせず、つまづきもよろめきもしない。
青邪は少女と自分との間をさえぎる形になった隊員に駆け寄り、襟首をつかむなり後方へ投げ飛ばした。加減をしている暇はない。少女から読み取った意思によれば今度は彼が、最初の隊員とはまた違い切り刻まれるのではなく全身を砕かれるはずだったのだから。
銃を持たない青邪が前に出たことで、銃声が止む。
少女の目の前で剣をかざして衝撃に備えた青邪は怪訝な顔になった。
脅威が視えない。そして少女の思考から逆算したタイミングと間合いにぎりぎり入り込んでいた自分は既に弾き飛ばされているはずだった。
少女も初めて無表情を崩し、青邪と同じ顔にやはり同じ怪訝な表情を浮かべている。
青邪に脅威として視認できず、実際に脅威たりえなかった。不可解にも依然リアルタイムで伝わってきている少女の認識によれば、人体などたやすく引き裂く衝撃が回避そのものが至難な「面」で放たれたはずなのに、だ。
困惑する青邪の思考が、青邪の知らない知識を加えた上で意思の外に進展し、仮説が浮かび上がる。
ぎょっと我に返る青邪を鼻先で見つめ、青邪の顔をした少女は薄黄色の眼を輝かせていた。その手の工具箱が落下する。
「!」
回避できなかった。跳びのいてひねった体をいくつかの衝撃が揺らし、じわじわと熱を持つ。着地してよろめきながらも歯を食いしばり見上げた先では、少女が更に眼を輝かせ、今や微笑を浮かべている。
ボウガン。
少女の手元から立て続けに放たれる矢が、青邪には視えなかった。銃弾すら回避する彼の特殊能力『愚者の眼』は、あくまでも脅威を軌跡として視認せしめるもの。それをかいくぐった矢は、不意をつかれた動体視力で捉え切ることができなかったのだ。急所に当たっていないのは、単に運の問題に過ぎない。
ゆらり、少女の周囲の空間が歪む。しかしそれだけだった。
「そういう――ことか」
今完成した少女の確信を、青邪も理解する。少女の能力は、青邪の前では意味を成さない。そして、青邪の能力は、少女の前では意味を成さない。お互いが、本来存在しないはずの、天敵。
少女の、今度は背後の空間が揺らぐ。微笑を深める少女は後方へ体を投げ出し、揺らいだ空間へ波紋と共に溶け消えた。
「く……っ」
膝をつく青邪に、ナイヴスの面々が駆け寄ってくる。
「大丈夫か!?」
「急所は外れているみたいです。それより、基地付近にあったという機体を調査しているチームに連絡を。すぐに逃げろ、と。あいつは生身で空間転移ができる」
「――関!」
「了解!!」
事情を問いただすより早く飛んだ冷泉の声に、すかさず隊員が応え、通信を始める。
「どういうことだ。ヤツは一体何者だ?」
「……青弥。月ヶ瀬青弥。もう一つの名は〈クラウフェルン〉のセレオリンス。俺を捜しに来たみたいです。でも、俺のことを面白がって、殺すのは後回しにしたらしい」
「よく分からんな。だがおれの部下を殺したヤツだ。敵ならそれでいい」
冷泉の言葉に、青邪は一瞬考え込み、そして顔を上げた。
「俺は、隊長の味方ですか?」
返答は言葉よりも先に青邪の背中を打ち抜いた。怪我の痛みと衝撃とで息が詰まり、青邪の顔がこわばる。
「馬鹿抜かせ。お前さんはおれの部下をかばった。それで十分だ」
「本当、助かったぜ。ありがとうな。……手加減してくれてりゃもっとありがたかったけどな」
軽く足を引きずりながら、歩み寄ってきた隊員がヘルメットを脱ぎ、笑う。
「命拾っただけもうけもんだろ、あんな化け物相手に。……とりあえずお姫様を医務室に運んでやれ。おれは他にも動く事があるかも知れんからな」
「遠慮……をしてる余裕はなさそうですね。よろしくお願いします」
「あいよ、任せな!」
隊員の肩を借り、青邪は歩き出した。
【三】
包帯姿も痛々しい青邪がオペレーター用の椅子に腰を下ろし、卓上で待機していた黒猫ブルーがしずしずとその膝へ降りて丸くなる。
「零番隊のセキュリティチェックはどのように行われているか、知っていますか?」
司令室に零番隊がそろったところで発された≪XENON≫副司令、妹尾朝子の言葉に、相模白郎は首をかしげる。
「……そういやIDカードみたいなもん渡されてねーし、秘密組織! って感じしなくて、初めて来た時拍子抜けしたっけな」
「知っての通り、ティマイオスはチェンジリングにしか動かせませんね。そのシステムをごく小規模で再現し、セキュリティに応用してあります。現在、基地に出入り可能なチェンジリングは限られますし、パーソナルデータごとに管理されているので、混同することもありません」
「それは知っていますけれど、なぜ今それを?」
「今回の侵入者は天城隊長のパーソナルデータで認証され、基地内を自由に出入りしていました」
沈黙が降りる。
「それ、どういうこと?」
碧紗の問いに答えたのは、緋影だった。
「同じ妖精のチェンジリングは、複数存在することがあるの」
「……なんだ、それ?」
「古代に存在した、ティマイオスの生みの親が、今「妖精」と呼ばれている人型の生き物。彼らは、自分たちが滅ぶとき、個人個人を構成する情報を未来へ飛ばし、復活しようとしたの」
あたしは正確には妖精じゃないけど、一応成功例、と胸元に手を当て、緋影は言葉を続ける。
「でも、一人分の情報が複数の体に分散してしまう事故も予言はされてた」
「つまり、あいつは天城と同一人物……同一妖精? だったってわけか。同じ顔なわけだ。まさか天城を狙ってて、そんな物騒なヤツとも思ってなかったけど。……悪かったな、天城」
結果的に襲撃者を見過ごし、青邪に怪我を負わせた形になる白郎の表情は、渋い。
「いや、仕方ないだろう。むしろ白郎に怪我がなくて本当によかった」
白郎に応えると青邪は思案顔でうつむき、指先をあごに当てた。
「……妙なたとえだとは思うが、多分、俺の方が純度が低いんだろうな。あいつが俺なんじゃない。俺があいつなんだ」
青邪の言葉に、緋影は顔をこわばらせ、しばらく沈黙した後に小さくうなずいた。彼女の手元の端末操作に伴って森の中から立ち上がる巨大な人影がモニターに映し出され、青邪はふと怪訝な目を膝に向けた。
ブルーが急に顔を上げ、モニターを凝視しているのだ。
鋭角な印象を受ける細身の白い機体は、所々が直線を主体とした幾何学的な赤い模様で飾られており、何の前触れもなく揺らいだ周囲の空間に呑まれ、跡形もなく溶け消えた。
「この機体は〈クラウフェルン〉。妖精の時代で最強最悪の鎧のひとつ。まさか転生していて、しかも青邪のオリジナルだったなんて……」
「オリジナルってことは、オレたちみんな、機体含めて本当に『まがいもの』なのか?」
言いながら、白郎はつじつまが合うのを感じていた。ほんの少し前に襲ってきたオリジナルの機体は、白郎とシェールクウェイラを指して『どちらかはおれかも知れない』と言っていたのだ。
応じて、緋影は告げた。
「……そうよ。そして、オリジナルである『白妖精』はいずれ皆、青邪や相模たち『影妖精』を殺しに来る」