第五話 杞憂隠蔽
【一】
私立銀星学園は全寮制である。
高等部学生寮「永青館」は瑶林棟二階の私室で、相模白郎は頬杖をつきながら机に向かっていた。カーテンの向こう側はもう黒一色に染まっている。
「くっそ……めんどくせー……!」
本来ならば今朝が提出期限であった古典の課題を、今になってこなしているのだ。≪XENON≫構成員としての出撃は表向き生徒会の特別課外活動となっており、それによって授業を欠席しても出席単位は考慮され、とがめられることもない。同時に特別措置として課題の提出期限も翌朝にまで延びていた。
「死ぬ思いしてもベッドでくたばってらんねーとか、学生マジつれー」
ぼやき交じりの渋々ながらも、ノートをなぞる筆は止めない。襲いかかるペナルティが厄介なのは重々承知しているからだ。
筆圧を物語る濃い字で三ページ程を埋めて一区切り、右手を軽く振りながら椅子の背もたれをきしませ伸びをする。と、無音の室内にノックが響いた。
「あいよ、誰だ?」
「俺だよ、白郎」
聞き間違えもしない、耳になじんだ声。
「天城か。今開けるからちょっと待ってろ」
スイッチ操作で電子ロックを解除、ドアを押し開ける。ひょいと顔をのぞかせた青邪の姿に、白郎は目を丸くした。
「どうしたんだ、その格好」
ジャージ姿で背には竹刀袋を負い、普段黒いリボンでゆったり束ねられている青い髪は黒い輪ゴムで細くまとめられていて、心なしか上気した顔からはうっすらと湯気が立ち上っているように見える。シャワーでも浴びてきたのだろうか。
そして、彼の足元には黒猫。本来の飼い主である緋影よりも青邪になついているブルーだ。
「緋影と戦闘――特別カリキュラムしてたんだ。あいつから誘われること多くてね」
まあそれはそうと、と青邪は小脇に抱えていたノートを白郎に差し出した。
「古典の課題。貸すって約束だったろ」
「おお!? ありがとな天城!」
俄然、白郎の表情が輝く。考えるまでもなく書き写すだけでいいというのは、非常に楽だ。ノートを受け取り、ふと首をひねる。青邪への引っ掛かりを思い出したのだ。
「……コーヒー飲んでかねーか?」
「いいのか?」
「ああ。訊きたいことあってな」
「じゃあ遠慮なく。喉渇いてたんだ」
頬を緩めて入ってくる青邪より一足先に部屋の中へ引っ込み、白郎は冷蔵庫から取り出した缶コーヒーを投げ渡し、椅子に腰を下ろした。
「ありがとな」
造作もなく片手で缶を受け取りベッドに腰を下ろす青邪の膝の上で、すかさずブルーが丸くなる。青邪は軽い音と共に缶を開封。ぐっとあおり、かすかに顔をしかめる。
「にが――で、訊きたいことって?」
「あのとき、どうやって来てたんだ?」
実質的な戦闘能力はともかく、ガンスレイヴに毛の生えた存在に過ぎない〈アリスⅢ〉が、新システムの後押しを受けた最大船速でなおかなりの時間を食いつぶしたゼノアークに、単独で追いつけるとは思えない。窮地への乱入は、完全な想定外の出来事なのだ。
対する青邪は、なんだそんなことか、と言いたげにきょとんと白郎を見返した。
「〈エレイユヴァイン〉で〈アリスⅢ〉ごと空間転移して、ゼノアークに拾ってもらったんだ。おいそれと解体できるような代物じゃないにしても、装甲諸々戦闘用の装備は外してあったからな、さすがにあれで参戦するわけにもいかなかった」
本当に間に合ってよかった、とため息が続く。
「……あれ? それならオレらが急ぐ必要なかったんじゃねーのか? まとめて送ってもらえばよかったような」
白郎のつぶやきに、青邪は首を左右に振った。
「多分、ゼノアーククラスは無理だ。俺一人じゃ制御しきれないだろうな」
「そっか」
今日現れた機体もそうだが、恐らく単騎のティマイオスが有する空間転移の有効範囲は基本的に自分とその周囲が限度なのだ。それを考えると、かつて距離を隔てた状態でゼノアークを転移させてのけたフルパワー状態の〈エレイユヴァイン〉は、やはり相当に破格の存在なのだろう。
「訊きたいことって、ひょっとしてそれだけか?」
じゃれつくブルーをやんわり制し、軽くなった缶を振ってのぞき込みながらの問いに、白郎は首を横に振る。
「いや、もうひとつ」
これからが本題だ。
深呼吸。まっすぐ青邪の眼を見、問う。
「なんで殺した?」
白郎たちの前に立ちふさがった白銀の機体を、青邪はためらいなく、そして明確な殺意の下に引き裂いた。今までも今回も、彼ら零番隊に敵の殺害を主目的とする殲滅戦の指令が下ったことはなかったのに、冷徹な独断専行は為されたのである。
「おまえが強いのは、オレだってよく知ってる。だからなおさら、あいつを追い払うくらいで済ますことはできなかったのか?」
「そんな選択肢はないよ、白郎」
断ち切るように、青邪は告げる。
「友達を殺そうとするものを、俺は赦さない。可能性も認めない。今までは白郎やみんなが危険にさらされなかったから、そうする必要がなかっただけだ」
「……それ、さ。殺人鬼の思考と変わらなくね?」
要約すると、身内以外は総て敵。排除に手段は選ばない。そういうことだ。そこに心は感じられない。
つぶやきに虚をつかれた様子で見返す青邪を見て、白郎は改めて理解した。恐らく青邪には、冒すべからざる禁忌というものがないのだ。
「うーん、まあ、そうだろうな」
彼の場合、必要を感じれば本当に「何でもする」のだろう。だが、理解と納得とは別のものだ。
「おまえな……!」
軽く言うな、と身を乗り出しかける白郎を、青邪は腕組みを解き手で制した。
「落ち着け。俺も自分が普通じゃないことくらい解ってる。白郎の感じてることはきっと正しい」
ただ、と薄黄色の眼差しが強さを増し、白郎の眼を奥底まで射抜く。
「それでも、他人の命は仲間より軽い。必要ならいつでも薙ぎ払う」
まとう空気が、ゆるむ。
「俺には理解できないし実際にできるとも思わないけど、白郎なら何とかできるのかも知れない。……答えはこんなところでいいか?」
「まあ、な」
白郎の渋面に肩をすくめながら、青邪は立ち上がった。いち早く床へ跳び下りていたブルーは白郎に興味がないらしく、既に部屋のドアの前で青邪を見上げている。
「白郎は俺を友達と呼んでくれた――コーヒーごちそうさま。今度はブラックじゃなくてカフェラテ置いといてくれよな」
柔らかな口調で白郎の肩を叩き、ドアまで歩み寄る。
「言い忘れてた。緋影や碧紗を護ってくれて、ありがとう」
声に反射的に振り返った白郎は半眼で青邪をにらんだ。
「知らねーよ。オレ結局護れてねーし」
「全員無傷で帰ってきただろ」
柔らかな笑みは、相変わらず美少女のそれ。造形以上に、こもった感情には嘘を感じられないので、拒絶自体が難しい。
「うっせーよ。だったら今度オレにコーヒーおごれ。そんでチャラだ。ブラックだからな」
「覚えとく。おやすみ」
声が遠ざかり、ドアが閉まる。戻ってきた静寂の中に、白郎のつぶやきがもれた。
「なんつーか……極端なヤツだな」
言っていることは物騒だが、口に出たのは彼なりの誠意なのだろう。積極的な人殺しを容認するつもりはないが、それをさせないこともできるのだと本人の口から聞けたのだから。
「要は強くなれってことか」
つぶやいて立ち上がりかけ、白郎はしばし考え込んだ末に改めて机へ向かった。
課題が済んでいない以上、トレーニングどころではない。こういうとき、並みの頭と怠け癖は足を引っ張ってくれる。
「難しい注文しやがって、あの無敵超人め」
ぼやく声に苛立ちはない。なんだかんだで、いい友人なのだ。
【二】
特務機関≪XENON≫本部基地、第五ブロック。ティマイオスの格納庫は今、整備工場と化していた。
格納庫の住人であるティマイオス四体のうち二体までもが大きな損傷を受けたため、その修復に整備班の人員と設備が集中的に投入されているのだ。少なくとも日本国内において、真っ向からミーティアタイプに対抗できる戦力は≪XENON≫しか存在しないため、その維持、即ち深刻な損傷を受けた〈撃震〉と〈非天〉の修復は様々な観点から組織全体に共通する喫緊の課題なのである。
技術者と作業スタッフの大声でのやり取りや資材を搬入する車両の往来で、今や戦場もかくやという騒々しさ。
そんな格納庫の片隅に、白郎はいた。
「しかし本当、よく帰ってきた! 偉いぞ相模のぼーず!」
背中を叩く平手は鈍くも重い音をさせ、その一発一発が、決して貧弱でも何でもない白郎の体を軽く浮かす。頑健な体格の整備班班長石動草太は、見た目通りパワフルなのだった。
「頼むから落ち着いてくれ、石動のおっさん。超痛えから。今からおっさんのお陰で病院送りになりそーだ」
「ちったあ喜ばせろ。お前さんの機体は、それだけ深刻な状態なんだからな」
「いや、そうしちまったから詫び入れに来たんだけど。喜ばれるとか、ねえし」
言いながら白郎が遠巻きに眺めた乗機〈撃震〉は、胸郭のコックピットこそ逸れているものの胴のほぼ中央を深々とした溝が上下に走っており、内部の構造がむき出し。加えて、両肩に装備されている砲門は左側が肩関節ごと吹き飛び、左腕そのものが失われている。まさしく満身創痍という体であった。右脚の一部を欠いているだけの〈非天〉とは比べるべくもない。
「装甲の薄い〈非天〉は真っ二つになっててもおかしくなかった。ぶった切られたとはいえ、あの場を持ちこたえて全員で生還したお前さんがMVPだよ」
「……格好良くねえMVPだな」
「らしいと言えば、らしい泥臭さですけれどね」
不意に割り込む、足音交じりの涼やかな声。
「初っ端から失礼な――」
どちら様だこの野郎と振り返った白郎は、一瞬の沈黙の後、ぽかんと開けた口を笑みの形にしていた。
「てめえ一条! 久しぶりだな!」
「……素直に喜ばれると調子が狂いますわね」
柳眉を軽く上げながら白郎の間近まで来て足を止め、少女はダークグレイのスーツの肩をすくめた。
アップにまとめられた黒髪もさることながら、西欧の血を感じさせる色白で整った顔立ちのため、高校三年生という実年齢にもかかわらずフォーマルな服装に違和感がない。
「何はともあれ、お久しぶりですわ相模さん。それに石動のおじ様」
一条永久シュトロハイム。巨大企業一条インダストリーの社長令嬢の一人で、≪XENON≫発足当初からのテストパイロット。そして特殊兵装『ジャバウォック』開発のため今まで≪XENON≫を離れていた零番隊最後の一人である。
「おう久しぶりだな、トーヴァ嬢ちゃん」
石動の呼び名に少女は相好を崩す。元々彼女は命名で呼ばれることをあまり好まず、アルファベットを母方の祖国語で発音した「トーヴァ」を名乗っているのだ。
「最終調整が間に合ってよかった」
トーヴァが目を向けた先では、巨大な左腕をぶら下げている〈アリスⅢ〉が整備用のキャットウォークに取り囲まれている。
「実際、アレが間に合ったから、どうにかなったんだよな……ありがとよ」
白郎のしみじみとしたつぶやきをトーヴァは弾かれたような勢いで振り返り、一瞬の後、顔を背け、再度〈アリスⅢ〉へ視線を注いだ。
「……当然ですわ。わたくしたち≪XENON≫の技術力は世界一」
「それに、お前さん自身もいい仕事してるじゃねえか。最初の実戦でもインターフェイスのラグがほとんどなかったぞ」
「おじ様と一緒にテストパイロットとしての経験を積んできましたしね。運用上の不具合は完璧にならしておきましたわ。ただ……」
石動に返しながら、トーヴァは眉を寄せる。
「ああ、こいつは〈非天〉以上の問題児なんだよな」
「なんだ、問題児って? 壊れてるのか?」
「そんなわけがないでしょう。いつもどおり馬鹿なことを言わないでくださいますこと?」
「不安定なのさ」
たじろぐ白郎を横目に、石動が言う。
「『ジャバウォック』は、精霊のエネルギー運用に特化した精霊石搭載型の兵装だ。あれを装備したガンスレイヴは攻撃面に関しちゃティマイオスにも引けはとらん。掌から射出する「ファング」も指先に展開する「クロー」も〈エレイユヴァイン〉の高速紋章システム解析で得られた空間固定技術の産物。エネルギーを「固めて」るから、そうそう打ち負けはしねえ」
「ああ、それは分かる」
うなずく白郎。実際にそれがティマイオスを両断する様を目の当たりにして異論のあろうはずもない。
「だがな」
ふう、とため息。
「どっちみちチェンジリングにしか使えん。その上、必要なエネルギー総量を実現できるのは天城の嬢ちゃんだけだ。そして『ジャバウォック』が発生させる【租界】は機体そのものを覆えるほど大きくないし、機体は機動性に特化したチューニングがしてあるから装甲なんぞ無い。一撃でも食らったら機体そのものが砕け散る。天城の嬢ちゃんの異常な回避能力を前提に設計されている、つまり「専用機」なんだ」
「拳銃を想像すれば解りやすいかしら。「誰が使っても戦力として機能する」のが兵器ですわ。造っておいてなんですけれど、これはノウハウの継承も望めないワンオフ機。異端の傑作ですの」
「……おい」
小難しい話は白郎には分からなかったし興味もない。だが石動の話は聞き逃すには物騒に過ぎた。
「あいつ無防備な状態で戦ってたのか!?」
今更になって白郎の背を冷たい汗が伝う。
不意討ち気味に一撃で引き裂いたからこそ戦闘は早く決着したが、多角的な攻撃手段を有していた白銀の機体がより手練れであった場合、天城青邪が帰還できた可能性そのものが薄かったことになる。
そして恐らく、青邪自身それは織り込み済みだっただろう。自分が背負いきれると判断したリスクは人に話さない男だ。
「あの野郎……」
「そうですわ」
トーヴァの眉は苦しげに寄っている。
「オリジナルに劣るミーティアタイプ相手ならともかく、本来実験を兼ねた後方支援用に試作された兵装です。だからこそ、今回の発掘は大きな意味があった」
オリジナルティマイオス〈ザルゥスモルティア〉。これが確保されたことにより、現時点で≪XENON≫が保有する〈エレイユヴァイン〉と併せ、妖精の技術解析がより進むのは間違いない。単純な戦力としても「彼女」の協力を取り付けられれば≪XENON≫の戦力は大きく充実するだろう。
「おじ様、件の……不思議な子は、第七ブロックですの?」
「ああ。羽の嬢ちゃんが相手をしてるはずだ。もうじき翻訳プログラムも完成するらしいから、話もできるんじゃないか?」
「なあ、石動のおっさん」
「ん?」
「整備の状況はどうなってんだ? 何かあったらオレ出られるようになるか?」
いいや、と石動は首を横に振った。
「〈撃震〉の修理にはもうしばらくかかる。ただ〈非天〉の方はじきに終わる。〈厭輝二式〉は無傷だし〈永姫〉の整備も完璧だ。よほどのことが起きない限りは対応できると思うがな」
「そう、か」
しぶしぶうなずく白郎。自分が出撃できないのは不満だが、零番隊の女性陣はれっきとした戦力だ。青邪の後方支援まであれば窮地はまずないだろう。
ただし、他の人間が心配するようなことを黙っていた青邪は後で締め上げる必要がありそうだ。
「おい、相模のぼーず。置いてくぞ」
考え込んでいる隙に、いつの間にか石動とトーヴァは先に歩き出していた。
「あ、今行く」
視界の隅で、がしゃっと重い音がした。
振り返ってみると、整備員の一人だろう、灰色の作業服を着た長い黒髪の人物が前のめりに転んでいた。その行く手には赤黒いまだら模様のある工具箱と、作業服とそろいの生地にこれまたまだら模様のあるキャップが転がっている。
「おい、大丈――」
駆け寄った白郎の手を借りて立ち上がりながら、少女は首をかしげた。少女の顔を見た瞬間、白郎の顔は驚きで固まっていたのだ。
「いや、……何でもない」
少女の視線に気付き、白郎は言葉をつなぐ。
「気を付けろよ。それじゃオレ、急いでるから」
走り去る白郎をうなずきで見送り、少女は落ちたままの工具箱とキャップへ歩み寄った。拾おうと前かがみにしゃがんだ拍子に、黒髪が丸ごと落下する。
サファイアブロンドに黒髪のカツラとキャップを載せ直した少女は、工具箱を手に改めて歩き出した。