《500文字小説》天国の森
僕は父の車をあてもなく走らせていた。
社会に出る事がこんなに難しいとは思わなかった。
何十通もの不採用通知が送られ、やっと就職しても人間関係になじめず、たったの三日で退職。口うるさかった両親も今では何も言わない。僕は、この世界にいてもいなくてもいい存在なのではないか、そう感じていた。
気がつくと、見慣れない森が広がっていた。車を降りて雑木を抜けると、白い花を咲かせた木々が、はらはらと花びらを散らせていた。こんな綺麗な風景が見納めなら悪くない。そう思った時。
「雪みたいね」
驚いて振り返ると、納戸色の単衣に白い鉄線の花が描かれた着物姿の女性が立っていた。
「一瞬の美ね。でも同じ花は二度と咲かない。散っている姿が美しいのは、一生懸命咲ききったからね」
そう言って微笑むと、女性は森の奥に消えていった。僕は車に戻り、トランクを開ける。用意していた練炭を見つめていたが、何だか気がそがれてしまった。
家に戻り、玄関のドアを開けた時。ある事に気づいた。慌てて仏壇の下の引き戸を開け、古いアルバムを取り出した。その中にあったのは、亡くなった祖母の若い頃の写真。彼女が身につけている着物には、白い鉄線の花が描かれていた。