2 NPC 聖人
迷宮に長い間居ると、方向感覚を蝕まれていく感覚を覚える。
僕とミナは、ダイヤモンドという陣形で、迷宮内を探索している。
ダイヤモンド――三六〇度全方向からの敵の襲撃に対応する為の陣形である。
から敵に襲われるため、臨機応変に対応しておくことと戦う場所を工夫することの方が大切である。
だが、体力以上に迷宮内において最も維持困難な感覚がある。
方向感覚だ。
シミュレーテッドリアリティで、プレイヤーは立体迷路を解いたり人に道を教えたりするときに「認知地図」という知識を利用する能力を応用している。
スタート地点からどちらの方向に進んでいるか、どれくらいの距離にいるか、以前に通ったことのある道か、などのまとまった知識体系の総称である。
方向および距離感覚と空間認知の維持こそ、ゲーム攻略の鍵といっても過言ではない。
もちろん一度歩いた通路は自動的にマッピングされ、托身体にデータとして保存され、必要に応じ、引き出せる。
托身体には、ゲーム内での安全を保持する為、様々機能がプリインストールされている。
いちいちウインドウを開く必要性はなく、感覚能力の延長として、認識や知覚することが出来る。
生命力という資源が消失する際、さすがに痛みとして還元されることはないが、軽い脱力感や部位の消失や感覚の鈍磨化、反射速度の低下など限定的なステータスの異常を招き、それがさらにゲームを盛り上げる。
迷宮探索は、RPG創成期から存在する歴史のあるゲームスタイルだ。
確かにこのゲームは、麻薬のような中毒性がある。
迷宮という閉鎖空間は、考えている以上のプレイヤーにストレスを与える。
薄暗い迷宮は時間感覚を奪い、耳を澄ませ、徘徊するエネミーに注意を払いながら、先を進める。片時も、気を抜くことは出来ない。
また、迷宮という狭く隔絶された閉鎖空間は、自ら恐怖を作り出し、精神状態に激しく影響を及ぼす。
また迷宮での戦闘ほど、戦略性を求められるものは無い。
武器や装備の選定、道具や治療薬のストック数の把握や補充、魔力や各職業の技能力などの資源の残量と有効利用など、考慮しなければならない点は多岐に渡る。
油断していれば、すぐに地上に帰還できなくなる。
特に魔法やジョブスキルは魔法の特性や射程距離、有効範囲をよく理解した上で使用しないと、ただの無駄遣いとなる。
いつも重苦しく、緊張感に満ちている迷宮も、今日は別だった。
ミナが一緒だからだ。
最近、ミナとのプレイが多くなっていた。
戦いを重ねていくうちに、徐々に互いに息もあってきた。
「今度オーディションがあるの。アイドルグループの……」
ミナが告げてきた。
「でも、審査項目にダンスと演技があるの。演技はまあいいとして、アドリブ弱いし、ダンス苦手だし……」
オーディションを前にして、ミナの不安が膨れ上がってるのが分かった。
ミナは芸能活動を中二の頃から行っているらしい。
しかし事務所との方向性が合わず、最近辞め、フリーなのだそうだ。
これだけ可愛いのに、芸能活動は中々厳しいらしい。
彼女がゲームにのめりこむのもその辺が理由なのかもしれない。
徐々にではあるが彼女がどういう娘なのか分かってきた。
僕は、「そういえば君と別れた後、NPCに会ったんだ」と切り出した。
「NPCってどんな?」
「女教皇レビスって名乗ってた」
「……聖人じゃない? それって……」
「聖人……?」
僕はミナに聞き返す。
「タロットカードの名を冠したNPCが居るらしいの。エンデって居たでしょ?」
「ああ」
僕は派手な衣装のGMを思い出していた。
「確か自分の事を愚者って名乗ってたでしょ。愚者はタロットカードではナンバー0、ちなみに女教皇はナンバー2」
「へえ」
初めて聞く情報だった。
「聖人はゲーム攻略の鍵を握っているらしいの。遭えるプレイヤーも限られているって……。出現場所とかも複数に渡ってて。攻略系コミュニティサイトの情報だけど……」
僕はNPCの言葉を改めて思い出していた。
両性具有神の聖剣。
フィロソフィー・ブレード。
黒の剣。
白の皇錫。
赤の錬金薬。
そして、ソウルアーカイバ計画とナーヴァス――。
「ナーヴァスって知ってる?」
僕はミナに尋ねていた。
「なにそれ?」
ミナがそう答えた時、突然、通路内の空気が変わったような感覚を味わった。
「コンバットフィールドに入りました」
アイグレーが警告を発する。
どうやら他プレイヤーの戦闘圏内に入ったらしい。
通路の角から、慎重に首を出し確認すると、戦闘中のパーティーが居た。
四人構成のパーティーが、エネミー・バルバロイジャイアント一体と戦っていた。
バルバロイ・ジャイアント――巨人族のエネミーである。
体格も大きく、深層部の敵のご他聞に漏れず、魔法への耐性が強い。
通常攻撃で葬り去るのが得策だった。
その巨人に対し、プレイヤーが一糸乱れぬ動きで向かっている。
混成パーティーではなく、人数は四人であることからも、ソロプレイヤーだろう。
まるで動きに無駄がない。
僕はプレイヤーを確認した。僕が良く知る人物だった。
クロムだった。
クロムのパーティーは見事だった。
クロムが命じてる訳でもなく、連係プレイを見せ、仲間同士が指示や言葉を交わさなくても意志を疎通しているようだった。
バルバロイ・ジャイアントの棍棒がクロムに襲う。
丸太をそのまま武器にしたような棍棒は、何かに弾かれたように反発し、放電現象が起こる。
「……アブソリュート・ディフェンス!?」
僕は思わず呟いた。
アブソリュート・ディフェンス――聖皇の肖像盾によるアンチ・スキル・ディフェンスだった。
盾スキルという聖職騎士が持つ防御スキルに聖皇の肖像盾が加わると、追加されるスロットである。
盾スキルを展開し、エネミーの攻撃が緩むと、二人の魔導剣師がソニックブレードを仕掛けていた。
回数は、僕が単体で放つより遙かに少ないが、二人掛りの二重攻撃は効果的だった。
強靭な巨人も、剣の嵐になす術もなかった。
打撃中心の戦闘――僕の予想通り、クロムは魔法の資源を極力節約する戦術らしい。
バルバロイジャイアントなどの巨人種は魔法の効果が薄い故、魔法の行使は、資源を無駄遣いするだけだ。魔法剣や回復系魔法に回せば、それだけ迷宮探索の時間が伸びる。
賢い選択だった。
魔法剣の猛攻に、巨人は膝を屈し、床に突っ伏すと、その場から消失した。
エネミーが斃され、利得を得るとクロムはドロップされたアイテムを回収していた。
クロム以外のキャラはフルフェイスの兜を被り、顔は見えない。
クロムのパーティー変成は魔導剣師が二人、聖職騎士がクロムを含め二人の、攻撃重視型の編成だ。
「君は……」
クロムは僕達に気が着くと、剣を鞘に収めた。
「……ソニックブレード使いか」
クロムの言葉に、ミナが吹き出している。
へんな渾名で呼ぶのはやめて欲しい。
こっちが赤面する思いだった。
「敵情視察かな?」
クロムは僕達に尋ねた。
だが、尖った感じは無い。
どこか余裕がある訊き方だった。
「偶然です」
ミナが答える。
「だろうね」
クロムは僕とミナを交互に見た。
「君達は組んでゲームを攻略するということか……」
クロムの言葉に、ミナは僕の見ると、意味ありげに笑った。
「で、何か用かな?」
「ここで会ったのも何かの縁ですし、お互いに情報交換しません?」
ミナがクロムに話を持ちかけていた。
この辺の交渉は上手かった。
「情報交換?」
クロムがミナに聞き返す。
「ええ」
「待ってくれ、とりあえずキャンプを――」
クロムの提案に従い、周囲に結界を張り、我々三人はキャンプモードに入った。
合計12人の大所帯となると、キャンプゾーンもどこか手狭になる。
「クロムさんはスカウトされたんですか?」
ミナが尋ねると、「ああ」とクロムは頷いた。
「カリバーンとメリクリウス二人に、直接な。……まったく節操が無いな」
クロムは苦笑していた。
先程の巨人族の戦闘でも、クロムは有能なプレイヤーであることは疑いようも無い。
「『黄昏の騎士団』に『黄金の魔術団』はギルドの代表格だからな。最近では闇アイテムを使用する違法プレイヤーも徒党を組み始めているらしい」
「本当ですか?」
「コンプリーターが闇アイテムをばら撒いているらしいからな。君も見ただろう」
僕はコンプリーターとの戦闘を思い出していた。
「どこかに属した方が、ゲーム攻略はしやすいんだろうが……」
クロム自身迷っているようだ。
ソロプレイには限界がある。
僕も徐々にそれを実感しつつあった。
「入るんですか……?」
ミナの問いに、クロムは苦笑した。
「現実世界を忘れる為に遊んでいるのに、何が悲しくてゲーム世界にまで序列を持ちだされなきゃいけないんだ? 誰だって、ゲームでは主役でいたいものさ。違うか?」
クロムは何故か僕を見た。
大人の男の言葉に聞えた。
社会に属している人間が、現実の煩わしさを忘れる為の、ひと時の遊戯――そんな楽しみ方をしているように見えた。
おそらく普段は仕事もバリバリこなしているのだろう。
僕は、クロムのスタイルとポリシーに、引け目すら覚えた。
「俺も聞いていいかな……?」
クロムは僕に問いかける。
「なんでしょう……?」
「あのカリバーンが使用した魔法剣だが、あれはなんだ?」
「……さあ。僕が知りたいくらいですよ。でも、エフェクトは派手だけど、重圧剣に似ていたような……」
「……ただし、複数回放っていたな。まるで君の得意なソニックブレードの連続攻撃のような――」
プレッシャーブレードの連続攻撃――プレッシャー・ブレードは単発、ソニックブレードは連続攻撃が特徴である。
プレッシャーブレードの一撃は、確かにソニックブレードより攻撃力が高い。
連続で繰り出せば、連続攻撃最大回数の合計値を上回るだろう。
「謎が多いな。このゲームは――」
苦笑するクロムに、僕はどういう顔をしていいのかの変らなかった。