3 環蛇の指輪
僕は自宅マンションに帰り、自分の部屋に入る。
まだドキドキが止まらなかった。
親からメールが来ていた。
今日も仕事で遅くなる、といういつものおざなりな内容だった。毎度の事である。
未奈へのメールはすでに送信していた。
店を出てすぐに、和也に無理やりやらされた。
こういうのは即行動しないと駄目らしい。
夕食を済ませると、僕はさっそくエクスペリエンスの電源を入れた。
エクスペリエンスは、コンシューマー型魂読込用投射デバイスである。
ブレイン・コンピュータ・インターフェイスの到達点――幽体離脱体験という脳に備わっている高次機能を利用したゲームシステムは、瞬く間に世間を席巻し、定着した。
ゲームに潜む危険性や批判を諸共せず、数々のゲームジャンキー達を虜にした。
かく言う僕もその一人である。
ヘッドギアを装着し、バイザーを下げると、僕はSLG専用リクライニングシートに靠れる。シートにはセンサーが備わっていて、身体の状態をモニターしている。
ネットで購入した魂読込ゲーム用の関連商品である。
僕は魂読込し、ウィザードブレードへログインした。
魂読込と共に人工魂であるAI達が一緒にゲーム世界にロードされる。
ロード先は城塞都市セネト――迷宮への拠点にして、中継都市である。
セネト市は、東西世界の接点、交易路の諸方の富と文化が流れ込み、坩堝と化した交易都市として世界の商人達が集う街である。
国境地帯に座し、また近くに水源となる河が流れて、肥沃な土地であり、地図を見れば擬人化された河が、王国に水を注いでいる。
そして、セネトはある異名を持つ街でもある。
『迷宮都市セネト』と――。
セネトの無限地下迷宮――それが僕の冒険の場であり、ゲームの主舞台。
かつてこの世界を治めた7人の魔導皇の末裔、セネト古王家。
そのセネト30代目国王が武力増強の為に、先祖伝来の禁断の魔道書の解読を、配下の魔導士サルマンに依頼し、失われた古代の魔法を復活させ、覇権の掌握をもくろんでいた。
だが、魔導士サルマンが裏切り、古代魔法を暴走させ、セネト市地下区画に広大な迷宮を出現させてしまう。
魔法が不完全の為、迷宮は絶えず拡張を続け、また異界へ続く綻びが幾つも生じ、異界から侵入した異界の住人や魔物が絶えず供給されている状態である。
セネト国王は魔法師団を投入し、魔法の解除に当たったが、適わず、せいぜい魔物が外に漏れない程度の封印を施すのが精一杯で、いつ封印が破れ、異界の住人が押しかけてくるとも知れない小康状態である。
張本人の魔導士は迷宮に潜伏し、更なる力を求め、邪神の復活の為に迷宮最深部に神殿を築き上げた。国王は謎の病に犯され、床に臥せっている有様だった。
国王も謎の病に犯され、床に臥せっている有様だった。
国王不在の臨時行政院は、迷宮の破壊の打開案として、諸外国にお触れを通達し、世界各地に冒険者を募った。
恥をさらすことになるが、猛者達を呼び集めることで、手持ちの正規軍を消耗ぜすに済むという思惑もあった――というのが基本設定である。
迷宮は全部で120階、一度入ると、迷宮帰還用の魔法かアイテムが無いと、抜け出すのは困難だ。
迷宮は、失われた未知の魔法や異界の住人が所持する宝が存在し、また異界との接触で時空が歪み、貴重な魔法遺物が紛れ、迷宮内を彷徨っている状態のため、迷宮内は宝の宝庫とも化している事から、冒険者はひっきりなしである。
街は城を中心にし、行政区、商業地区、公園等の公共施設地区、市街地から構成されている。
僕達は城下町の『罪人の楽園亭』で迷宮探索の準備をしていた。
罪人の楽園亭――商業地区のサービス提供スペースである。
飲食店を模した公共スペースは、冒険者達同士の交流や情報交換の場として利用されている、いわばネットのポータルサイトのような場所だ。
ニュースなどの情報提供サービス、ブラウザから利用できるウェブメールサービス、電子掲示板、チャットなど、ユーザがインターネットで必要とする機能をすべて無料で提供して利用者数を増やし、広告や電子商取引仲介サービスなどで収入を得るというビジネスモデルを展開している。
検索エンジン系のサイトや、ブラウザメーカーのサイト、プロバイダなどがそれぞれ強みを生かしながら激しい競争を繰り広げている。
ゲーム世界でありながら、現実世界と断裂しないようにとの運営側の実益を兼ねた配慮である。
ネットゲームへの批判とそしてSLGへの懸念を逸らすための、プレイヤー同士のパーティーの編成のみならず、情報交換や交流を促すを行う場でもある。
今日もパーティーを組もうと、プレイヤー達がたむろし、互いに品定めしている。
まるでナンパ待ちしている連中のようだ。
行政区に行けば、ミッションやクエストを受けられ、冒険初期段階におけるキャラクター育成の為の修行やアイテム収集に利用できる。僕も最初の頃は利用した。
僕達はプレイヤーの勧誘を無視し、テーブルに陣取ると互いの業務を行い始めた。
彼女達は自分の人格を複製した模擬人格である。
三人は姉妹という設定だ。
種族はニンフという妖精種で、下級女神に属する存在である。
長女のヘスペリアは、高位魔術師――性格はしっかり者で大人の女性で、攻撃系魔法能力はパーティー内随一だ。魔術師としての熟練度を上げ、高位魔術師の資格を取得した。魔法は全て習得済みの熟練者だ。
現実世界では、インターネットサービスと直結し、情報の入手やメール管理など行っている。
接客業務が多いためか、コンパニオンのような印象を受けることが多い。
次女のアイグレーは司教冠に、魔導杖を持ち、法衣を纏っている。
ヘスペリア同様に、高位魔法所有である職業の魔導司祭の資格を得られるくらいなので、当然知能が高く、知的水準は高い。
魔術師が使用する攻撃魔法に加え、聖職系魔法も使用できるため、道徳観や倫理観が強く、融通が利かない優等生タイプだ。
性格は冷静でどこか冷めて物静かな学者肌、戦略や分析を得意とする。
また、彼女は現実の僕の身体の生命活動の管理を担当する。
三女のエリテュイアは、僕と同様に聖皇の鎧を纏い、前衛を担当する。
倫理観が強いアイグレーとは対照的に、積極的で、好戦的な性格に設定している。
聖職系の戦士で、アイグレーと同様、聖職系魔法を使用できる。
魔導剣師が攻撃に特化した職業ならば、聖職騎士は攻撃および防御を得意とする。
ジョブスキルも攻撃技より防御技が多い。
現実世界ではウイルス対策などのセキュリティ面を担当している。
僕の性格や人格をベースに、設定を微妙に変え、味付けし、彼女達はマスターである自分とコミュニケーションも可能とする。
そして、彼女達はこのゲームのホットな情報を入手する為のツールでもある。
インターネットのエージェントやコンシェルジュと同じく、様々なアプリやプラグインにより、ゲーム以外のシステム補佐や業務をこなすことが出来る。
僕のAI達は、どれも上級職の資格を得ることが出来た貴重な存在だった。
僕は情報屋のラインナップを見る。
無料視聴可能なゲーム内のニューストピックから始まり、有料のゲーム攻略情報まで多岐に渡る。
「招待状が届いています」
ヘスペリアが手紙のようなものを差し出してきた。
「招待状……?」
「グランドマスターのタイトル授与式です。参加いたしますか?」
ヘスペリアの言葉に、僕は頷く。
式で未奈にゲーム内で会えるかもしれない。考えただけでわくわくした。
「それから、『コンプリーター』がまた現れたようです。運営側から注意するよう警告メールが来ていました」
ヘスペリアの言葉に、僕は反応する。
コンプリーター――現在、ゲーム内を騒がしている無法者である。プレイヤーキラー行為を行ない、アイテムを強奪していく。
ウィザード・ブレードは、プレイヤー同士が、原則としてというより、システム上戦うことは出来ない。
どういう方法で、PK行為を行なっているのか、謎に包まれている。
ゲーム内の連続殺人者そのものだ。
連続殺人者は秩序型・非秩序型の二種類に分類されるらしく、秩序型はルールを持っていて、それに従って被害者を選び、殺害するそうだ。コンプリーターを分析するならば、秩序型シリアルキラーと言える。
違法プログラムをプレイヤーに配布しているという噂すらある。
しかし、このネタ事態がガセで、ゲームを面白くする為に、GMが行っている演出しているという者達もいる為、定かではない。
「前回入手した不明アイテムの方ですが、鑑定機関に提出いたしました」
アイグレーが言った。
いつもの事なので、AIの判断で行ったようだ。
手回しがよく、気が利くのは、アイグレーの長所だ。
「これが鑑定結果です」
稀に、こういう鑑定不能のアイテムを入手する場合が時々ある。
アイグレーが魔導司祭の能力である鑑定を行い、それでも分からない場合は、街に戻り、専門家や研究機関に莫大な鑑定料と引き換えに鑑定を依頼しなければならない。
「環蛇の指輪という名のアイテムです」
僕は鑑定書を見る。
希少度 : SA級
名称 : 環蛇の指輪
種別 : 道具、装飾具
素材 : ?
守備力 : +10
属性 : ?
使用効果: ?
特殊効果: ?
鑑定項目にクエスチョンマークが並ぶ。
「なんだこれは……?」
僕は思わず尋ねる。
「鑑定機関でも鑑定が不能なようです。希少度をご覧ください」
「等級度がSA級!?」
声が大きくなる。
聖皇の鎧がA級、メーティアの剣がB級なので、その上をいくレアアイテムということだ。
このようなアンノウンなアイテムはこのゲーム、実は非常に多い。
僕はアイテムをまじまじと見た。
光り輝く黄金の素材で、蛇が尾を噛むようなデザインだ。
指輪には文字が彫られている。
「何か特殊効果のあるアイテムなのかもしれませんね」
「そうだな」
僕は同意した。
「身に着けてみますか? 即死回避率も上昇するようなので損はないと思いますが――」
アイグレーが僕に尋ねた。
身に着けるには、装飾具項目のスロットを入れ替える必要がある。
スロットは装備や装身具ですでに埋まっている。敏捷性や攻撃力を高め、さらに敵の特殊攻撃を緩和するアイテムを身に着けている。
「他に何か情報は?」
僕はリングを弄りながら、アイグレーに訊いた。
「今のところありません」
情報が無い――?
ますます奇妙だった。
「アイテム精製の素材とかじゃないんですか?」
エリテュリアが口を出す。
王国行政区には錬金術研究所が存在する。錬金術研究所はアイテム精製を行うための専門機関である。アイテムの鑑定もここで行われている。
入手したアイテムを合成することで別の貴重なアイテムを生み出せる。
またアイテム精製は、魔導司祭の技能である錬金術スキルで行なうことも出来る。
手に入れた貴重なアイテムをわざわざ別のものに変えるほど、勇気がない。
せっかくゲットしたアイテムがパ-になる恐れもある。迂闊なことはできない。
「アイテム品目を一般公開し、情報を募りますか?」
アイグレーの言葉に、僕は躊躇した。
不用意な真似をすれば、うるさい連中を無用に呼び寄せる。プレイヤーキラーの件もある。
「へえ、聖皇の鎧を身に着けてるの……?」
背後から声が聞こえ、僕は振り向く。
女性魔術師だった。
しかも、かなり高レベルの魔術師のようだ。身に着けているものが、魔導儀仗など、どれも貴重なアイテムばかりだった。
しかも可愛い。
年齢は二十歳前後、大きな瞳が特徴的な、本人の肖像をそのまま利用したオリジナルであることは、間違いない。
魔術師冠をすっぽり被り、ベールを上に纏っている。
ベールの下は、まるでコンパニオンかレイヤーが着るようなセクシーなコスチュームを纏っている。だがNPCの類ではない。おそらく魂読込したプレイヤーキャラであろう。
GMのようなゲーム関係者かもしれない。
派手な服装に負けず劣らず、整った等身に、長身であり、腰も細い。
雰囲気からゲームを相当やり込んでいるハードゲーマーに相違なかった。
女性プレイヤーといえど今時、珍しい話ではない。
魂読込は、ボディイメージが基幹である。
ボディイメージ――脳内に刻まれている自己像、神経活動が作り上げる身体図式のことである。
姿を自由に編集することは可能だが、遊離化を進め、同調率が低下してしまう。
事細かな変更設定は、齟齬を生み、戦闘に影響を及ぼすことを知っている。コアユーザーであれば、姿形はほとんど弄らない。
所詮、ゲーム世界においても自分からは逃れられないということだ。
「わたしアユミール、よろしくね」
「アユミールって、あの……!?」
高位魔術師アユミール――ゲーム内で有名なプレイヤーだ。プレイヤーランキングは高く、マスターの称号を持つ、かなりの高レベル者だ。高位魔術師だけが身につけられるシークレット魔法をいくつも持っているらしい。
ちなみに僕はシークレット魔法のドロップ経験はなく、同じ高位魔術師のヘスペリアは一個も持っていない。それほどレアだということだ。
「GENEといいます」
緊張しながら僕とアユミールは握手する。
「キンチョーしなくていいってば。同じプレイヤー同士なんだから」
僕が名を知っていたことにアユミールは気を良くしていた。分かりやすい性格のようである。
アユミールは僕が指に持っているウロボロスリングに眼をやる。
「……面白いもの持っているのね」
僕はアユミールの言葉に耳を疑った。
「知ってるんですか!?」
「うん」
指でつまむと、女性魔術師は見定めるように鑑定不能のアイテムを見る。
「……驚いた。本物みたい。偽造防止プロテクト処理および電子製造番号が刻印されてる」
アイテムは、大きく分けて二種類ある。
大量配布された量産品と、偽造防止が施された出現数が限定されたレアアイテムである。
僕の装備している聖皇の鎧などのレアアイテムは、簡単に違法複製されないよう、電子シリアルナンバーが刻印されている。シリアルナンバーは電子マネーなどに使用されている電子透かし技術などの偽造防止技術が利用されている。
「とにかく偽物が多いのよ。ウロボロス・リングは……」
「そうなんですか……」
SA級という等級に偽りは無いらしい。
アユミールは僕の顔をまじまじと見ると微笑する。
目の前で見ると益々可愛い。
「……教えてあげてもいいけど、タダでっていう訳には行かないわね」
明らかに上からの物言いだった。
ギブアンドテイク――このゲームの基本だ。
クエストの協力、レアアイテムのトレード、情報交換、そして電子マネーを要求する輩もいる。
アイテムコンプリートを求めるプレイヤーなら尚更だ。
「わたし、今有力なプレイヤーを探しているの。これを持ってるってことは、君もタイトルホルダー・プレイヤーなんでしょ?」
「正式にはまだ……。今度、式に出席しますけど……。どうして、仲間を……?」
「ちょっと、九五階のエネミーに手こずっちゃってね……」
アユミールの誘いに、僕はすぐに返答できなかった。
「……まあ、いいや、こっちも君の実力も分からないし。よかったらメルアド教えて」
「はあ」
あまり気乗りしなかったが、断る理由も無かった。
僕はアユミールとメルアドを交換する。
「盗まれないように気をつけたほうがいいわよ、それ。欲しがってる連中が多いから」
そう忠告を残すと、アユミールはその場から離れて行った。