1 魔凶皇の間
地下一二〇階――僕達は、セネトの無限地下迷宮最下層部フロアについに到達していた。
僕達はカリバーンといくつか取り決めを決めていた。
「……確認しておきたいんだけど」
実質リーダーのアユミールは、カリバーンに尋ねた。アユミールは先日手に入れた盾を右手にさっそく装備している。
「……インサニティーロードを攻略した際、ウロボロスリングの情報を提供するまでは、我々も動かない。情報提供後、君たちと我々で同時に異世界攻略をスタートする。抜け駆けは無し、だ。これで文句は無かろう」
「結構よ」
アユミールは納得したように言った。
「戦いが終わり次第、君たちに私が所持する重要アイテムを預ける。情報はそれと引き換えだ。これで文句は無かろう」
「今じゃ駄目なの……?」
「戦いが終わってから、だ。敵を斃せる保証は君たちにも無いだろう……?」
カリバーンとアユミールとの話の最中、僕はミナと眼が合った。
反射的に視線を逸らす。
「……どうしたの?」
ミナが僕に尋ねてきた。
「……いや、なんでもない」
僕は誤魔化す。
和也の発言以来、最近ミナの事を妙に意識していた。
どうもよそよそしい態度になる。
今日のパーティーはたった六人編成である。
これから戦う相手は、インサニティ・ロード――悪魔系最強エネミーで、いわゆる、魔王だ。
そして、インサニティ・ロードは玄室内に潜んでいる固定出現型のエネミーである。
玄室内を出る事はない。
つまり投入できるメンバー数は限られている。
深緑の暴君竜のようにフルでメンバーを投入すれば、狭い玄室内において混乱するのは眼に見えていた。
事実、カリバーン達は指揮系統が乱れ、壊滅寸前に陥ったらしい。
玄室内での戦闘は大集団の軍隊より、精鋭少数の小隊のほうが機能的であるのはいうまでもない。
カリバーンが足止めを食っている理由でもある。
大軍隊を引き連れ、攻略してきた戦術がここに来て仇になったという事だ。
逆に言えば、深緑の暴君竜クラスの強さを誇るエネミーを小人数で相手にしなければならない。
フォーメーションは、前衛が僕とクロム、そしてカリバーンで、後衛がミナ、アユミール、そしてカリバーンの仲間である暗殺士を職業としたプレイヤーが加わる。
重装備で固めている僕達とは対照的に、暗殺士は黒い戦闘服に短刀一本という極めて軽装な格好だ。顔は布で覆われ、表情が確認できない。
元々暗殺士は近接戦闘を得意とした職業で、格闘術に長けている。
魔法は一切使用できず、装備できる武具の数も少ないが、耐久性は高く、身体能力も戦士に迫るほどだ。
並外れた敏捷性により、先制攻撃を仕掛け、戦いの主導権を取ることもしばしばだ。
武器を持たずとも、徒手格闘で大ダメージを与えることが可能で、まさに戦闘の専門家である。
この渋い職業を好むプレイヤーは意外に多い。
配列や陣営、職業の選定など考えなければならない事は山ほどある。
ミナやクロム、アユミールと気心は知れているが、カリバーンと上手く戦闘を行なえるのか少々不安だった。
ミナとアユミールの相性の問題もある。
表だって喧嘩はしないが、そりが合わないのは明らかだった。
日に日に酷くなっている。
不安要素は山ほどあった。
事前のロケハンはしていない。ぶつけ本番である。
迷わないようミナのマッピング能力を駆使し、歩みを進めていく。
何度か敵に遭遇し、返り討ちにした後、ダークゾーンの回廊を抜けたフロアのもっとも奥深い所に、青銅の大扉があった。
<魔凶皇の間>と呼ばれる部屋であった。
インサニティー・ロードがいる玄室である。
「準備はいいかね……?」
カリバーンが尋ねてきた。
僕達は頷く。HPや魔法、スキルなど資源は十分だった。
カリバーンが蛇をあしらったような扉の取っ手に手を掛け、開ける。
玄室は狭く、薄昏い。
空気も若干違う。部屋全体が妖気か瘴気のようなエフェクトが掛かり、漂っている。
部屋の奥に特に濃く、凝り固まった場所が存在した。
ピリピリとした空気が伝わってくる。
接触すればすぐに戦闘状態に入るのは間違いなかった。
エネミーはそこに存在していた。
まさに魔王と呼ぶに相応しい存在だった。
巨人ほどの体躯に、頭からは羊のような立派な二本の角に、さらに三本生やし、禍々しい鎧と服装で身を纏っている。
装飾された黒色の装備は棘の装飾が肩から出ていて、凶悪さを物語っている。禍々しい装備だった。まさに悪鬼魔神そのものだ。
四本の腕と一本の尾を持ち、それぞれの手に大剣に戦斧、巨人の身体をカバーするほどの大きな盾に、魔法の杖を持つ。
物理攻撃はもとより、魔法攻撃にも長けているようだ。
「……人の身でありながら、よくぞここにたどり着いた。まずは褒めてつかわす」
戦闘圏内に入ると、インサニティーロードが突然語りだした。
知性が高いのか、気位の高い気取った言い方をする。
「わしは混沌の世界で<狂気の大公>を授かる存在……我が主たる破壊と混乱の神が揺蕩う世界への入口を守護する為に、この地に招かれた……。濫りに我が主の閨を乱そうする輩は厳罰に処す……!!」
インサニティーロードは突然、雄叫びを上げた。
戦闘開始の合図だった。エネミーは僕達パーティーへ向ってきた。
真っ先に先手を奪ったのは、暗殺士だった。
暗殺士が持ち前の素早さで、音も無くエネミーに接近すると短刀を凪いだ。
暗殺士の技倆はマスターレベル、申し分なかった。
先制攻撃を成功させると、暗殺士はすぐに離れる。
続け様にミナは<福音>の魔法を唱える。
パーティー内に特殊効果が施されたとき、インサニティー・ロードは両刃両把の大剣を片手一本で振るってきた。
大剣は現実ではありえないほどの速さで繰り出され、パーティーを分断した。
一太刀でも浴びようならば、即死は免れないだろう。
剣を避けても、直様斧が襲い掛かってくる。
四本の攻撃はまさに、クロムのマルチ・プレイさながらだ。
まるで腕が一本一本それぞれがAIで制御されているような、自在で多彩な攻撃を繰り出してくる。
攻撃が届く領域まで踏み込んだとき、僕はマキシマム・ソニック・ブレードを仕掛けていた。
インサニティーロードが盾を前に出し、構える。
技を発動し、剣の連続攻撃を振るうが、盾が魔法剣をことごとく防いでいく。
まるで目の前に突然出来た壁そのものだった。
盾に阻まれ、本体に攻撃を加えることができない。
盾を維持しながら、インサニティロードは魔法の杖を持っている手を頭上に掲げた。
杖に嵌めこまれた宝石が一際輝く。
魔法を使用するのは一目瞭然だった。
杖の上に魔法触媒が出現していた。
インサニティー・ロードの周りに魔法障壁が形成される。
触媒が黒く染まっている。
触媒内で、生成召喚しているのは、負の物質に間違いなかった。
インサニティー・ロードが使用しようとしているのは、<対消滅>の魔法だった。
ミナが呪文封じの魔法を唱えるも、インサニティー・ロードには効かなかった。
魔界の住人が魔法触媒系最大魔法を使用するなど、思っても見なかった。
クロムがアブソリュート・ディフェンスが展開し、魔法に備える。
インサニティー・ロードが、我々パーティーに向かって魔法触媒が放った。
障壁圏外は灼熱地獄と化した。
アブソリュートディフェンスでもカバーしきれず、パーティーメンバーは大ダメージを被った。
生命力がレットゾーンまで下がり、危険域に達する。
柔らかい光に包まれる。
ミナがパーティー範囲の回復魔法を施していた。
生命力の数値が元に戻っていくものの、インサニティー・ロードはすぐに別の攻撃を繰り出す。
エネミーの動きは巨体でありながら、驚くほど速かった。
繰り出してきたのは戦斧である。
暴風のような、戦斧の一閃が前衛を襲う。
カリバーンが戦斧を白光の剣で受け止めていた時、インサニティー・ロードの大剣が禍々しい妖気に覆われていた。
魔法剣に間違いなかった。
暗殺士が再び、エネミーに向っていく。
しかしインサニティー・ロードの尾が触手のように動き、暗殺士を身体ごと払い、牽制する。
暗殺士が吹き飛ばされ、床に叩きつけられた時、インサニティー・ロードは魔法剣を放っていた。
パーティー全体へのプレッシャーブレードのような剣圧が、豪雨の如く降り注ぐ。
災害の割撃――攻撃を撒き散らす、災厄という名の魔法剣だった。エネミー側のオリジナルの魔法剣だった。
致命傷の一撃ならずとも、災いの風が背中を撫でる。
再び大ダメージを食らうも、<福音>の効果が生命力を回復させていく。さらにミナがパーティー間に回復魔法をかけた。
アユミールが<資源放射>を放った。
しかし、魔法攻撃はほとんど功をなさず、与えたダメージは少なかった。アユミールは舌打ちする。
再びインサニティー・ロードは、禍々しい妖気を放ち、再び魔法剣の準備に入ると、クロムがアブソリュートディフェンスの準備に入った。
ディザスターストライクとアブソリュートディフェンスが交錯する。多少緩和されるが、無視できないほどのダメージ量だ。
僕達とエネミーの戦闘は長引き、膠着状態に陥っていた。
いつ果てるとも知らない、互いの資源をかけて不毛な作業が延々と続く。
はっきりしているのは、戦闘が終わるのはどちらかの生命力が尽きるまで、だ。
決定打を欠いたまま、攻撃と回復が繰り返され、技と技とがぶつかり合う。
何度目かの暗殺士が近接攻撃を試みた時、均衡を破るようにアユミールが動いた。
「時間を稼いでくれる?」
アユミールが僕達に求めてきた。
「……やるか?」
クロムが尋ねると「ええ、一か八かやってみる」とアユミールは言う。
「このままじゃ埒が明かないもの……ジン君?」
アユミールに呼ばれ、僕は「はい」と返事をする。
「……もし魔法で止めを刺せなかったら、マキシマム・ソニック・ブレードで畳み掛けて。……わたしの身体任せたわよ」
意味不明な事を言うと、アユミールは魔法の準備に入る。アユミールはシークレット魔法を使用するつもりのようだ。
「……魔法無効化率は九割だぞ。魔力を無駄にするだけだ」
カリバーンが忠告すると、アユミールはフッと笑う。
「黙ってみてなさい……!」
アユミールの手から魔導儀仗が消えると、魔道書が現れる。
先日使用した魔導書とは違っていた。象牙色の装幀板で、豪華に装飾されたものだった。
書物はアユミールの手から離れ、宙に浮くと、勝手に開く。アユミールは眼を閉じ、魔法の実行の為の精神集中に入る。
開いた頁から、光を放ちながら呪印と共に魔法触媒が発生した。
「シークレット魔法か……!?」
カリバーンが驚きの声を上げる。
アユミールの前で、触媒の周囲に、呪印が浮かび上がっている。
先日使用したものとは違うものだった。
魔法に手間取るアユミールに対し、インサニティー・ロードも再び魔法の杖を掲げていた。
エネミーの周囲に魔方陣が三つ浮かび上がる。
召喚行為だった。
アユミールの顔色が変る。
このままではアユミールの魔法が、新たな出現したエネミーを葬り去るだけで、本命まで届かない。下手をすれば、詠唱キャンセルも招きかねなかった。
ミナが動いていた。
エネミーの召喚魔法を打ち消すため、ミナはインサニティー・ロードに<退去>の魔法を放った。
三つの魔方陣が消滅していく。<退去>が成功し、召喚は失敗に終わった。
素早く、見事な対応だった。
僕達もアユミールのフォローに回っていた。
まず、カリバーンが魔法剣を発動させていた。
フィロソフィー・ブレードだった。
両性具有神のエフェクトが起こると、カリバーンに魔法剣が宿る。
カリバーンが放ったのは、プレッシャーブレードの連続攻撃だった。
やはりクロムの言うとおり、フィロソフィーブレードは魔法剣を複数回行なうだけの魔法剣なのだろうか……?
フィロソフィーブレードを間近で見ながら、カリバーンに続き、僕もディメンジョンブレードを放っていた。
中距離からの無属性の攻撃は、魔王クラスといえど効果的だった。
次元の刃をまともに浴び、インサニティー・ロードに大きな隙ができていた。
僕らのアシストにより、アユミールは魔法を完成させていた。
魔法障壁を張り終えると、アユミールは魔法触媒をエネミーに向けて放つ。
詠唱実行された魔法は、インサニティー・ロードの魔法防御を突破し、本体へ直撃する。
インサニティー・ロードの身体が塵と化し、粒子状に分解されていくような演出効果が周囲に展開される。
前回同様、今までに見たことも無い強力な魔法だった。
アユミールが突然、その場に倒れた。
僕はアユミールのステータスを確認する。魔力資源はほぼ空になっていて、さらに托身体が睡眠状態になっている。
まるで敵に眠りの魔法を掛けられたような状態だった。
「<核力消失>の魔法か……!?」
カリバーンが驚きの声を上げた。
「……どういう魔法ですか?」
僕はカリバーンに尋ねていた。
「魔道書アイテムの『原初の魔術論』の追加スキルにして秘術魔法の一つだ。原子内――この場合、資源を構成している核力を消失し、原子レベルでバラバラにする。非常に強力だが、成功率が低い上に、使用後は睡眠状態に陥いる制限が課せられる羽目になる――」
カリバーンはアイテム情報にも詳しいようだ。
まったく隠された魔法は幾つあるのか、僕は呆れる思いだった。
アユミールは眠り続けている。おそらく戦いが終わるで目覚めることはない。
魔法をくらったインサニティー・ロードは身体が砕け散りそうになっては、元の姿に戻るような作用を何度も繰り返している。
核力消失に伴う原子崩壊現象に抵抗しているようだった。
だが、ついに耐えられなくなったのか、インサニティーロードの身体は粒子となり、消滅した。
結果、魔法によるクリティカルヒットが実現していた。
戦闘が終了し、利得資源が加算され、アイテムがドロップされる。
アユミールも睡眠状態から脱し、身を起こしていた。
「……こんな隠し玉を持っているとは、な」
カリバーンは半ば呆れたように言った。
「そう……わたしの切り札」
アユミールは髪をかき上げながら、自慢げに答えた。
「……まあ、今だから言うけど賭けだったわ。強力なんだけど、魔法消費量も半端じゃないし、成功率も低い上に、睡眠状態になっちゃう……。でも、成功すれば魔法無効化率の高いエネミーでも大ダメージを与えることが出来るから……」
カリバーンはアユミールやミナに視線を向ける。
ミナは事後処理を行っていた。ドロップされたアイテムの鑑定を行っている。
「ナーヴァス特性が魔法剣の成功率や攻撃率を引き上げるように、魔法の制御に干渉することで、魔法の成功率や特殊効果を発動する……。大したものだ」
カリバーンは惜しみない賛辞を送っていた。
ミナが「あっ」と声を上げた。
「どうしたの……?」
アユミールはミナに尋ねた。
「……白の皇錫!」
ミナがそう答えると、僕達側が色めきだつ。
黒の剣の呪いを浄化し、装備できるようにするアイテムである。
三種の神器の一つ、だ。
「……出たな」
クロムの言葉に、僕は「ええ」と答える。
「……貴方と同じ剣が精製できるわね」
アユミールはカリバーンの方を見ながら言った。
「――そうだな」
「あたし達がもらってもいいわよね」
「まあ、いいだろう」
ミナはアユミールに近づくと、白の皇錫を差し出す。
「受け取ってください」
リスクを負って、エネミーに止めを刺したアユミールが受け取るのがやはり妥当だろう。
照れくさそうに、アユミールはアイテムを手に取る。
「……助かったわ。<退去>が効かなかったら、魔法を無駄にするところだった――」
アユミールの礼に、ミナは微笑む。
二人のわだかまりもようやく解消しつつあるようだ。
主が消滅した部屋は瘴気が晴れ、奥にいつしか青銅で作られた門が出現していた。
「……エクストラステージへ続く入り口か。まるでロダンの地獄の門だな」
カリバーンが感想を言う。
「地獄の門……?」
僕は尋ねる。
「帰ったらでネットで検索してみるといい。有名なブロンズ像だよ」
「……エクストラステージ<異世界>への入り口ですか?」
僕が言うと、カリバーンは「間違いないな」と保証してくれた。
「このまま進むか……?」
カリバーンは尋ねてきた。
「覗くだけ、覗いてみましょうか……?」
アユミールが誘いをかける。
この先に存在する<異世界>を見たいという好奇心を押さえられないのは、僕も同じだった。
「……いや、一旦戻ってセーブするべきだ」
クロムはあくまで冷静だった。慎重を期するなら、それが最善だろう。
「……そうね。あっ、でもその前にカリバーンさんには約束を守ってもらわないと……」
さすがにアユミールは目聡かった。
「分かっている」
カリバーンは腰に下げている白光の法剣を鞘ごと外すと、僕に手渡した。
「……君に預けておこう。この剣と引き換えに情報を教える」
僕を含め、みなは息を呑んだ。
確かに重要なアイテムだった。両性具有神の聖剣を製造するパーツである。
しかし、まさか愛刀を手渡してくるとは思わなかった。
「では、帰還してくれ」
カリバーンの言葉に、ミナが帰還転移魔法を詠唱すると、パーティーが転移されていく。
地上へ転送する――はずだった。
転移した先は、見たことも無いようなまったく別の場所だった。
まるで大昔のゲーム黎明期に登場するようなワイヤーフレームだけで構成された簡素なダンジョン世界だった。
「……どうした!?」
クロムが声を上げた。
「どうなってるの、ミナ……!?」
アユミールもミナに問いただす。
「……わ、わからない。ちゃんと地上を選択したのに……!?」
ミナもパニックを起こしていた。
「……裏マップに引きずり込まれたか」
慌てる我々に対し、カリバーンだけが冷静に状況を把握していた。