1 仮想都市シュミラクラ
十分な距離を見計らい、僕は腕と腰を捻り、剣を首の後ろに回して構えながら攻撃の機会を窺っていた。
剣にはすでに魔法の力が宿り、淡い光を放ちながら解放されるのを待っている。
エネミーの攻撃の手が緩んだ。
攻撃の機会を捉えたと同時に、僕は撓めた力を解き放っていた。
右足で踏み踏み込むと、マスターデーモンを真横に両断する様に、全力で水平方向に薙ぎ払う。
剣が描いた斬線の軌跡に沿って、空間がずれ、断裂現象を起こすと、エネミーの方向へ伝播疾走していく。
断裂の刃は、マスターデーモンの魔力防御を破り、腰に斬線を描くと強靭な身体を切り裂いた。
ディメンジョン・ブレード――僕が新たに習得した魔法剣だった。
僕の手に握られているのは、虚空皇の剣であった。
虚空皇の剣――優美で剃りのある、日本刀に似た片刃の剣は、美しい刃文を浮かび上がらせている。
錬金術師と魔術師が魔法冶金技術によって鍛錬製造した、魔力を帯びた魔法の刀剣――付属の仕様解説には、そう記されている。
魔法剣の効果を倍増させるという噂は真実で、さらに、別のスキルの使用まで可能とするスペシャルアイテムだった。
魔法剣ディメンジョン・ブレードは、虚空皇の剣装備時の特別追加スキルである。
魔法により空間断層を引き起こし、対象物を空間ごと斬り裂く魔法剣であり、短距離から長距離と攻撃範囲は広く、距離を詰めることなく、攻撃を仕掛けられる為、敵のパーソナルスペースに踏み込む危険を冒さずに済む。
単発の為、ソニックブレードのような連続攻撃が出来ないのが欠点だが、属性を問わず、どのエネミーにも効果的で、高いダメージ数値を叩き出す。
特に魔法耐久率が高い魔神系エネミーのような相手には、戦闘が格段に楽になった。
この追加スキルの特筆すべき点は、攻撃範囲が接近戦から長距離戦まで広範囲に行える点である。
悪魔系のエネミーは強靭な肉体に加え、魔法無効化率も高く、通常の攻撃はもちろんのこと魔法のような特殊攻撃に対しても高い耐久性を誇る。
長距離からの攻撃は、飛び道具や魔法が主流だが、悪魔系エネミーにはどちらも効果が薄い。長距離から大ダメージを与えられるこの技は、戦略という面でも格段に幅が広くなる。
九〇階以降苦戦続きだった自分にとっては、救いの技だった。
<奉納>で背負った借金をようやく返し終え、虚空皇の剣を入手したにもかかわらず、僕の気持ちは晴れなかった。
虚空皇の剣は次々と強敵エネミーを叩き潰していくものの、深緑の暴君竜に勝てる気はしない。
今、自分が出来ることは地味なレベル上げと情報収集だった。
ミナとの件も、僕の気分を重くしていた。
ミナから返事は来ていない。メールもない。
僕だけではなく、他のプレイヤーもみな竜で足踏み状態のため、たいした情報も無い。
全てが空回りしているようだった。
迷宮での早々に探索を切り上げ、上層の城下町へ戻っていた。
今日は市街地で他のプレイヤー待ち合わせの予定があった。
突然会って話がしたいと、メールが僕の下に来た。今の煮詰まった現状を打破したいという思いから、会うことを決めた。
「――久しぶりだな」
不意に後ろから声を掛けられた。
カリバーンだった。
「情報収集か?」
カリバーンが尋ねてきた。
「人と待ち合わせをしているんです」
僕は答える。
「……深緑の暴君竜を攻略したんですね」
「ああ。強敵だったがね」
黄昏の騎士団や黄金の魔術団は拮抗状態のようだ。ギルド同士の一進一退の攻防が続いている。
「僕は、命からがらやっと逃げてきました」
僕の言葉にカリバーンは笑う。
「我々の仲間になるつもりは……?」
「残念ですが……」
「そうか」
僕はカリバーンの腰の剣を見る。ミーティアの剣ではなかった。
「その剣は……?」
僕は興味を惹かれ、カリバーンに訊く。
「白光の法剣――主要アイテムの一つである黒の剣を入手して精製したものだ」
「黒の剣……!?」
更なる事実が僕を激しく揺さぶる。
「黒の剣は深緑の暴君竜が持っているドロップアイテムだ。白の皇錫と組み合わせることにより生成できる。白の皇錫はすでに手に入れてたからな」
少なからず、衝撃的な発言だった。
カリバーンは主要アイテムを三つの内、二つも手に入れていることになる。
「両性具有神の聖剣の……?」
「そうだ」
カリバーンは頷く。
「白光の法剣を経て、最終形態である両性具有の聖剣へと昇華する。……まあ、その為には赤の錬金薬が必要だがね」
随分上から物を言うように聞こえる。
プレイの進行具合は、プレイヤー同士の上下関係を如実に決めてしまうらしい。
単なる僕の僻みかもしれない。
「……この前言っていたナーヴァスって何のことですか?」
僕は思い切ってカリバーンに尋ねてみた。
「脳力値に優れたプレイヤーのことだ」
「脳力値って、エンデが言っていた……?」
僕の言葉に、カリバーンは頷く。
「文字通り脳の力の値だよ。魂読込の際に、運営側が計測しているデータで、精神インストールと托身体との適合性や神経伝達速度やフィードバック値を数値化したものだ。神経質とか精細な人間をナーヴァスというだろう……?」
僕の予想は当たらずとも遠からずだった。
「ウィザードブレード内の凄腕プレイヤーは例外なく、その資質を持っている。そしてウロボロスリングなどのレアアイテム出現の乱数決定は、脳力値が関係しているらしい……本当かどうか分からんがね」
「脳力値による乱数決定……」
「君はその、ナーヴァスの特性があるとわたしは見ている」
「それがスカウトの理由ですか?」
「そう思ってくれて構わない――」
僕以外にも、ミナやクロムなどもその資質があるということなのだろうか。
「カリバーンさんはソウルアーカイバ計画って知ってますか……?」
僕の言葉に、カリバーンの眼が光る。
「君はシュミラクラを知ってるか……?」
「……いいえ」
「消費活動を知る為のシミュレーテッドリアリティ型仮想都市環境のことだ」
カリバーンは続ける。
「ネットの発達により、人々は手軽に且重要な情報を入手できるようになった。情報特権階級だけが持ちうる情報が、ネットの発達により、様々な格差を埋めてくれた一方で、広告代理店が仕掛ける大衆操作や広告活動はまったく役に立たなくなってしまった。それまでのマーケティングモデルや宣伝手法は完全に瓦解した……情報を積極的に得る人たちが増えることで、消費者が賢くなり簡単に騙されなくなった。また、ネットで満足するようになった消費者達の変化は、購買意欲や消費活動が低迷し、大衆操作や消費者の動向を読めなくなった世界経済は緩やかな崩壊を迎えていた」
カリバーンが何故こんな話をしているのかよく分からなかった。
「新たなるマーケティングモデルを模索する為に莫大な投資を行い建造されたのが、仮想都市シュミラクラ。そしてこのゲームはシュミラクラの別バージョンである特定消費者の消費動向調査に特化したシミュレーテッドリアリティを舞台にしている。実際、運営会社以外に様々な企業体が参入している」
「特定消費者って……?」
僕はカリバーンに尋ねる。
「……我々のようなゲーマーだったり、遊びに飢えた連中だ。我々の情報はレジャー産業という形で還元できるし、どういう性格なのか、年齢層などのレーティングも取れる。趣味嗜好がはっきりして、商品売上統計を取れば、何か見えてくるだろうし……な」
僕は無意識的に周囲の看板を見ていた。
カリバーンの言うとおり、このゲームにはさまざまな企業が入っている。
「魂読込時における精神状態や健康状態、そして脳力値は、医療関係や保険会社にしてみれば、垂涎の情報だろう。感情の遷移状態まで、把握できるわけだから……君のAI達だってもしかしたら、サンプルを入手する為のツールなのかもしれないな」
にわかには信じられなかった。苦楽をともにしたAI達を疑いたくは無い。
「保険会社が抱える個人情報と同じくらいの重要な情報が、このゲームを行うことで運営側は入手が出来る。ゲームスタイルから生活習慣を割り出したり、課金状態からプレイヤーの経済状況の把握、プレイマナーや、AI、NPCとのコミュニケーション履歴からの性格の把握、ゲーム中における健康管理や生理データの流用など上げたらきりがない」
魂読込のリスクを知り、僕は寒くなった。
異世界でのめくるめく刺激的な体験の代償に、重要な個人データをごっそりと抜かれている。
「……でも、何故そんな話を? ソウルアーカイバ計画とどんな関係が……?」
カリバーンは答えず、ただ笑うだけだった。
「もう一つ情報を教えよう。この前見せた魔法剣フィロソフィーブレードは、そのウロボロスリングで体得できる」
「……本当ですか?」
「ああ、私はそれでこの技を得た。あとは条件さえ満たせば、アイテムのボーナスパワーで得られるはずだ」
「条件って……?」
「乱数上の話だが、そこまでは教えられないな」
さすがに簡単には明かさない。
偶発的な産物によるものだろうか、それとも乱数調整の為の裏技でもあるのだろうか……?
「おっ待たせ……!ジン君」
後ろから陽気でどこか気安い女性の声がかかった。声の主は、アユミールだった。
カリバーンは微笑み「いつでも歓迎する。ナーヴァスのプレイヤー――」と言い残すとその場を離れた。
「どうしたの……?」
アユミールは立ち去るカリバーンを見ながら訊いてきた。
「スカウトですよ。毎度の……」
僕はそう答えると、アユミールは周囲をキョロキョロする。
「どうしたんですか?」
「いや、もう一人来る予定なんだけど……」
広場入り口から、眼鏡をかけた騎士風の男が歩いてきた。右手には盾を持っている。
聖職騎士のプレイヤークロムだった。
「クロムさんだったんですか」
「……ソニックブレード使いか」
また恥ずかしい呼び方をする。勘弁して欲しい。
「その言い方は止めてください……!」
僕は軽く抗議する。どこか気恥ずかしい気持ちになる。
「……君も深緑の暴君竜で足踏み状態か?」
クロムの言葉に、僕はハッとすると頷く。
「クロムさんも……?」
僕の問いに、クロムは苦笑する。
「コテンパンだよ。生きて帰れたのが不思議なくらいだ」
「……そうですか」
「わたしも実はそうなのよ」
アユミールが話に入ってくる。以前95階で苦戦していると言っていた。
「今日集まってもらったのも、この際みんなで組んで、仲良くドラゴンを攻略しましょうって話なの。どうかしら……?」
アユミールの言葉に、僕もクロムもすぐに答えられなかった。
「高位魔術師アユミールといえば、シークレット魔法をいくつも身につけたヘビーゲーマーとしてその筋じゃ有名だ。君ならギルドやチームがほっておかないだろう」
クロムが尋ねると、「あたし協調性ないから」アユミールはきっぱり切り返す。
確かに誰かに従うような女性には見えない。
「それに賞金を分け合うんだったら、少ない人数の方がいいでしょ? もめなくてすむし」
「……君もゲームクリアが目的か」
クロムが言う。どこか失望めいた言い方だった。
「当然じゃない……? ダラダラと自キャラを強くしたり、アイテムコンプに血道を上げるようなプレイスタイルに興味はございません」
メリクリウスと同じらしい。
賞金に興味がないわけではないが、ここまで露骨に言われると少々引いてしまう。
金をゲームの目的や動機にするのはやはり抵抗がある。
「……まあ、いずれにしろ面子次第だな」
クロムは気取ったように言う。自分を高く買ってほしいという思惑があるのかもしれない。
それは僕にも漠然と存在した感情だった。
あまり自分を安売りはしたくない。
「そんな悠長な事言ってられないんじゃない? カリバーンとメリクリウスはクリアしたそうよ」
アユミールの指摘は、もっともだった。
自分が負けた相手を斃した者達がいるという事実は、焦りが出てくるのに十分な理由だ。
何より僕達は重要アイテムを一つも手に入れていない。
「深緑の暴君竜――避けては通れない相手よ。どっちにしろ、竜を斃さなければ先には進めない。ちなみに、竜は素材の一つを持っているエネミーよ」
「素材……?」
クロムは尋ねた。
「……しらばっくれちゃって。三種の神器の一つで、両性具有神の聖剣の素材よ」
両性具有神の聖剣の情報はかなり出回ってきているようだ。
僕だけの情報では無いらしい。
運営側で情報を小出しにし、ゲームバランスを調整しているのだろう。
最も情報一つでどうこうなる相手ではない。
「素材の一つ黒の剣は、暴君竜を斃すと出現するみたい」
カリバーンの情報は嘘では無いようだ。
「殲滅時入手アイテム……。そして、竜を斃さないと、先には進めない」
「目的は一緒だし、竜退治の為に一時的に組みましょうっていってるの。そこで相性とかも見たらいいじゃない」
「その提案を飲むのはやぶさかじゃない」
「ですね」
クロムの言葉に、僕は同意する。
「まあ、あと魔導司祭が一人欲しいところなのよね。AIだとやっぱり心細いし、回復役はやっぱり人間の方が安心なんだよね、レスポンスも早いし……。でも不人気な職業だから中々いいプレイヤーが――」
アユミールの言葉に、僕の頭の中ですぐに浮かんだ人間がいた。
「心当たりあります!」
僕は口にしていた。
「彼女か……?」
クロムの言葉に、僕は大きく頷いていた。