1 深緑の暴君竜
僕達は上層と下層を繋ぐ階段に居た。
階段は、迷宮内で一息つける安全圏でもある。もし、戦闘で窮地に陥った場合、階段に逃げ込むという裏技が公然と存在する。
僕達パーティーは、九五階に到達していた。
ミナはタレントのオーディションが近くそちらに専念したいということで、ここ暫くゲームを休んでいた。久しぶりのソロで、AI達と迷宮を攻略していた。
九〇階を越えると、迷宮はより複雑かつ広大になっていて、位置を常に確認する必要性がある
魔導司祭のスキルであるダンジョン・マッピングが戦略上、非常に重要だった。
九〇階以下は、通路内に落とし穴や綻びが無数に存在し、ワープゾーンと化し別のフロアへ飛ばされてしまう。
綻びはエネミーが出入りする空間の穴であり、飛ばされた途端遭遇し、戦闘が開始されることもしばしばだ。
凶悪なエネミーも跋扈し、油断していると全滅の憂き目に会う。
ダークゾーンを避けるために、ルートを迂回し、進まなければならない。
転送された場合、こちらも転送呪文を使用し、前回のセーブポイントまで戻るという行為を繰り返す羽目になる。
それでも僕は虚空皇の剣を求め、ついに九〇階の領域へ足を踏み入れていた。
僕の力量からまだ早いと感じていたが、虚空皇の剣をエネミーがドロップしたという情報を入手していた。
九五階に入ったとたん、急に迷宮のサイズが大きくなった。
天井は高く、通路の幅も上部層より拡張している。
つまり、この九五階は、巨大種が身動きできるような作りになっているということだ。
嫌な予感がした。
僕はアイグレーの方を見た。
アイグレーは頷くと精神統一に入った。魔導司祭のエネミー索敵能力だ。
しかし能力で感知するまでも無く、巨大な何かが蠢くような大きな足音がフロア内に響き渡っていた。
巨大生物エネミーがアクティブな状態で近くに居ることを示していた。
このままでは、戦闘状態に突入してしまう。
「……このフロアから逃げるぞ」
僕はAIたちに指示を出した。
だが、一足遅かった。
迷宮通路のコーナーから、のっそりと大きな顔が現れでた。
竜だった。
ただの竜ではない。巨大な竜であった。
ソロプレイヤーが一人で相手にするようなサイズのエネミーではない。
大人数で斃すイベント企画型のエネミーだった。
ボスモンスター狩りと称し、イベントでは迷宮に潜んでいる凶悪なモンスターを、GMや他のプレイヤーと一緒に討伐に向かう。
出現するのは、いずれも強力なボスモンスターばかりで、プレイヤー同士が協力しないと倒すことが困難である。
この手のエネミーは、あくまで客寄せの為のボスエネミーであって、初心者でも訪れやすい低層部に棲息し、アイテムや報酬を分配し、ゲームの雰囲気や他のプレイヤーとの協力プレイの一体感をを楽しむ為のイベント性の高いエネミーだ。運営側から事前に告知もされる。
僕のようなコアプレイヤーが決して関わるようなエネミーではない。
そもそも九〇階領域のような深層部は、訪れるプレイヤーも限られるはずだ。
複数討伐型の巨大種エネミー専用の徘徊フロア――イベント用のエネミーを放し飼いにしている運営側の神経を疑った。
このフロアを住処にする固定エネミーなのだろう。
すでに僕達は戦闘状態に入っている。
巨大竜は、尾を震わせ、僕達に鞭のように振るってきた。
僕達は散開し、竜の攻撃を避ける。
フォーメーションも何もあったものではなかった。
弱点を見つけ出し、集中攻撃するしかない。
攻撃箇所を見定め、どこを攻めるかは、非常に戦略性を問われる。
この手のエネミーは、攻撃ポイント以外の部位は、まったくダメージを受け付けないことも少なくない。
そして相手に気付かれずに、先制攻撃を企てるか、勝敗を左右する。
先制攻撃を奪われた上、エネミーのデータや情報が無い以上、戦うことは無謀であった。
開示されている唯一の情報――エネミーの名称を、僕は確認する。
ダークグリーン・タイラント・ドラゴン――深緑の暴君竜。
竜の中の竜、竜の頂点である暴君のごとく君臨する竜種――最凶最悪の敵ということだ。
深緑の色に覆われた硬そうな皮膚に丸太のような大きな尾、鋭い鉤爪を備えた野太い四本足で歩き回っている。
暴君竜は突然、身体と首を仰け反らせる。
長距離広範囲の攻撃――竜といえばもう説明は不要だろう。
予測通り、竜はブレスを放ってきた。
三つの頭部が同時に火を吹き、一瞬にして、部屋や通路が火に飲み込まれ、溢れ返る。
巨大種が動き回れるようなサイズの通路が一瞬にして、満たされるほどの劫火であった。
キャラクターの生命力の資源が喪失し、次の行動に移るタイミングが遅れる。
エリテュリアが複数回復の魔法に入る。
「アイグレー、エネミーの情報収集を……!!」
アイグレーは僕の言葉に頷く。
魔導司祭のエネミー分析能力――魔導司祭の鑑定能力に付随するジョブスキルである。しかし、相手が高レベルのエネミーだと、分析行為はキャンセルされる場合が多い。
「……解析開始」
アイグレーが解析作業に入る。
僕はアイグレーの前に立ち、フォローに入る。
解析作業に入ると、魔導司祭は完全な無防備になる。
「解析結果――」
クリティカルではないが、大ダメージは必至だった。
「失敗……!!」
アイグレーの絶望的な声が響く。
対策法が無い以上、どうにもできない。
暴君竜はプレイヤーを捕食するタイプだろう。
捕食攻撃――竜などの巨大種で最も注意すべき攻撃である。
もしあの強靭な咬合力を持つ顎で、咬まれでもしたら、致命傷を食らうのは必至だ。
上下の顎には鋭い歯が多数並んでいるが、他の肉食獣系エネミーと比べると遙かに大きい上に分厚い。
暴君竜の餌食になれば、何度もそのもしあの強靭な咬合力により、連続攻撃状態になり、資源は食い尽くされ、逃れることもままならず、死に至るだろう。
本来ならば、このような敵は長距離からの魔法か飛び道具で闘うのがベストだ。
だが竜系は、悪魔系と同様魔法による直接攻撃に強い耐性を持つ。
つまり接近戦は自殺行為といえる。
このクラスになると、魔法防御を備えている為、強力な魔法も通用しない。
アイグレーが防御魔法を起動する為に、準備に入る。
ヘスペリアが攻撃力を引き上げる魔法を、僕とエリテュリアは直接攻撃の準備に入る為に配置に着く。
暴君竜の後肢を踏み鳴らし、地響きが、攻撃を妨げる。
地響きにより、魔法への集中力が乱される。アイグレーとヘスペリアが詠唱キャンセルの状態になる。
逃げるべきか、僕は迷った。
魔法で眠らせるか、狂乱状態にして無力化できれば戦いようもあるが、そのような補助魔法は効き目は薄いだろう。
後退しながら、接近戦による近距離攻撃から、魔法による長距離攻撃へと戦術を変えていた。
僕も魔法の矢を作り出すと、竜の動きを止める為、前足部に放つ。
「顔だ! 顔に魔法による長距離射撃を!!」
僕の指示にアイグレーとヘスペリアは素早く反応し、火球を作り出すと、竜の顔面部にめがけて放つ。
だが、まったくダメージを与えられない。
貫通力を持つ魔法の矢も、竜へ殆どダメージを与えることは出来ない。
殆どシューティングゲーム状態だ。だが、竜への魔法攻撃は無駄な行為だった。
急所を探り当て、ピンポイントで当てなければまったく意味を成さない。
時間稼ぎにすらなっていない。
エリテュリアだけが静観していた。聖職騎士の魔法ではそれこそ資源の無駄遣いだ。
「撤退するべきです」
エリテュリアが提案した。
「どうやって……?」
逃亡行為は、これくらいのレベルになると簡単にはできない。
固定エネミーならば尚更だろう。
「……奉納です」
エリテュリアの提案に、僕はハッとなる。
奉納――聖職騎士のジョブスキルである。
パーティーの共有資源である財力全てを使用し、神の奇跡を起こす、いわば財産という重要資源を魔法現象に換える特殊技能である。
全財力を布施として捧げることで、金銭や財物に対する執着や物欲から離脱し、初めて成される神の御業である。
当然、戦闘終了後はエネミーから獲得する金銭の加算も行われない。
まさにケツの毛まで抜かれる有様だ。
厄介なのは、奇跡のレベルに乗じ、破産状態が暫く続くということである。
このゲームにおいて、金は重要である。
金は様々なものに交換できる万能の資源である。
破産状態では、資源の完全な回復や武器道具の補充がままならなくなり、不十分な状態のままで、暫くの間、迷宮を彷徨わなくてはならない。
「速く決めてください……!」
急かすように、エリテュリアが言う。
布施に頼らなければ、今の状況を抜け出すことは出来ない。
「……頼む!!」
僕は苦渋の選択を飲んだ。
エリテュリアは武器を鞘に収め、跪くと、両手を握り、祈った。
真摯で、荘厳な祈りを捧げるエリテュリアの頭上に、光の破片を振り撒きながら、神の使いたる天使が降臨する。
天使は、微笑むと両手を握り、翼を広げた。
第三級に数えられる上級天使は、神的原理から我々の願いを受けとめると共に、崇高な力を持って全ての卑俗なるものを退ける。
邪悪なる存在にして、我々の現時点での絶対の敵対者である竜の存在を掻き消した。
奇跡を終えると、天使は上昇し、天に帰った。
暴君竜は完全に消滅していた。
すぐにまた出現するだろうが、戦闘の強制終了は叶った。
アイテムや金は入らないが、止む終えなかった。
エリテュリアは身体を弛緩させると、崩れ落ちるように意識を失った。
昏睡状態――死んだわけではないが、暫くは戦闘に参加できないステイタス状態である。
高等スキルを使用した代償――アイグレーのスキル値を確認すると、ゼロだった。
エリテュリアを抱えながら、僕は残金を確認する。
残金は、やはりマイナス値を示している。しかも簡単には返せないほどの額だ。
仲間の一時的戦線離脱に、借金だけが残る羽目になるとは思いもしなかった。
やはり、この階はまだ僕たちに早かったようだ。
いや、そもそもあの暴君竜を斃すことなどできるのだろうか。
手練のプレイヤーと同盟契約を組んで、同時プレイの参加限界人数をそろえなければとても無理だ。
ソロプレイの限界を垣間見た気がした。
手から砂がこぼれ落ちるように、モチベーションが減退していく。
資源も失い、パーティはガタガタ、やる気も失せ、まさに満身創痍だった。
最悪の状態である。
ミナの顔が思い浮かんだ。
「精神状態を考慮して、地上へいったん帰還したほうがよろしいと思います」
アイグレーが提案してきた。
「……ああ」
僕は力なく頷くと、ヘスペリアが帰還転移魔法の準備に掛かった。
これ以上、ゲームをする気力など僕には残されていなかった。