『病棟の呼鈴』-3
第三章 虚無の統計
僕は全身の血液が、一度に凍てつくような戦慄を覚えた。懐中電灯を握る指先は、自分でも驚くほど激しく震え、その細い光の輪は、空き部屋の壁にこびりついた虚無を、ただ無力に撫でるばかりであった。
僕は逃げ出した。あの「カサリ」とも「ピチャリ」ともつかぬ、目に見えぬ何者かが畳の上に身を乗り出したような幻聴を背中に受けながら、銀鼠色の廊下を、心臓が喉から飛び出すほどの勢いで駆け抜けた。
高額な賃金、骨董品じみた設備、そして誰もいない部屋から執拗に鳴り響く呼鈴。
これら一見無関係に見えた断片は、今や僕の脳裏で、一つの冷徹な、そして逃れようのない事実として収束していった。あの病院は、病める生者を癒やし、再び現世へと送り出すための装置などではない。そこは、この世に未練を残し、死の地平へ降りることを拒んだ魂たちを、静かに、そして組織的に飼い慣らすための「檻」であったのだ。
師長の貼り付いた微笑も、先輩看護婦の能面のような無表情も、すべてはその檻の番人としての、あるいは供物を捧げる巫女としての、悲しき装いだったに違いない。
後日、僕は体調不良を理由にその病院を辞め、二度とその門を潜ることはなかった。いや、その街の方角を向くことさえ、僕の生存本能が激しく拒絶したのである。
だが、あの夜に体験した「誰もいない部屋からの呼鈴」という事象は、あたかも不治の病の如く、僕の神経から片時も離れようとはしなかった。僕は自らの理知を、あるいは崩れかけた正気を繋ぎ止めるために、かつて或る専門的な統計を調べたことがある。僕は信じたかったのだ。あれは単なる電子回路のいたずらであり、僕の見た「指先の跡」は、疲れ果てた眼が見せた幻覚であったと。
調査の結果、奇妙な事実が浮き彫りになった。
誰もいないはずの病室から鳴る呼鈴のうち、約三割は、確かに機械の故障――すなわち配線の断線や、経年劣化によるボタンの破損が原因であるという。それは、この科学万能を標榜する時代の、いかにも理知的な、もっともらしい説明であった。
しかし、残りの七割。その圧倒的な大部分については、如何なる電気工学者も、如何なる心理学者も、明確な解答を持ち合わせてはいなかったのである。
報告書には、ただ「原因不明」という四文字が、石碑に刻まれた碑文のように冷酷に記されているばかりであった。
七割の呼鈴は、現世の物理法則を超えた場所から発せられている。それは、我々の住む三次元の空間に、死の国からの通信が、電子回路という細い糸を伝って漏れ出してきている証左ではないのか。あの「山崎武夫」や「武永いずみ」という名は、かつてその檻の中で、誰にも看取られずに「消された」者たちの、最後の署名であったのかも知れない。
読者諸君。
もし貴方が、不幸にも夜の病院を歩かなければならぬ時があったなら、どうかくれぐれも用心し給え。
長い廊下の突き当たり、ひっそりと静まり返った空き部屋の扉。その隙間から漏れ出す、饐えた匂いに鼻を動かしてはならない。あるいは、その扉の覗き窓から、中を窺おうなどという無謀な好奇心を抱いてはならない。
そこには、清潔なベッドの代わりに、誰かのための冷え切った水と、高く盛られた枕飯が、音もなく供えられているかもしれない。
そして、もし貴方の耳に、誰もいないはずの部屋から「ピンポーン、ピンポーン」と、あの無機質な、しかし執拗な呼鈴の音が聞こえてきたなら――。
決して、それに応えようなどと思ってはならない。決して、受話器を取って「どうなさいました?」などと問いかけてはならない。
そのベルを押しているのは、もはや指先を持たぬ何者かであり、彼らが求めているのは、薬や処置といった「看護」ではない。彼らが渇望しているのは、貴方の温かい血液の中を流れる、生命の灯火そのものなのだから。
彼らは自分たちの側の寒々しい沈黙を埋めるために、生者の側の「関心」を引き寄せ、共に深淵へと沈む道連れを探しているのである。あの夜、先輩が僕の手を制して放った「出ちゃダメよ」という言葉は、僕の魂を現世に繋ぎ止める、最後の一線であったのだ。
あの病院は、今も日本のどこかの街角で、銀鼠色の空の下に、ひっそりと建っている。 ナースステーションのモニターに映る「山崎武夫」の名は、今夜もまた、誰の耳にも届かぬ絶望を伴って、赤々とした文字で点滅しているに違いない。
僕は今でも、深夜にふと鳴る玄関のベルや、電話の着信音を聞くたびに、あの一号室の壁際に置かれた、白い供物の静かな、しかし確かな恐怖を思い出すのである。
最後に、もう一度だけ問いかけよう。
今、貴方の背後で、あるいは隣の空き部屋で鳴ったその「音」は、果たして本当に、機械の故障と言い切れるであろうか。
統計の「七割」は、今この瞬間も、貴方のすぐ隣で、見えざる指先をボタンにかけているのだから。




