第一章:社(やしろ)の礫(つぶて)、あるいは不遜なる指先
それは私がまだ帝大の学生であった頃、友人の前田という男から聞いた、身の毛もよだつような述懐である。
大正の世も半ばを過ぎ、都会の若者の間では、古き神仏への畏怖を「迷信」と切り捨てることが一種の粋とされていた。前田もまた、その例に漏れず、夏の夕暮れ時に恋人を伴って、町外れの寂れた社へと「胆試し」に出かけたのである。
社は、鬱蒼たる杉木立の奥に、打ち棄てられた骸のように蹲っていた。
管理する者とてなく、拝殿の木材は湿り気を帯びて腐朽し、辺りには線香の残り香さえ漂っていない。前田は期待外れの感に打たれ、「さあ、帰ろう」と彼女に声をかけた。
しかし、彼女は誘われるように、奥まった場所にある崩れかけた小祠へと歩み寄ったのである。
「見て、前田さん。こんなところに、妙なものがあるわ」
彼女が事も無げに祠の扉を開くと、中には煤けた燭台や古びた呪符に混じって、三方の上に一点、拳ほどの大きさの石が据えられていた。
それはどこにでもある、ただの河原の礫に過ぎない。だが、彼女はそれをおどろおどろしい「土産」にしようと、祠の中から無造作に掴み出したのである。
前田は彼女からその石を受け取ると、冷笑を浮かべた。
「神罰など当たるものか。こんな河原の石ころに」
彼はそう嘯くと、あろうことかその石を、暗い林の奥へと右手で力任せに放り投げてしまったのである。
闇の中で「カツン」と何かが砕けるような音が響いたが、二人はそれを、一夏の悪戯の終わりとして笑い飛ばしたのであった。
翌朝、惨劇は白昼堂々の停車場で起こった。
二人はいつものように汽車を待っていたが、彼女の様子が、明らかに常軌を逸していたという。まるで深い酒に酔い痴れたかのように、足元がフラフラと定まらず、瞳は虚ろに宙を泳いでいる。 「危ない、どうしたのだ」
前田が声をかけた瞬間、彼女の身体は糸の切れた人形のように、線路の方へと傾いだ。
前田は反射的に右手を伸ばし、彼女の腕を固く掴んだ。助かる、と誰もが確信したその刹那――。
前田の右手は、彼の意志に反し、あたかも「誰か」に指を一本ずつ剥がされたかのように、無慈悲に彼女を突き放したのである。
入線してきた汽車の轟音と、人々の悲鳴。
前田はホームに頽れ、泣き叫んだ。周囲の者は「彼は助けようとした」と証言し、事件は不幸な事故として処理された。しかし、前田だけは知っていた。自分の右手が、確かに彼女を「殺した」のだということを。




