第一章:信越の幽邃(ゆうすい)、あるいは隧道(ずいどう)の怪
あれは私がまだ高等学校の二年生であった夏、信越の山深い村へ、叔父の経営する避暑地の幕営場の手伝いに赴いた時の事である。
独りでは心細いゆえ、同窓の友人である良を誘い、七月の末から一ヶ月の予定で、文明の音も届かぬ山あいの宿へと向かった。そこは、地図の上では隣県と接してはいるものの、峻険な嶺に囲まれた、正に「陸の孤島」と呼ぶに相応しい土地であった。
手伝いの合間、私たちは年上の大学生である森本と長野という二人と親しくなった。三週目に入った月曜日、午後の仕事が不意に休みとなった折、森本が「近隣に名だたる心霊スポット――すなわち幽霊の出没する場所がある」と、我々を誘ったのである。
彼が云うには、車で一時間半ほど揺られた山奥に、昭和の初めに穿たれ、今は既に打ち棄てられた「廃隧道」があるという。
長野が運転する車中で、彼はその隧道の忌まわしい由来を語って聞かせた。
「その隧道はな、難工事の末に多くの石工が命を落としたのだ。当時の村長は私欲に溺れ、死んだ作業員への供養も遺族への補償も一切を等閑にした。憤った遺族の総代が、ある日、隧道の近くで無惨な死体となって発見された事件以来、そこには死者の執念が渦巻いていると云うのだよ」
国道から外れ、羊歯の生い茂る獣道のような泥路を突き進むと、突如として山肌に、巨大な「黒い穴」が口を開けていた。
それが、目的の廃隧道であった。
入り口には朽ち果てた立入禁止の看板が転がり、壁面には無頼漢どもの手による悪戯書きが、血の跡のようにこびりついている。
私たちは車を降り、その深淵を覗き込んだ。出口の見えぬ暗闇は、まるで巨大な怪物の喉の奥を見ているようで、得体の知れぬ寒気が襟元から忍び寄るのを感じた。
その時である。良が「妙な音がする」と呟いた。
耳を澄ませば、闇の奥から――キィ、キィ――と、金属と骨が擦れ合うような、不快な乾いた音が聞こえてくる。音は次第に近づき、やがて闇の中から、一台の古びた自転車に跨がった中年の男が現れた。
男は泥に塗れた作業着を纏い、無精髭を生やし、虚ろな眼差しで一心不乱にペダルを漕いでいる。
男は私たちの傍らでぴたりと止まると、薄笑いとも怒りともつかぬ、歪んだ表情でこちらを凝視した。そして、前歯のない口をパクパクと動かし、地獄の底から響くような声で、何かをボソボソと呟いたのである。
男が再び自転車を漕ぎ出し、その背中が闇に消えた後、血気盛んな長野が「あの男がどこから来たか確かめてやる」と、懐中電灯を手に隧道の中へ突っ込んでいった。
数分後、戻ってきた長野は、蒼白な顔で首を振った。
「……行き止まりだ。奥は崩落していて、通り抜ける道などどこにもない」
では、あの男は、出口のない闇の中で何をしていたのか。そして、彼は一体どこへ消えたのか。




