第一章:浅草の迷宮、あるいは闇に蠢く声
それは私がまだ帝大の学生であった頃、空には活動写真の看板が躍り、街にはカフェーの蓄音機が鳴り響く、大正の爛熟した春の宵の出来事である。
私は友人の久米――仮にそう呼んでおこう――と、互いの恋人を伴って、当時巷で評判の「お化け屋敷」へ足を運ぶことになった。場所は郊外の、古びた遊園地である。そこは、等身大の生人形や機械仕掛けの幽霊が、見る者の神経を逆撫でするという不気味な迷路で、その道の好事家たちの間では、知らぬ者のない恐怖の殿堂であった。
日が落ち、薄紫色の闇が遊園地を包む頃、私たちはついにその「迷路」の入り口に立った。
まずは私と私の恋人が先に踏み込み、少し遅れて久米たちが続くという段取りであった。
一歩足を踏み入れれば、そこは現世の光が一切届かぬ、湿り気を帯びた異界である。足元を這いずるような鼠の音、どこからともなく滴る水の響き。私の恋人は、あまりの恐怖に嗚咽を漏らし、私の袂を掴んで離さぬ。 「大丈夫だ、ただの作り物ではないか」 そう宥める私自身も、背筋に薄気味の悪い冷気が走るのを禁じ得なかった。
迷路の中程、わずかな行燈が灯る休息所で、私たちは息を整えていた。
すると、背後の闇から「おい、待ってくれ」という久米の声が聞こえ、彼が独りで息を切らして現れた。
「驚いたな、君だけか。お静さん――彼の彼女――はどうした」
久米は青白い顔を歪めて、どこか空ろな目でこう答えた。
「ああ、彼女なら……じきに追いつくはずだ。皆で、一緒に来るからな。今はそれより、三人で行こう。独りでは、この暗闇に耐えられん」
「皆で?……お静さんの他にも誰かいるのか」
私が問い返そうとした瞬間、前方の、黒い暖簾のような布で仕切られた「無灯の回廊」から、何十人もの囁き声が溢れ出してきた。
「ああ、やっと追いつけた」
「置いていかないでおくれ」
「一緒に行こう、独りじゃあ心細いからね」
それは、女の声、老人の声、そして男の低い声が混ざり合った、おぞましい合唱であった。
暖簾を潜る直前、明らかに私の耳元で、複数人の息遣いを感じた。久米はといえば、闇に向かって「ああ、よかった。皆揃って、やっと外へ出られるな」と、誰にともなく優しく語りかけていたのである。
私たちはようやく迷路の出口へと辿り着いた。眩いばかりの電燈の光の下、暖簾を潜って出てきたのは、私と私の恋人、そして久米と、いつの間にか彼の傍らにいたお静さんの、四人だけであった。
先程の「雑踏」はどこへ消えたのか。私は久米の言動に、言語に絶する不審を感じずにはいられなかった。




