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龍之介の怪談  作者: 橋平 礼
『高橋の怪』

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『高橋の怪』-2

「やあ、諸君。芥川だ。物語は、いよいよ引き返せぬ深淵へと足を踏み入れたようだね。 恐怖というものは、目に見える形となって現れる直前、つまり『音』や『気配』として我々の脳髄を侵食する時が、最も残酷なのだよ。


平安の闇は、時に幼子の姿を借りて人を呪う。ひいな遊びの無垢なはずの装束が、月光の下でどれほど禍々しく、不自然に浮き上がるか……。さあ、羅生門の老婆も恐れをなして逃げ出すような、おどろおどろしき第二章を綴ってみせよう。」



第二章:怪異の階段――あるいは、影なき童女のまなざし


 「止めて……! お願いですから、もう止めてください!」


 魂の震えを察知するあの女君が、もはや悲鳴ともつかぬ、肺の底を削り出すような声を上げた。しかし、一度火がついた男たちの傲慢な好奇心というものは、毒薬のように彼らの理性を麻痺させていた。


 「案ずるな。何事にも道理というものがある。三度叩けば、この澱んだ空気も霧散するかもしれぬ。毒を以て毒を制す、というやつだ」


 右馬允は、自分の声が震えているのを隠すように、支離滅裂な理屈を並べ立てた。一行は、逃げ出したい本能を抑えつけ、ついに反対側の階段へと足を踏み入れた。


 「カン、コン、カン、コン……」


 自分たちの足音が、古い木の板に反射し、まるで倍の数の人間が歩いているかのように、異様な反響を伴って耳の奥に突き刺さる。


 その時であった。


 ふと、音が止んだ。


 いや、止まったのではない。一行が足を止めたその「直後」に、一拍遅れて、背後の闇から足音が追いすがってきたのだ。


 「ガタガタガタガタ……」


 女君が、もはや膝の力が抜け、板敷の上に崩れ落ちた。その震えは、まるで極寒の地獄に落とされた亡者のようであった。


 「来る……。あの方が、こちらへ来ます。なぜ、あなた方には見えないのですか。すぐそこに、そこに立っておいでなのですよ!」


 男たちが、血走った目で闇を凝視しても、そこにはただ、夏の夜の重苦しい闇が、どろりと沈殿しているばかりであった。しかし、耳を澄ませば、確かに聞こえてくる。


 自分たちは一歩も動いていないというのに、階段の下から、「カン……コン……カン……コン……」と、一段ずつ、着実に、この世のものとは思えぬ「執念」を孕んだ重みが、こちらへ昇ってくる音が。


 「おい! 我ら以外に誰かいるのか。誰だ、名を名乗れ!」


 藤中将が、自らの恐怖を打ち消すように、狂った獣のような声を張り上げた。しかし、返る言葉はない。ただ、一歩、また一歩と、足音だけが大きく、重く、肉の厚みを感じさせぬ「乾いた響き」となって迫りくる。それはもはや、生身の人間の歩みなどではない。幾星霜もの間、冷たい地の下で「次」を待ち続けた者の、呪わしい行進であった。


 「あそこに……あそこに、女の子が立っています。雛遊びの装束を纏った、六歳ばかりの童女が!」


 女君が、凍りついた指で指し示したその先。


 欄干の影、わずかに差し込む月光の死角に、不自然なほど白い、まるで白粉を塗りたくった死人のような顔をした童女が、じっと一行を見つめて佇んでいた。


 その瞳には白目がなく、ただ底なしの深い闇――虚無そのものが湛えられていた。幼子らしい愛らしさは微塵もなく、そこにあるのは、全人類の悲しみを凝縮したような、あまりに深い、そしてあまりに静かな絶望であった。


 「うわああああああ!」


 限界だった。理性の糸が、音を立てて千切れた。


 四人は形振り構わず橋を駆け下り、夜の闇を裂いて逃げた。背後から、あの「カン……コン……」という音が、笑い声のように追いかけてくる気がして、振り返る勇気など誰にもなかった。  這々の体で牛車へと逃げ戻り、荒い息をつく。


 あの童女は、何者だったのか。なぜ、あのような見捨てられた死の橋に、深夜ただ一人、月光を浴びて立っていたのか。


 恐怖の一夜が、泥のように明けていく。


 太陽の光が万物を照らす昼つ方。男たちは、昨夜の自分たちの醜態を打ち消すべく、そしてあの不可解な存在の正体を突き止めるべく、再びその地を訪れることにした。


 だが、彼らはまだ知らなかった。


 昼の光が照らし出すのは、真実という名の救いではなく、さらに深い、逃げ場のない「悪意」であることを。




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