『高橋の怪』-1
「やあ、諸君。また僕だ。芥川だ。地獄変の屏風を広げるような、あるいは羅生門の死骸の髪を抜くような、そんな薄気味悪い一幕を仕立ててみせよう。平安の闇というのは、現代のそれとは密度が違う。それはただ光がないのではない。粘りつくような、実体を持った『異界の吐息』なのだよ。さあ、若き貴族たちの愚かな遊びが、いかなる闇を招き寄せたか……。心して読んでくれたまえ。」
第一章:高橋の怪――あるいは、叩かれた欄干の怨嗟
夏の盛り。京の町を包む空気は、まるで生暖かい血のように澱んでいた。
蝉時雨。そう呼ぶにはあまりに不吉な、無数の針で鼓膜を刺すようなその絶叫が止む夕暮れ、若き二人の貴族が、ある古びた里の土を踏んだ。名を右馬允、そして藤中将。彼らは内裏での硬苦しい勤めから解放された、言わば魂の抜け殻のような存在であった。
二人は幼馴染の女君たちを伴い、月光の青白い光が、死人の肌のように野を照らす中、涼を求めて語らっていた。しかし、宵闇が深まるにつれ、話の端々に、湿った苔のような「不吉」が纏わりつき始める。
「……そういえば、この里の辻にある、あの『高橋』を覚えておるか」
右馬允が、ふと、井戸の底から響くような声で口火を切った。
「ああ、あの忌まわしき歩道橋か。まだ道も整わぬ遠い昔、災厄を封じ込めるためにと、あえて高く、あまりに高く、天を呪うように築かれた、あの木造の怪物……」
藤中将の言葉に、女君たちは扇を握る指先を白く凍らせた。
「昔、お前があの橋の袂で、まるで首を括られる寸前の罪人のように震えていたのを、俺は知っておるぞ。どうだ、今宵。大の大人が四人、揃って足を運んでみぬか。闇に潜む悪鬼とて、我らの若き気力には、恐れをなして退散するに違いない」
若さというものは、時に毒に似た傲慢さを孕む。
女君たちは当初、「めっそうもない、呪われますわ」と、蜘蛛の巣に触れるのを忌むように拒んでいた。しかし、男たちの快活な――しかしどこか狂気を孕んだ誘いに、ついに重い腰を上げたのである。 牛車を下り、夜露に濡れた草を踏みしめる。その足音さえ、誰かの骨を噛み砕く音のように響く夜であった。
辿り着いた橋の袂。見上げれば、そこには巨大な黒い影となった橋が、巨大な蜘蛛の足のように天を塞ぎ、一行を見下ろしていた。
「カン、カン、カン、カン」
階段を昇る足音が、静寂という名の薄い氷を叩き割る。一段昇るごとに、背後の闇が一段ずつ、彼らの足首を掴もうと迫ってくる。
その時であった。
一人の女君が、何かに射貫かれたように立ち止まった。彼女は幼き頃より、目に見えぬものの形、聞こえぬものの声を、魂の震えとして察知する、禍々しいほど鋭い『感』の持ち主であった。
「お待ちください……。これ以上はなりませぬ。戻りましょう、今すぐに。今、この瞬間に!」
彼女の声は、乾いた枯れ葉が擦れるような震えを帯び、青ざめた指先は袖をちぎれんばかりに握りしめていた。
「何を弱気な。何か見えるとでもいうのか。鬼か、それともただの影か」
男たちがせせら笑って問うても、彼女はただ、絶望の淵を覗き込んだような眼差しで首を振るばかりであった。
「何も見えませぬ。……なれど、何かが、確かな意志を持った『何者か』が、そこに在るのです。この橋は、人の通る場所ではございませぬ。ここは、決して足を踏み入れてはならぬ怨念の肺胞なのです!」
しかし、右馬允の耳には、その真実の叫びも、夜の余興を盛り上げるスパイスにしか聞こえなかった。
「案ずるな。かつてこの里の子供たちは、この橋の欄干を、景気よく『カーン』と叩いて遊んでおったではないか。死霊などおらぬことを証明する、あの音を。俺もよく真似たものだ。見よ、今もこうして……」
右馬允が面白半分に、その白骨のように乾いた欄干を、掌で力任せに打ちつけた。
――カーン。
音は、冷たい闇の底へと吸い込まれ、二度と戻ってはこなかった。
その瞬間、一行を包んだのは、耳を劈くような静寂であった。それは、何かが終わった静寂ではない。
橋の向こう側で、あるいは足元の闇の裂け目で、何かが「次」が来るのを、じっと、息を殺して待ち受けている――そんな、吐き気を催すような、期待に満ちた静寂であった。
その時、右馬允は気づいたであろうか。
自分が叩いた欄干の、その感触が。木造の乾いた感触ではなく、まるで、凍りついた人間の皮膚のような、生温かく湿った感触であったことに。
「やあ、諸君。芥川だ。物語は、いよいよ引き返せぬ深淵へと足を踏み入れたようだね。 恐怖というものは、目に見える形となって現れる直前、つまり『音』や『気配』として我々の脳髄を侵食する時が、最も残酷なのだよ。
平安の闇は、時に幼子の姿を借りて人を呪う。雛遊びの無垢なはずの装束が、月光の下でどれほど禍々しく、不自然に浮き上がるか……。さあ、羅生門の老婆も恐れをなして逃げ出すような、おどろおどろしき第二章を綴ってみせよう。」




