最終話【後編】肉じゃが
長い夏の代わりに秋は短い。上羽もすっかり総務課に馴染んだ頃、デザイン部でちょっとした事件が起きた。クライアントからの無理な修正に、デザイナーたちが投げやりになってしまったのだ。つまり、言われたとおりに修正したのだ。ここまではよくある話。
だが、仕上がりは、文字が見にくい、余白が多い、一方ある場所には文字が詰め込まれすぎている。デザイナーとしての微調整すら放棄したようなのだ。素人がエクセルで作ったみたいなパンフレットが仕上がってしまった。
株式会社エンドリング・クリエイティブ・コミュニケーションズ、通称エンド社は百人弱の中小デザイン会社だ。地元のデザイン専門学校生やデザイン科のある大学、高校ぐらいにしか認知がない。
手練れのデザイナーたちが集まっているわけではない。クリエイターというわけでもない、他社からは二流と馬鹿にされることもある。入社時に高く掲げていた志もいつしか終わらない、意味のない、わけのわからない踏みつけられるような修正――いわゆる、不条理にして理解不能なやり直し、に誰もが疲弊するのだ。
そんななか、営業から朱書きを丸投げに近い形で渡されたデザイナーがなんとか修正を終えた。営業は特にチェックもせず、そのまま右から左へと校正をクライアントに届けたのが二週間前。しばらく返事がないため、再度確認したところクライアントの逆鱗に触れた。担当者の上司からも呼ばれ、クレームが入ったのだ。担当者の朱書きが原因ではあるが、素知らぬ顔で、エンドさんの能力が低いとまで言い放っていた。入稿まであと5日だった。
「私の言われた通りやるって、プロじゃないですよね」
クライアントの担当者が変わったこともあり関係性が築けていないとデザイン部の田岡部長は言う。その担当者は元デザイナーあがりの厄介な人物だとは言われていた。インハウスのデザイナーは、外部の同業に厳しいと偏見交じりに田岡は続けた。
この担当者の言い分は不快な言い方だが正しくもあり、間違ってもいる、と耳にした久島今日子は奥歯をギリギリと噛みしめた。
元デザイナーの渡辺と今日子、元編集者の西が駆り出されて、デザイナーから問題の案件を引き継いだ。田岡から戸倉へ泣きついてきたらしい。総務課も年末に向けての忙しい最中だ。期末に向けての棚卸準備もあり、一年の中でも珍しい繁忙期と揶揄されている。
そんな手薄になった総務課でも、恒例の昼メシは続けられた。後輩の川瀬と上羽が当番となった。何を作るか、川瀬は上羽に一任した。戸倉もこういうのは当番の特権だからと、口を挟まなかった。
普段料理をしない上羽が、唯一母親から教わり、妻から仕込み直された料理があった。得意と言えるかはわからないが、丁寧につくること、と二人の女性から指導されたあのメニューを披露しようと、決めた。
「もう、クタクタですよー」今日子の声が響く。
「ペコペコの間違いなんじゃないのー」と渡辺。
渡辺、今日子、西は後任チームとしてクライアントの朱書きを読み込んだ。クライアントの要望は矛盾する箇所が多々ある。西はじっくりと朱書きを眺め、やっつけ仕事で修正したというデザイナーの仕上がり紙面をチェックした。
確かにクライアントの言う通りに修正している。そもそもこの修正には根本的な問題がある。目立たせたいものが総じてすべてとなっているのだ。目立たせたいものがすべてだと、何も目立たない。お互いに引き立て合うことができない。デザインやコピーがお互いに補完し合わないチグハグさ。
三人の意見は一致し、西のディレクションのもと、渡辺と今日子が修正デザインを起こす。
今日子が新たにデザインした方が早いと言い、渡辺は元を活かした方がいいと主張する。西が間に入り、それぞれのバリエーションで作りましょうと提案した。今日子版、渡辺版の2パターンでどちらがいいかをクライアントに選んでもらうと言うものだ。
結果、元のバージョンをアレンジしながら修正した渡辺案が採用され、さっき校了したというわけだ。
「結局、渡辺さん案になっちゃったのよね。なんだか悔しい」
今日子は上羽と川瀬が作る昼メシを待ちながら言う。
「ここまで作ったモトを活かしただけですよ。これはもう好みですから」
渡辺は謙虚に言う。倍ほど年齢が違う。
二人は久々のデザイン仕事に大きな満足を得ていてようだった。
空腹に包まれた総務課に、上羽の緊張でうわずった声が轟く。
「今日の昼メシは、肉じゃがです!!」
上羽が大きな鍋蓋を開けると、グツグツと煮込まれた肉じゃがが顔をのぞかせた。
「牛肉じゃなくて、豚肉ですけどね。でも、いい味出るんですから」と川瀬が自信ありげに言う。埼玉じゃぁ豚ですから、と。戸倉が関西は牛ですよね、と今日子をチラ見する。今日子はどれどれと、関西のライバルを品定めするように肉じゃがの鍋を覗いた。
クツクツとかわいらしい音がする。弱火でじっくり煮温められている肉じゃがは今がピークの出来だ。この一瞬を逃してはいけない味だ、と今日子は思った。
「豚も好きですよ」と今日子は碗によそわれた肉じゃがの仕上がりを見て、機嫌が回復している。
土鍋炊きの白米をよそわれ、みんなが一目散に掻きこむ。面取りされたジャガイモは煮崩れせず、豚肉の脂身がほどよく、煮汁に溶け込んでいる。玉ねぎは飴色になり過ぎない程度に炒めてから煮込まれ、その甘味を人参が細胞の隅々まで吸い込んでいる。
「糸こんにゃくはないのか?」という渡辺の陽気なクレームに肉が硬くなるからということで入れていない、と川瀬は得意げに言った。その様子に西は微笑ましく顔が緩んだ。
みんなが満足気に食べている表情を見て、上羽は口を開いた。
「戸倉さんばりのうんちくとはいかないですが、この肉じゃがって失敗から生まれた料理って話しってますか?」
「知らないです」と口いっぱいにした今日子。
「昔、明治時代の海軍のエライ人が、ヨーロッパで食べたビーフシチューを作って欲しいとシェフに言うんです。でも、バターや赤ワインが手に入らなくて、砂糖や醤油を代用して作ったそうです。でも、ビーフシチューとは似て非なるものでしょ。でも、それが今の肉じゃがのルーツになっていて、皆さん食べているように…」
「おいしい!」と今日子と渡辺、西が口を揃えた。
「アレンジがいいとか、オリジナルがいいとかと言う話の前に、これって、要望に何とかして応えたいって想いがカタチになったんだなって思うんです」今日の上羽は饒舌だ。
「それに」上羽は続けた。「豚肉とジャガイモ、玉ねぎ、人参とシンプルな具材で、あとは醤油と砂糖ぐらいで、そのシンプルなんですよね。肉じゃがって。だから、お互いがお互いを引き立て合うと言うか、役割を理解しているというか。そんな風にこれからも頑張れたらいいなって、思うんです」
いつになく熱い上羽に、みんなの目がやさしい。
「この話は、デザイン部の連中にも聞かせてやりたいよ」とパーテーション越しに田岡の声が聞こえた。
田岡は渡辺と今日子、西に頭を下げた。そして、その間抜けたメンバーの業務も担当していた上羽や川瀬、戸倉にも深々と頭を下げた。
上羽は碗に肉じゃがをよそった。
「最後の方のが、味シミシミで美味しいですよ」と言い、土鍋のおこげつきご飯も田岡によそい渡した。
「あ、それ楽しみにしてたのに」と無邪気な今日子の声が響く。賑やかな笑いが総務課からこぼれだす、午後がゆっくりと過ぎて行った。
(おわり)




