【中編】餃子
出社してきた上羽はデザイン部の田岡部長に気づいた。
「上羽さん!おはようございます!そこ、ペーパーセメントこぼしちゃったんで、踏まないでくださいね」
久島今日子が朝食のパンを頬張って行儀も気にせずあいさつをした。
上羽に注目が集まる。田岡も振り返り、上羽の存在に気づいた。
「おうっ!上羽。元気にしてるかぁ」
上羽は田岡のことが苦手だ。田岡はデザイン部、上羽は編集部と部署こそ違うが田岡の傲慢さはデザイン部内にも浸透していた。編集部の意見など聞く必要はないというスタンスだった。
部門間対立、よくあるパターンは編集部の方が上でデザイン部が下のようなヒエラルキーがある。編集部が原稿を出さないと、デザイナーは仕事ができないし、修正作業も編集部が校了を出さないと終われない。
だがこの会社ではデザイン部がイニシアティブを握っている。創業者の長谷川がデザイナーだったためだ。
「田岡氏!そこ邪魔なんで、はやく自分のフロアに帰ってください」
今日子は無邪気にそして確信犯的に田岡を撃退した。かつての部下だった久島今日子ぐらいだった。田岡部長のことを、田岡氏と呼ぶのは。
戸倉が雑巾とバケツを持って息を切らせて走ってきた。
「だれですか?ペーパーセメントぶちまけたのは!」
また来るよ、と田岡は所在なさげに自分のフロアへと帰って行った。
「うっとおしい、ヤツ!」
今日子が聞こえるか聞こえないかギリギリのボリュームでつぶやいた。
戸倉は手際よく絞った雑巾で水拭きしながら、ペーパーセメントを取り除いていた。
「ほんと誰ですかね?もう写植も使ってないというのに、どうしてペーパーセメントなんて」
ペーパーセメントとは、印刷物がデジタル化する前、いわゆる版下の世界でのこと。方眼紙のような分厚い版下台紙を使って印刷していた時代がある。
文字は今みたいにパソコンで入力ではなく、デザイナーがあらかじめ必要な文字をサイズ・書体を決めて写植屋に依頼する。
写植屋では電算写植機を使って、文字を印画紙にプリントする。印画紙にプリントされた文字は再びデザイナーに納品される。
瓶詰されたペーパーセメントの蓋裏は金属のスティックが一体化されていて、先端には刷毛がついている。瓶のなかでペーパーセメントまみれになった刷毛を瓶の縁で適度にこそいで、印画紙の裏に塗る。
糊付けした印画紙をカッティングボードにいったん貼り付けて、あとはカッターとピンセットを使って必要な文字をカットする。
カッティングボード上で切った写植を剥がして、方眼紙上の版下台紙に貼り付けるのだ。こんな芸当ができるのは、ペーパーセメントが貼ったり剝がしたりできるという特性があるためだ。版下に貼り付けた写植は印刷所でフィルムに焼きこまれる。つまり、そこまでは剝がれてはいけないのだ。
だが、どうしてこのペーパーセメントが総務部のフロアで割れてこぼれているのだろうか。もうデジタルの時代だ。ペーパーセメントなど誰も使わない。
「どうして、ペーパーセメントがここに?」
上羽は後輩の川瀬にたずねた。
「総務課って、掃きだめでしょ。いらなくなったペーパーセメントがときどきデザイン部の棚から出てくるんですよ。でも、そのまま捨てるわけにもいかないじゃないですか。だからウチに」
「ほんと、迷惑な話ですよね」
元デザイン部の重鎮だった渡辺が割り込んできた。二つ目のパンを食べようと、今日子が菓子パンの袋に手をかけると
「久島さん!今日は、餃子ですよ!食べ過ぎると、後悔しますよぉ」
掃除が終わった戸倉が目で今日子を制した。
今日は二週に一回の総務課昼メシの日だった。
11時45分のチャイムが鳴る。昼の時間が始まった。川瀬・渡辺・西の三人トリオ、社歴も年齢も元居た部署も異なる三人組は手際よくカットしたキャベツと白菜、ひき肉、味噌、しょうゆ、ごま油を用意する。
キャベツと白菜はフードプロセッサーみじん切りに。あまり細かくカットしすぎると触感がなくなって、べちゃべちゃとしがちだ。
味噌としょうゆをボウルに合わせて、ごま油をたらす。菜箸でスピーディーに混ぜ合わせて、ひき肉を加える。肉に下味をつけるのだ。味付けしたひき肉に水を大さじ一杯程度。肉のうまみを逃がさないためだと、西が言うが家庭ルールだとみんなは言った。
「皆さん、手をよく洗いましょう!」
戸倉の指示が飛ぶ。仕事中には見られないイキイキとした姿だった。
塩を振ってみじん切りにしたキャベツと白菜に振りかけ、菜箸で混ぜ合わせる。数分で水が滴るように出てくる。ギュッと絞り水気を切る。
「あぁ、久島さん、そんなに絞っちゃぁ、スッカスカになりますよ」
西の目がいつになく、広範囲にお見守りしている。
「西さんは、毎週土曜日、ご家庭で餃子づくりをしているんですよ。皮から作るらしいですよぉ」
戸倉が白菜とキャベツ、味付けしたひき肉を合わせながら、西のオフスタイルをみんなに暴露した。ここまでわずか十分。お昼はまだ六十五分ある。ごはんが炊けた。
大き目のバットがテーブルに三つ並んだ。西は茶こしに小麦粉を入れ、バットの上でゆらゆらと振った。餃子がバットにくっつかないようにするためらしい。毎週餃子を作っているだけあって手際がいい。
全員で餃子包みが始まった。市販の皮を使って、スプーンで具をすくい、皮に乗せ、包む。西は全員分の木製バターナイフを用意してきた。小ぶりなバターナイフは、木製だけあって軽く扱いやすかった。
「これくらいの量をすくうんですよ。上羽さん、すくいすぎ!ほら皮から具がはみ出てますよ」
「僕、餃子なんて作ったことなくて」
上羽は悪戦苦闘している。戸倉や川瀬、渡辺は慣れた手つきだ。今日子は包むのをやめて、タレの準備をしている。
「いいですか、上羽さん。父の料理って妻が作りたがらないモノにするのがポイントなんですよ」
「あと、あまりお金をかけないモノだよね」
西に渡辺が付け足した。戸倉の次に年長者の渡辺は昨年、長年連れ添った奥さんと離婚したばかりだ。
「ナベさん、離婚したばっかりじゃないですか。説得力ないなぁ」と西。
編集の西とデザイナーの渡辺は一時コンビを組んでいたらしい。
「離婚したから説得力があるんじゃないですか?」渡辺は上機嫌だ。
今日子がタレの準備を終えて、やることがなさそうな顔つきで尋ねた。
西はポットの湯をやかんに移し、油をひいたフライパンに包んだ餃子を並べ始めた。
「火をつけてフライパンを熱々にしてから餃子を置くんじゃないんですか?」
上羽は昔妻が餃子を作っていた工程を思い出しながら、西に聞いた。
「それだと、焦げるんですよ。皮。だから冷たいままのフライパンに油を少しひいて、並べるんです」
西は3つのカセットコンロに火をつけた。
「で、皮に焼き目がついてきたら、お湯をサッと入れて、ハイ、蓋!!」
じゅわーぁとお湯が蒸発する音がする。
「お湯だと、フライパンの中が冷めないからいいんですよ」
ガラス製の蓋の中には、グツグツとお湯が水蒸気になっていく。餃子たちが蒸されていくのがよくわかる。
二つのフライパンでは焼き餃子が、土鍋では水餃子が作られていた。
焼き餃子は円状に並べられていて、水溶き片栗粉が焦げてパリパリの羽になっていた。水餃子は皮が崩れず、ぷるんと音がするくらいの弾力感だった。
「みなさん!こちらが漬けタレです。酢じょうゆ、酢こしょう、焼き肉のタレ&マヨ、あとはめんつゆ&わさび、ポン酢とからしでーす」
今日子がさっきから作っていたのは全五種類のタレだった」
「これは、選びがいがありますねぇ」
戸倉は、焼き肉のタレ&マヨタレを取り分けて、焼き餃子にたっぷりと絡ませて、白ご飯の上でワンパンさせた。
「うんんんまいですねぇ」
西は水餃子にめんつゆ&わさびを、川瀬・渡辺は焼き餃子に酢こしょうを、上羽は焼き餃子に酢じょうゆを、みんな白ごはんにワンパンさせて食べた。
今日子は焼き餃子にポン酢とからしをたっぷりつけて食べた。
「みんな、白ごはんにワンパンさせるんですね。西さんなんて水餃子なのにワンパンさせるんだぁ」
「久島さんこそ、焼き餃子単体なんてもったいない」
川瀬は白ご飯を食べていない今日子に不満そうにツッこんだ。
「だって、皮って炭水化物でしょ。それと白ごはんって、お好み焼きと白ごはんみたいなもんじゃないですか」と今日子。
「それが、いいんじゃないですか!!!」と川瀬がじゃれた反論をする。
今日子は茶碗にご飯をよそう。ご飯に餃子をダイブさせ、じわっとポン酢でにじませる。
「お、おいしい!」
「でしょ。そのご飯のところがおいしいんです」川瀬は得意げだ。
「そ、それは餃子に失礼だなぁ」と西が笑いを誘う。
総務課から大きな笑い声がこぼれる。いつしか緊張もほぐれ、上羽も笑顔になっていた。
「いろんなタレがあっていいんですよね。餃子も人も」と戸倉のつぶやきを上羽は聞き逃さなかった。




