離間の手紙と「直接対話」の原則の絶対性
ローナは辺境伯領を追放されたが、彼女の悪意はそれで終わらなかった。物理的な距離が離れたことで、彼女はより卑劣で、貴族社会特有の陰湿な武器、すなわち「離間の書簡」に訴えてきた。彼女の最後の目的は、マクナル様と私の間に決定的な「不信」を植え付け、私たちの愛の基盤を内部から崩壊させることだった。
ローナが領地を去ってから数日後、王都の紋章が押された、非常に個人的な封書が私宛に届けられた。それは、ローナの遠縁の貴族が偽装して送ってきたものだった。
その手紙の内容は、私の心臓を一瞬で冷やすものだった。
「拝啓、アナスタシア様。貴女がマクナル様からどれほど愛されていないか、ご存知ないのでしょうね。マクナル様は、貴女の『素朴さ』に飽き、王都の私との密会を心から望んでいらっしゃいました。彼の心は、常に王都に、そして私のもとにあります。彼の筆跡を真似たこの書簡を見てください。貴女の昔の恋人との『密約』についても、全て情報を持っています。貴女の過去の過ちは、私が公にすることもできます」
手紙は、マクナル様の筆跡を真似た偽造であり、私が昔の恋人と交わしたとされる架空の「密約」について触れられていた。内容は精巧に作られており、私の心に深く突き刺さるように計算されていた。私の心の中で、一瞬だけ、微かな疑念の影がよぎった。
もし、これが真実だったら……。この完璧な夫が、私に見せる愛情の全てが、彼の義務感と、私の領地経営の合理性への評価から来るもので、心からの愛ではないとしたら……。その考えが、私を深い孤独の淵へと突き落としかけた。
しかし、私はすぐに頭を切り替えた。前世で学んだ「コミュニケーションの基本」を思い出したのだ。人間関係において、最も破壊的な要素は、問題そのものではなく、「隠し事」である。不信感は、隠し事から生まれ、水面下で増殖し、最終的に全てを腐らせる。
ローナの真の狙いは、私がこの手紙を誰にも見せず、一人で悩み、夫を疑い、数週間後に感情的に彼を問い詰めることで、夫婦仲を決定的に冷え込ませることだ。
私は、その手紙をすぐに隠したり、破り捨てたりしなかった。私はそれを手のひらに載せ、すぐに書斎で政務中のマクナル様の元へ持っていった。
「マクナル様、お仕事中失礼いたします。今、ローナ様からこのような手紙が届きました」
私は、ためらいもなく、その手紙をマクナル様の机の上に置いた。私の行動は、私が彼を信じているという、最も強力な意思表示だった。
マクナル様は、驚いた顔で手紙を読み始めた。最初は怪訝そうだったが、読み進めるうちに、その顔は激しい怒りに染まっていった。彼の瞳のサファイアのような色は、まるで炎を宿したかのように揺らめいた。
「馬鹿な! こんな下劣な嘘を! 私がアナスタシアを愛していないなど、天地がひっくり返ってもありえない。私の心を、君以上に深く理解し、私の命を守ってくれる妻を、私が飽きるなど、ありえないことだ」
私の夫は、手紙を読み終わると、すぐにそれをビリビリに破り捨てようとした。
「お待ちください、マクナル様」
私はあの方の腕を優しく掴んだ。
「ローナ様の目的は、この手紙を読んだ私が、マクナル様を疑い、一人で悩み、夫婦仲が冷え切ることです。私がこの手紙を隠し、『本当にそうなのでは』と疑念を抱きながら、数週間後に感情的に『あなたが浮気していると聞いたわ』と問い詰めていたら、貴方様も驚き、きっとうまく説明できなかったでしょう。ローナ様は、その不信の隙を突こうとしたのです」
私はマクナル様の目を真っ直ぐに見つめた。
「ですが、私はそうしませんでした。私は、マクナル様を心から信じています。貴方様の私への愛情は、嘘や偽りではないと、わたくしの魂が知っています。だから、私はこの手紙を、秘密にせず、すぐにマクナル様と共有しました。秘密にすることこそが、ローナ様の勝利なのです」
私の言葉に、マクナル様は深い感動と、安堵、そして私への強い信頼の感情を浮かべた。彼の怒りは、一瞬で私への感謝と愛情へと変わった。
「アナスタシア。そなたのその行動こそが、何よりも私の心を打つ。ローナの仕掛けた離間の策は、そなたの『絶対的な信頼』という名の盾によって、一瞬で、それも完全に砕かれた。この手の悪質な手紙は、貴族社会では日常茶飯事だ。だが、私の妻ほど、これを理知的に、そして迅速に対処できる人間はいないだろう」
マクナル様は、立ち上がり、私の体を強く、深く抱きしめた。彼の体温と香りが、私の心の隅々まで染み渡り、不安の影を完全に払拭してくれた。
「君のその透明な心と、私への揺るぎない信頼こそが、私の宝だ。ローナのような悪女は、君のような真実の愛と、理知的な対話の前には、無力でしかないことを知っただろう。私の最高の妻よ、私は君なしでは、もう生きられない」
私は、ローナが仕掛けた「貴族の悪しき慣習」である離間工作を、現代の「オープンコミュニケーション」と「信頼の原則」という武器で打ち破ったのだった。この一件で、私たちの夫婦の絆は、誰にも破壊できない、絶対的なものとなった。




