祝祭の経済学と、月下の秘め事
王都は今、数日後に控えたマクナル様の戴冠式の準備で、未曾有の熱狂に包まれていました。 わたくしの計算によれば、この戴冠式に伴う直接的な経済波及効果は、王国の年間予算の約百分の一に相当します。 宿屋の稼働率は限界に達し、祝祭用の羊毛製品や装飾品の需要は、辺境伯領の生産体制をフル稼働させても追いつかないほどでした。
わたくしは王宮の一室で、次々と運び込まれる祝典の進行表と、それにかかる費用の対比表を照合していました。
「アナスタシア様、帝国の特使からの献上品リストに不備が見つかりました」
わたくしが育てた優秀な女性官僚の一人、カトリーヌが、困惑した様子で書類を差し出してきました。 わたくしは眼鏡を少し直し、その数字を瞬時にスキャンします。
「……なるほど。帝国の官僚も、わざと端数を分かりにくくして、我が国の事務処理能力を試しているようね。ですが、無駄ですわ。この項目とこの項目を統合して再計算しなさい。不足分は彼らの滞在費の控除分で相殺できるはずよ」
「流石ですわ。すぐに修正いたします!」
彼女たちが部屋を去った後、わたくしは一人、深く溜息をつきました。 頭脳は冴え渡っていますが、流石にここ数日の稼働時間は、合理的な限界を超えつつありました。 すると、背後の扉が音もなく開き、静かな足音が近づいてきました。
「働きすぎだと言ったはずだよ、わが愛しき王妃殿下」
その声を聞いた瞬間、わたくしの肩の力がふっと抜けました。 マクナル様です。彼は王都の防衛体制を確認する軍務から戻ったばかりのようで、その身体からは心地よい外気の香りと、彼自身の力強い匂いが漂ってきました。
「マクナル様。お帰りなさいませ。ですが、わたくしの計算では、あと二時間でこの書類を片付けなければ、明日のパレードの予行演習に支障が出ますの」
「予行演習など、君の完璧な計画があれば、私が馬の上で微笑んでいるだけで終わる話だ。それよりも、君の健康維持こそが、わが王国の最優先事項だよ」
彼はわたくしの手から羽根ペンを取り上げると、それを机に置きました。 そして、わたくしを椅子ごと自分の方へ向かせ、大きな手でわたくしの顔を包み込みました。
「顔色が少し青白いな。無理をさせた。すまない、アナスタシア」
「……貴方様のためですもの。わたくしは、一ミリの狂いもない完璧な戴冠式を、貴方様に贈りたいのです」
わたくしがそう言うと、彼は愛おしそうに目を細め、わたくしの額に熱い口づけを落としました。 そして、そのままわたくしを軽々と横抱きにしました。
「マクナル様!? 降ろしてくださいませ。まだ仕事が……」
「仕事は終わりだ。今夜は、君の頭を冷やすために、月光の下でゆっくりと休ませる。これは摂政、いや、未来の王としての命令だよ」
彼はわたくしを抱いたまま、王宮の奥深くにある、二人専用のプライベートテラスへと向かいました。 そこには、夜風に揺れる花々と、白銀の月光に照らされた寝椅子が用意されていました。 マクナル様はわたくしを優しく横たわらせると、自分もその隣に滑り込んできました。
「見てごらん。王都の街明かりが、まるで宝石のようだ」
「ええ。わたくしたちが整えた街の灯りですわ。以前のような、不安に震える火ではありません」
わたくしは彼の腕の中に収まり、夜風を浴びながら、少しずつ体温が上がっていくのを感じました。 マクナル様の手が、わたくしのドレスの背中の紐を、指先で器用に解き始めました。
「マクナル様……?」
「締め付けが強すぎる。これでは息が詰まるだろう? 少なくとも、私の前では、君は裸の心でいてほしいんだ」
彼の声は低く、熱を帯びていました。 肩からドレスが滑り落ち、月光にわたくしの肌がさらされます。 彼の視線が、まるで物理的な感触を伴うかのように、わたくしの全身をなぞりました。
「……貴方様の前では、わたくしの論理は何の役にも立ちませんわ」
「それでいい。愛を語るのに、数式も法律も不要だ。君の鼓動が、私の胸に伝わっている。それだけで、答えは出ているのだから」
彼はわたくしの首筋に顔を埋め、深く、吸い込むように香りを楽しみました。 そして、ゆっくりと唇を重ねてきました。 それは、深い信頼と、抑えきれない情熱が混ざり合った、甘い口づけでした。
静寂に包まれたテラスで、わたくしたちは夜が明けるまで、愛を確かめ合いました。 どんなに合理的な社会を作ろうとも、この人との熱い時間だけは、わたくしにとって最も予測不能で、最も贅沢な「非合理」な幸福なのです。




