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異世界<短編もの>

悪女顔の令嬢は平穏な生活を送りたい。

作者: 彩瀬あいり


 つり上がった目に鋭角的な細い眉。澄ました顔に反するような、業火を思わせる紅の髪。

 まるで牽制するように周囲を見渡す少女を見て、昼食で賑わう食堂はしんと静まった。

 手に持ったカトラリーをそっと皿に置こうとしたら教会の鐘のように響き、うっかり物音を立ててしまった生徒が蒼白になる。

 ますます静まった室内を一瞥した少女は、そのまま踵を返し去っていく。

 それをたっぷり五秒は見送ったのち、食堂に居た生徒たちは肩を撫でおろす。安堵の息をつき、苦境を乗り切った一体感のようなものが生まれ、顔を見合わせながら苦く笑い、飲食を再開する。


 怖かった。

 因縁をつけられなくて本当によかった。

 肝が冷えた。


 声に出さずとも思いはひとつ。

 かつて『業火の悪魔』と恐れられた赤髪の将軍を祖父に持つ少女の名は、カミラ・ブローテ。妖艶な笑みで、魑魅魍魎が蔓延る社交界を生き抜いたという祖母に似た気の強そうな顔立ちをしたカミラは、ここ王立学院において知らぬ者はいない人物である。


 男たちを手玉に取り、睦まじい男女の仲を裂く卑劣な女。

 十七歳という若さながら流した浮名は数知れず。同世代の女子生徒からは『女の敵』と言わしめられ、男子生徒には『魔性の女』と呼ばれている学院一の悪女なのだ。


 姿勢よく風を切って歩くカミラを皆が避ける。

 通路の端に寄ってひそひそと囁く。

 そんな声を耳にしながら、カミラは胸中でこぼした。


(……もうすこし、ひとのいない時間に行けばよかった。今日のデザートはすごく美味しいって話だったのに。残念)


 カミラ・ブローテという少女は、悪辣な噂に反し、可愛いものと甘いものが大好きな、ごくごく一般的な女子である。

 ただ、なにかと派手だった異国出身の祖父母の容姿を強く受け継いだせいで、とにかく顔が濃い。くっきりはっきりとした目鼻立ちは人目を引き、おもに悪い方面で目立っていた。


 顔を見ただけで『睨んでいる』と誤解され、黙っていれば『怒っている』と思われる。無論、そうではないのだと否定したのだが、それすらも『怒っている』と判断されてしまう始末。

 カミラはどちらかというと、ゆっくりと話すタイプなのだが、じっくりねっとり嫌味を言っていると受け取られ、女子生徒には泣かれた。泣きたいのはカミラのほうなのに、周囲はカミラのほうを『悪』と判断するのだ。


 中等科の途中から学院へ編入してそろそろ四年。抗うのは諦めてなるべく喋らないように努めているが、そうすると『お高くとまっている』と眉をひそめられ、結局のところなにをやっても駄目なのだと判断するのに時間はかからなかった。


 それでも王子殿下が在籍していたころはすこしはましだった。

 だが卒業してからは、周囲の者たちも気を張る必要がなくなったようだ。今では名門学院とは思えぬほど規律が乱れている。男女関係のあれこれは、ほぼほぼカミラのせいにされており、孤立無援。


 なお、教師陣は静観している状態だ。これは故意に放置しているわけではなく、刃傷沙汰でも起きないかぎり、生徒間の問題に口出しができないせい。

 生徒らの背後にいる両親や縁戚にまで影響することを慮っての処置で、カミラも納得している。

 引退してなお名を轟かせる将軍を祖父に持つ身としては、「どうか祖父母には黙っていてください」と、こちらからお願いしたいぐらいなのだから。


(それにしても、王の嫡子はいらっしゃらなくとも、それに近しい方々はいらっしゃるでしょうに、どうしてそちらは気にしないのかしら)


 学院側は静観しているけれど、なにも知らないわけではない。

 生徒たちはちょっと考えが浅いのでは? とカミラは思う。頭が痛い。


 はあ……と息を落とすと、すれ違った年下らしき金髪の男子生徒がビクリと肩を震わせ、脱兎のごとく走り去る。足を止め、見るとはなしにそちらを振り返ると、また、さわさわと囁き声が耳に入った。


 ――おい目をつけられたぞ。

 ――あいつ、死んだな。


 もはや反論しても意味がないと身に染みているカミラは無言で立ち去ったのだけれど、今回ばかりはいつもと様子が異なっていたのである。



     ◇



 呼び止めて、複数人で取り囲んで詰問する。

 陰湿なイジメの図。悪女と評される自分がまさかその対象になるとは夢にも思わず、カミラは呆然と相手を見つめてしまった。

 驚きのあまり言葉もなくしていたが、それは居直りだと受け取られたようで、女子生徒らは甲高い声で攻め立てる。


 睨んでくる、怖い。

 そう言って遠巻きにされてきたカミラに対して攻撃的な言葉を投げつけてくるのははじめてのことで、カミラはますます驚いて硬直する。これはいったいどういうことだろう。


「おやめなさい」


 凛とした声が響いた。ご令嬢たちの中心にいた、美しい金髪の女子が周囲を一瞥することで場が静まる。

 彼女はたしかマグダレーネ・シュルツェ侯爵令嬢。

 ここ数年は外交官の父に帯同し、東の隣国オクソスで過ごしていたが、先ごろ帰国。学院の卒業資格を得て、正式に隣国の学校へ編入する手続きをするらしいと噂に聞いたが本当だろうか。


 カミラは途中編入組のため、留学中の彼女とはほぼ入れ違っており、ここでの姿はよく知らない。

 女性にしては低めの声。すらりと背も高く、男装でもすればさぞかし映えるだろうと思わせる容貌である。

 長く外国で暮らしたせいなのか、同じ年齢とは思えないほど大人びた印象だ。もっともこれは、侯爵令嬢という立場もあるのかもしれないが。


 カミラの家は、大将軍だった祖父を含めた親族の威光が強く影響しているだけで、国内における父の立場はあくまで地方領主の男爵だ。

 男爵といえど、祖父に与えられた『名誉爵』とでもいえばよいか。にわか貴族のひとつである。

 貴族なんて柄じゃないという祖父は、息子が成人すると爵位を譲っており、カミラの父は国内の男爵令嬢と結婚。母も地方に住む弱小貴族のため、王都に居を構える上位貴族との縁は非常に薄く、シュルツェ侯爵家とも直接的な交流はない。


 奇しくもマグダレーネが過ごしていた隣国オクソスが祖父母の出身国であり、我が国とは友好関係にある。

 あちらの王子が立太子するにあたり、次の世代でも友好を継続するべく外交官が数年を掛けて根回しをする必要があったというのは、カミラが祖父から聞いた話だ。そういった下地があるため、マグダレーネ嬢の名は耳にしていた。


 十代半ばの貴族令嬢が、父親に帯同して隣国へ向かうというのは、なかなかに勇気のいることではないだろうか。

 シュルツェ侯爵にはすでに後継となる長男がいるにもかかわらず、娘のほうを連れて他国へ渡るというのも不思議だが、もしかすると娘だからこそかもしれない。オクソスには王太子の下にも王子殿下がいるはず。つまり、友好のひとつとしての政略結婚を狙っている可能性はなくはない。


 勝手な想像を巡らせていると、そのマグダレーネが言った。



「ブローテ男爵令嬢、わたくしの婚約者を返してください」

「……なんのお話をなさっているのでしょうか」


 話が見えなくて眉を顰めると、侯爵令嬢の取り巻きからまた糾弾の声があがった。


「マグダレーネ様のお気持ちも考えず、なんて卑劣な」

「長く国を離れてやっとお戻りになった途端、婚約破棄を告げられた。あなたのせいだわ」

「男をとっかえひっかえ。恥を知りなさいよ」


 耳にキンと突き刺さる金切り声がいくつも重なり、聞き取りづらい。要所要所をかいつまんで理解したのは、マグダレーネの婚約者とやらをカミラが取ったということだ。初耳である。

 しかも話を聞くに、婚約者とやらは国内の男性。カミラがさきほど想定した『外交のために国際結婚の相手を探しに行った』というのは間違っていたことになる。申し訳なかった。


 とはいえ、それでもおかしい。いったいなにがどうしてカミラがマグダレーネの婚約者を取ったことになっているのか。相手が誰なのかもわからないのに。


(そもそも私が声をかける異性は限られているし、なにか用事があって声をかけても怖がって逃げられるし、泣かれるし、会話自体まともに成立しないのに、どうしてそんな話になるのかしら)


「どなたのことをおっしゃっているのか見当がつかないのですが」

「っなんて破廉恥な」

「逢瀬の相手が多すぎて、名前すら憶えていらっしゃらないだなんて」

「先日の夜会では、多くの殿方を侍らせていたようですし」

「異国の方やら年齢が上の方やら、本当に見境がありませんのね」


 質問に対する回答はなく、斜め上の言葉が返ってくる。

 多人数と逢瀬をした記憶はないし、夜会で周囲にいたのは親族だ。婚約者もおらず、特定のエスコート役がいない。そのうえ同年代から遠巻きにされがちなカミラを気遣ってくれたにすぎない。


 祖父の血縁者は当然異国人だし、従兄も叔父も年上である。身内と一緒にいるだけで糾弾されるのならば、もう独りきりで立っているしかなくなってしまう。

 そうなったらそうなったで、気取っているだの、男漁りをしているだの言われ、あるいは、性格の悪さゆえ誰にも声を掛けられない女と嘲笑するのだろう。


 いいかげん、うんざりだった。

 ただ存在しているだけで、あることないことを噂される。

 それは尾ひれがついて捻じ曲げられ、物語に出てくる悪女のように仕立て上げられるのだ。


 思わず溜息が漏れる。

 そのさまは、彼女たちの神経を逆なでしたようで、また声高に騒ぎ始めた。


「これだから男好きは」

「自分は悪くないとでも言いたいのかしら」

「どれだけの男性を袖にすれば気が済むのよ」

「女の敵よ! 私の婚約者だって、あなたに言い寄られたって迷惑そうにしていたわ」

「私のところもよ」

「すこし静かになさい、貴女方。品がなくってよ」


 窘めるように言ったのはマグダレーネだ。途端、取り巻きの令嬢たちは口をつぐむ。決して声を荒らげたわけでもないのに、この威厳。さすがは侯爵家のご令嬢といったところだろう。

 カミラ達の世代において、もっとも身分が高いのが彼女である。

 王家の傍系たる公爵家のご令嬢はすでに学院を卒業しており、同学年の令嬢たちにとっては一番敵わない相手がマグダレーネであるらしいと知れた。


(ここ数年は国外にいらしたはずなのに、それでも学院内での地位を維持していらっしゃるなんて)


 学院にいるだけで株が暴落していくカミラとは雲泥の差である。

 いや、比べること自体がおこがましい。

 自分は異国の血を引いた成り上がり男爵令嬢で、対する相手は我が国の侯爵令嬢。

 顔立ちも正反対で、派手顔のカミラに対してマグダレーネは柔和。

 ふてぶてしいと評されるカミラとは違い、マグダレーネは物腰も柔らかい。それでいて凛とした空気があり、自然と目が行くのだ。


 自分の駄目なところばかりを突きつけられたようで、ますます落ち込んできた。

 今度は重たい息を吐かないように気をつけながら自省するカミラに、マグダレーネは言った。


「ブローテ男爵令嬢は、身に覚えがないとおっしゃるのでしょうか」


 この問いに対して、なんと答えるのが正解だろうか。貴女の婚約者が誰なのかも知りません、なんて。本当のことだけど、あまりにも世間の事情に通じていなさすぎると、これはこれで怒られそうな気がしないでもない。


「貴女を糾弾するつもりはありません。ただ、貴女自身の考えをお聞きしているだけです。どうぞ素直におっしゃってくださいな」


 逃げるな。

 そう言われた気がして身が竦む。

 たじろぐカミラにマグダレーネが微笑んだ。


「貴女のことは、将軍からお聞きしています」

「おじいさまから?」

「オクソスで暮らしているあいだに、よくお会いしました。孫娘の話もそこで」


 大きな戦もない昨今、祖父母はよく旅に出ていた。祖国にもしょっちゅう立ち寄っていたようだし、あちらには親戚も多く、別荘もある。長期休みにはカミラも出かけたこともあり、じつのところ王都よりも馴染みのある国だ。

 自由闊達、おおらか。

 移民も多く多様性を大事にしており、単一民族国家である我が国とはまったく異なる国民性。

 カミラにとってもあちらは、己の容姿を必要以上に気にせず生活できる場所だった。


「そうですか。オクソスはとても気持ちのよい国ですよね」

「ええ、そう思います」


 毅然とした態度のマグダレーネと共通点を見つけて、カミラの体から力が抜ける。

 取り巻きのご令嬢たちと違い、マグダレーネははじめからカミラを責めたりはしていないことに気づく。

 彼女はただ、事実確認をしたいだけなのだ。

 ならばカミラも誠意をもって答えよう。

 いつも、いつだって、間違った方向に解釈されてしまうけれど、マグダレーネは言った。素直にと。カミラの考えを聞きたいのだと。


「マグダレーネ様の婚約者がどなたなのか、わたしは存じませんし、婚約解消の経緯もわかりかねます」

「そうですか。マグダレーネ・シュルツェの婚約者はフロー伯爵の子息、フェニール殿です。一学年下に在籍しております」

「学年が違うとなれば、ますます顔がわかりませんわ」

「まあ白々しい。顔も知らないなんて、よくもそんな嘘を」

「お黙りなさいな」


 声をあげた令嬢をマグダレーネが制す。不服そうな顔と先の発言から考えても、フロー伯爵子息とやらは、それなりに有名なのだろう。カミラはまったく知らないけれど。

 眉を寄せて考えるカミラに、マグダレーネ。


「ベビーフェイスの美少年ということで、年上のお姉さま方にもたいそう人気がある御仁です。もちろん、同学年にも下の世代にも、はてはご夫人方にも可愛がられるタイプといいましょうか。子犬のような少年です」


 取り巻き令嬢が頷いている。今言ったとおりのご子息ということか。

 ならば、ますますカミラとは縁がない。そんな気弱そうな男の子ならば、業火の女たるカミラに近づきたくもないだろう。しっぽを巻いて逃げているに違いないから。


「……やはり、わたしには縁のない御方のように思えます」

「ひどい! 年下の男の子まで弄んで」

「可哀そうだわ」

「どうせ貴女のほうが強く言い寄ったのでしょう? にわか男爵家の分際で」


 令嬢たちが声高に叫んだとき、誰かに呼ばれでもしたのか、艶やかな金の髪が麗しい、童顔の少年が現れた。


「フェニール様」

「あ、あの、マグダレーネ嬢が業火――じゃなくてブローテ男爵令嬢を呼び出していると、聞いて。その、お願いですから、こんなことはやめてください」


 泣き出しそうな顔をしたこの少年が、どうやらマグダレーネの婚約者であるらしいが、カミラはやはり知らなかった。学内ですれ違ったことぐらいはあるのかもしれないが、会話をするような機会はなかったと思う。


「わたしはあなたとお会いしたことはないと思うのですが」

「――! ひっ、そ、その、ですね、ぼ、僕、は」

「脅すなんて」

「怯えていらっしゃるではありませんか」

「フェニール様、お気の毒に」


 まただ。ただ、純粋に問いかけただけなのに、カミラが声を発すると、こんなふうに言われてしまう。

 ご令嬢たちは義憤に駆られているのか、いつもは遠巻きに噂するだけなのに、今日ばかりは面と向かってカミラを糾弾した。口々に責め立てられ、カミラは身がすくんで何も言えなくなる。

 黙り込んだカミラに対し、令嬢たちは言う。


「こわい、こちらを睨んでいるわ」

「どうせあの大将軍に言いつけて圧力をかけるおつもりなんでしょう」

「いつもはそれでよかったのかもしれませんけれどね、マグダレーネ様がいらっしゃる今、これまでのようにはいきませんことよ!」

「……言いつける?」


 むしろ知られないように苦心していたのに?


 孫が学院で爪はじきになっていると知れば、苛烈な祖父母は激昂するに違いなくて。それこそ本当に決闘でもしかねない。

 だから頑張って知られないようにしているのに。

 我慢して、なにを言われても飲み込んで、卒業するまでの辛抱だと思ってきたのに。


 カミラは俯いた。

 顔をあげると、なんだか泣いてしまいそうな気がしたからだ。


「もう行きましょう。フェニール様は脅されていらしたのでしょう? わたくしたちが証言いたしますから、マグダレーネ様も怒ってはいらっしゃらないですし」

「そうですそうです、婚約解消だなんて、そのようなことする必要はございませんのよ」

「たしかに怒ってはいないけれど、それはカミラ嬢に対して、だ。それ以外の者たちについては、怒りもあるけど、呆れるね」


 挟まれた声は男性のものだった。

 カミラは顔をあげる。そこにいたのはマグダレーネであり、この場にいる男性はフェニール少年のみ。

 ご令嬢たちは呆然とした顔でマグダレーネを見ており、その視線を受けて侯爵令嬢は笑みを浮かべた。


「うん。呆れかえるとはこのことだね。学院の規律が乱れているとは聞いていたけど、これほどとは思わなかったよ」

「マ、マグダレーネ様?」

「生憎と僕はマグダレーネではないんだ」

「はい?」

「マグダレーネに頼まれて、婚約者くんの不貞を暴きに潜入したんだよ」


 そう言ってマグダレーネの顔をした男性が、フェニールに目を向ける。混乱したようすの少年に、追撃の声をかける。


「事前に調べはついているんだよね。今ここで真実を話せば容赦してやってもいいけど、どうする?」

「真実って、なんのことだよ。だいたい、君はいったい何者なんだ。マグダレーネはどうしたんだ」

「マグダレーネは今日はお休み。僕が彼女の振りをして登校しただけのこと。それで、話す気はないってことかな」

「言っている意味がわからない」

「そう。じゃあ仕方がないな」


 肩をすくめ、マグダレーネがカミラのほうへ歩み寄り、その隣へ立った。

 腕が触れるほどの距離になればよくわかる。上背があり、ほどよく筋肉質。この人物はまぎれもなく男性だった。


 男はカミラを見下ろし微笑んだ。

 柔らかな眼差しは、この学院では受けられなかったもので、どきまぎする。見知らぬ異性から、こんな笑みを向けられたのは、子どものころ以来だ。


「フェニール・フロー伯爵子息。貴殿はマグダレーネ・シュルツェの婚約者の立場にありながら、彼女が異国に滞在しているのをいいことに、他の女性と逢瀬を繰り返した。未亡人ならばまだともかく、夫のある女性と関係を持つのはいただけないな。さすがに目に余る」

「な、なにを、根拠に、そんなことを」

「そうですわ、マグダレーネ様。フェニール様にかぎってそのような振る舞いをなさるはずがありません」

「お優しい方ですから、声をかけられても無下にできなかったというだけでは?」


 不貞は不貞でも相手が随分と年上のマダムであると断定されたことで、取り巻き令嬢のひとりが顔をしかめた。一歩下がり、嫌悪感をあらわにする。しかし残る二人の令嬢はフェニールの信奉者なのか、彼を庇った。

 カミラの隣に立つ男は、そのさまを見ながらなおも言葉を続ける。


「うんうん、君たちが彼を庇う気持ちはよくわかる。信じたくもないだろうね、情夫だなんて。だけど、そんなことを言えた立場なのかい? マグダレーネという婚約者がいることを知っていながらフェニールと関係を持ったのは、君たちだって同じじゃないか」

「――は?」

「なにを、おっしゃって」

「君と君。マグダレーネを持ち上げる振りをして、隣国へ留学した彼女を『男に相手にされない小賢しい女』と陰で笑い、あの侯爵令嬢の婚約者に愛でられる可愛いわたくしと悦に入って、ここ数年間、乞われるままに関係を続けてきた君たち二人も、やっていることは同じってことだよ」

「二人……?」

「どういうことよ」


 顔色をなくした令嬢ふたりが顔を見合わせる。

 そのうしろで、顔面蒼白になっているのがフェニールである。


 いま聞いた話を整理すると、フェニール少年は、あざと可愛い子犬くんの顔をして、社交界では年上マダムのツバメとして渡り歩き、昼間の学院ではこのご令嬢たちにも声をかけていた。(さか)しい婚約者に放置された可哀想な僕というポジションで、お姉さまの同情を買っていたのだ。

 そしてどうやらそのお姉さま方は、あのマグダレーネ嬢より女としての格が上であるという立場に酔い、二股をかけられていたとは思っていなかったらしい。


「キャットファイトをするなら好きにすればいいけど、それなら場所を選んだほうがいいね。ここでは狭すぎるし、どちらかが勝ったところで、次の戦いが始まるだけだよ。ねえフェニールくん。同級生と年下と、あと何人いるんだっけ?」

「はああ!?」


 フェニール少年はもはや土気色の顔になっていた。

 カミラは人間の顔色がこんなにも悪くなるところをはじめて見た。


「ま、待てよ。だ、だだ、だいたい、なにをしょ、証拠に、そんな不名誉なことを。フロー伯爵家として、黙っていられない。マグダレーネの顔をしたおまえのほうこそ不審者じゃないか!」


 もはや噛みつく場所はそこにしかなく、フェニールはカミラの隣に立つ男に指を突きつけた。男はまたも肩をすくめ、やれやれといったふうに溜息をもらした。


「伯爵が君に明かしていないという時点で、見限られているとは思わないのかい?」

「なんのことだよ」

「僕はたしかにマグダレーネではないけれど、赤の他人だとは言っていないだろう。むしろ、こんな似た顔をしていて他人であるほうがおかしい」

「顔を変える違法手術だってあるじゃないか」

「物語の読みすぎだ。僕は弟だよ。マグダレーネは双子の姉だ」

「双子……?」


 ぽつりと呟いたカミラに顔を向け、マグダレーネの弟が頷く。


「僕の名前は、マスカーレオ・シャトリエ。シュルツェ侯爵家の分家筋にあたるシャトリエ伯爵家の養子になった、マグダレーネの弟さ」

「シャトリエ家?」

「カミラ嬢は知っているかもしれないね。君のお祖父さまの一番弟子を自称する伯爵の孫だよ」


 隣国オクソスにおいて、シャトリエは武門の一派として知られていた。戦乱の世は遠くなり、今はもっぱら自国の防衛に努めているが、外交を担ってきたシュルツェ侯爵の縁戚だったとは。癒着だなんだといわれないよう、おおっぴらにはしていないのだろう。


 フェニールのようすを見にきたらしい彼の友人が騒ぎに気づき、学院の教師が呼ばれる。

 楚々とした淑女の顔を捨てたご令嬢たちを伴い、学院の一室が提供された。

 これまで静観していた学院側だが、妙に協力的になっていた。若い教師が一人、調停役のように席につくと、会議が始まる。


「シュルツェ侯爵家が調査した内容がこちらです。王子殿下の卒業後、随分と風紀が乱れたようで。王室関係者はかなり憂いておいでで、交流のあった僕に、内密に調査できないかと打診がありました。こういった醜聞を僕が知るということはつまり、国外に噂を広げることが可能ということです。おわかりですよね?」


 マグダレーネ改めマスカーレオは、鷹揚な態度で椅子に腰かけ、そんなことを言った。


「こちらのカミラ・ブローテ嬢の祖父は、国外ではいまも名高い将軍です。その孫娘をよりにもよって悪意に晒し、彼女にすべての責任を押しつけているのはいかがなものかと思いますね。将軍が知ったらなんとおっしゃるか」


 フェニールがビクリと震えた。カミラも冷や汗が流れる。

 苛烈な祖父は、怒るとそれはもう怖いのだ。どうして相談しなかったんだと、カミラもたぶん叱られるだろう。そして、「じいちゃんのせいでカミラがいじめにあった」と落ち込んでしまう。

 黙することを選択したのはカミラであって、その結果に起こったことはカミラの責である。祖父のせいではない。


「それは違うよカミラ嬢。君は反論をしなかったわけではない。周囲がそれを言わせなかった。君を追い込み、ただ受け入れるだけの立場にさせたのは周囲の人間だよ。みずからの罪から安易に逃れ、自分が楽をするために君を使ったんだ」


 フェニールが、カミラに言い寄られた被害者の立場を装ったのは、これまでの前例があってこそ。あの悪女ならそんなことをやってもおかしくないと思わせるだけの悪行が流布していたから、フェニールは己の所業を隠すためにカミラを使った。


 カミラが悪女だとみんなが言うから。

 だから生徒たちは、自分たちの後ろめたい事情をすべてカミラのせいにして、責任を彼女になすりつけた。

 証拠のない噂はいつしか確固たる事実として認識され、誰もがカミラを悪女と扱った。

 いかにも性格がきつそうな見た目だから、苛烈な祖父母に似たカミラなら、悪評なんて鼻で笑って流すだろうと思って。



「まったく、そんなことがあるわけないだろう。自分たちと同じ年齢の女の子になんてことを。そこで被害者ぶっているお嬢様方も同罪だ。こういうのは同性のほうが陰湿だよねえ」

「ブローテ男爵令嬢は、いつだって平気な顔をしている厚顔無恥な女じゃない!」

「わたくしの婚約者に言い寄ったくせに」


 フェニールの遊び相手だったらしい、マグダレーネの取り巻き令嬢たちが、カミラを罵る。

 これまでと違って直接的な悪意と怒声に、体が震えた。

 そんなカミラを庇うようにマスカーレオが言う。


「うん、だからね、カミラ嬢をそんな女性に仕立て上げたのが、そういう謂れのない悪意なんだよ。あとさ、君の婚約者がカミラを隠れ蓑に使っただけだとは思わないのかい? そこのフェニールくんがやったことと同じように。だいたい、婚約者が居ながら別の男に媚を売っている君に言われる筋合いはないよ。まったく、どのくちが言うんだか。カミラ嬢が悪女だって? それは君らのほうだろう」


 マスカーレオが結論づけたとき、立ち会っていた教師がパンと手を打った。


「はい、そこまで。それ以上は彼女たちの尊厳を傷つけることになるから、やめなさい」

「事実ですよ」

「だとしても、それは捉え方の違いだ。悪とは個人の判断によって異なるもの。決めつけはよくない」

「カミラ嬢はその個々の判断によって異なる価値観によって尊厳を傷つけられていますが?」

「それを決めるのはおまえじゃないんだよ、マスカーレオ」


 教師に諫められ、マスカーレオは押し黙る。納得はしていないのか、不機嫌な顔を隠しもしていない。

 ついさっきまでは随分と大人びた調子で弁舌を奮っていたが、今はどこか幼い雰囲気。マグダレーネの双子ということは、カミラとも同じ年齢なのだと気づき、すこし親近感が湧いた。


「さて、まずはブローテ男爵令嬢に謝罪しよう。学院内で流布する噂について火消しをおこなわなかったのは、社会に出れば同じような事象が起こり得ると思ったからだった。流されず、自身の心に向き合って、正しいことを見極める修練になればと思っていたんだが、想定以上に大きくなりすぎた。申し訳なかった」


 教師の謝罪にカミラは首を振った。


「いいえ。王弟殿下が謝罪なさるようなことではありません」

「学院という小さな社交界を制することすらできないなんて、陛下になんと言われるやら」


 先生が王弟殿下!? と、驚愕した声が、カミラの対面からあがる。どうやらフェニールもご令嬢も知らなかったらしい。

 王立学院の運用には必ず王室関係者が在籍することになっているのは、学院規約にも記されていること。通っている学生たちだって当然承知しているはずなのに、それがこの若い教師だとは思っていなかったようだ。

 国王陛下には弟妹が多数おり、それぞれ、さまざまな分野で仕事をしているなか、一番下の王弟殿下は教育の分野に携わっている。


 カミラは祖父の紹介で挨拶をしたことがあったので知っていたし、途中から編入するということで、目をかけてもらった。特権階級に頼っていると思われるのは嫌なので、お世話になったのは入学前後の期間だけだが。


 陛下の弟によるお裁きには異を唱えることもできず、粛々と場は進行した。

 フェニールとマグダレーネの婚約は解消。男性側の有責であることを明文化したうえで、(つつが)なく事態は収束した。


 紛糾したのは周辺のほう。フェニールと関係があったとおぼしき令嬢たちは二桁に達し、本命を巡って醜い争いが勃発。

 結局フェニールは、伯爵家の遠縁が住む地へ移り、王都から姿を消した。

 令嬢たちは自身の評判を落とし、当然のごとく婚約者に愛想をつかされ、王都を離れる者が続出したようだ。


 カミラを隠れ蓑に放蕩のかぎりを尽くしていた男子生徒も同様で、自身の評判を落とし、厳しい監視のもとにまだ学校に通っている。

 女性と違い、逃げて終わり、とはならない。

 醜聞に晒されて精神を疲弊させ、周囲に泣き言をもらしているらしいが「ブローテ男爵令嬢にやったことと同じだろ」と返されて黙る生活を送っている。




 カミラはオクソスへ渡った。

 王弟殿下の計らいで、隣国の学校へ転入することになったのだ。

 大きな騒動となったし、カミラは一番の被害者とはいえ、だからこそ好奇の視線を浴びる立場になる。

 これまでとは違った意味で目立つようになるし、逆恨みによる報復も懸念される。心と体、両方の安全を保つには、国を離れたほうがよいという判断だった。


 シュルツェ侯爵からも謝罪をいただいたし、留学に際して便宜も図ってくれた。

 その時、マグダレーネにも会った。本物の彼女も背が高く、凛々しい面立ちの女性だった。


「ごめんなさいね。私の婚約解消問題に巻き込んでしまって。これ幸いと出汁に使わせてもらったこと、本当に申し訳なかったわ」

「いえ、あの、こちらこそ。オクソスでの生活環境を整えてくださって感謝します。あのまま学院に残るのは、針の筵でしたし」


 フェニールとの婚約は、国内の政治事情から決まったもので、マグダレーネ自身は特に興味はなかったそうだ。

 ただ、フェニールの所業があまりにも女性をバカにしたものであったため、腹に据えかねた。

 フロー伯爵の手綱を握るためにも、フェニールを完膚なきまでに叩きのめし、追い払ってやろうと思って帰国したそうだ。


 すっきりしたわね、と笑うマグダレーネは朗らかだけど、すこし怖かった。


「マグダレーネ様はこれからどうなさるのですか?」

「こちらに残って学院に通うつもりよ。あなたの悪評をすこしでも潰していかないといけないし」

「どうしてそこまでしてくださるのですか?」

「将軍にはお世話になったし、可愛がっていただいたし、孫娘の話をずっと聞いていたから会ってみたかったし」

「おじいさま……」


 もともと祖父が国を渡る際、尽力したのが前シュルツェ侯爵。そのため、マグダレーネは幼少のころからカミラの祖父に会う機会が多かったという。

 顔の広い祖父の交友関係は把握しきっておらず、知り合いですと言われても、「おじいさまならあり得るかも」と思えるので、カミラは納得した。


「これからもよろしくね、カミラさん」

「こちらこそ、ありがとうございます、マグダレーネ様」

「もっと気軽に呼んで頂戴な」

「ですが、侯爵家のお嬢様にそんな――」

「いずれ、もっと近くなるわよ」

「近く、とは?」

「愚弟が迷惑をかけるかもしれないけど、寛容な心で許してやってくれると嬉しいわ」



 マグダレーネの残した言葉の意味がわかったのは、オクソスの学院の門をくぐったときのこと。

 待ち構えていたようにカミラの前に現れたのは、マグダレーネとよく似た顔をした青年。長い髪をうしろで結わえ、柔和な笑みを浮かべている。


「マスカーレオ様?」

「ようこそ。待っていたよカミラ嬢。まずは学長に挨拶だよね。案内するよ。クラスはたぶん僕と同じになると思うから、隣に座ろう。いろいろと教えるから分からないことがあったら遠慮なくなんでも聞いてくれ」

「あの、でも、どうして――」


 首を傾げながらも思い出す。そういえば彼もまた祖父の知り合いであり、カミラのことを一方的に聞かされてきた一人なのだ。祖父の孫自慢は留まるところを知らない。


「あの、おじいさまのことはお気になさらず。もしくは、あちらでの騒動のことを気にかけてくださっているのであれば、マグダレーネ様に充分なことをしていただきましたので」

「どうしてという問いに対する回答ならば、君と会って話をしてみたかったから。僕はね、将軍と一緒に来訪した君を何度も見てきた。将軍が自慢していた『可愛い孫娘』の姿を遠目にしか見られなくて、だから直接会って、近くで話をしてみたかったんだよ」



 マスカーレオ・シャトリエは、双子として生を受けたとき、男児のいないシャトリエ伯爵の養子になることが決まった。シュルツェ侯爵家にはすでに二人の息子がいたため、三番目の男子は別の場所で立場を得たほうがよいのではないかという判断が下されたからだ。


 仲違いをしたわけではないので、交流は欠かさずおこなわれた。

 だからマスカーレオは『自分は実の親に捨てられたのだ』なんて妙な考えを持つこともなく、両方の親から大事にされて育った。


 大将軍閣下と会ったのは、オクソスで暮らすようなってすぐのこと。国を離れた子どもを思いやってくれたのか、自分には孫がいるのだと話してくれた。

 自慢の孫とやらをはじめて見たのはいつだったか。幼いながらも目鼻立ちのはっきりとした少女で、顔立ちに反するように引っ込み思案なのか、将軍の足下に隠れるように立っていた。


 じつは一度だけ会話をしたことがある。

 大人ばかりのガーデンパーティで手持ち無沙汰だったとき、庭の隅っこで身を縮めていたカミラを見つけた。一緒に遊ぼうと声をかけると、驚いた顔をしたあとで、安堵したように表情をゆるめ「うん」と頷いてくれたのだ。

 その顔があまりにも可愛くて、マスカーレオは心臓がドキドキして頭がふわふわになって、庭園に咲いていた花を一輪、庭師に頼んで摘んでもらい、少女に贈った。彼女の髪と同じ色の赤い薔薇だった。


 カミラはマスカーレオの初恋の君となり、だからこそ彼女の置かれた境遇が耐えられなくて、マグダレーネの代わりに学院へ行った。

 フェニールが豹変して暴力を振るう可能性を考慮して、マグダレーネではなく自分が行くと宣言したが、半分以上はカミラの顔が見たかったからだ。自分の手でカミラを救いたかったからだった。


 オクソスへ留学経験のある王弟殿下にも根回しをして乗り込んだ学院で、何年振りかに姿を見たカミラは美しく成長していて、まさに咲き誇る薔薇の君。

 まだ誰にも手折られていないカミラ。

 オクソスに来た彼女はおそらく人目を惹きつけるだろうし、誰もが声をかけるだろう。

 そうなるまえにマスカーレオは彼女の隣を確保するつもりだ。あの手この手でカミラの関心を引き、傍に居ても違和感のない存在になってやろうと決めて、ここに立っている。



「君が快く過ごせるように、僕が近くで守ると誓う」

「ありがとうございます、マスカーレオ様。心強いですわ。わたし、あちらではこの顔のせいで怖がられていたんですが、心機一転、新しい場所では平穏に過ごせたらと思っておりますの」

「尽力するよ」


 なにくれと世話を焼いてくれるマスカーレオの献身により、カミラは別の意味で心が穏やかではいられなくなる。

 悪女顔の少女の新生活が平穏と言えるのかどうかは、未だ神のみぞ知る。




最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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冤罪で糾弾される悪役令嬢って、あれイジメだよね。

大体の場合、悪役令嬢側はメンタル強くて、これ幸いと断罪を受け入れ、新天地で自分の個性を活かした生活を送っている気がするんですが、そんなつよつよ女子ばっかりでもないと思います。

なので、心配させたくなくて家族に黙っていた女の子を、颯爽と助けるヒーローの図を書いてみました。

女装男子だったのは私の趣味です。異性装、万歳!

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