勝ち負けは必ず
「ジッチョクさん! すいません! こっちにヘルプお願いします!?」
「ジッチョクさん! セルの関数消しちゃいましたーっ!!」
「ジッチョク! この資料を明日までにまとめておいてくれないか」
「ジッチョクさん!」
「ジッチョクさん!」
ああ、もうっ! 毎日毎日「ジッチョク、ジッチョク」って!
俺の名前は『 実直 』だってのっ!
もうやだ、こんなデスマな職場っ!! もう帰るーっ!!
「このセルは〇×△だからこうしてこうっ、はい、直ったよ!」
「部長、資料明日までですね! A4サイズに要約しておきますんで」
「ヘルプは来客? 電話?」
・・・とまあ、内面と行動が乖離しているのが俺だ。
佐藤 実直 28歳
地元金融機関に勤め、システム系管理から運用・ヘルプデスクまで、一手に引き受けている。
名刺の肩書だけ見れば、実情を知らない人は「凄いね!」とか言ってくるけど・・・
冗談じゃない! 俺は出来る事ならもっと楽してお金を稼ぎたいワケ!
んで、日がな好きなゲームとかマンガとか映画とかで楽しく過ごしたいワケ!
・・・そして叶うならば、同じような趣味で楽しめる彼女が居ればなぁー・・・ と。
なんだかんだで怒涛の一日もやっと終業時刻を迎え
「んじゃ、お先します! お疲れ様でしたー!」
会社を後にし、角を曲がって会社が見えなくなると歩くスピードも速くなる。
今日は金曜日、明日は休みっ! 思わず早歩きも駆け足になるってもんだ。
「うおぉぉーーっ!」
まずは本屋で楽しみにしていたマンガとラノベの新刊買って、コンビニで酒とツマミとお菓子と最近ハマってるゲームの課金カード買って、と楽しみが止まらない!
本屋に着いた俺は目的の新刊を探した。
「えー『情熱と異世界の境界で』はドコかな・・・ っと、あった!」
運の良い事に最後の一冊ではないか、今週は酷い一週間だったが、少しは頑張った甲斐があったってもんだ、と感慨深く思いながら手を伸ばす。
サッ!
・・・俺の目の前から新刊が消え、視界には真っ白い棚板が見えている。
ほんの少し手に取るのが遅かった、俺は争奪競争に負けたのだ。
だが、まだだっ! 俺は悔しい気持ちをグっと抑え、ラノベの新刊コーナーに顔を向ける。
しかしあろうことか、またしても俺の目の前から最後の一冊が消え失せた。
顔を上げ最後の一冊を目で追うと、さっきのマンガを手にした女性が横目で俺を見て、軽くお辞儀た後、レジへと消えて行った。
俺は、その場でガクっと崩れ落ちた。
・◆・◆・◆・
今日も猛スピードで退社するさねなおに全く追いつけないさちこはいい加減キレそうだった。
さちこに落とせない男は今まで居なかったのに、こいつ、こいつ...!
すっと鼻筋が通り、彫りの深い顔立ち、目付きが悪いのが最高にいい!
スクエアの眼鏡をかけ、身体にフィットしたスーツを着た独身男、ただ、こいつ、本当にムカつく!
狭い廊下をすれ違う時も、ぶつからないように足を1歩引くさねなおだが、さちこの3歩分は下がっている。どれだけぶつかりたくないんだよ。...とてもぶつかりたいさちこである。ロマンスが、始まらない。
仕事が忙しすぎて、声をかける隙がない、かろうじて仕事について尋ねると、その分野のファイルを「はい」と渡されるだけ。
電話を取りながら手でキーボードを打つ。全く落ちない不落城なのだ。
色仕掛けも全く効果がなく、「さちこさん、ボタン開きすぎ」と服装規定に則った注意をされるのみ。
欲求不満が溜まりに溜まったさちこは、ジムに通ってサンドバックを蹴る始末。
いつか絶対に落としたい。
あまりのさちこの勢いに、アマチュアライセンスを取らないかと誘う指導者もいるほどである。
ある日、本屋をぶらぶらしていると、さねなおがいた。さちこの首がギュンッと回り、近くにいた客が気配を殺しつつ離れてゆく。
さちこは足音を消し、さねなおが見ていたマンガの棚を見つめる。明日発売のマンガね...。
次にラノベコーナーに行くさねなおに忍び寄るさちこ。
...さっきのマンガのラノベ版ね。
あのスピードで退社されたら間に合わないと思ったさちこは、作戦を立てた。
翌日。
顔色が悪そうなメイクをして、生理痛重いですアピールをするさちこ。
退勤時間1時間前に早退し、
素早く本屋に入り、ラノベと漫画を手に取る。
さねなおが来る時間ギリギリに本を戻し、敵を待ち構える。
来た!
一直線にマンガを取りに向かうさねなおに忍び寄り、さっと手を伸ばし、漫画を奪う。...まずは一勝。
次にラノベコーナーへ向かうさねなおになんとか追いすがり、ラノベもゲット!!2ラウンドKO勝ち!!
さちこの頭の中でカンカンカーン!と勝利のゴングが鳴り響く。
レジ前に並んでいると、顔色の悪いさねなおを見つけ、さちこはにっこりと微笑んでみせたのだった。
...さちこが帰宅後「あれ、なんか違くない?」と気づいたときには、遅かったと言えよう。
さちこが実直を「じっちょく」と呼ばないことには理由があり、さちこはその他大勢にはなる気は無かったのだ。
必ず「さねなおさん♡」と呼びかけている。
さちこは漫画本を読み、ラノベを読み、もう一度閉店時間ギリギリに本屋に駆け込み、全巻購入した。
...かなり面白かったのである。